第49話:独立国家「カイト領」
旧・東京タワーが沈黙し、世界が「静寂」を取り戻してから数日が経った。
聖域の正門前で、俺は一人の男と対峙していた。
「……というわけで、これが本国より発行された『特別自治権承認書』であります」
深々と頭を下げているのは、かつて俺を「非国民」と罵った査察官、ザガンだ。
今の彼に、当時の傲慢さはない。
あるのは、核兵器のスイッチを持つ相手に接するような、脂汗混じりの敬意だけだ。
「ふーん」
俺は差し出された羊皮紙を、トングでつまんで受け取った(直で触りたくないので)。
「要するに、ここはどこの国にも属さない『治外法権エリア』ってことでいいんだな?」
「は、はいっ! 政府は、本エリアを『聖域』と正式呼称し、一切の干渉を行いません。……ですから、どうか!」
ザガンは必死の形相で懇願した。
「どうか、王都を『鉄のオブジェ』に変えるのだけはご勘弁を……!」
「しないよ。僕の敷地(半径3キロ)に入らないなら、何もしない」
俺は呆れて言った。
どうやら俺は、気に入らない国を指先一つで鉄に変える「魔王」として認識されているらしい。
まあ、変な干渉を受けるよりはマシか。
「あの、カイト閣下。王からは『辺境伯』の爵位と、周辺の領土も譲渡したいとの仰せですが……」
「いらない」
俺は即答した。
「領地? いらない。広くなったら草むしりが大変だろ」
「爵位? いらない。納税とパーティ出席の義務が生じるなら、罰ゲームでしかない」
俺のきっぱりとした拒絶に、ザガンは目を丸くする。
権力を欲しない男。それが彼には、底知れない「無欲の聖人」に見えるらしい。
実際は、ただ面倒なだけなのだが。
「僕はただの『一般市民』だ。ただし、庭に重火器を持ってるだけのな」
「は、はは……。肝に銘じます」
ザガンは冷や汗を拭いながら、逃げるように撤収していった。
これで、物理的にも、社会的(政府)にも、俺の快適ライフを邪魔する者はいなくなったわけだ。
「……よし、帰ってゲームしよ」
俺は背伸びをして、回れ右をした。
その時だった。
――ジュウゥゥ……。
風に乗って、何かが焼ける「香ばしい匂い」が漂ってきた。
肉の焼ける匂い。
脂が炭に落ちて焦げる、あの暴力的な香りだ。
「……ん?」
俺は鼻をヒクつかせた。
匂いの元は、庭の方角。プレハブ住宅が並ぶ居住区だ。
そこでは、信じられない光景が広がっていた。
◇
「焼けたぞー! ジャンジャン食え!」
「こっちの網、火力が弱い! 魔石を追加しろ!」
広場には、ドラム缶を半分に切ったコンロが並び、真っ赤な炭火が熾っていた。
その周りに、風呂上がりのさっぱりした格好の住民たちが集まっている。
BBQ大会だ。
その中心で、エプロン姿のレナと、スーツ姿(俺が支給した事務服)のエリスが指揮を執っている。
「主様! お帰りなさいませ!」
俺の姿を見つけたレナが、トングを掲げて駆け寄ってくる。
「な、何やってんのこれ」
「建国記念パーティーです!」
レナは満面の笑みで答えた。
「あの巨大な塔を鎮め、政府からも独立を認められた今日こそが、聖域の新たなる門出! エリスと相談して、祝賀会を開くことにしました!」
「聖域暦元年の始まりですわ!」
エリスもビールケース(コーラ入り)を運びながら同意する。
俺は頭を抱えた。
「え、やるの? ここで? 煙が出るじゃん。洗濯物に匂いがつくだろ」
「風向きは計算済みです! すべて森の方へ流れるように、巨大扇風機を設置しました!」
「……準備がいいな」
俺は溜息をつき、周囲を見渡した。
住民たちの目は、キラキラと輝いている。
この世界において、野外で火を焚き、肉の匂いを撒き散らす行為は「自殺」に等しい。
匂いに釣られてモンスターが集まり、煙を目印に空から捕食者が降ってくるからだ。
だから彼らにとって、食事とは「隠れて、冷たいものを、急いで食べる」ものだった。
だが、今はどうだ。
堂々と炭をおこし、肉を焼き、笑い合っている。
これこそが、この場所が「絶対安全圏」であることの証明。
彼らにとって、BBQとは単なる食事ではなく、恐怖からの解放を祝う「勝利の儀式」なのだ。
「……はぁ。まあ、タワー撃退の打ち上げだと思えばいいか」
俺は諦めて、アイテムボックスを開いた。
人数分の「ステンレスの皿」と「トング」、そして「割り箸」を取り出す。
「ほら、手づかみで食うなよ。衛生的に悪い」
「おおぉ! 銀の食器だ!」
「領主様からの配給だぞ!」
◇
網の上で焼かれているのは、レナたちが狩ってきた「マッド・ボア(泥イノシシ)」の肉だ。
本来なら泥臭くて硬い肉だが、俺が【浄化(毒素除去)】と【熟成】を施したことで、最高級のジビエ肉に変わっている。
ジュワァァ……。
肉汁が滴り、白い煙が上がる。
一人の男が、焼けた肉を口に運んだ。
「……ッ!?」
男の動きが止まる。
「酸っぱく、ない……!」
涙が、男の頬を伝った。
「苦くない! 臭くない! これが……本来の肉の味なのか……!」
泥臭さのない、純粋なタンパク質と脂の旨味。
そして、それを引き立てる「魔法の液体」。
俺が提供した「焼肉のタレ(黄金の味・中辛)」だ。
醤油、砂糖、ニンニク、果実。
複雑に絡み合った旨味の爆弾が、淡白なイノシシ肉を宮廷料理へと昇華させる。
「うめぇ! なんだこの黒いタレは!」
「白飯! 白飯を持ってこい! 止まらねぇ!」
阿鼻叫喚ならぬ、歓喜の絶叫。
涙を流しながら肉を貪る人々。それは宴会というより、生命の祝祭だった。
「主様、どうぞ!」
レナが、一番いい焼き加減のカルビを皿に乗せて持ってくる。
「あーん、してください!」
「自分で食うよ」
俺は苦笑いしながら皿を受け取った。
タレをたっぷりつけて、口に運ぶ。
……うん、悪くない。やっぱり外で食う肉は美味い。
「カイト様! 泡の黄金水、冷えてます!」
エリスが、キンキンに冷えた缶ビール(もちろん俺がクラフトしたものだ)を運んでくる。
俺はそれを受け取り、少し離れたベンチに座った。
プシュッ。
小気味よい開栓音。
喉に流し込む。
トクトクトク……。
強めの炭酸と、ホップの苦味。
冷たさが食道を駆け下り、胃の中で弾ける。
「くぅーっ……」
思わず声が出た。
「やっぱり、労働(世界改変)のあとの一杯は格別だな」
俺はベンチに背を預け、賑やかな庭を眺めた。
目の前には、笑い合うヒロインたち。
肉を奪い合う元ゴロツキたち。
安心して走り回る子供たちと、それを追いかけるポチ(お座敷犬モード)。
かつては、一人で静かに死のうと思って来た場所だ。
それが今は、こんなに騒がしい。
以前の俺なら、「うるさい」と耳を塞いで部屋に籠もっていただろう。
――でも。
俺は二本目のビールのプルタブを開けた。
「……ま、静かすぎるよりは、酒が美味いか」
この光景は、俺が管理し、掃除し、守り抜いた成果物(箱庭)だ。
自分が手入れした庭で、誰かが楽しそうにしているのを見るのは、悪い気分じゃない。
それに、彼らが外で働いて家賃(魔石)を納めてくれるおかげで、俺の不労所得ライフは盤石になるのだし。
「持ちつ持たれつ、ってやつだな」
俺は夜空を見上げた。
空気清浄機と結界のおかげで、塵ひとつない夜空には、満天の星が輝いている。
かつての赤黒い空は、もうどこにもない。
「さて、明日はタワーの解体だ」
「ガレージを作るぞ」
俺は飲み干した缶を握りつぶした。
平和で、忙しくて、清潔な日常が、これからも続いていく。
俺の「現代マイホーム領主」としての生活は、ここからが本番だ。




