第52話:人類の痕跡
アスファルトの道は、巨大な空洞へと続いていた。
カイトが掲げるLED投光器の光が、闇を切り裂く。
そこに浮かび上がった光景に、レナとエリスは息を呑んだ。
「これは……地下の、街?」
そこはかつて「地下鉄の駅」だった場所だ。
高い天井。太い柱。
だが、そのすべてが変質していた。
コンクリートの柱は、巨大な大腿骨のような質感に変わり、天井の蛍光灯は割れ、代わりに青白く発光する粘菌がびっしりと張り付いている。
そして、線路があった場所には――。
「電車が……生きている……?」
エリスが震える声で指差した。
ホームに停車していた車両は、巨大な芋虫のように膨れ上がり、壁と融合していた。
窓ガラスは白濁した眼球になり、開いたドアからは消化液が垂れている。
かつて何万人もの人々を運んだ鉄の箱は、今や動かない肉の回廊と化していた。
「改札機もひどいな」
カイトは懐中電灯を向けた。
自動改札機のフラップドアは、鋭利な「肋骨」のような形状に変わり、通行する者を挟み込んで捕食する罠になっていた。
もちろん、カイトはそこを通らず、スキルで床ごと埋め立てて無力化する。
一行は、駅のコンコースへと足を踏み入れた。
◇
そこは、墓場だった。
壁際に、風化した白骨死体が数体、折り重なるようにして倒れていた。
ボロボロになった衣服。抱き合うようにして最期を迎えた親子らしき骨もある。
そして、壁一面に書き残された、無数のメッセージ。
スプレーや、あるいは自らの血で書かれた、絶望の記録。
『地球が怒っている』
『逃げ場はない』
『私たちは便利さを求めすぎた。これは罰だ』
『バイオ・エネルギーなんて開発しなければよかった』
そこには、文明が崩壊する直前のパニックと、深い自責の念が刻まれていた。
科学技術の暴走。自然への冒涜。
それらが自分たちを滅ぼしたのだという、悲痛な懺悔。
「……あぁ」
エリスが胸の前で手を組んだ。
「彼らは知っていたのですね。自分たちの過ちを……。便利さを追い求め、星を汚してしまった罪を」
レナも痛ましげに目を伏せる。
「自然と共に生きることを忘れた文明の末路……。これは、私たちへの戒めなのかもしれません」
重苦しい空気が流れる。
過去の人類の悲劇。その重みに、二人のヒロインは押しつぶされそうになっていた。
だが。
ただ一人、カイトだけは違った。
「ふーん」
カイトは、壁のメッセージを一瞥もしなかった。
彼の視線が注がれていたのは、悲劇的な遺言でも、白骨死体でもない。
壁に残っていた、古ぼけたポスターだ。
「『全身脱毛、月額500円』か……。平和だなぁ」
「『週刊誌・合併号』……へえ、このアイドル、不倫してたんだ」
カイトは、あまりにも俗っぽい「日常の残骸」を眺め、懐かしそうに目を細めていた。
彼にとって、この場所は墓場ではない。
失われた21世紀の空気が保存された、博物館だ。
「主様? 何を……」
レナが不審げに声をかけると、カイトは急に足早になった。
白骨死体の山へ向かっていく。
「どいてくれ。そこ、邪魔だ」
カイトは手に持っていたトングを伸ばした。
カチカチ、と音を立てて、白骨の腕や頭蓋骨を摘み上げ、ヒョイっと脇へどかす。
「ひっ!? 主様、死者への冒涜では!?」
「冒涜じゃない。整理整頓だ。……それより、これを見ろ」
カイトが指差したのは、死体たちが背にして守っていたもの。
肉の膜に半分覆われているが、その直方体のシルエットは見間違えようがない。
赤い塗装が、一部だけ剥き出しになっている。
「こ、これは……赤い棺桶ですか?」
「違う。自動販売機だ」
カイトの声が弾んだ。
彼は肉に埋もれた機械の前に立ち、愛おしそうにその表面を撫でた。
そして、手をかざす。
スキル発動:【無機物修復】
フォンッ。
青い光が機械を包む。
へばりついていた肉の膜が乾燥して剥がれ落ち、錆びついていた塗装が鮮やかさを取り戻す。
割れていたアクリルパネルが修復され、見本の缶やペットボトルが輝き出す。
「……美しい」
カイトはうっとりと呟いた。
コカ・コーラの赤。
その工業的な色彩が、薄暗いダンジョンの中で、どんな宝石よりも鮮烈に輝いている。
「中身は……さすがに空か。電源も来てないしな」
カイトは残念そうだが、すぐに「解体業者」の目に切り替わった。
「だが、筐体は生きている。中の基盤も無事だ」
「基盤……?」
「半導体、銅線、温度センサー、コンプレッサー……。今の僕の設備じゃ作れない『レアメタル』と『精密部品』の宝庫だぞ!」
カイトは興奮していた。
この世界で、ゼロからマイクロチップを作るのは不可能に近い。
だが、ここには完成品がある。
これを持ち帰り、分解し、解析すれば――。
「家の空調システムをアップグレードできる。冷蔵庫の冷却効率も上がる。……最高だ」
カイトは自販機を丸ごと【アイテムボックス】に収納した。
シュンッ、と巨大な機械が消える。
レナとエリスは、ポカーンと口を開けていた。
「あ、あの……壁の書き置きは……?」
エリスが恐る恐る尋ねる。
『便利さを求めすぎた』という、人類の後悔の言葉。
それを読んだ直後に、カイトは嬉々として「便利さの象徴(自販機)」を回収したのだ。
カイトは、何を言っているんだという顔で振り返った。
「『便利さを求めすぎた』? バカ言うな」
彼は鼻で笑った。
冷徹で、しかし揺るぎない確信を持って。
「便利さが『足りなかった』から負けたんだろ」
「え……?」
「もっと科学力が圧倒的であれば。もっと環境制御技術が発達していれば。地球の免疫反応ごとき、制御できていたはずだ」
「中途半端に自然に配慮したり、技術を恐れたりしたから、押し負けたんだよ」
カイトは、脇にどかした白骨を見下ろした。
「僕は謝らないぞ。反省もしない」
「文明の利器を直して、冷たいジュースを飲む。快適な温度で寝る。……それが、人間としての勝利だ」
泥水をすすって「ごめんなさい」と祈るくらいなら、エアコンをつけて「涼しい」と笑う方が偉い。
それが、カイトの哲学だった。
「行こう。この奥に、もっとすごい『お宝』が眠ってるはずだ」
カイトは迷いなく歩き出した。
その背中は、過去の悲劇になど1ミリも興味がないように見えた。
だが、そのブレない姿勢こそが、絶望に沈んでいたヒロインたちには、何よりも頼もしく映った。
「……そうですね」
レナが微笑んだ。
「過去を嘆くより、今の生活を良くする方が、よっぽど建設的です」
「はい! カイト様、あの看板の裏にも何か埋まっています! 『ATM』と書いてありますが、あれも資源ですか!?」
「おっ、でかしたエリス! ATMの中には高精度の紙幣識別センサーが入ってるんだ!」
一行は、悲劇の廃墟を「宝探し」の場に変えて、さらに深淵へと進んでいった。
カイトは最後に、振り返って小さく呟いた。
「ま、遺志は継いでやるよ。(部品的な意味で)」
センチメンタルな空気を物理的な再利用で吹き飛ばし、彼は闇の奥へと消えていった。




