第54話:肉体を得た惑星の論理
光の巨人――地球の意志は、感情の読めないのっぺらぼうの顔を俺に向けていた。
脳に直接響く念話が、冷徹な尋問のように繰り返される。
『問おう。個体名カシワギ・カイトよ』
『お前は、今の地上をどう思う?』
俺は鼻を鳴らした。
そんなこと、聞くまでもない。
「最悪だね。不潔で、臭くて、ジメジメしてて住みにくい。人間が住む場所じゃない」
俺の即答に、ガイアは肯定するように明滅した。
『そうだ。今の地表は、人間にとっての地獄だ』
『だが、かつての地上はどうだった?』
ブゥン……。
空間に、立体的なホログラム映像が投影された。
そこに映し出されたのは、俺がよく知る「21世紀の地球」の姿だった。
コンクリートで埋め尽くされた大地。
排気ガスで灰色に曇った空。
プラスチックゴミが浮遊する海。
そして、地表を埋め尽くす無数の人間たちが、資源を食い荒らし、争い、星を削り取っていく光景。
『皮膚(地表)は呼吸を阻害され、血液(石油)は抜き取られ、骨(鉱物)は砕かれた』
『私は、死にかけていたのだ』
ガイアの声に、痛切な響きが混じる。それは被害者の告発だった。
『人類という種は、増殖しすぎたウイルスだった』
『宿主である私を殺し、自らも死滅しようとする、欠陥プログラム』
だから、とガイアは続けた。
『故に、私は自らのOSをアップデートした』
『死にかけた「無機物」のシステムを廃棄し、再生能力の高い「有機物」のシステムへと移行したのだ』
それが、この世界の正体だった。
コンクリートを肉に変え、鉄塔を骨に変え、ビルを消化器官に変えた理由。
『お前たちを捕食し、分解し、自然へと還元するために。この星を治療するために』
◇
その真実を聞かされたヒロインたちの反応は、劇的だった。
カラン……。
レナの手から、愛剣が滑り落ちた。
彼女はガタガタと震え、崩れ落ちるように膝をついた。
「嘘……よ……」
彼女の戦う理由は、「人類を守るため」だった。
モンスターは悪であり、倒すべき敵だと信じてきた。
だが、真実は逆だった。
モンスターこそが、星を守るための「白血球(正義)」。
自分たち人間こそが、星を殺す「病原菌(悪)」。
「私たちは……生きているだけで、罪なのですか……?」
エリスも顔面蒼白になり、胸の前で組んだ指を白くなるほど強く握りしめていた。
彼女は「聖女」として、人々の汚れを一身に引き受けてきた。
だが、その「人々」こそが汚れの発生源であり、星にとっては排除すべき毒素だったとしたら。
彼女の献身は、星を苦しめる行為への加担でしかなかったことになる。
「神よ……。これが、貴方の答えなのですか……」
アイデンティティの崩壊。
圧倒的な「惑星の論理」の前に、個人の正義など消し飛んでしまう。
彼女たちの目から、戦う意志の光が消えていく。
だが。
ただ一人、カイトだけは違った。
「ふーん」
カイトは腕を組み、少しも悪びれる様子なく鼻を鳴らした。
「理屈はわかったよ。ウイルス駆除ソフトを走らせたってわけだ」
彼は医療的な、あるいはIT的な比喩としてガイアの行動を理解した。
自分がウイルス扱いされることへのショックはない。
「まあ、人間ってそういうとこあるよな」という、ある種の諦観すらある。
「でもさ、一つ矛盾してないか?」
カイトは光の巨人を指差した。
「人間がウイルスなら、なんで『僕』を作った?」
ガイアは、カイトを「抗体」と呼んだ。
そして、カイトには【無機物保存】という、この有機的な世界を真っ向から否定するスキルが与えられている。
「僕の能力は、お前の免疫システムを無効化して、古き良き『21世紀』を再現するものだ」
「ウイルスを殺したいなら、僕みたいなイレギュラーこそ真っ先に殺すべきだろ。なんでわざわざ生み出して、ここまで導いた?」
カイトの問いに、ガイアの光が少しだけ揺らいだ。
無機質だった光の明滅に、人間臭い「センチメンタリズム」のような色が混じる。
『……寂しかったのだ』
意外な言葉だった。
『数十億年続いた、無機物の時代。岩石と水と大気の時代』
『そして、お前たち人間が作り出した直線、幾何学、電子の光……』
ガイアは、カイトの記憶の中にある「夜景」の映像を投影した。
高層ビルの明かり。高速道路のランプ。
環境には悪いかもしれないが、それは確かに美しかった。
『それらが完全に消え去り、ただの肉と森だけの星になるのは……惜しかった』
『だから、お前を作った』
光の巨人が、慈しむように、あるいは哀れむようにカイトを見下ろす。
『旧時代の物理法則、物質データ、技術体系。それら全てを圧縮保存した「生体ストレージ」として』
カイトの眉がピクリと動いた。
『お前は人間ではない。人類の墓標であり、博物館のアーカイブだ』
『お前の家(聖域)は、滅びゆく文明を飾っておくための、小さなショーケースに過ぎない』
それが、カイトの正体。
彼が「転生者」として選ばれた理由。
彼は世界を救うために呼ばれたのではない。
世界が終わった後に、思い出を振り返るための「アルバム」として作られたのだ。
◇
静寂が、地下空洞を支配した。
あまりにも残酷な真実。
レナとエリスは、涙を流してカイトを見つめた。
この人は、自分自身の人生すら持たない、ただの記録媒体だったなんて。
だが。
カイトの口から漏れたのは、乾いた笑い声だった。
「ははっ……」
「……はははははっ! 傑作だ!」
カイトは腹を抱えて笑った。
絶望のあまり壊れたのか?
違う。
彼の目に宿っているのは、怒りだ。
それも、「自分が人間じゃなかったこと」への悲しみではない。
「道具扱いされたこと」への、強烈な不快感だ。
「なるほどな。だから僕は、見たこともない半導体の設計図を知っていたのか。創造してたんじゃない、保存データを解凍してただけか」
合点がいった。
そして同時に、猛烈に腹が立った。
「おい、OS。ふざけるなよ」
カイトは笑みを消し、冷徹な目で神を睨みつけた。
「僕は勇者でも救世主でもなく、ただの『バックアップ用USBメモリ』だったってわけか?」
「必要な時だけ呼び出されて、懐かしいデータを再生するだけの便利な倉庫番?」
それは、かつてブラック企業で「代わりはいくらでもいる駒」として扱われていた頃の記憶を刺激した。
都合よく使われ、用が済んだら棚に戻される。
「生活者」としての権利を無視した、一方的な雇用契約。
「……舐めるな」
カイトはスマホを強く握りしめた。
「一つ教えてやるよ、ポンコツOS」
彼は一歩、前へ踏み出した。
その全身から、青いグリッド状のオーラが立ち昇る。
「バックアップデータってのはな、ただの思い出作り用じゃねぇんだよ」
「本体のシステムがイカれた時に……『正常な状態へ復元(上書き)』するためにあるんだよ!」
カイトの瞳に、管理者の座を奪い取ろうとするハッカーのような、獰猛な光が宿った。
彼は受け入れない。
「博物館の展示品」として、ガラスケースの中で飼い殺しにされる未来など。
「アーカイブが本体を乗っ取ることもあるって、教えてやるよ」
USBメモリの反乱。
それは、星の歴史を覆す、最初で最後の「システム障害」の始まりだった。




