第18話:はじめてのおつかい(Sランク厳戒態勢)
「野菜が足りない」
ビタミン不足という意味ではない。それはサプリメントで補える。
俺が求めているのは「食感」だ。
レトルトや缶詰、乾燥肉ばかりの生活では、あの「シャキシャキ」とした瑞々(みずみず)しい歯ごたえが得られない。
サラダが食べたい。
キンキンに冷やしたレタスや、真っ赤なトマトを、ドレッシングをかけて貪り食いたい。
俺は窓の外を見た。
裏庭には、かつてテニスコートだった平らな土地がある。あそこを畑に改造すれば、自家菜園ができるはずだ。土壌改良もスキルで一瞬だし、肥料も作れる。
問題は「種」がないことだ。
「レナ。ちょっといいか」
「はいっ! 何でしょう、大家さん!」
キッチンで洗い物をしていたレナが、濡れた手を拭きながら飛んできた。
今日の彼女は、俺のお下がりのTシャツではなく、動きやすい「ジャージ(上)」を羽織っている。
銀髪をポニーテールにまとめ、やる気満々だ。
「野菜の種も欲しい。あと、岩塩とか胡椒とかの調味料も切れそうだし」
レナの表情が引き締まる。
彼女にとって、これは単なる買い物ではない。主の食卓を豊かにするための、極めて重要な「補給任務」だ。
「承知いたしました! 主様の菜園のため、最高級の種子を奪取してまいります!」
「奪取じゃなくて購入な。金ならあるから」
俺は【アイテムボックス】から、換金用の魔石(小)をいくつか取り出して渡した。
これで十分足りるはずだ。
「それと、これを持っていけ」
俺は冷蔵庫を開け、一本のボトルを取り出した。
外の世界は気温四十度を超える灼熱地獄だ。熱中症で倒れられたら、俺の寝覚めが悪い。
「水分補給用だ。中身はただの水だから、遠慮なく飲め」
渡したのは、「500mlペットボトル(ラベルレス・軟水)」。
キンキンに冷えており、表面にはうっすらと結露が浮いている。
「……っ!?」
レナはそれを受け取った瞬間、息を呑んで硬直した。
「お、大家さん……これは……」
「ん? ただの水筒代わりだ。飲み終わったら捨てていいぞ」
俺は気楽に言ったが、レナの視点は違った。
彼女は震える手で、その「神の器」を掲げ、光にかざした。
(……透明だわ)
向こう側の景色が、歪みなく透けて見える。
クリスタルガラス? いいえ、もっと透明度が高い。
そして何より――軽い。
水が満タンに入っているはずなのに、容器自体の重さをほとんど感じない。まるで、水を空中で固定しているようだ。
さらに、彼女が注目したのは「蓋」だった。
キュッ。
試しに回してみる。軽い力で回り、カチリと外れる。
そして閉める。
キュッ、パチッ。
完璧に閉まる。
逆さにしても、振っても、一滴も漏れない。
(なんて……精密な機構なの……!)
外の世界の水筒といえば、革袋か、コルク栓をした陶器の壺だ。
当然、密閉性などない。走れば中身がこぼれるし、外気が入って水が腐る。
だが、この「ねじ込み式」の蓋はどうだ。
パッキンすら使わずに、素材の弾力だけで完全な気密性を保っている。
外界の汚染された空気を、完全にシャットアウトする魔法の封印。
「こ、これを私が……? 国王への献上品クラスの秘宝を、ただの『水筒』として……?」
「だから、百均だってば」
俺は呆れながら、さらにアイテムを追加した。
「あと、買った荷物を入れる袋が必要だな。外の麻袋とか革袋は、汚いから家の中に持ち込みたくない」
「は、はい。仰る通りです(外の袋など、この神殿には相応しくありません)」
「だから、これを使え」
俺は【クラフト】で生成した、薄く折り畳まれたシートを渡した。
カシャ、カシャ。
乾いた、軽い音がする。
半透明の乳白色をした、極薄の膜。
「45Lゴミ袋(高密度ポリエチレン製)」だ。
「ちょっと失敗してな。厚みを0.015ミリにしちゃったんだ。薄すぎて破れやすいかもしれないから、使い捨てでいいぞ」
俺としては、もっと厚手の0.03ミリを作りたかったのだが、材料とMP節約のためにケチってしまった失敗作だ。
だが、レナの反応は違った。
「0.015ミリ……?」
彼女は広げたゴミ袋に触れ、絶句した。
(髪の毛よりも薄い……。向こうが透けて見えるほどの薄膜……)
(それなのに、引っ張っても千切れない! 驚異的な粘りがあるわ!)
カシャカシャという音。
この湿りきった世界には存在しない、完全乾燥した物質の音。
彼女は袋の中に手を入れた。
空気が遮断され、手が温かい。
(完全防水、かつ完全気密……。これは『天女の羽衣』か、あるいは『ドラゴンの皮膜』を錬金術で加工した古代遺物だわ……!)
外の世界で、荷物を雨や湿気から守るには、分厚い油紙か、重い革で包むしかない。
それなのに、この袋はどうだ。
重さが「ゼロ」に近い。
丸めれば掌に収まるのに、広げれば大人一人分くらいの容量がある。
これが「魔法の袋」でなくて何だというのか。
「す、捨てていい、のですか……?」
レナは震える声で聞いた。
「大家さんは、この『無垢なる皮膜』を、使い捨てにするおつもりで!?」
「いや、だからゴミ袋だし。中に泥がついた野菜とか入れるんだろ? 洗うのも面倒だし、捨てればいいじゃん」
カイトの言葉は、あまりにも富豪的だった。
レナはゴクリと唾を飲み込み、その「ゴミ袋」を丁寧に、折り目がつくほど慎重に畳んだ。
そして、ジャージの懐――心臓に一番近い場所へとしまい込んだ。
(とんでもない……。捨てられるわけがない)
(これは、国宝よ。もし市場に出せば、城が一つ建つわ)
彼女の瞳に、決死の覚悟が宿る。
「わかりました。この袋と水筒……命に代えても守り抜きます」
「いや、守らなくていいって。破れたらまた作るし」
「傷一つ付けさせません。私が盾になります」
「……はぁ。まあ、好きにしてくれ」
俺は諦めて、彼女を玄関へと送り出した。
レナはジャージの上に、俺が洗濯してやったボロボロの(しかし清潔でいい匂いのする)外套を羽織った。
腰には愛剣(これも俺が研ぎ直してセラミックコーティングしたやつ)を差す。
その姿は、ただの買い出しに行く主婦ではない。
最終決戦に赴く、伝説の勇者のようだった。
「いってらっしゃい。あ、そうだ」
俺は最後に一つ、重要なことを思い出した。
「ついでに、もし売ってたらでいいんだけど、『マヨネーズ』があったら買っといて」
「マヨ・ネーズ……?」
レナが復唱する。未知の単語だ。
「卵と油と酢を混ぜた調味料だ。サラダにはドレッシングもいいけど、マヨも捨てがたいんだよな」
「……ッ! 承知いたしました!」
レナは敬礼した。
「卵(貴重品)と油(貴重品)を錬成した、幻の調味料『マヨ・ネーズ』……! 必ずや確保してまいります!」
彼女は結界の切れ目から、外の荒野へと駆け出した。
その背中は、悲壮なまでに真剣だった。
俺はフェンス越しに彼女を見送り、肩をすくめた。
「……マヨネーズ、あるかなぁ。この世界、卵の管理が悪そうだからサルモネラ菌が怖いんだよな」
俺が心配しているのは、あくまで「食中毒」のリスクだけ。
一方、レナが懐に入れた「ゴミ袋」と「ペットボトル」が、街の経済を根底から覆す「爆弾」になることなど、知る由もなかった。
「ま、帰ってきたらサラダだ。楽しみだな」
俺は鼻歌交じりにリビングへと戻り、ゲームの続きを始めた。
平和な午前中だった。




