第41話:避難命令と拒絶
「いやぁぁぁ! 逃げましょう領主様ぁ!」
「あんな化物、勝てるわけがねぇ!」
プレハブ住宅から飛び出してきた避難民たちは、パニックに陥っていた。
彼らは過去、都市型モンスターに家族を食われ、故郷を追われたトラウマがある。
「逃げる」という選択肢しか頭にない。
だが。
その場から一歩も動かない二人の少女がいた。
レナと、エリスだ。
レナは愛用のデッキブラシ(対戦車仕様)を握りしめ、仁王立ちしている。
エリスはポテチの袋を胸に抱き、震えながらもカイトの背中を見つめている。
「おい、そこの女ども! 貴様らも説得しろ!」
ザガンが二人に矛先を向けた。
だが、レナは冷ややかな視線を返しただけだった。
「お断りします。……落ち着きなさい、ザガン殿」
「な、なんだと?」
「外に出て野垂れ死ぬのと、大家さん(マスター)の側で戦うの。どちらが『生存確率』が高いと思いますか?」
レナは淡々と言った。
「私は知っています。外の世界では、夜に安心して眠ることすらできない。服は乾かない。お風呂もない」
「……そ、それがどうした!」
「私にとっては、それが全てです。この家の『快適さ』を失うことは、死ぬことと同義なのです」
彼女の目は本気だった。
一度知ってしまった文明の味。フカフカの布団。温かいシャワー。
それを手放すくらいなら、ここで戦って死ぬほうがマシだという、退路を断った覚悟。
エリスも続く。
彼女はカイトの方へ一歩踏み出した。
「私も……動きません」
「聖女様!?」
「この空気清浄機(聖域)の外に出たら、私は10分で窒息死します。私の肺はもう、綺麗な空気以外を受け付けないのです」
エリスは悲壮な決意を込めて言った。
「ならば、ここで運命を共にするのが唯一の論理的解に決まっています。……それに」
彼女はポテチの袋をギュッと握りしめた。
「まだ食べていない『新作スナック』を食べるまでは、絶対に死ねません!」
彼女たちの信頼――いや、「生活水準への執着」は、タワーの恐怖を凌駕していた。
カイトは、背後で交わされるその会話を聞き、口元をわずかに緩めた。
(……まあ、わかってるじゃないか)
教育の成果だ。
彼女たちはもう、こちらの世界の住人だ。
だが、ザガンは諦めなかった。
彼は軍人としての責務、そして歪んだ愛国心から、強硬手段に出た。
「ええい、ままごとは終わりだ! 貴様を引きずってでも連れて行く!」
ザガンがカイトの襟首を掴もうとした。
「ここは更地になる運命なんだ! 諦めろ!」
更地。
その単語が、カイトの脳内で反響した。
更地になる。
この家が。
このリビングが。
そして――俺の部屋が。
カイトの脳裏に、ある光景が浮かんだ。
2階の自室。
そこにある、壁一面の本棚。
昨日、スキル【本の復元】を使って、インクの滲みを直し、紙を真っ白に戻したばかりの「全巻揃ったマンガコレクション」。
そして、パッケージのシュリンクフィルムまで完璧に再現した、未開封の限定版ゲームソフトたち。
この世界で唯一残された娯楽。
人類の文化遺産。
俺が生きる意味そのもの。
それらが、あの汚い肉塊に踏み潰され、胃酸でドロドロに溶かされる?
続きを読み返す楽しみを奪われる?
この湿気た世界で、唯一の心の支えを?
「……おいていけ、だと?」
カイトの声色が、変わった。
ザガンが、ビクリと手を止める。
カイトの周囲の空気が、急速に冷えていく。
それは恐怖による悪寒ではない。
明確な、そして絶対的な「殺気」による温度低下だ。
「ザガン。……君は下がっていろ」
カイトはザガンの手を振り払った。
その目には、もはやザガンの姿など映っていない。
見据えているのは、迫りくる333メートルの「障害物」だけ。
「……邪魔だ」
カイトはポケットからタブレット端末を取り出した。
指が画面を走る。
パスコード入力。
【防衛システム・レベルMAX】の封印解除。
「僕の『文化的な最低限度の生活』を脅かす奴は……」
カイトは顔を上げた。
その表情は、静かすぎて逆に恐ろしかった。
本当に大切なもの(オタグッズ)を奪われそうになった人間特有の、底知れぬ怨念。
「S級災害だろうが、地球の意志だろうが……土に還してやる」
カイトの指が、決定ボタンをタップした。
もはや、撤退はない。
家を守るための、聖戦が始まった。




