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第30話:君たちは汚すぎる

 白い防護服に身を包んだカイトは、ガスマスクの奥から冷ややかな視線を向けていた。

 その立ち姿は、かつての仲間に対するものではない。

 道端に落ちた、処理に困る「生ゴミ」を見る目そのものだった。


「た、助けろ……カイト……!」


 剛田は、インターロッキングの目地を爪で掻きむしりながら懇願した。

 口からは黒い泡を吹き、目からは血の涙を流している。

 全身の皮膚がボロボロと剥がれ落ち、その下の赤い肉が空気に触れて痙攣している。


「入れてくれ……! 中に入れろ! 薬を……薬をくれぇぇ!」


 剛田は必死に手を伸ばした。

 その指先が、カイトの足元――真っ白なゴム長靴に触れようとする。


 シュッ。


 カイトは無言で半歩下がった。

 絶妙な距離感ディスタンス

 剛田の汚れた指先は、空を切って地面に落ちた。


「動くな」


 ガスマスク越しに、くぐもった声が響く。

 怒声ではない。淡々とした事務的なトーンだ。


「それ以上動くと、体液が飛び散る。この敷石、吸水性が高いからシミになりやすいんだ」

「な、なんだと……?」


 剛田は耳を疑った。

 人が死にかけているのだ。元パーティリーダーが、血を吐いて苦しんでいるのだ。

 なのに、こいつが気にしているのは「床のシミ」のことだけなのか?


「カイト! お前、人の心がないのか! 俺たちを見捨てるのか!」

「見捨てる?」


 カイトは首を傾げた。


「勘違いするな。僕は事実を言っているだけだ」


 カイトは右手に持っていた長い金属の棒――「ステンレス製ロングトング」を持ち上げた。

 公園のゴミ拾いなどで見かける、あれだ。


 カチ、カチッ。


 トングの先端を開閉させて、動作確認をする。

 その乾いた金属音が、剛田の神経を逆撫でする。


「君を家の中に入れることはできない。意地悪で言ってるんじゃない。物理的に無理なんだ」

「嘘だ! 言い訳だ!」

「本当だよ。……今の君は、もう『人間』じゃないからな」


 カイトは残酷な真実を告げた。


「君の体は、都市の汚染物質(毒)を取り込むことで変質し、環境に適応している。いわば、毒と共生するモンスターと同じだ」

「モ、モンスターだと……!?」

「深海魚を知っているか? 高い水圧の中で生きる魚を、いきなり陸上に引き上げたらどうなると思う?」


 カイトはトングの先で、剛田の剥がれ落ちた皮膚片をつまみ上げた。


「内圧で破裂する。……今の君がそれだ」

「……あ」

「君にとって、この『清潔な空気』は猛毒だ。僕の家に入れば、君の細胞は10秒で壊死して死ぬ」


 剛田は言葉を失った。

 信じたくなかった。

 自分が求めてやまなかった楽園。

 泥水をすすりながら夢見た、清潔で安全な場所。

 それが、自分にとっては「処刑台」だと言うのか。


「嘘だ……嘘だぁぁぁッ!」


 剛田は絶叫し、錯乱したように地面を叩いた。

 傷口が開き、汚れた血が飛び散る。


「俺は人間だ! 冒険者だ! 治療すれば治るはずだ! 中に入れろ! 俺を見捨てる言い訳をしてんじゃねぇぇ!」


 彼は這いずりながらカイトに迫った。

 理性は崩壊している。

 ただ、目の前の「白い男」に縋りつきたい一心で。


「……はぁ」


 カイトは深くため息をついた。

 マスクが曇る。


「やっぱり話が通じないか。……まあいい」


 カイトはポケットに手を突っ込んだ。

 取り出したのは、一本のガラス瓶。

 中には、黄金色に輝く液体が入っている。


 「ハイポーション(最高級回復薬)」。

 

 市場価格なら金貨数百枚。瀕死の重傷でも一瞬で完治させる、奇跡の秘薬だ。


「く、薬……!」


 剛田の目が輝いた。

 くれたんだ。やっぱりカイトは、俺を見捨てていなかったんだ。

 彼は震える手を差し出した。

 

「よこせ……早く、それを飲ませてくれ……!」


 だが、カイトは瓶を渡さなかった。

 代わりに、親指で瓶の蓋を弾き飛ばした。

 ポンッ、と栓が抜ける。


 そして。


「動くなよ」


 カイトはトングを伸ばし、剛田の襟首(比較的乾いている部分)を器用に挟んだ。

 グイッ。

 強引に上を向かせる。


「ひっ!?」

「じっとしてろ」


 カイトはハイポーションの瓶を逆さにし――剛田の頭上から、中身をぶちまけた。


 バシャッ!


「う、ぐああっ!?」


 剛田が悲鳴を上げる。

 冷たい液体が、ただれた顔面に降り注ぐ。

 黄金の薬液が、膿と血を洗い流しながら、傷口へと染み込んでいく。


 ジュワワワワ……!


 激しい音と共に、白煙が上がった。

 強引な細胞の再生。

 剥がれた皮膚が繋がり、出血が止まる。

 崩壊しかけていた臓器が、魔法の力で無理やり繋ぎ止められる。


「かはっ……ゲホッ、ハァ、ハァ……」


 剛田は咳き込みながら、自分の体を見た。

 痛みが引いていく。

 呼吸ができる。

 皮膚の崩壊が止まった。


「な、治った……? 助かったのか……?」


 彼は歓喜に震えた。

 やはりここは天国だ。カイトは神だ。

 

 だが、カイトは空になった瓶をゴミ袋へ投げ捨て、冷徹に言った。


「勘違いするなよ」


 トングで剛田の襟首を掴んだまま、カイトは続ける。


「治したんじゃない。『固定』したんだ」

「え?」

「君の体を『汚染された状態』で安定させただけだ。これ以上崩壊しないように、薬漬けにした」

「な、なんだと……?」

「ここで死なれたら困るんだよ。死体処理エンバーミングの手間がかかるし、死臭が壁に移る」


 カイトにとって、このハイポーションは「治療薬」ではない。

 生ゴミが腐敗して液垂れするのを防ぐための、「防腐剤」としての使用だった。


「命だけは助けてやる。感謝しろ」


 カイトはトングを離した。

 パッ。

 剛田の体が地面に崩れ落ちる。


 カイトはすかさず、右手のスプレーボトルを構えた。

 シュッシュッ。

 剛田の周囲の空間に、次亜塩素酸水を噴霧する。


「……カ、カイト……」


 剛田は呆然と見上げた。

 目の前の男は、自分を助けたのか? それとも突き放したのか?


 カイトはガスマスクのフィルター越しに、決定的な言葉を告げた。


「二度と来るな」


 その声には、怒りも憎しみもなかった。

 あるのは、ただ純粋な「忌避感」。


「君たちは――臭すぎる」


「……っ!」


 剛田の思考が停止した。

 弱いと言われるより、無能と罵られるより。

 「臭い」と言われたことが、何よりも深く彼のプライドを粉砕した。


 人格の否定ではない。

 存在そのものを、「汚物」として定義されたのだ。


「あ……あぁ……」


 剛田は涙を流した。

 悔し涙ではない。自分が汚いものであると自覚させられた、惨めな涙だ。


 カイトは背中を向けた。

 これ以上、彼を見る必要はないとばかりに。

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