第24話:白亜の城塞
「……なんだ、あれは」
剛田の唇がわなないた。
幻覚か?
それとも、ここが死後の世界なのか?
目の前にそびえ立っていたのは――「純白の壁」だった。
生物的な丸みがない。歪みがない。
定規で引いたような、完全なる「平面」と「直線」。
窯業系サイディングと呼ばれる工業製品の外壁が、規則正しい目地を描きながら、太陽の光を反射して神々しく輝いている。
「白い……。シミひとつない……」
剛田は呆然と呟いた。
この世界において「白」とは、骨の色か、膿の色だ。
だが、目の前の白は違う。
汚れを知らない、一点の曇りもない人工的なホワイト。
泥も、カビも、血管すら這っていない。
まるで、世界そのものがそこだけ切り取られ、別の次元から貼り付けられたかのような異質感。
「ミスリルか……? いや、あんなに巨大な板状のミスリルなど、国宝にもないぞ……」
同行していた商人のクロガネが、涎を垂らさんばかりに身を乗り出した。
彼の視線は、敷地を囲む「柵」に釘付けになっていた。
高さ二メートルの「アルミフェンス(シルバー)」。
等間隔に並ぶ、銀色の格子。
この世界の金属は、酸性の空気ですぐに赤く錆びつき、腐食する。
だが、そのフェンスは鏡のように磨き上げられ、周囲の醜い森をクリアに映し出していた。
錆びない金属。永遠の輝き。
「美しい……! あれは要塞か? それとも神殿か!?」
ゴロツキたちも、武器を下ろして見惚れている。
圧倒的な「文明の差」を見せつけられ、闘争本能よりも先に畏怖の念が湧き上がってきたのだ。
そして何より、剛田たちの感覚を狂わせたのは「空気」だった。
フェンスの内側。
そこだけ、空気が陽炎のように揺らいでいない。
澄み渡っている。
風に乗って、こちらの世界へ漂ってくる香り。
フワッ。
「……あ?」
剛田は鼻を鳴らした。
腐臭が消えた。
代わりに鼻腔を満たしたのは、甘く、爽やかで、どこか懐かしい香り。
――柔軟剤の香り。
洗濯物が風に揺れる時の、あの日向の匂い。
その匂いを嗅いだ瞬間、剛田の脳が混乱した。
ここは地獄の山頂のはずだ。
なのに、なぜ「お母さんに洗ってもらった毛布」のような匂いがする?
「なんだこの匂いは……。『花畑』なんてレベルじゃねぇ。もっと純粋な……清潔な……」
剛田は無意識に、自分の腕を掻くのを止めていた。
その匂いを嗅いでいる間だけ、痒みが引いた気がしたからだ。
「……カイトの、ボロ家……?」
剛田は記憶を探った。
確かに場所は合っている。座標はここだ。
だが、かつてここにあったのは、カビだらけの木造小屋だったはずだ。
それが、今はどうだ。
未来の要塞か、古代神の居城か。
圧倒的な質量と美しさで、下界を見下ろしている。
「カイトの野郎……! こんなもんを隠し持ってやがったのか!?」
驚愕は、瞬時にして激しい嫉妬へと変わった。
自分は泥水をすすり、皮膚が腐り落ちる痛みに耐えながらここまで来た。
なのに、あいつは。
無能と呼ばれたあの荷物持ちは、この白い城の中で、いい匂いの空気を吸って生きていたのか?
「ふざけるな……!」
剛田の目に、どす黒い炎が宿る。
「許せねぇ……。あいつは俺の部下だぞ。部下の財産はリーダーのものだろ……!」
商人のクロガネが、狂喜乱舞して叫んだ。
「素晴らしい! 見ろ、あの壁の素材! あの窓ガラスの平面度! 全てがロストテクノロジーだ!」
「中にはどれほどの宝があるんだ!? 薬どころじゃない、不老不死の秘術があるかもしれんぞ!」
その言葉が、剛田の背中を押した。
そうだ。あの中には「救い」がある。
そしてそれは、本来ならば自分が手にするはずのものだったのだ。
「行くぞ……! 奪い返すんだ!」
剛田はよろめきながら、吸い寄せられるようにフェンスへと近づいた。
汚れた手で、銀色の格子に触れようとする。
この指紋一つで、あの美しい鏡面を汚してやりたいという破壊衝動と共に。
「開けろ……ここを開けろォォォ!」
剛田が一歩、結界の境界線(青いグリッド)を踏み越えようとした、その時だった。
『ピピッ』
無機質な電子音が響いた。
生物の鳴き声ではない。冷たく、感情のない警告音。
『警告。登録されていない生体反応が接近中』
どこからともなく、合成音声が流れる。
剛田たちが顔を上げると、白い家の壁面に設置されていた「黒い球体(ドーム型監視カメラ)」が、ギョロリと動いた。
レンズの瞳が、侵入者たちを冷徹に捉える。
それは、平和な日常を守るための、無慈悲な防衛システムが起動した合図だった。




