第57話:孤独はメンテナンスが面倒くさい
レナとエリスが、弾かれたように目を開けた。
信じられないものを見る目で、カイトを見つめる。
ガイアの構成する青い光が、激しく明滅した。システムのエラーを示すように、ノイズが走る。
『理解不能』
感情のないはずの声に、焦燥の色が混じる。
『ナゼダ? 人類ハ、オ前ヲ苦シメル「ノイズ」デシカナイゾ』
『オ前ハ、汚レヲ嫌ウ。騒音ヲ嫌ウ。孤独ヲ愛シテイルハズダ』
『ナノニ、ナゼ拒絶スル?』
もっともな問いだった。
論理的に考えれば、カイトがこの提案を蹴る理由はどこにもない。
カイトはポケットに手を突っ込み、ダルそうに肩をすくめた。
「ああ、嫌いだね。人間は汚いし、うるさいし、裏切るし、ろくなもんじゃない」
彼はかつて自分を追放した剛田たちの顔を思い浮かべる。
そして、自分の聖域に土足で踏み込んできた政府の役人たちを思い出す。
「でもな、お前の提案には致命的な欠陥があるんだよ」
カイトはビシッと、光の巨人を指差した。
「お前はさっき、『保存』しかできないと言ったな?」
「未来の創造は行わない、と」
『肯定スル。ソレガ安定ノ条件ダ』
「それがダメなんだよ」
カイトは説教をするように指を振った。
「いいか? 僕はゲームを遊ぶのが好きだ。死ぬほど好きだ」
「だがな、同じゲームを永遠にやり続けたいわけじゃないんだ」
彼の熱量が上がる。
それは世界を救う英雄の顔ではなく、メーカーの怠慢にキレる消費者の顔だった。
「クリアしたゲームは、いつか飽きる。名作漫画だって、何百回も読めば展開を覚える」
「僕が本当に欲しいのは、『過去の名作』じゃない」
「『来週発売される最新刊』であり、『開発中の新作ゲーム』なんだよ!」
カイトの叫びが、地下空洞に木霊する。
「人類は確かにウイルスかもしれない。環境を壊すし、愚かだ」
「でもな、そのドロドロした欲望や、予測不能な『混沌』の中からしか、新しい物語やエンターテインメントは生まれないんだ」
クリエイターの情熱。商売人の欲。消費者の熱狂。
それら人間臭いノイズの集合体が、文化を作る。
「お前が人類を全消去すれば、僕は永遠に『新作』が供給されない世界で、過去の遺産を食いつぶすだけのゾンビになる」
「……それは『生』じゃない。ただの『保存』だ」
カイトにとって、世界とは巨大な「コンテンツ生成装置」だ。
その電源を切ることは、自分の楽しみの供給源を絶つことと同義だった。
『……理解不能』
ガイアは困惑していた。
生存や環境維持といった生物的命題よりも、「暇つぶし」を優先する思考回路が理解できないのだ。
『ナラバ、コンテンツ生成能力ヲ持ツ個体ノミヲ、選別シテ残ス』
『ソレ以外ノ「消費スルダケノ個体」ハ、ヤハリ不要デハナイカ』
ガイアが代案を出してくる。
作者だけ生かしておけばいいだろう、という極論。
だが、カイトは首を横に振った。
「それも違う。……もっと、個人的な理由があるんだ」
カイトは、自分の足元――コンクリートで舗装された地面を見下ろした。
そして、視線を横に向けた。
そこにいる、二人の少女に。
「僕は、掃除が好きだ」
唐突な自分語り。
「汚れた場所をピカピカにするのが快感だ。換気扇の油汚れが落ちた瞬間や、窓ガラスが透明になった瞬間……あれで脳汁が出るタイプの人間だ」
彼は自嘲気味に笑う。
「でもな、誰もいない世界で、絶対に汚れない部屋にいて……掃除のやり甲斐があると思うか?」
『……?』
「外が泥だらけで、みんなが汚れに苦しんでいる。その中で、僕の家だけが圧倒的に綺麗だ」
「この『格差』こそが、最高のスパイスなんだよ」
カイトは歪んだ、しかし正直なエゴを曝け出した。
「僕が掃除したトイレを見て、こいつらが『すごい!』って感動して泣く」
「僕が入れたコーヒーを飲んで、『神の雫だ!』って崇めて感謝する」
「そのリアクション(承認)があって初めて、僕の労働は報われるんだ」
彼はレナとエリスを指差した。
「つまりな、俺の快適なスローライフには、適度な『他者(観客)』が必要なんだよ!」
シーン……。
場が静まり返る。
レナとエリスは、ポカンと口を開けていた。
てっきり、「君たちが大切だから」とか「愛しているから」とか、そういう言葉が来ると思っていたのだ。
それが、「掃除のやり甲斐のために必要」だなんて。
「……あ、あの、大家さん?」
「カイト様……それは、つまり……?」
二人の戸惑いを無視して、カイトは不敵に笑った。
「勘違いするなよ。寂しいからじゃない。便利だからだ」
「完全な無音の部屋は、逆に落ち着かない。窓の外で少しガヤガヤしている環境音(BGM)があったほうが、一番よく眠れる」
「お前らがいると、騒がしいし、食費もかかる。でも、僕がゲームに集中している間に洗濯をしてくれる」
カイトは彼女たちを見た。
その目は、家族に向けるものでもなく、恋人に向けるものでもない。
信頼できる「共犯者」に向ける目だった。
「だから、人類は滅ぼさせない」
「あいつらは僕の『客』であり、『コンテンツメーカー』であり、『環境音』だ」
カイトはガイアを睨みつけた。
「僕の楽しみを奪う権利は、地球にもない」
それが、結論だった。
世界を救う英雄の言葉ではない。
自分の生活圏を守ろうとする、頑固な家主の宣言だった。
ガイアの光が、激しく振動した。
青から赤へ。
静謐な輝きが、攻撃的な色へと変貌していく。
『……非論理的ダ』
重低音が、空間を揺らす。
『感情論デ、システムノ決定ヲ覆ストイウノカ。個体ノ「快楽」ノタメニ、惑星ノ「生存」ヲ脅カスノカ』
『交渉決裂』
ゴゴゴゴゴゴ……!
地下空洞全体が震え出した。
壁面の肉襞が蠢き、無数の触手が槍のように鎌首をもたげる。
足元の地面が液状化し、飲み込もうとする。
『抗体「K」、オヨビ有機生命体ノ、強制排除ヲ開始スル』
圧倒的なエネルギーの奔流。
物理的な死が、四方八方から迫りくる。
レナが剣を拾い上げ、カイトの前に立った。
エリスも祈りを捧げ、結界を展開する。
「主様! 来ます!」
だが、カイトは動じなかった。
彼はポケットからスマホを取り出し、画面をスワイプした。
「感情論じゃない」
カイトはニヤリと笑った。
その目は、無理難題を押し付けるクライアントに反逆するエンジニアの目だった。
「これは『顧客クレーム』だ」
「さあ、運営と直接対決といこうか。……システム権限、奪い取ってやるよ」
カイトの指が、【強制介入】のアイコンをタップした。
神殺しではない。
これは、世界の管理人を決めるための、システム更新合戦だ。




