第53話:地球の心臓(ガイア・コア)
カイトが敷設したアスファルトの道が、唐突に途切れた。
そこは、地下世界の終着点だった。
LED投光器の光が、虚空に吸い込まれていく。
目の前に広がっていたのは、直径数キロメートルにも及ぶ、圧倒的な「地下空洞」だった。
「……な、なにこれ……」
レナが、ガスマスク越しに震える声を絞り出した。
彼女の足がガクガクと笑っている。
それは恐怖というよりも、生物としての本能的な畏縮だった。
空洞の壁、天井、そして底。
すべてが赤熱した「筋肉」と「血管」で覆われている。
気温は六十度を超えている。
防護服の冷却ファンが、悲鳴のような駆動音を上げてフル回転していた。
ズン……ズン……。
地響き。
いや、これは心音だ。
地上で感じていた地震のような揺れの正体が、ここにある。
「空気が……重い」
エリスが胸を押さえてうずくまった。
ここには、地上の数千倍の濃度の魔素と、瘴気が渦巻いている。
普通の人間なら、ここに立った瞬間に細胞が破裂して死ぬだろう。
カイトの【無機物保存】の結界がなければ、Sランク冒険者といえども即死の領域だ。
だが、カイトの感想は違った。
「あー、暑いな。地熱発電に使えそうな熱量だ」
彼は額の汗を拭い、冷静に眼下の光景を分析していた。
この空洞は、生物の体内というよりは、巨大な「プラント(工場)」に見えたからだ。
◇
空洞の中央。
そこに、この惑星の主が鎮座していた。
直径3キロメートル。
マグマと筋肉が融合したような、赤黒い球体。
「地球の心臓」。
表面には無数の血管が走り、ドクンドクンと脈打つたびに、周囲の空間が歪むほどのエネルギーを放出している。
その威容は、神話に出てくる巨人の心臓そのものだった。
だが、カイトが注目したのは、その「構造」だった。
「……パイプか?」
心臓の上部から、無数の太い管(動脈)が伸び、天井の岩盤へと突き刺さっている。
その管の中を、どす黒い液体が高速で流れているのが、半透明の管越しに見えた。
【成分解析:高濃度変異因子】
カイトのスマホが、警告アラートを表示する。
あの黒い泥は、地上の生物をモンスターに変え、建物を肉塊に変える「ウイルス」の原液だ。
「なるほど。あれがポンプってわけか」
カイトはスマホで写真を撮りながら、納得したように頷いた。
「地下深くで生成した『変異ウイルス』を、あのパイプを通して地上の各都市に圧送しているんだ」
「つまり、今地上で起きているダンジョン災害は、自然現象じゃない」
「この星自体が仕組んだ、人工的……いや、惑星的な『公共事業』だったんだな」
インフラ整備。
ただし、人間を滅ぼすためのインフラだ。
「配管が雑だな。もっと効率的に配置すれば、エネルギーロスを減らせるのに」
カイトは配管工のような視点でダメ出しをした。
神聖な場所に対する畏怖など微塵もない。
あるのは、非効率なシステムに対するエンジニアとしての苛立ちだけだ。
◇
カイトたちが、崖の縁にある「展望台」のような岩場に立った時だった。
ドクンッ!!
心臓の鼓動が、一際大きく跳ねた。
空気がビリビリと震える。
「ひっ!?」
レナとエリスが、反射的にポチ(ロボ犬)の背後に隠れた。
心臓が反応している。
異物の侵入を感知したのだ。
赤黒い表面に、ピキピキと亀裂が入る。
そこから溢れ出したのは、予想していた血液や泥ではなかった。
――光。
目もくらむような、青白い光の液体。
それは、汚染された黒い泥とは対極にある、あまりにも美しく、清浄な輝きだった。
「きれい……」
エリスが呆然と呟く。
それは、聖女が追い求めていた「聖なる魔力」の源泉。
ドロドロと流れ出した光の液体は、空中で集束し、ひとつの形を成していく。
人型。
身長20メートルほどの、光の巨人。
性別はない。目鼻立ちも曖昧な、輝くシルエット。
だが、その存在感は圧倒的だった。直視するだけで脳が焼かれそうなほどの「情報量」を持っている。
【地球意志アバター(インターフェース)】。
カイトは目を細めた。
エリスには「神の顕現」に見えているだろう。
だが、カイトの目には違って見えた。
「……液体メモリ?」
あの光る液体は、ただの魔力ではない。
超高密度の「データ」の集合体だ。
1リットルあたり数億テラバイトの情報が詰め込まれた、流体記憶媒体。
それが、人間との対話を行うために「人型」のUIを構築しているのだ。
「随分とハイスペックなOSだな」
カイトは感心半分、呆れ半分で呟いた。
◇
光の巨人が、ゆっくりとカイトの方を向いた。
顔はない。だが、視線を感じる。
次の瞬間、声が聞こえた。
空気の振動ではない。脳の聴覚野に直接データを送信してくる、念話だ。
『――よく来た』
重厚で、かつ無機質な響き。
男のようでもあり、女のようでもあり、老人のようでもあり、子供のようでもある声。
『我が抗体よ』
「……は?」
カイトは眉をひそめた。
レナとエリスは、その声を聞いた瞬間に平伏していた。
抵抗できない。DNAレベルで刻まれた、母なる星への服従本能。
だが、カイトだけは違った。
彼は腕を組み、不満げに首を傾げていた。
「抗体? 僕のことか?」
ガイアと呼ばれた意思体は、肯定するように光を明滅させた。
『そうだ。お前は、私が生み出した』
『汚染された表層を浄化し、正常な状態へと戻すためのシステム』
カイトは鼻で笑った。
「勝手に変な役職につけないでくれないかな」
「僕は勇者でもなければ、白血球でもない」
「僕はただの……この家の『管理人』だ」
神に対し、堂々とタメ口で反論する男。
レナたちは顔面蒼白だが、ガイアは意に介さなかった。
システムにとって、末端プログラムの感情などノイズでしかないからだ。
ガイアは淡々と、衝撃の事実を告げた。
『否定は無意味だ。お前は人間ではない』
『お前は、私が「古き記憶(無機物)」を保存するために作成した、バックアップ・システムなのだから』
「……バック、アップ?」
カイトの動きが止まった。
『そうだ。地表環境を「有機的」にアップデートする際、旧環境のデータを完全に消去するのはリスクが高いと判断した』
『ゆえに、旧文明の物理法則、物質データ、技術体系を圧縮保存した「生体ストレージ」を作成した』
ガイアの指先が、カイトを指し示す。
『それが、お前だ。個体名:カシワギ・カイト』
その言葉は、冷徹な事実としてカイトの胸に突き刺さった。
転生者? 違う。
選ばれし者? 違う。
自分は、地球という巨大なPCが、OSのアップデートを行う際に作った「復元ポイント」であり、「外付けハードディスク」に過ぎなかったのだ。
「……ははっ」
カイトは乾いた笑いを漏らした。
なるほど、合点がいく。
なぜ自分だけが【クラフト】という、物質を生成するスキルを持っていたのか。
あれは創造魔法などではない。
ハードディスクに保存されたデータを、現実に「解凍」していただけなのだ。
神聖な出会いの場は、カイトにとっては最悪の場となった。
自分が「人間」だと思っていたものが、実はただの「備品」だったと知らされたのだから。
「……ふざけんなよ」
カイトは低い声で唸った。
絶望ではない。
身に覚えのない「雇用契約」を知らされた、ブラック企業の社員のような怒り。
「僕は道具じゃない。……生活者だ」
カイトはスマホを強く握りしめ、光の巨人を睨みつけた。
惑星の管理者と、一人の管理人。
相容れない二つの理が、今、正面から衝突しようとしていた。




