第37話:プレハブ住宅(ロイヤルスイート)建設
聖女エリスが「ポテチの虜」となり、事実上の亡命を果たしてから数日が経過した。
聖域のリビングは相変わらず快適そのものだが、一歩外に出れば、事態は少しずつ変化していた。
俺、柏木カイトは、2階のベランダから眼下を見下ろし、露骨に顔をしかめた。
「……汚いな」
俺の視線の先――結界の境界線のギリギリ外側に、薄汚れたテント村が出来上がっていたのだ。
住人は、エリスを慕って集まってきた避難民たちだ。
彼らは腐った木材や、モンスターの皮を継ぎ接ぎして雨風を凌いでいる。
地面は泥濘み、汚水が垂れ流され、そこかしこから咳き込む音が聞こえてくる。
難民キャンプ。あるいはスラム街。
生きるために必死なのはわかる。だが、俺の「美意識」と「衛生観念」が限界を訴えていた。
「このままじゃ、あそこで疫病が発生して、風に乗ってこっちに来るぞ」
俺は手すりを指で叩いた。
結界は物理的な侵入や瘴気は防げるが、空気感染するウイルスまでは完全には遮断できないかもしれない。
何より、せっかくの「白い家」の景観が台無しだ。
「……仕方ない」
俺は飲みかけのコーヒーを置き、立ち上がった。
「整理するか。管理された『収容施設』を作って、そこに押し込めよう」
慈悲ではない。
これは、俺の快適な生活を守るための、必要な「公共事業」だ。
◇
俺は防護服に身を包み、フェンスの外へと降り立った。
護衛のレナと、お菓子袋を抱えたエリスも一緒だ。
「あ! 聖女様だ!」
「隣にいるのは……噂の領主様か!?」
泥にまみれた避難民たちが、一斉にひれ伏す。
彼らの目は崇拝と恐怖が入り混じっていた。
俺は彼らの視線を無視し、タブレット端末を操作した。
「そこ、どいて。邪魔だ」
俺はテント村の中心、比較的平坦な場所を指定した。
「まずは整地(フラット化)だ」
スキル発動:【地形操作】
ズズズズ……!
地響きと共に、ドロドロだった地面が沈み込んだ。
湿った土壌が圧縮され、水分が絞り出され、瞬時に硬化する。
そして、その上に灰色の流動体が流し込まれ――数秒でカチコチに固まった。
コンクリートの基礎(ベタ基礎)だ。
「な、なんだ!?」
「地面が……一瞬で石になった!?」
「しかも、水溜まりができない……完全に平らだぞ!?」
避難民たちがどよめく。
この世界において、地面とは常に凸凹で、ぬかるんでいるものだ。
水準器で測ったような完全な水平面など、王城の広間くらいでしかお目にかかれない。
「よし、土台はできた。次は上物だ」
俺はメニュー画面をスワイプする。
選ぶのは、コストパフォーマンスに優れたこの物件。
【軽量鉄骨造・2階建てアパート(1Kロフト付き・全10室)】
いわゆる、日本の郊外によくある安アパートだ。
プレハブ工法。安っぽいサイディングの外壁。断熱材も最低限。
だが、この世界においては「城」以上の価値を持つ。
「建設」
俺がタップした瞬間、青白い光のグリッドが虚空を走った。
キィィィン……ガシャン! ガシャン!
光の中で、鉄骨が組み上がり、壁が張られ、屋根が乗る。
窓ガラスが嵌まり、ドアが取り付けられる。
所要時間、わずか30秒。
そこに出現したのは、白とグレーのツートンカラーで塗装された、あまりにも現代的な「アパート」だった。
「……」
避難民たちは、口を開けて固まっていた。
魔法ですらない。
神が世界を創造するプロセスを、早送りで見せられたような衝撃。
「ま、仮設住宅だしこんなもんだろ。一応、断熱材は入れたから感謝してほしいね」
俺は満足げに頷いた。
安普請だが、テントよりはマシだ。
「おい、そこの爺さん」
俺は、避難民の代表らしき老人を指名した。
「中を確認しろ。問題なければ、順次入居させる」
「は、はいっ! ただちに!」
老人は震える足で、真新しいアパートの階段を上がり、「101号室」のドアの前に立った。
金属製のドアノブ。
回す。ガチャリ。
スムーズに開く。
老人は靴を脱ぐのも忘れそうになりながら(俺に怒鳴られて慌てて脱ぎ)、室内へと足を踏み入れた。
◇
六畳一間のフローリング。
小さなキッチンと、ユニットバス。
現代日本人なら「狭いな」と感じるだけのワンルーム。
だが、老人の目には、そこが「天界の貴賓室」に見えていた。
「……あぁ」
老人は、壁に手を触れた。
白いクロス張り。シミ一つない。
そして、彼の指先が、部屋の隅――「コーナー」に触れる。
「直角だ……」
老人は戦慄した。
「壁と床が、完全に九十度で交わっている……」
バイオ・シティにおいて、「直角」は存在し得ない概念だ。
生物の体は曲線で構成されている。壁は湾曲し、床は隆起しているのが当たり前。
だが、ここにはある。
狂いのない直線。完璧な平面。
それは、自然界の脅威(不定形な肉塊)から完全に切り離された、「秩序」の証明だった。
「歪んでいない……。世界が、歪んでいない……」
老人は床に這いつくばり、頬ずりした。
適度な弾力。温かみ。
泥の冷たさも、石のゴツゴツした感触もない。
そして、彼が最も衝撃を受けたのは「窓」だった。
アルミサッシの窓が開いている。
彼は震える手で、窓を閉めた。
スッ。カチャリ。
クレセント錠をかける。
その瞬間。
――音が、消えた。
外のざわめき。風の音。遠くのモンスターの鳴き声。
それらが遮断され、部屋の中が「静寂」に包まれた。
「……風が入ってこない」
老人は窓枠に手をかざした。
隙間風がない。
外の世界の家は、どれだけ板を打ち付けても隙間だらけで、夜には冷気と毒虫が入り込んでくるものだ。
だが、この透明な板と金属の枠は、外気を完全にシャットアウトしている。
「気密性……! これぞ、絶対防御の結界……!」
雨漏りもしない。風も来ない。虫も入らない。
ただのプレハブ小屋が、彼らにとっては、伝説の賢者が生涯をかけて作り上げる「結界石の塔」以上の価値を持っていた。
「うぅ……うぅぅ……」
老人はその場に泣き崩れた。
安心して眠れる。
ただそれだけのことが、これほどありがたいとは。
「ここは……神の御殿ですか……!」
外で待っていた避難民たちも、次々と部屋に入り、同じように感涙に咽んでいた。
壁を撫で、床に転がり、蛇口から出る水に驚愕する。
レオパレスが神殿になった瞬間だった。
◇
俺はアパートの前で、興奮冷めやらぬ避難民たちを見下ろしていた。
「気に入ったようで何よりだ」
俺は声を張り上げた。
「ただし! タダじゃないぞ」
慈善事業をするつもりはない。
維持管理にはコストがかかるのだ。
「家賃を設定する。支払いは『魔石』か、指定した『薬草・素材』だ」
「や、家賃……?」
「ああ。働かざる者、住むべからずだ。この快適な部屋に住みたければ、外で狩りをして稼いでこい」
厳しい条件を突きつけたつもりだった。
だが、避難民たちの反応は予想外だった。
「石ころ(魔石)数個でいいのですか!?」
「こんな夢のような城に!? 一生の奉公でも足りないくらいなのに!?」
「払います! 何でも払います! 死ぬ気で狩ってきます!」
彼らは狂喜乱舞していた。
彼らにとって、安全な寝床の価値はプライスレス。
命懸けで魔石を取ってくるくらい、安い対価だったのだ。
「(……相場観が違いすぎるな)」
まあいい。
これで俺は、寝ていても魔石が入ってくるシステムを構築できた。
大家さんビジネスの始まりだ。
◇
その日の夜。
俺は自宅のベランダに出て、缶ビールを開けた。
プシュッ。
眼下を見下ろす。
かつては暗闇と、不気味な発光苔の光しかなかった山麓に、新しい光が灯っている。
アパートの窓から漏れる、LEDシーリングライトの明かり。
規則正しく並ぶ、四角い光の列。
それぞれの部屋で、家族が笑い、安眠している気配が伝わってくる。
それは、日本の郊外で見慣れた「団地」の夜景そのものだった。
「……うん」
俺はビールを一口飲み、満足げに息を吐いた。
「スラム街の焚き火よりは、団地の夜景のほうが落ち着くな」
俺の潔癖な美意識は満たされた。
景観は改善され、衛生状態も向上し、家賃収入も入る。
ついでに、人々の命も救われたらしい。
まさにWin-Win。
俺は「領主」と呼ばれるのは御免だが、この「管理された箱庭」を眺めながら酒を飲むのは、悪くない気分だった。
「さて、明日は何を作ろうか」
次は共同浴場(銭湯)だな。
やっぱり日本人は風呂に入らないとダメだ。
俺はタブレットに新しい設計図を描きながら、夜風に当たった。
外の世界はまだ腐っているが、ここだけは、確実に文明の灯がともり始めていた。




