住むところを見つけるのは難しい
しかし、仕事当日から、目が回るくらい忙しくて、引越しのことなど考えられなくなった。
私は、田舎出身でしかも平民。
沢山の本な並んでいるところを見たことがなかったから、書棚のルールから教えてもらう。
植物の分類ごとに棚が違う事や、本のタイトル順に並べると説明を受けた。
背表紙についた記号は分類を、番号は棚番号とシリル様が丁寧に教えてくれる。
棚の順番を聞き、何が納められているのか、一つ一つを聞いていく。
一つの棚だけで1日かかってしまった。
メモを取りながら、過ごす毎日。
忙しいしクタクタになるし、気位の高い貴族の学生からは無視されるけれど、それでもダイナーで働いていた時よりは楽しい。
勤務を初めて5日経った日の事だった。
安宿に帰ると、部屋の様子が変だ。
洋服がハンガーから落ち、ベッドマットが捲られた跡がある。
備え付けの棚の引き出しが半開きだし、クローゼットに置いておいた当面の食糧である缶詰が無くなっている。
部屋を荒らされたんだ!
貴重品は自作の魔法バックに入れて、肌身離さず持っているから盗られてはいないけど、就寝中に入られたらひとたまりもない。
受付に行って、部屋を荒らされたと訴えたけど、取り合ってはもらえなかった。
もしかしたら、学園のローブで帰ってきたところを見られて、金持ちだと勘違いされたのかもしれない。
お金持ちがこんな安宿に泊まるなんて考える方がバカよ。
どうすればいいのかしら。自分の身を守るのは自分しかいない。
荒らされたと気がついたら、怖くて眠れない。
慌てて荷物をカバンに詰め込んで、すぐチェックアウトをした。
一週間分前払いしていたが、返金をお願いしてもお金も返ってこない。
本当に最悪だけど、ここにはいたくない。
宿を出て、どこにいけばいいのか考える。
頼れる相手なんていないし、知っているお店や場所も少ない。
今日は週末で、どこも宿屋はいっぱいだ。
街を彷徨い歩いて、結局辿り着いたのは、サンドロペ魔法学校だった。
薄暗くて廊下を歩く人もまばらな学園に、ローブを着て入る。
西門は誰もないない。
建物は灯りが消えていた。
ガラス扉をゆっくりと押して中に入ると、ふわりと明るくなった。
人を感知して灯るようだ。
薬草棚の間で寝ていても、きっと誰にもバレないわ。
朝になったら、誰かが来る前にいなくなればいいのよ。
そう考えて、長い廊下を歩く。
足元の間接照明が灯っているが、天上の灯りは消えたままだ。
幸い、ベルツ研究室の天井の明かりが消えていたので、もう皆帰ったようだった。
各研究室には、まだ作業をしている人がいるようだが、ここには誰もいない事に安堵する。
薬草釜の前を通り、薄暗い本棚の間に入った。
本棚と本棚の間にブランケットを敷いて、丸まって寝ようとした時だった。
「クリスティーナ?」
私がいる通路を、シリルが覗き込んだ。
「いつも遅くまで復習しているけどさ、もう9時だよ。帰らなきゃ」
能天気に話しかけてくるシリルを見て、何故か涙が込み上げてくる。
「シリル様」
「他の学生は帰ったからさ、2人の時は呼び捨てでいいよ」
こらえていた涙が、頬を伝った。
「あの…帰る場所がないの。今まで…安い宿に泊まっていたんだけどね。仕事に来ている間に、部屋を荒らされたの」
溢れ出した涙は止まらない。
「えっ?えええ」
シリルは、涙が止まらない私を見て狼狽している。
「もう、宿には戻りたくないけど、新しい宿も見つけられないのよ」
嗚咽が漏れて、涙から次から次へと溢れ出す。
涙を止めようと思えば思うほど、次から次へと涙が出る。
シリルは私が落ち着くまで、背中を撫でてくれた後、私の手を引いて立ち上がらせてくれた。
「クリスティーナ、とりあえず椅子に座ろう」
作業台の側の椅子に座らせてくれた。
「お腹空いてるでしょ?」
薬草釜にガラス鍋をセットして、水を注ぎ、シリル専用の資料棚からパスタを出して茹でる。
その間に、薬草棚からカモミールを出して、お茶を作ってくれた。
「魚の缶詰を入れて。調合用の塩と、ハーブと、菜種油を拝借。美味しくなくても、文句は受け付けないから」
食器が無いので、調合用のガラス皿だ。
使い捨てのフォークはパスタと同じ引き出しから出してくれた。
「カモミールとかハーブとか勝手に使ってもいいの?」
「少量だからバレないよ。って、誰にも内緒だよ?」
「平民の私と、まともに話してくれる人は少ないから大丈夫。言う相手なんていないわ」
シリルはにっこり笑うと、メガネを外して、胸ポケットに入れる。
メガネに隠れて見えていなかった、薄い水色にも灰色にも見える大きな瞳がはっきりと見えた。
「来客用のカップは使えないから、ビーカーでごめん」
メモリのついた小さなビーカーを差し出されて受け取る。
「ちゃんと洗浄してあるから、大丈夫だよ」
「パスタと魚の缶詰は何で持っているの?」
「この前買ったのに、持って帰るのを忘れたんだよ。パンもあるんだけど、もうとっくに干からびちゃってて」
力無く言うシリルを見ていると、少しだけ元気が出て、フフフと笑った。
「シリルはいい人ね。ここの仕事に就けたのも、シリルのおかげだし」
「クリスティーナの実力だよ」
「このパスタとお茶、見た目よりも美味しい」
「食器じゃなくて、器具でごめん」
窓から見える校庭は薄暗いが、時折、帰宅する人が見える。
「ここって都会の真ん中だと思えないくらい、緑が見えるわ」
「貴族籍がある人しかいないからだよ。『最高級の人材には、最高級の場所を』って事かな」
「ふーん。なるほどね」
塀の奥にそびえる高層ビルの灯りがガラスに反射してキラキラと眩しい。
「都会にはどれだけの人が住んでいるのかしら?この街だけで、ニドルセント領の全人口が住んでいるかもしれないわね」
「もっとだよ。ニドルセント領は、領民が少ないところだからね。都会は人が多い分だけ落とし穴も多い。みんなこの街にのまれないように生きているんだよ。僕も、君もね」
「街にのまれないように…。確かにそうね。さっきよりは元気出たわ。どうにかして宿を探そう」
住む場所を探すのを後回しにしていたからだわ。
「あの。もしも、どんなに探しても住むところが見つからなかったら、しばらくなら僕の家に住むといいよ」
シリルが控えめな笑顔を見せる。
「シリルの所に住めるの?なら、安心だわ。是非住まわせてよ」
「下宿先やアパルトマンが見つからなかったらの最終手段だよ」
「え?最善の下宿先じゃない。お願いよ。シリルの家に住みたいの。家賃は言い値を払うわ」
「僕の家は狭いし、物置になっている部屋だし…。それにね。ちゃんとした下宿先とかが見つかるならそっちの方が絶対にいいよ」
「そんな事ないわ。シリルの家がベストよ」
「うーん。もしも本当に住むところが見つからなければ、ね?」
「私、シリルのところがいいの!何でそんなに勿体ぶった態度なの?」
「クリスティーナは未婚の女性で、僕も未婚。ウチは貴族だけど、残念ながら使用人はいない。これって問題でしょ?」
「何が問題なの?シリルは私のお兄ちゃんみたいな人だもの。1歳年上だし、仕事を見つけてくれて、世話を焼いてくれる。これって完全に兄よね?」
「まあ、…そう…だけど。他の人はそうは思わないでしょ?」
「そんな事ないよ。困っている人を助けているいい人だねって思うわ」
「それはないよ。ウチは、父が事業に失敗してね。借金を精算するために、爵位と小さな領地を僕が引き継ぐ形を取ったんだ。だから、使用人がいないんだよ。そこにクリスティーナが住むとなると問題だよ」
「難しくてよくわからないわ」
「屋敷の中は空っぽ。使用人はいない。住人は僕だけ。ね?ちゃんとした下宿を探した方がいいよね」
「雨風は凌げるのよね?それだけで最高よ。家賃を払うから、お願い!」
「家具も何もないし、使用人も誰もいないんだよ?設備も古いから、夏は暑いし、冬は寒いよ?」
「それでもいいの。お願いよ。シリルなら、私から何も盗らないってわかるもの」
強い押しに負けたのか、シリルは仕方ないなぁと言いながら片付けを始めた。
私は住むところが見つかったので、ウキウキして片付けを手伝う。
「ここでご飯を食べた証拠全部隠滅したね?よし。じゃあ行こう。まあまあ歩くよ?」
「大丈夫。歩くのは得意だから」
田舎者だから馬車に乗る習慣がない。
「じゃあ、うちに住むための決まりを作るよ」
「わかった。何でも守るわ」
「動物は飼っちゃダメ、友達を泊めるのもダメ。もちろん、恋人が出来ても部屋に泊めちゃダメだよ」
「異性を部屋に泊めるなんて、あり得ないわよ!シリルって貞操観念どうなっているの?」
「え?クリスティーナは、保守的なんだね。ごめん。貴族は多いよ?恋愛観念が自由でオープンな人」
「貴族の風紀を取り締まらないとダメね」
「フフフフ。面白いね」
「シリルもオープンなの?」
「僕は古風なタイプだから、違うよ。僕も誰も泊めないよ」
「お互いのルールなのね」
「あのね、誰も泊めないで欲しいのは、僕が貴族らしからぬ生活をしている事を誰にも内緒にして欲しいからだよ。貴族の友人たちは、ウチの現状を知らないんだ。貴族は見栄を張る生き物でね」
「大変だね」
「まぁ大変だよ。見栄を張り続けるのはお金がかかるから」
色々な話をしながら、歩いた。
歩くのは平気だけど、土の道を40分歩くよりも石畳の道を40分歩く方が疲れることを、都会に来てから知った。
「ここだよ」
廃れた感じも寂れた感じもない、住宅街の一角だった。
「クラッシックな建物ね」
「古いだけだよ。周りの建物は最新建築が多いでしょ?」
「でも素敵よ」
「フォローありがとう」
鉄製の門を開けて中に入り、建物前まで来た。
大きな玄関の扉を開けて中に入る。
シリルは魔法で少し明るくして、玄関横の部屋に案内してくれた。
壁際のスイッチを入れると、ジジジと音がして、クラシカルな魔法ランプが一斉に灯る。
古いランプだけど、勤めていたダイナーのランプとは違い凝ったデザインですごく素敵。
室内は大きな絵画があり、応接セットが置かれていた。
壁紙も上等で、この一部屋だけですごくお金がかかっているのがわかる。
「ここはサロンといって、来客用の客間なんだ。貴族院の人とかが来た時に通す部屋。だから、ここに荷物は置かないでね」
柔らかい灯りで室内が照らされ、豪華な壁紙や細やかな織物のカーテンが浮かび上がった。
「わかったわ。素敵なお屋敷ね。扉や窓なんて凄く凝ったデザインだわ」
孤児院に住んでいる時、一度だけ領主様主催の子供向けのパーティーに出たことがあったわ。
その時に見た豪華なお屋敷を思い出して懐かしくなる。
「ここは本館で普段は掃除にしか来ないんだけど、ちょっと貴族っぽい物を見せたかったんだよ」
「すごい立派でびっくりしたわ」
「本館にある家具はこれだけ。あとはどの部屋も空っぽだよ。全部売り払ったんだ。本当の住まいは門番小屋だよ」
門の横にある建物を指さされて、本館から出た。
案内された門番小屋は、一階にリビングと部屋が2つ。2階に見張り台のある建物だった。
「代々、門番家族が住んでいたんだよ」
中に入ると、使い込んだソファーとロッキングチェア、木製のテーブルがあり、奥にはキッチンが見える。
キッチン横の棚にはハーブやお茶などが綺麗に並べられ、コンロには色褪せたホーロー製のヤカンが置いてあった。
奥はバスルームのようで、タオルが干してあるようだ。
「キチンとしているのね。居心地良さそう」
「たまに姉が様子を見にくるからね。散らかしていると怒られるんだよ。ところで、クリスティーナは荷物をほとんど持っていないんだね」
「そんなことないわ。私の荷物はコレだもの」
不恰好な手作りの鞄を見せると、シリルはにっこりと笑った。
「ニドルセント領から出てきたんだから、荷物は少なくて当然だね。右は僕の部屋。勝手に開けないで。左は今は物置にしているんだけど、この部屋を使えばいいよ」
部屋を開けてもらって中に入る。
古いベッドマットは壁に立てかけてあり、荷物が入っているであろう木箱が雑多に置かれていた。
「この箱は、普段は使わないものが入っているから、ベッドの土台として使うね」
シリルが箱を並べ、その上にベッドマットを置いてくれた。
「まだ箱が数箱あるけど、我慢してくれる?」
「もちろんよ。台として使うわ」
「椅子とか必要な物は明日蚤の市があるから買いに行こうか」
「蚤の市!楽しそう。服もあるかしら?古臭い服しか持ってないのよ」
「布団も無くてごめん」
「明日、蚤の市で買うわ」
「じゃあお休み」
「おやすみなさい」
ドアを閉め、カバンからラグを出してベッドマッドに敷いた。
カーテンのない窓の外に見えるのは、真新しい建築物群の光だ。
布団もないベッドに寝転んで、安心して目を閉じる。
ニドルセント領から出て、初めて安心して眠れる夜だった。




