第47話:救世主誕生(誤解)
戦いが終わり、夕闇が迫る山麓に、奇妙な音が響いていた。
ヒュオォォォ……。
それは、乾いた風が鉄骨の隙間を通り抜ける音。
つい先ほどまで天地を震わせていた怪物の咆哮も、粘液が滴る不快な水音も、すべて消滅していた。
あるのは、圧倒的な「静寂」だけ。
避難民のリーダーである老人は、泥にまみれた顔を上げ、目の前にそびえる巨塔を見上げた。
夕日に照らされ、長く黒い影を落とす「赤と白の鉄塔」。
その姿は、荒廃したこの世界において、あまりにも異質で、あまりにも整然としていた。
「静かだ……。世界が、静かになった……!」
老人の目から涙が溢れた。
この世界の住人にとって、「静寂」とは「安全」と同義だ。
動くものは襲ってくる。音を立てるものは捕食者だ。
だが、あの塔は動かない。
ただ圧倒的な質量を持って、そこに「鎮座」している。
「あぁ、神よ……」
プレハブ住宅の陰から、避難民たちが次々と這い出してきた。
彼らは恐る恐る塔に近づき、そして一斉に地面に額を擦り付けた。
「領主様が……あの穢れた巨人を、聖なる鉄の柱に変えてしまわれた……!」
「浄化だ! 悪魔が、神の雷で封印されたんだ!」
それは感謝を超えた、根源的な「畏怖」だった。
生物を無機物に変える。
そんな芸当は、伝説の大賢者にも、魔王にも不可能だ。
彼らの目には、ベランダに立つカイトの姿が、夕日を背負った現人神そのものに見えていた。
◇
その光景を見て、戦慄している男がもう一人いた。
査察官、ザガンだ。
彼は泥沼の中で腰を抜かしたまま、冷や汗を拭うことすら忘れていた。
(……バカな。あんなデタラメが通るか)
ザガンは政府の中枢にいる人間だ。魔法や科学の限界は知っているつもりだった。
国家主席の放つ「戦略級魔法」ですら、山一つを吹き飛ばすのが精一杯だ。
だが、目の前の男がやったことは破壊ではない。
「概念の書き換え」だ。
(物質の構成要素を、指先一つで編集する……? あんな男を敵に回して、国が持つわけがない!)
ザガンの脳内で、猛烈な勢いで計算が回った。
恐怖。
そして、政治的な打算。
もし、この報告をそのまま持ち帰れば、政府はカイトを危険分子として排除しようとするだろう。
結果は目に見えている。首都が鉄のオブジェに変えられて終わりだ。
ならば――。
(取り込むしかない。私が、彼を「見出した」ことにして!)
ザガンは震える足に鞭打って立ち上がった。
泥だらけの軍服を整え、精一杯の愛想笑いを張り付ける。
「す、素晴らしい……! いやはや、まさかこれほどの力をお持ちとは!」
ザガンはベランダの下まで駆け寄り、恭しく軍帽を取った。
「カイト殿! いや、カイト閣下! 失礼の段、平にご容赦を!」
「……」
「直ちに本国へ報告いたします! 貴殿を『救国の英雄』、および『国賓』としてお迎えしたい! 王も必ずや歓喜なされるでしょう!」
ザガンは両手を広げ、大仰に捲し立てた。
「爵位も! 領地も! 望むままですぞ! 我が国の軍事顧問として、最高待遇を約束します!」
これなら断るまい。
富と名誉。男なら誰もが欲しがるものだ。
ザガンは確信していた。
だが、ベランダのカイトは、スマホの画面から目を離さずに答えた。
「いらない」
即答。
興味ゼロの声色。
「え……?」
「爵位? 面倒なパーティーに出なきゃいけないだろ? 堅苦しい服を着て、知らないおっさんと愛想笑いするなんて御免だ」
「り、領地は!? 広大な土地と、税収が……!」
「いらない。自分で管理できない広さの土地なんて、雑草を抜くだけで過労死する。固定資産税も馬鹿にならないしな」
カイトは心底うんざりした顔で、ザガンを見下ろした。
「僕はこの家と、半径3キロの庭だけで手一杯なんだよ。税金と付き合いが増えるだけの肩書きなら、ゴミ箱に捨てといてくれ」
ザガンは絶句した。
この男にとって、国家最高の栄誉は「燃えるゴミ」以下なのか。
あまりの価値観の相違に目眩がする。
「あ、それと」
カイトが指差した。
ザガンの背後、乗り捨てられた生体戦車だ。
「君たちの戦車、そこ邪魔だからどけてくれる? 景観が悪いし、芝生が枯れる」
「は、はいッ! 直ちに撤去させます!」
ザガンは直立不動で敬礼した。
もはや、どちらが支配者かは明白だった。
◇
その様子を、庭の片隅で見守る二人の少女がいた。
レナと、エリスだ。
エリスはポテトチップスの袋を胸に抱いたまま、呆然と鉄塔を見上げていた。
彼女には「汚染感知」の能力がある。
だからこそ、わかるのだ。
「……ありません。塵ひとつ」
エリスは震える声で呟いた。
「あの巨大な塔から、穢れが一切感じられません。完全なる無機物。永遠に腐らない、清浄な物質……」
彼女が知る限り、この世界に「永遠」などない。
どんな聖遺物も、いつかは朽ちる。
だが、あの赤と白の塔は違う。この先何百年、何千年経っても、あの姿のまま立ち続けるだろうという「絶対性」を感じる。
「やはり、貴方こそが真の聖人……」
エリスは、ベランダのカイトに向かって祈りのポーズを取った。
「古の予言にある『白き秩序をもたらす者』……。カイト様こそが、この腐りきった世界を洗濯するために遣わされた御方なのですね」
「ええ、当然です」
隣でレナが、誇らしげに胸を張った。
彼女の手には、いつの間にかデッキブラシが握られている。
「主様は、世界を『掃除』するために降臨されたのです。あの塔も、主様にとっては『片付け』の一環に過ぎません」
「なんと尊い……。カイト様、私は一生、貴方の洗濯係としてお仕えします」
「抜け駆けは許しませんよ、エリス。トイレ掃除の権利は譲りません」
二人のヒロインの間で、勝手に「カイト教」が爆誕していた。
彼女たちの目には、カイトの後光が見えている(実際はただの逆光である)。
◇
――だが。
当のカイトの頭の中は、そんな崇高なものではなかった。
「(……よし。計算終了)」
カイトはスマホの「電卓アプリ」と「建築シミュレーター」を交互に見ていた。
彼の視線は、タワーを舐めるように観察している。
それは神を見る目ではない。
解体業者が、現場の鉄屑を見積もる目だ。
「(高さ333メートル。使用鋼材、推定4000トン)」
「(この世界の鉄は腐ってるから、これだけの純粋な鋼鉄はレアメタル以上の価値がある)」
カイトはニヤリと笑った。
「(これを切り出して、溶かして……。よし、庭に『全天候型ガレージ』を作ろう。洗車スペース付きのやつだ)」
「(余った鉄骨で『温水プール』の屋根を作るのもいいな。……五重塔を建てて日本庭園にするのも風流か?)」
夢が広がる。
8億ポイントという巨額の出費(課金)は痛かった。
だが、その対価として、世界最大級の「フリー素材」が手に入ったと思えば、悪い話ではない。
「(あの赤と白の塗装もいいな。防錆塗料だろ? 剥がさずにそのままアクセントに使おう)」
カイトが満足げに頷くと、下の庭にいる避難民たちが、期待の眼差しを向けてきた。
領主様が何か仰るぞ。
きっと、我々に生きる指針を示してくださるありがたいお言葉に違いない。
静寂が広がる。
カイトは、眼下の民衆と、巨大なタワーを見比べ、一言だけ呟いた。
「……うん。いい『粗大ゴミ(資源)』が手に入った」
その声は、静かな夕暮れによく響いた。
「……え?」
民衆がざわめく。
粗大ゴミ?
あの神の塔を? 世界を滅ぼしかけた厄災を?
ゴミ呼ばわり?
次の瞬間、爆発的な歓声が上がった。
「おおぉぉぉッ!!」
「聞いたか!? 領主様は、あの怪物を『ゴミ』と断じられたぞ!」
「なんて器の大きさだ! S級災害すら、あの方にとっては掃除すべき埃に過ぎないのだ!」
「カイト様万歳! 聖域万歳!」
盛大な拍手と、地面を叩いて崇める音。
カイトは「?」と首を傾げた。
(なんでゴミ拾いしただけで、こんなに感謝されるんだ? まあいいか、好感度が上がれば家賃交渉もしやすいし)
彼は大衆に向かって軽く手を振ると(それだけで黄色い悲鳴が上がった)、くるりと背を向けた。
「さ、部屋に戻ろう。ゲームの続きをしなきゃ」
英雄は、武器をポケットにしまい、いつもの「引きこもり」へと戻っていった。
夕日が、カイトの背中と、新たなランドマークとなった鉄塔を、長く、長く引き伸ばしていた。




