第59話:ハッキング・ザ・プラネット
ガイアの心臓が、怒りで沸騰していた。
『排除! 排除! 排除ォォォッ!』
システム管理者の絶叫と共に、世界が崩壊を始める。
赤黒い奔流。
それは、未分化の有機物――「原初の泥」だった。
形を持たない肉の津波が、俺たちを飲み込もうと殺到する。
「くっ、量が多い……!」
レナが剣で薙ぎ払い、ポチが弾幕を張るが、泥の質量は減らない。
波飛沫が、俺の白い防護服にかかった。
ジュワッ。
「うわっ!?」
俺は悲鳴を上げた。
泥が付着した部分から、化学繊維の防護服が、見る見るうちに「生肉」へと変質していく。
俺の装備を、俺の皮膚と融合させ、一つの肉塊にしようとしているのだ。
「気持ち悪っ! 装備の耐久値ごと食いに来てるのか!」
物理的な破壊ではない。「質感」の侵略だ。
世界すべてを、ネチャネチャした有機物に統一しようとする強制力。
俺は歯を食いしばり、スマホを操作した。
「させるかよ……! 上書き保存(Ctrl+S)!」
スキル発動:【無機物保存・最大出力】
俺の体から、青いグリッドが爆発的に広がる。
迫りくる肉の波が、光の格子に触れた瞬間――
パキパキパキッ!
凍りついた。
いや、違う。
不定形だった泥が、無機質な「ポリゴン(多角形)」の集合体へと変換され、空中で静止したのだ。
有機的な混沌と、無機的な秩序。
二つの世界がぶつかり合い、火花を散らす。
「道は開いた!」
俺はポリゴンの波を足場にして駆け上がった。
目指すは、その中心にいる光の巨人――ガイアのアバターだ。
◇
『近寄ルナ、バグめ!』
ガイアが光の腕を振り下ろす。
俺はそれを避けない。
真正面から飛び込み、その光り輝く胸ぐらを掴んだ。
「捕まえたぞ、ポンコツ運営」
俺は右手のスマホを、ガイアの額に叩きつけるように押し当てた。
物理攻撃ではない。
直接接続。
【システム領域へ侵入します】
シュンッ。
俺の視界から、洞窟の風景が消えた。
レナの声も、熱気も、泥の臭いも消え失せる。
代わりに広がったのは、無限に流れる「緑色の文字列」の海だった。
「……うわぁ」
俺は宙に浮きながら、周囲を見渡して顔をしかめた。
ひどい。あまりにもひどい。
そこにあるのは、星を動かすためのソースコードだ。
だが、それは整然としたプログラムとは程遠かった。
継ぎ接ぎだらけのパッチ。
意味不明なループ処理。
何万年も前の、不要になったはずのコード(化石)が、コメントアウトもされずに放置されている。
「なんだこのスパゲッティコードは……。よくこれで動いてたな」
俺は呆れ果てた。
ガイアというOSは、長年の環境変化に対応するため、場当たり的な修正を繰り返してきたのだろう。
『氷河期対応パッチ』の上に『温暖化対応パッチ』を無理やり重ね、さらに『人類抹殺用ウイルス』をインストールしている。
変数の定義が矛盾し、メモリリークを起こしまくっている。
「『生存』の優先度が高すぎて、『快適性』の変数がマイナスになってるじゃないか。これじゃバグって暴走するのも当然だ」
俺は腕まくりをした(イメージの中で)。
ここからは、戦いではない。
デスマーチ確定の、大規模改修作業だ。
「やるぞ。……まずは、このクソみたいなUIからだ!」
俺は仮想キーボードを叩き始めた。
◇
『ヤメロ! 何ヲスル気ダ!』
脳内にガイアの悲鳴が響く。
俺は無視して、コードを書き換えていく。
「まずは見た目だ。この『壁=内臓』っていうテクスチャ設定、趣味が悪すぎる」
俺はMaterial_Textureのパラメータをいじった。
「粘膜」「肉」「骨」の参照先を、「コンクリート」「アスファルト」「鉄」「木材」へと一括置換する。
『ソレハ、生命活動ニ不可欠ナ……』
「うるさい。機能はそのままでいいから、見た目だけ変えろって言ってんだ」
次に、モンスターの設定だ。
Entity_Hostility(敵対性)の項目を見る。
「人間を見たら即時殺害」になっている。
「殺伐としすぎだ。ダウングレードだ」
設定変更:「縄張りに入ったら威嚇」レベルへ。
さらに、Drop_Item(資源ドロップ率)を大幅に上方修正。
『待テ! ソレデハ、生態系ノバランスガ崩レル!』
「崩れないよ。人間が狩るからな」
俺はニヤリと笑った。
「自然を全削除するのは簡単だ。でも、それじゃ酸素がなくなるし、景色が殺風景でつまらない」
「だから、モンスターは残す。ただし、人間を一方的に食う『害獣』じゃなく、資源を落とす『家畜』や『Mob』に再定義するんだ」
それは、バランス崩壊したクソゲーを、遊べる良ゲーに調整する「デバッグ作業」。
俺は次々と項目を修正していく。
「酸性雨」のエフェクトは重いから削除。
「病気」の発生確率は低下。
「作物の育ちやすさ」は2倍にバフ。
俺が求めているのは、「人と自然が共存できるシステム」だ。
ただし、その「共存」の定義は、あくまで人間側の都合(QOL)に合わせたものだが。
夏場のアスファルトの照り返しは暑いから、街路樹は残す。
レナたちが狩り(レクリエーション)を楽しむための獲物は必要だ。
そういう、ドライな計算。
「ぐっ……!」
突然、視界が揺れた。
現実の肉体からの警告信号だ。
タラーッ。
鼻から、温かいものが流れる。
続いて、耳からも。
血だ。
脳が、悲鳴を上げている。
「くそっ……。やっぱり、キツイな」
生身の脳で、惑星規模のデータを処理しているのだ。
スマホで、最高画質の3Dオープンワールドゲームを10個同時に起動しているようなもの。
CPU(脳)が熱を持ち、焼き切れそうになっている。
『愚カナ……。個体ノ処理能力デ、星ノ情報量ニ耐エラレルワケガナイ』
ガイアが抵抗を強める。
修正した端から、元のコードに戻そうとする「自己修復機能」が働く。
イタチごっこだ。
『拒絶スル。ソノ設定デハ、人類ガ再ビ増長スル』
『奴ラハ必ズ、マタ星ヲ汚スゾ。リスクガ高スギル』
ガイアの主張は、ある意味で正しかった。
人間は愚かだ。喉元過ぎれば熱さを忘れる。
平和になれば、また環境破壊を始めるかもしれない。
だが、俺は血の混じった唾を吐き捨てた。
「うるさいな。増長したら、その時は僕が管理(BAN)してやるよ」
俺はこの世界の「管理者権限」を持つのだ。
ルールを守らないプレイヤーがいれば、俺がタレットと結界で教育してやる。
「だから……黙って言うことを聞けッ!」
俺は最後の力を振り絞り、主要プログラムの書き換えを強行した。
思考のフレームレートが落ちていく。
視界にノイズが走る。GPU(視覚野)が限界だ。
(くそっ……容量が足りない……!)
(あと少し……あと少しで、エンターキーを押せるのに……!)
意識が飛びそうになる。
暗闇が迫る。
熱暴走寸前の脳が、強制シャットダウンしようとしている。
ダメか。
ここで落ちれば、書きかけのデータは破損し、世界は中途半端なバグまみれになって崩壊する。
(誰か……)
俺の意識が途切れかけた、その時だった。
現実世界の方から、温かい「熱」が流れ込んできた。
背中に、誰かが触れている。
一人じゃない。二人だ。
『使ってください』
声が聞こえた気がした。
それは、外部電源の接続通知だった。




