第50話:鳴動する地下通路
快晴の空の下、俺は作業用ヘルメット(「安全第一」のシール付き)を被り、スマホを片手に作業に没頭していた。
目の前にあるのは、昨日「鎮圧」したばかりの巨大建造物。
旧・東京タワーだ。
「よいしょっと」
俺はスマホの画面をスワイプした。
スキル発動:【ワールド・クラフト:切断】
ズンッ。
腹に響く重低音と共に、タワーの根元にあった巨大な鋼鉄の塊が、豆腐のように綺麗に切り出される。
推定重量、五十トン。
それがシュンッと音を立てて、俺の【アイテムボックス(亜空間倉庫)】へと吸い込まれていく。
「うん、順調だ」
俺は満足げに頷いた。
このタワーは、純度100%のSS400鋼材の塊だ。
この世界の腐った鉄とは違う。これだけの量があれば、ガレージの増築どころか、地下シェルターの補強、さらには将来的な「巨大ロボット建造」なんていうロマンまで視野に入ってくる。
「これで鉄鋼資源は、向こう百年分は確保できたな」
俺は最後の支柱――タワーを地面に固定していた「根」の部分を切り離した。
その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴ……!
足元の地面が揺れた。
地震ではない。
何かが、地下深くから吹き上がってくるような振動。
「……ん?」
俺は作業の手を止めた。
タワーの基礎部分を取り除いた跡地。
そこに、ぽっかりと巨大な「大穴」が口を開けていた。
直径二十メートルほどの暗黒の穴。
そこはかつて、肉塊だった頃のタワーが地脈に根を張り、エネルギーを吸い上げていたパイプラインの接続口だ。
ヒュオォォォ……。
穴の奥から、生温かい風が吹き上がってくる。
そして、強烈な臭気。
「うわ、臭っ……」
俺は反射的に鼻をつまんだ。
腐った卵と、下水を煮詰めたような臭い。
生ゴミを真夏の太陽の下に三日間放置した時の、あの甘ったるい腐敗臭だ。
『警告。循環システムの制御不全を確認』
脳内に、無機質なシステム音声が響いた。
ガイア(地球の意志)からの通知だ。
『地下大深度エリア「ガイア・コア」への直通ルートが開通しました』
『特異点との接触により、管理者権限の譲渡プロセスを申請します』
俺はスマホを取り出し、マップアプリを開いた。
3Dマップが更新される。
この穴は、地下数千メートルまで垂直に伸び、地球の心臓部へと繋がっているらしい。
「……なるほど。そういうことか」
俺は状況を理解した。
このタワーは、単なる兵器ではなかった。
地下で作られた汚染エネルギーを地上に放出するための「煙突」であり、同時に地下からの逆流を防ぐ「蓋」でもあったのだ。
その蓋を、俺がDIY感覚で取っ払ってしまった。
結果、どうなるか。
ボコッ、ボコッ。
穴の奥から、不気味な粘液の音が聞こえてくる。
何かが這い上がってくる気配。
高濃度の瘴気や、地下で培養された強力なモンスターたちが、出口を求めて殺到しているのだ。
「つまり、排水管が詰まって汚水が逆流しそうになってるわけか」
俺は顔をしかめた。
このまま放置すれば、間違いなく「大噴出」が起きる。
せっかく綺麗にした庭がヘドロまみれになり、洗濯物は全滅し、聖域は悪臭に包まれるだろう。
俺の平穏な日常が、下水トラブルで崩壊する。
それだけは絶対に阻止しなければならない。
「……無視できないな。家の基礎が腐ったら元も子もない」
俺は深く、重いため息をついた。
「行きたくないなぁ。暗いし、ジメジメしてるし、絶対服が汚れるじゃん」
だが、業者を呼んでも誰も来ない。
この世界のトラブルは、大家が自分で直すしかないのだ。
俺は一度ガレージに戻り、装備を換装した。
剣や鎧ではない。
「作業」のための装備だ。
全身を覆う白い化学防護服(タイベック製)。
対汚染仕様のガスマスク。
背中には酸素ボンベ(地下の空気を吸いたくないため)。
腰には強力なLED投光器と、業務用殺虫スプレー。
そして、相棒を起動する。
「ポチ、ついてこい。散歩の時間だ」
ガレージの奥で待機していた愛犬型警備ロボット「ポチ」が、目を赤く光らせて起動した。
「ワン!(了解。殲滅モード起動)」
ポチの背中がカシャンと開き、二門のガトリングガンと、小型ミサイルポッドが展開される。
見た目は可愛い柴犬のぬいぐるみだが、火力は戦車一個中隊分ある。頼もしい番犬だ。
俺たちが穴へ向かおうとした時だった。
「大家さん!」
「カイト様!」
背後から声がかかった。
振り返ると、レナとエリスが走ってくる。
レナは、俺が作った「セラミックの剣」を背負い、動きやすい戦闘用メイド服(エプロン付き)に身を包んでいる。
エリスは、大きな登山用リュックを背負っていた。パンパンに膨らんでいる。
「どこへ行くおつもりですか? その格好……ただの解体作業ではありませんね?」
レナが俺の防護服を見て、鋭く尋ねる。
「ああ、ちょっと地下の配管掃除にな。水回りのトラブルだ」
「嘘です。あの穴からは、Sランクダンジョン以上の『死の気配』が漂っています」
レナは真剣な眼差しで、穴の奥を睨んだ。
「主様を一人で地獄の釜へ行かせるわけにはいきません! 私が露払いをします!」
「私も行きます!」
エリスも一歩前に出る。
「カイト様の行く場所こそが聖地ですから。それに、地下は空気が悪いでしょう? 私の『清浄の祈り(空気清浄機係)』が必要なはずです!」
「……そのリュックの中身は?」
「ポテチとコーラの予備です! あと、新作のチョコバーも!」
エリスはリュックを叩いてドヤ顔をした。遠足気分だ。
俺は渋い顔をした。
「遊びじゃないんだぞ。中は泥だらけだ。服が汚れるぞ」
「構いません! 洗濯なら私がしますから!」
「私も、カイト様と一緒なら泥など怖くありません(帰ったらお風呂に入れてくださいね)!」
二人の決意は固いようだ。
まあ、荷物持ちと、話し相手くらいにはなるか。
それに、ポチだけだと広範囲の索敵に限界がある。Sランクの勘と、聖女の感知能力は役に立つだろう。
「……わかった。ただし、条件がある」
俺は人差し指を立てた。
「絶対に、僕より前に出るなよ」
「はい? それは私が盾になるという意味で……」
「違う。前を歩かれると、泥が跳ねて僕の防護服につくからだ」
俺の言葉に、レナは「相変わらずですね……」と苦笑し、エリスは「さすがカイト様、徹底しておられます!」と謎の感銘を受けていた。
「よし、行くぞ」
俺は投光器のスイッチを入れた。
カッ!
数万ルーメンの暴力的な光が、暗黒の穴を白日の下に晒す。
壁には脈打つ血管、底には蠢く虫たちが見える。
最悪の光景だ。
「さっさと元栓を閉めて、夕飯までに帰るぞ。今日はカレーの予定だからな」
俺はトングを構え、先頭を切って大穴へと飛び込んだ。
世界を救う旅ではない。
ただの、大規模な「排水管清掃」の始まりだ。




