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第42話:人類の敗北

 山麓の最前線は、地獄の釜の底と化していた。


「撃て! 撃ち続けろ! 奴の足を止めろ!」


 査察官ザガンの絶叫が響く。

 彼の命令一下、政府軍が誇る「生体戦車バイオ・タンク大隊」が一斉に火を噴いた。


 ドォォォン! ドォォォン!


 魔力を充填した生体砲弾が、唸りを上げて飛翔する。

 標的は、眼前に迫る333メートルの巨体。

 外す方が難しいほどの巨大な的だ。


 着弾。

 爆炎が上がり、タワーの赤黒い肉壁がえぐれる。

 肉片が飛び散り、黄色い体液が噴き出す。


「やったか!?」


 兵士たちが歓声を上げようとした、その時だった。


 ジュルルルッ……。


 不快な水音が響いた。

 傷口から無数の細い触手が伸び、互いに絡み合う。

 えぐれた肉が、見る見るうちに盛り上がり、再生していく。

 わずか数秒。

 傷跡すら残さず、タワーは元通りになっていた。


「ば、馬鹿な……! 対城塞級の砲撃だぞ!?」

「再生速度が早すぎる……!」


 ザガンが愕然とする中、タワーが「反撃」に出た。

 いや、それは戦闘行動ですらなかった。


 ガコン。


 タワーの根元、かつてエントランスだった部分が、巨大なあごのように開いた。

 中から伸びてきたのは、太い舌のような触手だ。

 それが、一番近くにいた戦車を絡め取った。


「う、うわぁぁ! 離せ! 操縦桿が効かない!」


 戦車の中にいた操縦士の悲鳴が通信機から漏れる。

 数十トンあるはずの戦車が、おもちゃのように持ち上げられた。


 バクンッ。


 巨大な口が閉じられる。

 バリバリ、グシャッ。

 金属がひしゃげ、中の肉(搭乗員と生体部品)がすり潰される音が、戦場に響き渡った。


「た、食べた……?」


 ザガンの顔から血の気が引いた。

 そうだ。

 政府軍の兵器は、モンスターの素材を利用した「生体兵器」だ。

 タワーにとって、それは敵ではない。

 殻を剥く必要すらない、高栄養価の「おやつ」に過ぎないのだ。


 攻撃すればするほど、敵に餌を与え、巨大化させてしまう。

 絶望的な相性差。


「ひぃっ……! ば、化物め……!」

「撤退だ! 食われるぞ!」


 戦線は崩壊した。

 人類の科学と魔法の粋を集めた軍隊が、たった一体の捕食者の前で、無力な餌として散っていく。

 タワーは満足げにゲップ(排気ガス)を吐き出し、さらなる獲物を求めて――カイトの家へと足を向けた。


 ◇


 ズゥゥゥン……!


 タワーが一歩進むたびに、マグニチュード5クラスの振動が大地を走る。


 聖域のリビングルーム。

 カイトはソファに座ったまま、揺れるコーヒーカップを両手で押さえていた。


「……チッ」


 舌打ちが出る。

 免震構造の基礎を入れているとはいえ、震源地が近すぎる。

 ユラユラと揺れる視界。

 船酔いのような不快感が、カイトの機嫌を急速に悪化させていた。


「震度4相当か。……いい加減にしろよ、あの図体」


 カイトは、自分の命の心配などしていなかった。

 結界は物理干渉を遮断する。タワーが踏み潰そうとしても、見えない壁に阻まれるだけだ。

 彼が心配していたのは、もっと繊細なものだった。


 カタッ。


 背後で、乾いた音がした。

 カイトの背筋が凍りつく。


 その音は、壁際に設置された「コレクション棚」から聞こえた。


「……あ」


 カイトはスローモーションのように振り返った。


 そこには、彼の宝物が鎮座していた。

 昨日、倉庫から発掘し、スキル【無機物修復リストア】を駆使して、新品同様に蘇らせたばかりの至宝。


 「魔法少女リリカル・ルミナス(1/7スケール・覚醒Ver.限定版)」のフィギュア。


 躍動感あふれるポージング。

 風になびくピンク色のツインテール。

 スカートのフリルの、神がかった造形美。

 この世界では二度と生産不可能な、ロストテクノロジー(PVCとABS樹脂)の結晶。


 その台座が、振動によって少しずつズレていた。

 棚のへりへ向かって。


「ま、待て」


 カイトは手を伸ばした。

 だが、タワーの次の一歩が、無慈悲に踏み下ろされた。


 ズンッ!!


 今日一番の揺れ。

 フィギュアが、ふわりと宙に浮いた。

 重力に従い、頭から床へとダイブする。


「あ゛っ」


 カイトが飛びつく。

 指先が、彼女のスカートの端をかすめた。

 だが、届かない。


 カツンッ。


 硬質なフローリングに、プラスチックが激突する音。

 そして、決定的な音が続いた。


 パキッ。


 乾いた、軽い破砕音。


 カイトは床に手をつき、固まった。

 恐る恐る、顔を上げる。


 そこには、無惨な姿になった「ルミナスちゃん」が転がっていた。

 命(造形)の要である、左側のツインテール。

 その根元が、ポッキリと折れていた。

 さらに、手に持っていた「魔法の杖」も、真っ二つに砕け散っている。


「…………」


 静寂。

 外の爆音も、ザガンの悲鳴も、カイトの耳には入っていなかった。

 聞こえるのは、自分の心臓が早鐘を打つ音と、何かが「プツン」と切れる音だけ。


 カイトは震える手で、折れたツインテールを拾い上げた。

 断面を見る。

 白化したプラスチック。


「……これ、ABS樹脂だぞ」


 カイトは独り言のように呟いた。声が震えている。


「接着剤でつけても、強度は落ちる。継ぎ目(合わせ目)が見える」

「パテで埋めて塗装し直す? バカ言え。この『メーカー既製品の絶妙なグラデーション塗装』は、手塗りじゃ再現できないんだよ……!」


 取り返しがつかない。

 世界に一つしかない(かもしれない)限定版が、永遠に損なわれた。

 「傷物」になったのだ。


 カイトの中で、何かが決定的に変わった。

 さっきまでの「迷惑だなぁ」という感情が、消し飛んだ。

 代わりに湧き上がってきたのは、底なしの沼のような、冷たく暗い殺意。


「……大家さん?」


 部屋の隅で、ポテチの袋を抱えて震えていたエリスが、恐る恐る声をかけた。

 レナも、主の異変に気づき、剣の柄に手をかける。


 カイトがゆっくりと立ち上がった。

 その目には、ハイライトがなかった。

 能面のように無表情。

 だが、全身から立ち昇るオーラは、Sランクモンスターの比ではない。


「レナ」


 カイトが低い声で呼んだ。


「はい」

「……あいつ、殺そう」


 淡々とした口調。

 だが、そこに含まれる意志の強さは、鋼鉄よりも硬かった。


「え?」

「僕の宝物を壊した罪は重い。ただの『退去』じゃ済ませない」


 カイトは、手の中にあった折れたツインテールを、大切にポケットにしまった。

 そして、もう片方の手でポケットからスマホを取り出す。


「これまでは、平和的解決(ゴム弾)を目指していた。だが、向こうがその気なら仕方ない」


全放出オール・インだ」


 カイトは宣言した。


「徹底的にやる。跡形もなく、概念ごと書き換えてやる」


 『完全消滅デリート』。


 人類が敗北した、その瞬間。

 一人のオタクが、本気の喧嘩を買った。


 カイトは窓の方へ歩き出した。

 その背中を見て、レナとエリスは戦慄した。

 タワーへの恐怖ではない。

 今から解き放たれる「大家さんの本気」への、根源的な畏怖だった。


「よくも……よくも、僕のルミナスちゃんを……!」


 怨念めいた呟きと共に、カイトはベランダへのドアを蹴り開けた。

 フィギュアの仇を討つ。

 そのあまりにも個人的すぎる動機が、世界を救う(作り変える)トリガーとなった瞬間だった。

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