第1話 嗜好というか本能の問題
俺はその日も、いつも通り、殺風景な白い大理石に囲まれた広大なリビングルームで、人間が書いた本を読んでいた。
この部屋は母の好みで、室内のほとんどが白色で埋め尽くされている。床、壁、家具、天井、ほぼ全てが真っ白だ。
俺は本を読むのが好きだ。暇さえあれば本のページをめくっている。
今日も本を読んで、人間のことを学んでいる。
母から、人間のことが知りたいなら、人間が書いた本をたくさん読みなさいと聞かされていたからだ。
ほとんどの魔族は文字を扱えないので、本の存在しない俺たちの世界は退屈だった。
でも、俺は人間の文字をおぼえ、そして数々の本を手に入れた。俺は未来を夢見て、努力する今が楽しい。これからもっと楽しくなるだろう。
「あ、サイガ様、また、本ですか。いつも本ばかり読んでますね」
そう俺に聞いたのは俺の親父である魔王の部下、スミーガンデだ。彼は三カ月前から俺の護衛を担当している。俺は今、この巨大な魔王城に住んでいるので護衛など必要ないと思っているが、彼を護衛に任命した親父は俺の想像以上に過保護な考えを持っているらしい。
「サイガ様はもう十八歳ですよ。毎日、引きこもって、くだらない本ばかり。戦闘や女に興味はないのですか?」
スミーガンデは普段は物静かなのに、今日は鬱憤でも溜まっているのか、俺に対して嫌に噛みついてくる。まあ、彼には俺の生きる目的みたいなものをまったく説明していないから無理もない。
「戦闘はともかく、女には興味あるよ。でも、俺は、ほら、こんな姿だから、魔族の雌はちょっとね。好きじゃないんだ。それでね、俺は人間の女の子にすごく興味があるんだ。だから、こうして、本を読んで人間のことを勉強している。人間の言葉や知識を知ってないと、女の子を口説けないだろ?」
俺は読んでいた本をゆっくりと閉じて、目の前にいるこの魔族に説明した。
俺は魔王の息子だが、見た目は人間と変わらない。俺の身長は196センチ。普通の人間の男よりちょっと背が高い。俺の髪は銀髪で、瞳は紫色。俺の姿が人間と変わらないと言っても、この世界には銀髪で紫の瞳の人間は皆無だそうだ。
「人間の女なんて口説く必要ないじゃないですか。黙ってさらって来ればいいのです」
「さらって来たら、その女の子と仲良くなれないだろ? 俺は人間の女の子と仲良くなりたいんだ」
「人間の女なんて、ただの食料じゃないですか。あんなもののどこがいいのですか?」
「君だって、俺と同じで人間に近い見た目じゃないか。人間の女の子には興味ないかい?」
スミーガンデも魔族だが俺と同じで人間のような容姿をしている。彼は二十五歳。身長は二メートルちょっと。身長も体重も俺より大きい。色白の肌に青い瞳。口ひげがあり、長い黒髪を首の後ろで結っている。いつも整った身なりをしていて、ダークスーツを着ている。
「そうですね、人間の女は嫌いじゃないですよ。あいつらは私にとってはおもちゃですね。でも、あいつらはすぐに死にますからね。そしたら、食うだけです。人間の女は貧弱でつまらないとは思いますね」
「君は怪力過ぎるんだよ。可哀そうだなあ。女性はもっと優しく扱わないと」
「でも、人間の女なんてうじゃうじゃいるじゃないですか。片っ端から捕まえて、遊んで、殺して、食う、それでいいんですよ」
これが魔族のスミーガンデという男だ。人間には容赦ない。いたって普通。普通の魔族。
「そうだ、話題を変えよう。というか、さっき、俺が引きこもってるって言ってたけど、それも終わりだ。親父が フラムティード王国に行っても良いって言ってくれたんだ」
俺はスミーガンデには伝えてなかった王国行きの件を初めて口にした。
「フラムティード王国? 遠いですね。なんでフラムティードなんかに?」
スミーガンデは唖然としている。まさか、急に俺が外国に行くなんてこれっぽっちも考えていなかったのだろう。
「だから、好きな人間の女の子を探しに行くんだよ」
「わざわざ、サイガ様がそんな遠くの国に出向いて行かなくても、私が近くの村から十人や二十人、女をさらってきますよ。何歳くらいの女が好きです?」
「ちょっ、だから、無理やり連れて来るんじゃなくて、俺は恋愛がしたいの。わ・か・る?」
「恋愛? 全然。意味がわかりません」
「だろうね。まあ、君に理解してもらおうとは思ってはいない。これは嗜好というか本能の問題なんだ。とにかく、明後日にはここを出ていくから、あとはよろしく」
「一人で行かれるのですか?」
「フラムティードは比較的平和だし、問題ないでしょ」
「そうですか……」
――俺は物事は順調だと思っていた。
俺は当初、単身で人間の国へ行くことになっていた。
フラムティード王国はここから、かなり遠く、また、彼の地は比較的平和ということだった。俺がフラムティードを選んだのは、魔王城のあるこの魔族領から、かなり離れていて、魔族による被害が少ないと考えたからだ。もし、好きな人間の女の子ができても、その子の家族や友人が魔族に殺されていたら話にならない。
そもそも親父が魔王ってだけでかなりのハンデがあるのだ。
しかし、フラムティード王国に行くギリギリになって、俺は親父に呼び出された。
親父が俺の護衛として、スミーガンデも連れて行けと言い出したのだ。
今、俺の前には魔王がいる。
親父のいる、この広い玉座の間。ここは親父の趣味で、室内のほとんどが漆黒色で塗りつくされている。
玉座にいる親父は俺と同じで見た目は人間型である。ぼさぼさでチリチリの長い黒髪。顔には無数のピアス。指にはたくさんの指輪。そして夏でも冬でも年中、黒いコートを着て、長いブーツを履いている。この人のファッションセンスはどうなってるんだ?
俺の親父である魔王。この世界の数あまたの魔族の頂点に立つ男。そして人類の最大の敵。
彼はスミーガンデと同じくらい背が高い。
そこにいるだけで、彼は禍々しいオーラを放っている。実際に黒っぽい炎のようなものが彼の周囲から湧き上がっている。息子の俺でも怖い。
人間には容赦のないスミーガンデを連れて行くと、フラムティード王国内で色々と問題になりそうなので、やめてくれと親父に抵抗したが、無駄だった。
スミーガンデは人間を常食としている。困った。
仕方がない、向うに着いたら、スミーガンデのことはなんとかしよう。
親父から「人間の国へ行くのはダメだ」と言われた訳じゃない。
俺は、小さいことは気にしないことにした。俺には夢がある。
俺は人間の国へ行く。そして、俺の理想の人間の女の子を探すんだ。