第1話壱 入学の日
王都――ルミナス学院へと向かう列車の中。
手に持った木彫りのお守りを険しい表情で睨みつける六花に、向かい合った席に座る風花は本を片手にもう片方で窓の桟に頬杖をついたまま言った。
「不細工な面。また変なもん見てんのかよ」
「好きで見てるわけじゃないもん。いつもこれが勝手に見せてくるの」
「神樹によるありがたいお告げだろ。選ばれた人間にしか見ることができないんだぜ。すげーな」
「棒読み丸出しで言わないで」
唇を尖らせ、六花は持っていたお守りを鞄にしまう。座席の背もたれに寄りかかってため息を吐く六花の足を、風花が長い足で突いてきた。
非常に分かりにくいが、彼なりに六花を気遣っているつもりなのだ。これで。
もうちょっと分かりやすく振舞えばいいのに、と六花がこっそり笑っていたら、六花たちのいるコンパートメントの仕切り戸をノックする音が聞こえてきた。
扉は一部がガラスになっているから、六花たちが振り返ればノックをしてきた相手が見えた。
――見覚えのない男の子が二人……。
「ねえねえ。君たちでしょ?今年、ルミナス学院に入学するワダツミ人。この特別車両乗ってて、俺たちと同い年ぐらいの子なんて、限定的過ぎるもん」
「返事も待たずに勝手に開けるんじゃねえよ」
扉を開けて人懐っこく話しかけてくる男の子に、風花は不快さを隠すことのない表情を向ける。
一人は六花たちに興味なさそうな気だるげな様子だったが、話しかけてきたほうは風花に睨まれても構わず話し続けてきた。
「否定しないし意味を聞き返したりしないところを見ると、やっぱりそうなんだ。俺は御園寺大河。よろしくね」
「よろしくしねえ」
「フーカ、いいじゃない。御園寺さんと――」
まだ不機嫌丸出しの風花を六花が宥め、自己紹介してきた男の子に視線を向ける。
名前を知らないもう一方を見ると、彼が城ケ前勇仁であることも紹介してくれた。
「――城ケ前さんね。私は美雲六花。こっちは弟の風花。この見た目で、明らかに訳アリ姉弟ってことは分かってもらえると思うけど」
「リッカちゃんと……カザハナくん?フーカって、いま呼んでなかった?」
「フーカはあだ名なの。そっちのほうが呼びやすいから、つい」
六花の説明に、なるほどねと大河が笑う。
「いいね。俺もそっちの呼び方にするよ。リッカちゃんとフーカちゃん」
風花は拒絶を示すように無言でまた睨んだが、大河は気に留める様子もなく空いている六花の隣に座った。
おい、と堪りかねた風花が口を開く。
「俺たちと同じって言うなら、おまえらも別のコンパートメントあるんだろ。なんでわざわざここに座るんだよ」
「切符見た感じ、隣かな。俺たちの席」
断りもなくコンパートメントに入ってきて六花の隣に座る大河と違い、勇仁のほうは出入り口に留まったまま、自分たちの座席が記された切符を確認している。
「旅は道連れって言うじゃん。大勢のほうが絶対楽しいって」
大河は笑顔で言ったが、勇仁のほうは気が進まない様子だ。
「だったら俺、一人であっち行ってていい?寝たい」
「えーっ」
大河は不満そうな声を上げるが、六花は正直、勇仁の気持ちがよく分かった。
ルミナス学院のある王都へ向かうこの列車――六花たちは始発に乗っている。始発に間に合わせるため夜も明けきらない内から駅に向かう羽目になったし、風花も列車に乗ってしばらくは広い座席に横になって寝ていたぐらい。
彼らは六花たちより後に乗ってきたのだろうが、きっと彼らも早起きさせられているはず。
「これだけ広いんだから、みんなで同じとこ居ようよ」
「寝てるだけなんだから別に俺いなくても……ま、いいか」
納得したわけではないが、勇仁は議論する時間すら面倒くさくなってきたらしい。空いている風花の隣に座り、靴は脱ぎ捨てて向かいの席に足を放り出した体勢で眠り始めた。
風花は不快そうに眉間にしわを寄せたが、程なく寝息も聞こえてきて、勇仁が眠ってしまったことを察し諦めたようだ。
わざとらしく大河たちから視線を逸らし、素知らぬ顔で手にしていた本を読み続けている。
大河は気を悪くした様子もなく、ニコニコと人懐っこい笑顔で六花に話しかけてきた。
「絶対ユージンは寝ちゃうと思ってたから、退屈な旅をどうしようか悩んでたんだ。怖い子だったらどうしようって不安だったけど、件の女の子が可愛くていい子で良かった」
「御園寺さんも特別枠での入学?」
「そうそう。正確には、ガラテア王国の王女様のご学友役のために入学する君の、おまけだね」
六花の問いに、大河が頷く。
六花の入学は、今年度ルミナス学院に入学するガラテア王国の王女の学友となるために選ばれた特別枠であった。
ガラテア貴族の女子の進学率は非常に低く、ルミナス学院には女子生徒が少ない。
そのような状況の中で今年度は王国の王女が入学することになり、王女の学友となる女子生徒を集めなくてはならない、と王国側は結論を出したらしい。
しかし先述した通り、高等学校にまで進学する女子は稀なため、苦肉の策としてワダツミ人にも白羽の矢が立ったということだ。
ワダツミ人もまた、十五にもなればどこぞに嫁ぐのが一般的な婦女子の進路であるのだが、六花の父親は先進的なガラテアの学校教育に興味があり、娘を入学させることに同意した。
ただ……父も、ガラテア人ばかりの学校に、娘を一人で通わせるのは不安でならなかったようで。
「私の父が、私を入学させたいのなら義理の弟のフーカも一緒に入学させるように訴えたことは知ってたけど、他のワダツミ人も入学させることになってたのね」
「そういうことになったみたいだね。それで朝廷でも誰を王都に送り込むかちょっとした議論が起きて、俺たち二人が選ばれた」
「朝廷?さっき停まった駅って……じゃあ御園寺さんたちは――」
六花の言葉は、大河の大あくびに遮られてしまった。
ごしごしと目をこすり、大河が言った。
「――ごめん。ちょっと俺も眠くて……」
「あなたも眠ったら?フーカもさっきまで寝てたし、終着まで長いわよ」
苦笑いで六花が言えば、そうしようかな、と大河は座席に横になって丸まり、すやすやと眠り始める。
あっという間に眠ってしまった……。
「自分らのところに戻れよ……」
無視を決め込んでいた風花が本から顔を上げ、眠り込む二人を睨みながら言った。六花もまた苦笑する。
「広いからいいじゃない。私は、フーカ以外にも一緒に入学してくれるワダツミ人がいるのは心強いわよ、やっぱり」
にぎやかな乱入者があったものの、列車の旅は静かに続き、やがて眠り込んでいた男子二人が目を覚ましたことでまたにぎやかになり始めた。
それぞれ伸びをすると、広いコンパートメントもちょっとだけ狭くなる。風花はさらに不快そうにしていたが、寝ぼけながら起き上がった大河のお腹が鳴るのが聞こえ、六花が声をかけた。
「食堂車に行って、お昼にしましょう。私たちは予約券もらってるけど、あなたたちもあるんでしょう?」
「送られた切符と一緒に入ってたと思う。えーっと時間……あ、たしかにそろそろ行ったほうがよさそう」
まだ寝ぼけて頭をフラフラさせている大河に対し、勇仁のほうはそこそこ覚醒したようで、切符の入っていた封筒を取り出して中から食堂車の予約券を確認する。
朝早くに起きているから六花たちも朝食から時間は経っており、お腹がペコペコだ。
揺れる車内を移動して四人で食堂車に向かい、給仕は慣れた様子で六花たちを予約された席へと案内する。
食堂車はこの時間、六花たちの貸し切りのようで、大きなテーブルには四人分の食器がセットされていた。
テーブルを見て、大河が目を輝かせている。
「うわぁ。俺、洋食ってほとんど食べたことないんだ。これ、使えるかな……。リッカちゃんたちは分かる?テーブルマナー……だっけ」
「うちは両親がハイカラ好きだから」
風花が引いてくれた椅子に六花は座り、向かいの席に大河、勇仁が座る。
二人はカトラリーや西洋の食器類をしげしげと眺め、風花は退屈そうに食事が運ばれてくるのを待った。
大河はナイフとフォークに挑戦したいようだったが、勇仁のほうはあっさり箸をお願いしてる。大河も数分後にはギブアップし、二人とも、スープ以外は箸で食べていた。
食事が終わると大河は勇仁を連れて車内の探検に出かけてしまい、六花は風花と一緒にコンパートメントに戻って、また二人だけの時間を過ごす。
やがて、車窓からワダツミ文化とは異なる様式の建物が見えるようになった頃、大河と勇仁も自分たちのコンパートメントに戻ってきた。
コンパートメントの外――出入り口の扉にもたれかかって腕組みをしている風花を見つけ、大河が寄ってくる。
「なんで中に入らないの?ていうか、制服だ!」
「寄るな。入ろうとしたら殺すぞ」
微妙に噛み合っていない会話をする二人を見て、勇仁のほうは中で六花も着替えているのだと気付いた。
コンパートメントの扉はカーテンが引かれており、中の様子が見えないようになっている。
「車掌が来て、あと一時間で到着すると言ってきた。そろそろ着替えておけとも。おまえらも着替えおいたほうがいいんじゃないか」
警戒はしているが、風花はちゃんと説明してくれて、なるほど、と大河も手を打つ。
話している間に、カーテンが引く音が聞こえ、扉が開いて着替え終えた六花が顔を覗かせた。
「ああ、二人も戻ったのね。もうすぐ終着ですって。制服に着替えたほうがいいって車掌さんが来て教えてくれたわよ」
「いま聞いた」
「わあ、リッカちゃん可愛い!良いね!俺、女の子の洋装の制服は初めて見たけど、とっても似合ってると思うよ!」
大河はにこにこ笑顔で六花を褒め、ありがとう、と六花も笑顔で返す。
勇仁は、六花よりも風花の制服姿に注目していた。
――ヤバい、と呟く。
「大河、俺、これのつけ方が分からない」
風花の首元を指差し、勇仁が言った。指差しされた風花は珍しく不快な反応を示すことなく、むしろ同調してくれるような雰囲気を出している。
……おそらくは、彼もこの制服を見てこれに悩んだ経験があるのだろう。
大河は勇仁の指すものをじっと見つめ、顔をしかめる。
「ネクタイ……ってやつだっけ……?やば、俺も分かんない」
「フーカも分からなくて、お父様に必死で教わってたわ」
六花がクスクス笑いで言った。
やはり、風花のほうもこれのつけ方には頭を悩ませたらしい。
「フーカちゃん!お願い、俺たちにもやって!」
「やらねえ。手本見せてやるから死ぬ気で覚えろ」
完全に突き放さないあたり、風花もこれの大変さは認めているようだ。
結局、実演されてもさっぱりで、二人のネクタイは六花が結ぶこととなった。
甘やかすなと風花は怒っていたが、彼もなかなか覚えられなくて、父親から教わる光景を横で見ていた六花のほうが先に覚えたと暴露されていた。