第55話:神からの提案
地下空洞に満ちる光が、青から赤へと明滅する。
それは警告色であり、システムによる断罪の色だった。
『解析完了』
光の巨人――ガイアの宣告が、脳髄を直接震わせる。
『人類という種の生存確率は、極めてゼロに近い。彼らは環境を破壊し、互いに争い、星のリソースを食い潰すだけのバグだ』
『よって、最終クリーンアップを実行する。地表の全有機生命体をリセット(消去)し、新たな生態系を再構築する』
その言葉は、絶対的な「神託」として響いた。
カラン……。
レナの手から、セラミックの剣が滑り落ちた。
彼女は膝から崩れ落ち、絶望に顔を歪める。
「私たちは……失敗作……」
エリスもまた、祈るように組んでいた手をだらりと下げた。
「神よ……。私たちの祈りは、最初から届いていなかったのですね……」
圧倒的なエネルギー体の前では、Sランクの武力も、聖女の信仰も無意味だ。
彼女たちは抵抗する気力さえ奪われ、ただ静かに「死」を受け入れようとしていた。
だが。
ガイアの視線――顔のない頭部が、カイト一人に向けられた。
『ただし』
冷徹な声色が、わずかに変化する。
『お前は別だ。バックアップ・ユニット「K」。お前には、その機能に見合う報酬を与える権利がある』
「……報酬?」
カイトが眉をひそめると、ガイアは虚空に手をかざした。
ブォン……。
空間に、ひとつのビジョンが投影される。
それは、シミュレーション映像だった。
荒廃した地上の中で、そこだけがクリスタルのドームに覆われ、永遠に輝き続ける場所。
カイトの山――「聖域」だ。
『お前の望みは、静寂と安寧。そして、清潔な環境の維持だろう?』
ガイアは、悪魔的な――いや、システム的に最適化された提案を提示した。
『約束しよう。このドーム内において、「エントロピーの増大」を完全に凍結する』
「エントロピーの……凍結?」
『そうだ。物質は劣化せず、エネルギーは損失しない』
シミュレーションの中の光景が、詳細にズームアップされる。
【不老不死】
カイトの肉体時間は固定される。老いることも、病にかかることもない。永遠に二十代の健康な肉体のまま、生き続けることができる。
【資源無限】
地脈から直接、純粋なエネルギーが供給される。電気代も水道代もガス代も、未来永劫無料。
そして何より、カイトの心を鷲掴みにしたのは、次の条件だった。
【メンテナンス・フリー】
『部屋に埃は積もらない。服は汚れない。機械は摩耗せず、故障しない』
『食事は摂取した瞬間にエネルギーへと変換され、排泄の必要もなくなる』
「……!」
カイトの喉が、ゴクリと鳴った。
埃が積もらない?
フィギュアが色褪せない?
トイレ掃除をしなくていい?
それは、重度の潔癖症であり、面倒くさがりの彼が夢見ていた「究極の生活」だった。
掃除機をかける手間も、洗濯物を干す時間もいらない。
ただひたすらに、綺麗な部屋で、趣味に没頭できる永遠の時間。
「……すごい」
カイトの口から、本音が漏れた。
「完璧だ。僕が求めていたのは、これだ」
その反応を見て、ガイアの光が満足げに輝く。
『受諾するか?』
「……条件は?」
カイトは冷静さを保とうとしながら尋ねた。タダでこんな好条件が提示されるはずがない。
『代償は一つ』
ガイアは冷淡に告げた。
『ドームの外への干渉権限(結界)を放棄しろ』
『外にいる「ノイズ(人類)」は全て消去する。お前の隣にいる二つの個体――レナとエリスも含めてな』
空気が凍りついた。
カイトは横を見た。
レナとエリスが、そこにいる。
彼女たちは、ガイアの言葉を聞いても、取り乱したりはしなかった。
ただ、寂しげに微笑んでいた。
「……主様」
レナが、静かに口を開いた。
「その条件、受けてください」
「レナ?」
「主様だけでも、生き残るべきです。……いえ、もっと正直に言いましょう」
彼女はカイトの目を真っ直ぐに見つめた。
「貴方は、一人がお似合いです。私たちのような騒がしい人間は、貴方の静寂を乱す『ノイズ』でした」
「……」
「貴方の作った美味しいご飯を食べて、お風呂に入って……私は十分、幸せでしたから」
エリスもまた、胸の前で手を組み、深く頭を下げた。
「カイト様。今までありがとうございました」
「エリス、君まで……」
「私は聖女として、多くの汚れを見てきました。でも、カイト様の家だけは……本当に、涙が出るほど綺麗でした」
エリスは涙を拭い、笑顔を作った。
「その綺麗さを永遠に守れるなら、私の命など安いものです。……どうか、永遠の楽園で、安らかにお過ごしください」
彼女たちは知っているのだ。
カイトがどれほど「汚れ」を嫌い、「他人」を煩わしく思っていたかを。
カイトが剛田たちを追い返した時の冷徹さを。
トイレ掃除を彼女たちに任せた時の安堵を。
だからこそ、彼女たちは確信している。
カイトにとっての最大の幸福は、自分たち「他者」がいなくなることだと。
彼女たちは、カイトの幸せのために、自ら消えることを選んだのだ。
◇
カイトは黙り込んだ。
視線を行き来させる。
ガイアが提示する、完璧で清潔な、永遠の楽園。
そして、自らの死を受け入れ、健気に微笑む二人の少女。
(……彼女たちを切り捨てれば)
カイトは脳内で天秤にかけた。
(僕は永遠に、面倒くさい人間関係から解放される)
(剛田のような汚い人間に悩まされることもない。政府の干渉もない)
(掃除も、洗濯も、料理もしなくていい。ただ遊んで暮らせる)
それはあまりにも合理的で、魅力的で、抗いがたい提案だった。
これを選ばない理由は、論理的には存在しない。
『答えよ、バックアップ。静寂と安寧を望むか?』
ガイアが回答を促す。
カイトはゆっくりと息を吸い、そして吐き出した。
「……条件は、最高だ」
カイトは言った。
「文句のつけようがない。僕が人生の目標にしていた『不労所得ライフ』の完全上位互換だ」
その言葉を聞いて、レナが静かに目を閉じた。
覚悟を決めた顔だ。
だが。
カイトは言葉を続けた。
「……でも、一つだけ確認させろ」
カイトは、神を見据えた。
その目は、楽園を夢見る者の目ではなかった。
ネット通販で商品を買う前に、スペック表の細かい文字を読み込む、疑り深い「消費者」の目だった。
『なんだ?』
「その完璧な世界で……」
カイトは、核心を突く問いを投げかけた。
「**『新作のゲーム』**は、発売されるのか?」
その問いに、ガイアの光が一瞬、困惑したように揺らいだ。




