第17話:ゴミから生まれる至宝
平和な朝の光が、リビングの白いクロスを照らしている。
室温二十四度、湿度五十パーセント。
完璧に管理された聖域の中で、俺、柏木カイトは深刻な悩みを抱えていた。
目の前にあるのは、寸胴鍋に入った「残り物のカレー」だ。
「……困ったな」
昨日の晩餐でレナと二人で食べたが、さすがに業務用寸胴いっぱいのカレーは食べきれなかった。
問題は、この残りをどうするかだ。
鍋ごと冷蔵庫に入れる?
いや、それは俺の美学に反する。場所を取るし、何より鍋の蓋は密閉性が低い。
冷蔵庫の中にカレーの匂いが充満し、製氷機の氷に匂い移りでもしたら大惨事だ。
かといって、常温で放置すればウェルシュ菌が繁殖する。
「保存容器が欲しい」
俺は切実に呟いた。
四角くて、冷蔵庫のデッドスペースを作らず、完全に密閉できるプラスチックの容器。
かつての日本では百円ショップで山積みになっていた、あのありふれた道具が、今は喉から手が出るほど欲しい。
だが、この家の備蓄にはなかった。
ならば、作るしかない。
「レナ。ちょっといいか」
「はいっ! 何でしょう、大家さん!」
廊下の雑巾がけをしていたレナが、犬のように駆け寄ってくる。
今日も彼女は元カイトのTシャツ姿だ。労働の汗が輝いている。
「素材が欲しいんだ。有機物系の」
「素材、ですか? それなら玄関に置いてあります。昨日、私が『庭掃除』で駆除した害獣の残骸ですが……」
俺たちは玄関へと向かった。
土間の隅に、きちんと洗浄・消毒された「ゴミ」が積まれている。
マッド・ボアの牙。
アシッド・ウルフの大腿骨。
キラー・マンティスの鎌。
外の世界の冒険者が見れば「宝の山」かもしれないが、俺には「不気味な骨董品」にしか見えない。
黄色く変色し、根本には乾いた組織片がこびりついている。
「うーん、キモいな」
「最高級の素材ですよ? この牙一本で、鉄の鎧を貫く槍が作れます」
レナは誇らしげだが、俺はトングで牙をつまみ上げた。
「よし、これをリサイクルしよう」
「え? 武器になさるのですか?」
「いや、もっと生活に必要な『最重要アイテム』に変える」
俺は牙と骨をいくつかリビングに持ち込んだ。
テーブルの上に並べる。
グロテスクな有機物が、清潔なテーブルの上にあるだけで違和感がすごい。
「始めようか」
俺は右手をかざした。
脳内で設計図を展開する。
イメージするのは、石油化学工業の結晶。
スキル発動:【物質変換】
「ちょ、大家さん!? それは私の愛剣の修理に使おうと思っていた一生物の……!」
レナが慌てて止めようとするが、遅い。
俺の掌から、幾何学的な「青いグリッド線」が放たれる。
ブォン……。
光が牙を包み込む。
物質を構成する原子の結合が、強制的に解かれていく。
有機物とは、主に炭素(C)、水素(H)、酸素(O)、窒素(N)、そしてカルシウムなどで構成されている。
牙も、プラスチックも、元素レベルで見れば材料は同じだ。
ただ、配列が違うだけ。
俺は炭素鎖を繋ぎ変える。
カルシウムなどの不純物を取り除き、純粋なポリプロピレン(PP)の分子構造へと再構築する。
取り除いたカルシウムやミネラル分は、再結晶化させてセラミックスへ。
光の中で、歪で黄ばんだ牙が溶け、形を変えていく。
ノイズが走り、新たな「製品」が出力される。
シュゥゥ……。
光が収まった。
そこにあったのは、猛獣の牙ではない。
半透明で、乳白色の輝きを放つ「保存容器(大・中・小の3個セット)」。
そして、真っ白でツルツルした「セラミックの平皿」。
「……え?」
レナがぽかんと口を開けている。
俺は出来たてのタッパーを手に取った。
まだほんのりと温かい。
「よし、成功だ。ポリプロピレン製、耐熱温度140度。電子レンジも食洗機もOKだ」
「あ、あの……大家さん……?」
レナが恐る恐る、テーブルの上の物体を指差す。
「その……透き通った箱は……何ですか? ガラス、にしては柔らかそうで……」
「ん? ああ、見ててみろ」
俺は寸胴鍋からカレーをお玉ですくい、タッパーの中に流し込んだ。
とろりとした茶色の液体が、半透明の容器に満たされる。
そして、青い縁取りのついた「蓋」を被せる。
四辺にあるロック機構。
パチン、パチン、パチン、パチン。
四回。
小気味よい音がリビングに響いた。
シリコンパッキンが容器の縁に密着し、空気を締め出す音。
「はい、密閉完了」
俺はタッパーを持ち上げ、レナの目の前で――逆さにした。
「ひぃっ!?」
レナが悲鳴を上げてのけぞる。
カレーがこぼれると思ったのだろう。床が汚れる、と。
だが、一滴も漏れない。
重力に逆らい、茶色い液体は空中で留まっている。
匂いすらしない。
「う、そ……?」
レナは目を見開き、凝固した。
「こぼれない……? 逆さなのに? 蓋を押さえてもいないのに?」
この世界における「保存容器」といえば、素焼きの壺に木の蓋をするか、動物の胃袋に詰めて紐で縛るくらいしかない。
当然、傾ければ漏れるし、密閉性など皆無だ。すぐに中身は腐り、虫が湧く。
だというのに、目の前の物体はどうだ。
中身が透けて見えるほどの透明度を持ちながら、完全なる「空間断絶」を実現している。
「ふ、封印の魔道具……!?」
レナの声が震える。
「空間を隔離し、時間の経過すら遅らせるという、伝説の『時の牢獄』……! まさか、獣の骨からそれを錬成なさるなんて!」
「いや、百均のタッパーだ」
「タッ・パー……? 古代語でしょうか……」
レナは俺の手からタッパーを恭しく受け取ると、頬ずりせんばかりに眺め回した。
「軽い……羽のように軽いです。それに、この滑らかな手触り……」
「まあ、便利だろ? 冷蔵庫の中で積み重ねられるし」
「積み重ねる!? こ、こんな国宝級の秘宝を、いくつも!?」
レナは戦慄していた。
彼女の計算では、この「中身が見えて、絶対に漏れず、腐らない箱」一つで、王都の一等地にある屋敷が買える。
それを、残り物のカレーを入れるためだけに使い捨て(に見える)にするなんて。
「大家さんの財力と技術力は、底が知れません……」
彼女が拝むようにタッパーを冷蔵庫にしまっている間に、俺は調子に乗って残りの素材も変換した。
アシッド・ウルフの骨は、「白い深皿」と「マグカップ」に。
キラー・マンティスの鎌は、「セラミック包丁」と「ピーラー」に。
あっという間に、テーブルの上はIKEAかニトリのショールームのようになった。
統一された白のデザイン。清潔感の塊。
「あ、そうだ。これも作っておこう」
俺は余った端材のカルシウムと炭素を使って、白いスポンジ状の物体を生成した。
「メラミンスポンジ」だ。
「レナ、これやるよ」
「これは……豆腐ですか? 硬いですが」
「『激落ちくん』みたいなやつだ。水をつけてこすれば、頑固な水垢も一発で落ちる」
「なんと!」
レナの目が、戦士の目になった。
彼女にとって、水回りの水垢は「倒すべき強敵」だったからだ。
「素晴らしい……! 研磨剤なしで汚れを削り取る魔剣ですね! これなら蛇口の裏側も攻略できます!」
「ああ、頑張ってくれ」
俺は満足して頷いたが、ふとテーブルの上を見て眉をひそめた。
「……あー、素材が尽きたな」
牙も骨も、使い切ってしまった。
だが、まだ作りたいものがある。
収納ボックスとか、ハンガーとか。
何より、一番重要な消耗品――「ゴミ袋」のストックがない。
清潔な生活を維持するためには、汚れたものを密封して捨てるためのポリエチレン袋が必須なのだ。
「困ったな。もっとプラスチック(の原料)が欲しい」
俺が独り言ちると、レナがガバッと顔を上げた。
「行きましょう、大家さん!」
「へ?」
「街へ! 素材回収のクエストです!」
レナは鼻息も荒く提案した。
「この家の周りのモンスターは狩り尽くしてしまいました。ですが、最寄りの『第3セクター』の市場に行けば、下級冒険者が持ち込んだ素材が山のようにあります!」
「街かぁ……」
俺は渋った。
外に出たくない。人と会いたくない。
だが、ゴミ袋の在庫切れは死活問題だ。
それに、ずっとレトルトや缶詰ばかりで、新鮮な野菜の種や調味料も欲しいと思っていたところだ。




