第16話:家政婦(ガーディアン)契約
リビングのローテーブルを挟んで、俺とレナは対峙していた。
俺の手には、氷の入った冷たい麦茶。
レナの手は、膝の上で強く握りしめられている。
「……さて」
俺はグラスを置き、少し冷めた目で彼女を見た。
「いつ出ていく?」
「嫌です」
即答だった。
Sランク冒険者としてのプライドは、さっきのカレーと一緒に消化されたらしい。
彼女はガバッと立ち上がった。ダボダボのTシャツが揺れる。
「置いてください! 私には利用価値があります!」
レナは必死のプレゼンテーションを開始した。
これは就職面接だ。落ちれば、外(地獄)への追放処分が待っている。
「私はSランク探索者、二つ名は『鮮血のレナ』。剣技スキルはレベルMAX、身体強化魔法も達人級です!」
「へえ」
「この家の外は危険です。どんな強力な結界でも、物理的な破壊には限界があるはず。私が『番犬』になります!」
彼女は胸を張った。
自信満々の提案だ。
外の世界であれば、「全財産の半分をやるから専属になってくれ」と懇願する条件だろう。
「貴方の寝首を掻こうとする敵を、私が全て斬り捨てます! 貴方が寝ている間、一睡もせずに見張ります!」
力強い宣言。
だが、俺は欠伸を噛み殺しながら、手元のスマホを操作した。
「うーん、要らないかな」
「え?」
「だって、機械のほうが優秀だし」
俺はスマホの画面を彼女に見せた。
ホームセキュリティアプリの管理画面だ。
ピピッ。
その時、ちょうどアラートが鳴った。
画面には、敷地の外縁部が映し出されている。
森の中から、「マッド・ボア(泥イノシシ)」が突進してくるところだった。
体長三メートル。戦車のような突進力を持つモンスターだ。
「あ、危ない!」
レナが叫び、架空の剣を抜こうとする動作をする。
だが、俺はソファに座ったまま、画面上の赤いボタンをタップした。
「ポチっとな」
シュンッ!
窓の外から、短く、風を切るような音が聞こえた。
画面の中のイノシシが、唐突に崩れ落ちる。
眉間に小さな穴が空いていた。即死だ。
「え……?」
レナが呆然とする中、俺は淡々と説明した。
「【自動追尾タレット・対物ライフル仕様】。センサー有効範囲五百メートル。命中精度99.9%。24時間稼働」
俺は冷徹な計算式を突きつける。
「機械は眠らない。裏切らない。文句も言わないし、飯も食わない」
「……っ」
「君を雇うと、食費がかかる。光熱費もかかる。もし怪我をしたら治療もしなきゃいけない。人間っていうのは、『維持費』が高すぎる生体ユニットなんだよ」
コスパが悪い。
その一言が、レナの心臓を貫いた。
「私の剣技が……自動小銃以下……?」
彼女のアイデンティティが崩壊する音がした。
生涯をかけて磨き上げた剣の道が、スマホのワンタップに敗北した瞬間だった。
カイトはグラスの結露を指で拭いながら、決定的な言葉を口にしようとした。
「というわけで、残念ながら不採よ――」
「ま、待ってください!」
レナがテーブルに身を乗り出した。
顔面蒼白。瞳孔が開いている。
ここで食い下がれなければ、死ぬ。あの湿気と悪臭の世界に戻るくらいなら、ここで首を吊ったほうがマシだ。
(何か……! この人が『面倒くさい』と思っていることを探さなきゃ!)
(戦闘以外で、私にできること……!)
彼女は血走った目で部屋を見渡した。
完璧に片付いた部屋。
埃一つない床。
……いや、待て。
キッチンのシンクに、さっき飲んだコーラのコップが置かれている。
ゴミ箱には、レトルトカレーの空き箱が入っている。
これだ。
「か、家事! 家事をやります!」
レナは叫んだ。
「掃除、洗濯、料理……貴方の身の回りのお世話を、私が全部やります!」
(剣しか握ったことないけど! 料理なんて肉を焼くくらいしかできないけど! やるしかない!)
「家事?」
俺の眉が、ピクリと動いた。
初めて、興味を示した反応だった。
「……そういえば、この家は広すぎるんだよな」
俺は独り言ちた。
スキル【無機物保存】を使えば、一瞬で浄化はできる。
だが、それにはMPを消費する。
それに、ゴミ箱のゴミをまとめたり、洗濯物を畳んだり、脱ぎ散らかした服を片付けたりといった「細かい雑務」までは自動化できない。
特に、水回りだ。
トイレ掃除や風呂掃除。
俺は潔癖症だからこそ、他人の汚れはもちろん、自分の汚れを見るのも嫌だった。
掃除は好きだが、「汚れた状態を見る」というプロセスが苦痛なのだ。
「君、トイレ掃除できる?」
俺は試すように尋ねた。
外の世界の住人が、汚物処理を嫌うことは知っている。
だが、レナは即答した。
「なめます! いえ、舐めるように綺麗にします!」
「やめろ汚い。舐めるな。アルコールで拭け」
俺はドン引きしたが、その覚悟(必死さ)は伝わってきた。
Sランク冒険者が、トイレ掃除を志願する。
プライドをかなぐり捨ててでも、この「快適な環境」にしがみつきたいという執念。
(……まあ、タレットと違って、人間には『融通』が利くか)
背中が痒い時にかかせたり、話し相手になったり。
それに何より、俺が掃除した完璧な部屋を「すごい」と褒めてくれる観客がいるのは、悪い気分じゃない。
「……わかった。採用だ」
俺が言うと、レナはその場に崩れ落ちた。
安堵のあまり、腰が抜けたらしい。
「ただし、試用期間ありだ。一度でも手を抜いたり、部屋を汚したりしたら即解雇(追放)する」
「はいっ! ありがとうございます、主様……! いえ、大家さん!」
俺は立ち上がり、クローゼットから「神器」を取り出した。
「これが君の新しい武器だ」
手渡したのは、剣ではない。
ダイソン的な、コードレス・サイクロン掃除機。
そして、新品の雑巾とバケツ。
「契約条件は、衣食住の完全保証。および、一日一回の入浴権の付与。給与は現物支給(美味しいご飯)とする」
「破格の待遇です……! S級パーティーより好条件です!」
レナは掃除機を、まるで聖剣のように恭しく受け取った。
トリガーを引くと、「キュイィィィン!」という高音が鳴る。
「す、すごいです……! 風属性の魔剣より凄まじい吸引力!」
「吸い込むなよ、服とか」
こうして、奇妙な雇用契約が結ばれた。
◇
翌朝。
俺が寝室から出てくると、廊下には爽やかな朝の光が差し込んでいた。
そして、そこには一人の少女の姿があった。
ダボッとしたグレーのTシャツに、紺色のジャージ。
長い銀髪をポニーテールに結い上げ、腕まくりをしている。
レナだ。
彼女は四つん這いになり、廊下の雑巾がけをしていた。
「ふふっ、ふふふ〜ん♪」
鼻歌が聞こえてくる。
普通なら苦痛でしかない雑用労働。
だが、彼女の表情は、舞踏会で踊る令嬢よりも輝いていた。
(……楽しいのか?)
俺はあくびをしながら観察する。
彼女にとって、この作業は「労働」ではなかった。
「喜び」だった。
床を拭く。
雑巾が黒くならない。泥がつかない。
ただ、微細な埃が取れて、ワックスの輝きが増すだけ。
膝をついても痛くない。ささくれが刺さることもない。
何より、この作業をしている間は――「この家に居ていい」と認められている。
自分の居場所が、ここにある。
ピカピカに磨き上げられた床に、彼女の笑顔が映り込んでいた。
「おはよう、レナ」
俺が声をかけると、彼女は弾かれたように顔を上げた。
額に汗を浮かべ、満面の笑みで振り返る。
「おはようございます、大家さん!」
「精が出るな。……朝飯、トーストでいいか?」
「はいっ! バター多めでお願いします!」
彼女は立ち上がり、ビシッと敬礼した。
その手には、血濡れた剣ではなく、白い雑巾が握られている。
「廊下、ピカピカにしておきました! 埃検知ゼロです!」
俺は輝く廊下を見て、満足げに頷いた。
悪くない。
一人の静寂もいいが、こうして自分の「聖域」を共有し、維持してくれる仲間がいるのも。
「よし。じゃあ、飯にしよう」
俺はキッチンへと向かう。
背後からは、パタパタという軽い足音がついてくる。
外の世界は、相変わらず腐臭と悲鳴に満ちた地獄だ。
だが、この半径二十メートルの結界の中だけは、今日も平和で、清潔で、美味しい匂いに満ちている。
俺たちの「引きこもりスローライフ」は、まだ始まったばかりだ。




