第28話:Sランクメイドの蹂躙
表門で剛田たちがゴム弾の雨に打たれ、阿鼻叫喚の地獄絵図を描いている頃。
屋敷の裏手には、別の影が忍び寄っていた。
「へッ、馬鹿な連中だ。あいつらが囮になっている間に、俺たちは裏からいただく」
声を潜めて走るのは、悪徳商会に雇われた傭兵部隊のリーダーだ。
彼らはプロだ。
剛田のような落ちぶれた冒険者とは装備の質が違う。対腐食加工された鎧に、隠密魔法が付与されたクローク。
「正面の火力は凄まじいが、裏は手薄だ。勝手口から押し入れば制圧できる」
リーダーは手信号で部下を動かし、銀色のフェンスの死角へと回り込んだ。
そこには、表の激戦が嘘のような静寂があった。
フェンスの向こう、裏庭に広がっていたのは――「洗濯物干し場」だった。
物干し竿に、真っ白なシーツが幾重にも吊るされ、風にたなびいている。
周囲の腐臭を掻き消すような、甘く、清潔な香り。
柔軟剤の香りが、傭兵たちの鼻をくすぐる。
「チッ、平和ボケしやがって。死の森の真ん中で洗濯だと?」
リーダーは舌打ちし、フェンスに手をかけた。
魔法の酸で鍵を溶かし、音もなく敷地内へ侵入する。
「行くぞ。抵抗する者は殺せ。ただし、家の中の『宝』は傷つけるな」
彼らは抜き足差し足で、白いシーツの迷路へと足を踏み入れた。
ひんやりとしたシーツが頬を撫でる。
その奥。
勝手口の前に、一人の人影が立っていた。
◇
「……あら」
その少女は、傭兵たちを見ても悲鳴を上げなかった。
銀色の長い髪を揺らし、キョトンとした顔で彼らを見つめている。
服装は奇妙だった。
だぼっとしたグレーのTシャツ。その上から、フリルのついた可愛らしいエプロンを着けている。
手には剣でも杖でもなく、竹でできた長い棒――「竹箒」が握られていた。
「なんだ、メイドか?」
傭兵リーダーは嘲笑った。
「運がねぇな、嬢ちゃん。こんな場所で庭掃除とは」
「……」
「声も出ねぇか? 安心しろ、大人しくしてれば痛い目は――」
リーダーが手を伸ばしかけた時、少女――レナの目が、スゥッと細められた。
その瞳に宿ったのは、恐怖ではない。
絶対零度の「殺意」だった。
「……どいてください」
レナは静かに言った。
「貴方たちの吐く息、汚いんです。洗ったばかりのシーツに臭いが移ります」
その言葉に、傭兵たちの顔色が変わった。
馬鹿にされた。
プロの傭兵である自分たちが、たかがメイド風情に「汚い」と言われたのだ。
「あぁ? ナメてんのかアマ!」
「殺せ! 見せしめにしてやる!」
三人の傭兵が、一斉に剣を抜いて殺到した。
距離はわずか数メートル。
箒を持っただけの少女など、一瞬で肉塊に変わるはずだった。
だが。
レナは動じなかった。
彼女はゆっくりと竹箒を構えた。
剣道の構えではない。あくまで「ゴミを掃く」ための構えだ。
「ここは私たちがやっと手に入れた聖域よ。土足で踏み入るなんて……」
レナが踏み込む。
芝生が爆ぜた。
「万死に値するわ!!」
フォンッ!!
空気が破裂する音が響いた。
レナが竹箒を横に薙いだのだ。
たかが竹箒。
だが、その穂先が描く軌道は、音速を超えていた。
ベゴンッ!!
鈍く、重く、そして湿った衝突音がした。
斬撃ではない。
高速道路でトラックに撥ねられたような、「衝突事故」の音だ。
「が、はっ……!?」
先頭にいた傭兵の体が、「くの字」に折れ曲がった。
着込んでいた金属鎧が、紙細工のようにひしゃげ、胸骨ごと陥没する。
そのまま彼は、砲弾のように水平に吹き飛んだ。
「なっ……!?」
「ほう、き……?」
残された二人が理解する間もなかった。
レナは返す刀(箒)で、二人目の側頭部をフルスイングで叩いた。
パァン!!
乾いた音と共に、男が回転しながら空の彼方へ消えていく。
ホームランだ。
フェンスを越え、森の奥へと吸い込まれていった。
「ひ、ひぃぃッ!?」
最後に残ったリーダーが、尻餅をついて後ずさる。
化け物だ。
この女、ただのメイドじゃない。
「ま、待て! それはなんだ! その武器はなんだ!」
「これですか?」
レナは竹箒を片手でくるりと回した。
「ただの掃除用具ですよ。……主様が作ってくださった、『強化樹脂製・高密度竹箒』ですが」
そう。これは天然の竹ではない。
カイトが【クラフト】で生成した、分子構造が均一化されたカーボンファイバー並みの強度を持つ「スーパー竹箒」だ。
鋼鉄以上の硬度と、鞭のようなしなりを持つその凶器を、Sランクの身体能力(筋力)で振るえばどうなるか。
答えは、「質量兵器」となる。
「さあ、貴方も『燃えないゴミ』として処分しますね」
「や、やめろ! 俺は……!」
「問答無用。そこ、邪魔です」
レナが無慈悲に箒を振り下ろす。
リーダーは悲鳴を上げる間もなく、芝生の上を滑るように吹き飛ばされ、フェンスの外へと「掃き出」された。
ドササッ。
森の藪の中に落ちる音を確認し、レナはふぅと息を吐いた。
「……庭掃除、完了ね」
彼女は箒を止めない。
そのままのリズムで、芝生の上に落ちた傭兵の鎧の破片を掃き集め始める。
「あ、いけない。少し埃が舞ってしまったわ。シーツを叩いておかないと」
彼女にとって、今の戦闘は「大きなゴミを処理した」という程度の認識でしかなかった。
敵の命よりも、シーツについた埃の方が重大事なのだ。
◇
その一部始終を、リビングの窓から見ていた男がいた。
カイトだ。
彼は冷や汗をダラダラと流しながら、窓ガラスに張り付いていた。
「うわぁ……」
カイトの顔が引きつる。
「人間って、あんなに飛ぶんだ……」
ゴム弾で撃退した剛田たちとはわけが違う。
あれは物理的な破壊だ。
しかも、凶器は自分が「百均で売ってるようなやつ」をイメージして作った竹箒だ。
(……あれ、武器判定じゃないよね? 掃除用具カテゴリーで作ったはずなんだけど)
カイトが戦慄していると、庭のレナがこちらに気づいた。
彼女は満面の笑みで、箒を掲げてみせる。
そして、指で可愛らしく「Vサイン」を作った。
『主様! 綺麗に片付きました!』
そんな声が聞こえてきそうな、純真無垢な笑顔。
足元には、ひしゃげた鉄屑と、引きずられた人間の跡があるというのに。
カイトは引きつった笑顔で、親指を立てて返した(サムズアップ)。
「……うん。絶対に彼女を怒らせないようにしよう」
「トイレ掃除の当番、たまには代わってあげようかな……」




