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第21話:黒い噂と、蠢く悪意

 平和な午後だった。

 聖域の裏庭――かつてテニスコートだった場所で、俺はくわを振るっていた。


「うん、いい土だ」


 俺は額の汗を拭い、足元の土を手に取った。

 黒く、ふかふかで、適度な湿り気を含んだ培養土。

 スキル【クラフト】の「土壌改良」によって生成された、栄養満点の黒土だ。


 外の世界の地面は、酸性の泥か、脈動する肉のカーペットしかない。

 だが、ここには「土」がある。

 土があるということは、植物が育つということだ。


「これでやっと、サラダが食える」


 俺はニヤリと笑った。

 レトルト生活も悪くないが、やはりフレッシュな野菜の食感が恋しい。

 レタス、キュウリ、トマト。

 それらをキンキンに冷やし、ドレッシングをかけて食べる。想像しただけで唾液が出る。


 その時、庭のゲートが開く音がした。


「……帰ってきたか」


 俺は鍬を置き、玄関の方へと向かった。

 朝から買い出しに行っていたレナが、ちょうど結界の境界線を越えて戻ってきたところだった。


「ただいま戻りました、主様マスター……」


 レナの声には覇気がなかった。

 肩で息をしており、全身から疲労感が漂っている。

 そして、その背中には、彼女の華奢な体躯には不釣り合いなほどの、巨大な麻袋が担がれていた。


「おかえり、レナ」


 俺は彼女をねぎらいつつ、一番重要な質問を投げかけた。


「で、どうだった? 『マヨネーズ』はあったか?」


 レナの動きが止まる。

 彼女は麻袋をドサリと地面に下ろし、その場に膝をついた。

 悔しげに顔を歪め、地面に拳を突き立てる。


「申し訳……ありません……ッ!」


 悲痛な叫び。


「市場、商店、裏ルートまで探しましたが……『マヨ・ネーズ』なる秘薬は、どこにも存在しませんでした……! 私の力が及ばぬばかりに……!」

「マジか……」


 俺は天を仰いだ。

 卵と油と酢。材料は単純だが、この世界では「新鮮な卵」と「食用油」が超高級品なのだ。

 ましてや、それらを乳化させる技術など普及しているはずもない。


「くそっ、ドレッシングを自作するしかないか。酢と塩と油で……あ、油もねぇや」


 俺が心底がっかりしていると、レナがおずおずと麻袋の口を開いた。


「あの……お詫びと言ってはなんですが、ゴミ処理のついでに、少しばかりの『物資』を持ち帰りました」

「物資?」


 レナが袋を逆さにする。

 ジャララララララッ!!


 耳障りな金属音と共に、リビングのテーブル(傷つかないようにクロスを敷いておいた)の上に、大量の硬貨と石ころがぶちまけられた。


 プラチナ色に輝く硬貨の山。

 そして、虹色の光を内包した、拳大の宝石のような石。


「……なんだこれ」

「すみません……。大家さんの『ゴミ袋』と『水筒』を処分しようとしたら、商人が押し付けてきまして……」


 レナは申し訳なさそうに身を縮こまらせた。

 彼女にしてみれば、種と塩を買うためのお使いだったのに、余計な荷物(重い石と金属)を背負わされた形だ。


「これが、その……代金だそうです」

「へえ、結構高く売れたね」


 俺はプラチナ硬貨を一枚つまみ上げた。

 王国の最高額硬貨だ。これ一枚で、平民が一年暮らせると聞いたことがある。

 それが、山のようにある。

 日本円に換算すれば、数億円はあるだろうか。


 だが、俺の心は1ミリも動かなかった。


(Amazonも楽天も使えない世界で、金貨なんて何の意味があるんだ?)


 重いし、かさばるし、金属臭い。

 コースター代わりにするにもデコボコして使いにくい。

 俺は硬貨を放り投げ、次に「虹色の石」を手に取った。


「こっちは……魔石か?」

「はい。最高純度の魔石です。それ一つで、大魔法を数発撃てるほどの魔力が込められています」

「ふむ」


 俺は魔石を光にかざして観察した。

 俺のスキル【クラフト】や、家の設備(電気・水道)を維持するには、俺自身のMPを消費する。

 だが、外部魔力リソースがあれば、それを代替エネルギーとして使えるはずだ。


「なるほど。要するに『乾電池』か」


 俺は納得した。

 高容量のモバイルバッテリーみたいなものだ。


「ちょうどよかった。風呂の追い焚き機能を使いたかったんだけど、MP消費が激しいから我慢してたんだよな」

「お、追い焚き……?」

「あと、庭に設置予定の『自動迎撃タレット』の弾薬生成コストにも充てられる。うん、実用的だ」


 俺は魔石を鷲掴みにし、無造作に部屋の隅にある「バケツ」へと放り込んだ。

 ガラガラッ、という無遠慮な音。


「あ、あの……主様?」


 レナが引きつった笑みを浮かべている。


「それ、国家予算並みの魔力リソースなんですが……バケツに……?」

「電池置き場だろ? 分別は大事だ」


 俺は残りの金貨も「燃えないゴミ」として別の箱に突っ込んだ。

 そして、レナに手のひらを差し出す。


「で、種は?」

「あ、はい! こちらに!」


 レナが小さな紙袋を差し出す。

 中には、レタス、トマト、キュウリ、ナスの種が入っている。

 価格にして、銅貨数枚(数百円)。


「おお……! これだ! これこそが至宝だ!」


 俺は種袋を掲げ、歓喜の声を上げた。

 これがあれば、食卓に彩りが生まれる。ビタミンが摂取できる。シャキシャキ感を味わえる。


「ありがとうレナ! 大手柄だ! 今夜はご馳走にするぞ!」

「は、はい……!(数億円の魔石よりも、百円の種で喜ばれるなんて……さすが主様、無欲の化身……!)」


 レナは感動で震えていたが、俺は単に「金より野菜」という、極めて即物的な価値観で動いているだけだった。


 ◇


 一方その頃。

 拠点都市「第3セクター」の裏路地。

 腐った油と鉄錆の臭いが充満する一角に、悪徳商会「黒鉄屋くろがねや」の事務所があった。


 薄暗い部屋の奥で、肥満体の男が拡大鏡を覗き込んでいる。

 商会長のクロガネだ。

 ギルドで見た「ビニール袋」を振り返り分析していた。


 自然界には存在しない、人工の極致。


「これを独占すれば……食品流通、医療、軍事、すべてを支配できる」


 クロガネの目が、欲に濁った光を放つ。

 たった一枚の袋でこれだけの価値があるのだ。その製造法、あるいは製造拠点プラントを手に入れれば、世界の王になれる。


「おい。情報は?」


 クロガネが背後の闇に問いかけると、情報屋の男が現れた。


「へい。ギルドで水を売った銀髪の女ですが……西の山、『旧・多摩』の奥へ消えたとの目撃情報があります」

「西だと? あそこはSランク指定の死の森だぞ? 人が住める環境じゃねえ」

「ですが、女は確かにそこへ入っていきました。しかも、極めて軽装で」


 クロガネは葉巻を噛み砕いた。

 死の森の奥に、未知のテクノロジーを持った何者かが潜んでいる。

 交渉? いや、そんなまどろっこしいことはしない。

 相手が少数なら、奪えばいい。それがこの都市の流儀だ。


 バンッ!


 その時、事務所のドアが乱暴に蹴破られた。

 入ってきたのは、異臭を放つ集団だった。


「おいクロガネ! いるんだろ!」


 先頭に立つ男を見て、クロガネは眉をひそめた。

 男の顔半分は赤黒く腫れ上がり、皮膚が魚の鱗のように硬質化している。片目は白濁し、膿が絶えず滴り落ちている。

 全身にボロボロの包帯を巻いているが、隠しきれない腐臭が漂ってくる。


 かつて、この街で有望株とされていたCランクパーティ「紅蓮ぐれんの牙」。

 そのリーダー、剛田ゴウダの成れの果てだ。

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