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第39話:傲慢なる査察官

 午後二時。

 聖域のテラスには、平和な時間が流れていた。


 ズズッ、ズズズーッ。


 俺、柏木カイトは、麺をすする音を盛大に立てていた。

 目の前にあるのは、ガラスの器に盛られた涼やかな料理。


 ――冷やし中華である。


 自家菜園で収穫したばかりのキュウリとトマト。

 薄焼き卵の千切り。

 そして、クラフトで再現したハム。

 それらが、冷水で締めた中華麺の上に彩りよく並び、酸味の効いた醤油ダレが掛かっている。


「……んんッ、美味い」


 俺は唸った。

 タレの酸味が、夏の暑さに疲れた体に染み渡る。

 キュウリのシャキシャキとした歯ごたえ。

 喉越しの良いツルツルとした麺。

 

 この世界には「冷たい麺料理」という概念が存在しない。

 そもそも、麺を冷やすための綺麗な水も氷も、貴重すぎて料理には使えないからだ。

 だからこそ、この一杯は王侯貴族のフルコースをも凌駕する、至高の贅沢品だ。


「マヨネーズがないのが悔やまれるが……まあ、辛子からしで我慢するか」


 俺が麺に辛子を溶かし、次の一口を運ぼうとした時だった。


 ズドオォォォォ……!


 下品な轟音が、静寂を引き裂いた。

 箸が止まる。

 俺は不機嫌に眉をひそめ、音のする方角――山麓のゲートを見下ろした。


「……なんだ、あれは」


 そこには、黒煙を撒き散らしながら登ってくる「鉄の塊」があった。

 戦車だ。

 だが、俺の知るスマートな兵器ではない。


 装甲板の上から、モンスターの甲羅や筋肉を無理やり貼り付けた、グロテスクな継ぎ接ぎの車両。

 動力源であるバイオ・エンジンが、咳き込むような排気音を立てている。

 「政府軍の生体戦車バイオ・タンク」だ。


 俺の目が、冷ややかに細められる。


「おいおい。キャタピラで舗装道路を削るなよ」


 俺が苦労して(スマホ操作一回で)敷いたアスファルトが、鉄の履帯りたいによって傷つけられている。

 器物損壊だ。

 俺は箸を置き、冷やし中華にラップをかけた。

 麺が伸びる前に、この不躾な訪問者を追い返さなければならない。


 ◇


 戦車のハッチが開き、一人の男が降り立った。

 軍服を着た、痩せぎすの男。

 胸には多くの勲章をつけ、鼻の下には神経質そうな口髭を蓄えている。

 政府から派遣された特別査察官、ザガンだ。


 彼はガスマスクを外し、ハンカチで口元を覆いながら周囲を見回した。


「……なんと」


 そのザガンという男の目が、惊愕に見開かれた。

 報告書では読んでいた。だが、実物は想像を絶していた。


 整然と並ぶプレハブアパート群。

 汚れ一つない白壁。

 太陽光を反射する窓ガラス。

 そして、煙突から清潔な白煙を上げる巨大な銭湯。


「風化していない……!」


 彼はプレハブの壁に触れた。

 白い粉がつかない。カビのぬめりもない。

 硬く、乾燥している。

 この世界において、建築物は建てた瞬間から「都市による消化」が始まる。

 だが、この場所の建物は、時間の経過を拒絶しているかのように新しい。


「これほどの建築技術アーキテクチャが、実在するとは……」


 ザガンの目に、ドス黒い光が宿った。

 それは「感動」ではない。「強欲」だ。


(この技術があれば、崩壊しかけている王都の防壁を再建できる)

(いや、地下シェルターを拡張し、我々支配層の安全を盤石にできる!)


 彼の脳内で、カイトの家は「個人の資産」から「国家の所有物」へと書き換わった。

 人類の存亡に関わる技術を、たかが一個人が独占するなど許されない。

 それは罪だ。

 彼の中の歪んだ正義感が、略奪を正当化していく。


「おい、そこの男!」


 ザガンは、門の前に立っていたジャージ姿の青年に声を張り上げた。


「貴様がここの管理者、カシワギ・カイトか!」


 ◇


 俺は、インターホンの前まで出てきていた。

 ただし、フェンスの内側からだ。

 汚れた軍靴で敷地内に入られるのは御免だった。


「そうですが。何の用ですか?」


 俺は腕を組み、あからさまに面倒くさそうな態度で応対した。


「何の用だと? 貴様、相手が誰だと思っている!」


 ザガンは顔を真っ赤にして怒鳴った。


「私は政府特務機関の査察官、ザガンだ! 貴様のこの土地、および建造物に対し、国家安全保障法に基づき『緊急接収』を宣言しに来た!」

「接収?」

「そうだ! この土地の技術は、人類の共有財産となるべきだ。貴様のようなFランク崩れの民間人に、管理できる代物ではない!」


 ザガンは羊皮紙の束(命令書)を突きつけた。


「直ちに結界を解除し、全権限を譲渡せよ。さすれば、貴様の身の安全は保証してやる」


 典型的な、権力を笠に着た物言い。

 俺はため息をついた。

 またこれか。剛田の時と同じだ。

 どうしてこの世界の人たちは、他人の物を勝手に「自分のもの」だと錯覚するのだろう。


「お断りします」


 俺は即答した。


「は?」


 ザガンが固まる。


「いやだから、断るって言ったんです。ここは僕の家です。僕が稼いだ魔石カネで建てて、僕が掃除して維持している、僕の私有地です」

「き、貴様……国家に逆らう気か!?」

「国家? 知らないですね」


 俺は冷ややかに言った。


「僕がパーティを追放されて、泥水をすすっていた時、国は助けてくれましたか? 一本のポーション、一枚のパンでも恵んでくれましたか?」

「そ、それは……自己責任だろう!」

「なら、ここも自己責任で管理します。国益とか人類とか、知ったことじゃない」


 俺の論理はシンプルだ。

 助けてくれなかった相手を、助ける義理はない。

 ギブ・アンド・テイクが成立していないのだ。


 ザガンはワナワナと震え出した。

 民間人に、しかもFランクごときに面と向かって拒絶されたことなど、彼の人生で一度もなかったのだろう。


「ぐぬぬ……! 強欲な男め! 金か!? 金が欲しいのか!」


 ザガンは懐から、革袋を取り出した。

 そして、それを俺の足元に向かって投げつけた。


 チャリッ。


 地面に落ちた袋の口が開き、中から金色の硬貨がこぼれ出る。


「見ろ! 金貨10枚(約100万円相当)だ!」


 ザガンは勝ち誇った顔で言った。


「Fランク探索者の生涯年収よりも多い額だぞ! これほどの温情はない! 感謝して受け取れ!」


 俺は足元の金貨を見下ろした。

 そして、無言で顔を上げた。

 その目には、軽蔑の色が浮かんでいた。


(……金貨10枚?)


 俺のリビングにあるソファ一脚すら買えない端金はしたがねだ。

 レナが最初に買ってきたゴミ袋の売上だけで、金貨数千枚になったことを、こいつは知らないのだろうか。


「……いらないです」

「なっ!?」

「そんな金属片、Amazonでも使えないし。コースターにするにはデコボコしてて使いにくいんですよ」


 俺は金貨を靴のつま先で弾いた。

 コロコロと転がり、側溝の穴に落ちる。


「貴様ッ……! 国の通貨を、ゴミ扱いするか!」

「ゴミだろ。少なくとも、ここじゃ紙切れ以下の価値しかない」


 俺は背中を向けた。

 冷やし中華が伸びてしまう。これ以上付き合ってはいられない。


「帰ってください。敷地内への不法投棄は迷惑です」


 その態度が、ザガンのプライドを完全に粉砕した。


「こ、この非国民がぁぁッ! 交渉決裂だ! 武力行使も辞さんぞ!」


 ザガンが合図を送ると、背後の戦車が砲塔を旋回させた。

 砲口が、俺の家――白いサイディングの壁に向けられる。


「その生意気な城壁を吹き飛ばし、力ずくで接収してくれる! 後悔しながら死ね!」


 一触即発。

 だが、俺は動じなかった。

 せいぜい、タレットの掃除の手間が増えるくらいだ。

 俺はポケットの中で、迎撃システムの起動コードを入力しようとした。


 その時だった。


 ズンッ……。


 地面が、大きく揺れた。

 戦車のキャタピラ音ではない。

 もっと巨大な、地殻そのものを揺るがすような縦揺れ。


「……地震か?」


 俺は手元のマグカップを見た。

 残っていたコーヒーの水面が、同心円状の波紋を描いている。

 規則正しいリズム。


 ズゥゥゥン……ズゥゥゥン……。


 それは、足音だった。

 山脈を震わせるほどの、巨大質量の行進。


 ザガンたちの顔色が変わる。

 戦車に乗っていた兵士が、ハッチから顔を出して叫んだ。


「さ、査察官殿! 生体センサーが異常数値を検知しています! 東の方角! 距離5キロ!」

「なんだと!? モンスターか!?」


 全員の視線が、東の地平線へと向けられた。

 そこには、かつて日本の首都だった廃墟が広がっているはずだ。


 だが、その風景は変わっていた。

 腐海(樹海)の向こう。

 雲を突き抜ける高さで、そびえ立っていたはずのランドマークが――動いていた。


「……は?」


 俺は目を疑った。


 赤と白の鉄塔。

 高さ333メートル。

 かつての電波塔であり、今はS級指定災害に認定されている捕食都市型モンスター。


 「旧・東京タワー」。


 その巨大なシルエットが、ゆっくりと、しかし確実にこちらへ向かって歩いてきている。

 

 鉄骨の骨組みは、今や赤黒い筋肉と軟骨に変質している。

 根元からは無数の「根(脚)」が生え、ナマコのように蠢きながら大地を削り取っている。

 二つの展望台は、巨大な濁った「眼球」となり、ギョロギョロと世界を睥睨へいげいしていた。


 先端のアンテナからは、フェロモンのような赤い霧を噴射している。


「バ、バカな……!」


 ザガンが腰を抜かしてへたり込んだ。


「タワーは……ここ数十年、休眠状態だったはずだ! なぜ動く!? なぜ目覚めた!?」


 それは、人類にとっての悪夢の再来だった。

 動くはずのない災害が、意思を持って進撃を開始したのだ。

 そして、その進行方向は――


「……真っ直ぐ、こっちに来るな」


 俺は冷静に分析した。

 偶然ではない。

 奴は明確に、この場所を目指している。


 俺の手元のタブレットに、警告が表示された。


 『システム警告:惑星免疫機構プラネット・イミューンの活性化を確認』

 【対象:特異点(カイトの家)】


「なるほど」


 俺は納得した。

 地球ガイアから見れば、肉化していない俺の家は「癌細胞」や「刺さったトゲ」みたいなものだ。

 世界中が有機物になろうとしている中で、唯一「無機物」を保ち続けるこの場所を、白血球タワーが排除しに来たのだ。


 つまり、あれは地球規模の「異物排除反応」というわけだ。


「た、隊長! 逃げましょう! 踏み潰されます!」

「退避! 退避ぃぃッ!」


 政府軍はパニック状態に陥った。

 戦車が慌ててUターンを始める。

 ザガンも這いずりながら叫んだ。


「終わりだ……! あんな化物に勝てるわけがない! 世界は終わりだ!」


 国家権力も、金貨も、圧倒的な暴力の前では無意味だった。

 彼らはプライドを捨て、蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとする。


 だが、俺は動かなかった。

 ベランダの手すりに寄りかかり、迫りくる333メートルの肉塊を睨みつける。


 逃げる?

 どこへ?

 この家を捨てて、またあの泥臭い外の世界へ戻れというのか?


 俺の背後には、白いサイディングの家がある。

 中には、涼しいリビングがあり、冷えたコーラがあり、読みかけの漫画がある。

 もし逃げれば、それらは全て踏み潰され、胃酸で溶かされ、永遠に失われるだろう。


 ピキッ。


 俺の手の中で、マグカップにヒビが入った。


「……ふざけるなよ」


 恐怖?

 そんなものはない。

 湧き上がってきたのは、静かで、熱い、憤怒だった。


「捨てるわけないだろ。」


 俺はスマホを構えた。


「おい、赤いの。……僕の庭の日当たりを遮るなよ」


 それは、近所迷惑にブチ切れた住民のクレームだった。

 だが、そのクレームの威力は、戦車の砲撃よりも遥かに重いことを、世界はまだ知らない。

 

 人類vs都市。

 あるいは、引きこもりvs世界。

 最後の防衛戦が、幕を開けようとしていた。

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