第63話:領主様は忙しい
ピコピコ、ピロン。
8ビットの電子音が、静寂なリビングに心地よく響く。
午前10時。
俺、柏木カイトは、革張りのソファに寝転がり、携帯ゲーム機(アーカイブから復元した名作レトロRPG)に没頭していた。
「よし、あと少し……。このボスを倒せば、ドロップ率0.1%のレア装備が……」
世界を救った英雄の姿とは思えない、堕落しきった姿。
だが、これこそが俺の勝ち取った「日常」だ。
誰にも邪魔されず、好きな時に起き、好きなだけゲームをする。
最高だ。
――ピンポーン、ピンポーン。
無粋な電子音が、俺の集中力を断ち切った。
インターホンだ。
しかも、一度や二度ではない。連打されている。
「……ああ、もう」
俺は不機嫌に顔を上げ、壁のモニターを一瞥した。
映っているのは、煌びやかな鎧を着た騎士団や、豪華なローブを纏った老人たち。
彼らの背後には、山のような貢ぎ物を積んだ馬車が列をなしている。
「観光地じゃないんだぞ、ここは」
俺はヘッドホンを装着し、ノイズキャンセリング機能をオンにした。
外の世界では、俺は「聖域の支配者」であり「神の使い」として崇められているらしい。
そのせいで、世界中の王族や貴族が、一目俺に会おうと(あるいはあわよくば不老不死の秘儀にあやかろうと)日参してくるのだ。
「うるさいなぁ……。タレットの『威嚇射撃モード』、許可しようかな」
俺は本気で悩みながら、ゲームのポーズボタンを押した。
このままではらちが明かない。
その時、リビングのドアがスマートに開いた。
「失礼します、カイト様」
入ってきたのは、一人の女性だ。
かつて「薄幸の聖女」と呼ばれ、ボロボロの包帯姿で保護された少女――エリス。
だが、今の彼女にその面影はない。
俺が支給した「白い事務用ブラウス」に「タイトスカート」。
金色の髪はきっちりとまとめられ、鼻には知的な「ブルーライトカット眼鏡」が光っている。
左手にはタブレット端末、右手には開封済みの「エナジードリンク(カフェイン増量版)」が握られていた。
完全に、仕事のデキるキャリアウーマンの姿だ。
「お疲れ、エリス。……また客か?」
「はい。本日の面会希望者は、現時点で12件です」
エリスはタブレットを指で弾きながら、早口で報告を始めた。
その口調からも、かつての自信なげな様子は消え失せている。
「北の鉄帝国の将軍が『防衛協定』の締結を。南の海洋国家の女王が『貿易摩擦の解消』を。それと、東の教皇が『聖地認定』の嘆願に来ています」
「全員キャンセルで」
俺は即答した。
「僕は今、ラスボスの前でレベル上げ中なんだ。国家の命運より、経験値効率のほうが大事だ」
「承知しております。既に『領主様は瞑想という高次な儀式の最中』とお伝えし、丁重にお引き取り願う手筈です」
「助かるよ」
さすがエリス。
彼女は元聖女だけあって、権力者への対応や礼儀作法が完璧だ。
今では「聖域の外交官」として、俺の代わりに面倒な対外折衝を一手に引き受けてくれている。
「では、私はこれで……と言いたいところですが」
エリスが眼鏡の位置を直した。
キラリ、とレンズが光る。
「一件だけ、無視できない案件がございます」
「……なんだよ。ドラゴンでも攻めてきたか?」
「いいえ。西の大国『アズライト』の国王陛下が、どうしても拝見したい場所がある、と」
エリスは真顔で告げた。
「『浄化の玉座』を見学させてほしい、とのことです」
「…………は?」
俺の手から、ゲーム機が滑り落ちそうになった。
「……トイレ?」
「はい。トイレです」
「なんで?」
俺の素朴な疑問に、エリスは淡々と、しかしどこか誇らしげに解説を始めた。
「アズライト王は、御年90歳の高齢です。長年の持病に加え、肉化病の後遺症で足腰が弱っておられます」
「ふむ」
「そこで、噂を聞きつけたのです。『聖域には、座るだけで温かい波動に包まれ、聖なる水流によって穢れを祓う、白き玉座がある』と」
俺は頭を抱えた。
TOTOのネオレストのことだ。
暖房便座とウォシュレット機能が、異世界人の脳内変換によって「回復魔法の祭壇」か何かになっているらしい。
「王は信じておられます。『その玉座に座れば、若返りの効果が得られる』と」
「ねーよそんな機能。ただお尻が温かいだけだよ」
「ですが、国宝級の魔剣と、領土の割譲を持参して、門の前で待機されています。『一目見るだけでいい』と」
一国の王が、トイレ見たさに国宝を持ってきた。
常識で考えれば、断る理由はない。
減るもんじゃないし、見せるくらいなら……。
だが。
俺はゲーム機を拾い上げ、冷徹な目でエリスを見据えた。
「却下。絶対に嫌だ」
ゼロ秒の拒絶。
エリスがわずかに目を見開く。
「……よろしいのですか? 相手は大国の王ですよ?」
「知るか。いいかエリス、よく聞け」
俺はソファから立ち上がり、熱弁を振るった。
これは政治の問題ではない。もっと根源的な、俺のアイデンティティに関わる問題だ。
「トイレというのはな、家の中で最もプライベートで、最も神聖な『個室』なんだ」
「僕が毎日掃除し、僕が磨き上げ、僕だけが使うことを許された陶器。……そこに、見ず知らずの爺さんが座る?」
想像した。
俺の愛する純白の便座に、むさ苦しい王様が座り、「おお、温かい」とか言っている光景を。
「ヒッ……!」
俺は全身に鳥肌が立った。
無理だ。生理的に無理だ。
もし座られたら、俺はその便器をハンマーで叩き割り、新品に交換するまで気が済まないだろう。
「排泄とは、生物として最も無防備になる瞬間だ。だからこそ、そこは絶対的な『聖域』でなきゃいけない」
「たとえ世界征服の権利を譲ると言われても、トイレの共用だけは断る」
俺は断言した。
「アズライト王にはこう伝えてくれ。『公衆トイレ(銭湯の横)なら使っていいよ』と。あっちもウォシュレット付きだし」
俺の潔癖すぎる主張。
だが、エリスは呆れるどころか、深く頷いた。
彼女もまた、この家の「清潔さ」に救われた一人だからだ。
「承知いたしました。カイト様の『聖域』を守るのが、私の務め」
エリスはタブレットに素早く何かを入力した。
「では、こう伝えましょう。『あの玉座は神聖不可侵の儀式場につき、異教徒が立ち入れば、神の怒り(タレットの掃射)により呪われる』と」
「……言い方、怖すぎないか?」
「これくらい脅しておけば、二度と近づかないでしょう。外交とは、時にハッタリも必要ですので」
エリスはニヤリと笑った。
かつて「清貧」を説いていた聖女の面影はない。
ここにあるのは、現代社会の荒波に揉まれて進化した、たくましいキャリアウーマンの姿だ。
「頼む。……あ、報酬は?」
「そうですね……」
エリスは少し考え、眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
「新作の『激辛スナック(ハバネロ味)』と、強炭酸水1ケースで手を打ちましょう」
「……安上がりな交渉だな」
国の外交問題が、数百円のスナック菓子で解決した。
「では、行ってまいります。……あ、カイト様」
「ん?」
「ラスボス戦、頑張ってくださいね。回復アイテムの補充をお忘れなく」
エリスは颯爽と敬礼し、ヒールの音を響かせて部屋を出て行った。
パタン。
ドアが閉まる。
俺は再びソファに沈み込み、大きく息を吐いた。
「ふぅ。……優秀な部下を持つと、引きこもりライフが捗るな」
俺はヘッドホンのノイズキャンセリングを再起動した。
外の世界では、エリスの巧みな話術(脅迫)により、一国の王が「呪い」を恐れてすごすごと帰っていくのがモニターに見える。
平和だ。
トイレの平和は守られた。
俺はコントローラーを握り直し、画面の中の魔王に向かって突撃を開始した。
現実世界の王様よりも、ゲームの中の魔王のほうが、よっぽど相手にしがいがあるというものだ。




