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実家をどうしよう?

 夕飯を終え、洗い物を二人で片付けてから、俺──滝口大輝はテーブルにつき、ノートを開いていた。そこには実家の維持費や固定資産税について調べたメモが走り書きされている。昨夜、叔母から言われたことを改めて整理しようと思ったのだ。


「大輝、何か新しい情報あった?」


 向かいに座る倉橋利奈が、こちらを覗き込む。アイドルの彼女は明日の仕事に向けて台本やスケジュールを確認していたが、合間合間に俺のメモを気にしてくれているようだ。


「うーん……相続登記とか税金とか、調べるほどやることが多いなって分かってきた。父さんが生きてた頃は、こんなの一度も考えたことなかったから」


 ペンをくるくる回しながら、ふと頭をかきむしりたくなる。維持費の問題は想像以上に深刻だ。水道代、電気代、ガス代。これくらいは想像していたのだが、固定資産税や都市計画税なる税金が追加でかかってくるらしい。


「火災保険とか地震保険もあるみたいだし、外壁の塗装とかもやんないといけないんだってよ」

「へぇ……私も知らなかったよ。一軒家ってお金かかるんだね」

「まさかこんなに金がかかるとは……」

「もし手放すとしたら、不動産屋さんに相談することになるの?」

「たぶんね。まずは査定って形になるのかな。でも、まだ決めきれないんだ。気持ちがふわふわしてる」


 自分の家を売るという行為が、まるで家族との思い出までも手放すように感じられる。それが一番の抵抗だ。せめて愛着のある家具とか、妹の部屋にある私物とか、整理が終わってからでも遅くはないんじゃないか……そう言い聞かせては、結論を先延ばしにしている。


「大輝、無理に決めなくていいんだよ。昨日も言ったけど、焦らずに動けばいい。……私だって、家のことはあまり詳しくないけど、役に立てるなら全力で力になるから」


 利奈はそう言って、軽く笑ってみせる。その笑顔に、少しずつだが気持ちがほぐれていくのを感じた。彼女の口から「一緒に考える」という言葉を聞くだけで、不安が和らぐのだ。


「ありがとう。正直、一人じゃ何もできない気がしてた。でも、こうして誰かと話しながら進められるなら、まだ前を向けそうだよ」


 言葉にしてみると、胸の奥が少し温かくなる。孤独だと思い込んでいた心が、少しだけ広がったような気がした。


 そんなふうにしてノートを閉じる頃には、時刻は夜十時を回っていた。利奈は明日の朝早くから事務所で打ち合わせがあるらしく、「そろそろシャワー浴びて寝るね」と立ち上がる。

 俺も一旦部屋の片付けをしてから風呂に入ろうと、テーブルの上の資料をまとめた。


「今日もありがとう。あんまり夜更かししないようにな?」


 利奈がバスルームへ向かいかけたところで、ふっと振り返り、少し眉をひそめるように言った。


「大輝こそ、考えすぎて眠れなくなったりしないでね。私が寝てても、夜中にモヤモヤしたら起こしてもいいんだから」

「さすがにそんな申し訳ないことできないって」


 笑いながら返事をする。だが、その提案自体が嬉しかった。もしどうしようもなく辛い夜が来ても、そばに支えてもらえる人がいる──それだけで孤独に沈まずに済む。


 彼女がバスルームへ消えると、部屋は再び静寂に包まれた。先ほどまでの暖かい空気がまだ残っている気がして、思わずソファに腰を下ろす。


「(家のことは、時間をかけて進めよう。いつか整理がついたとき、どんな選択肢を選んでも後悔しないように)」


 シャワーの音が止むと、利奈はパジャマ姿でリビングへ戻ってきた。シャンプーの香りがほのかに漂い、しっとりした髪先に夜の蛍光灯が反射する。


「お風呂、先にどうぞ。私はもうちょっとネットで明日の仕事の情報をチェックしてから寝るから」

「了解。じゃあ借りるよ」


 バスルームに入って湯を張り、さっと全身を洗うと、疲れがじんわり溶けていくようだった。今日も学校へ行き、叔母とも話して、利奈に相談した。決断こそできなかったが、何もしない日よりは一歩進んだ気がする。


 湯上がりにタオルを肩にかけたまま部屋へ戻ると、利奈はノートパソコンを覗き込んでいた。メイクを落とした彼女の顔は柔らかく、舞台で見せる煌びやかな姿とはまた違う穏やかさがある。


「明日早いんだろ? 無理しないで寝ていいからな」

「うん、あとちょっとだけ。……大輝ももう寝る?」

「そうするよ。おやすみ、利奈」


 電気を少し暗くし、俺は自分の寝床として使っているクッションの上に横になる。部屋の隅には、利奈がまとめた台本とスケジュール表が重なっている。彼女もまた、自分の道を必死で切り開いているのだ。お互い、違う悩みや不安を抱えながらも、こうして同じ屋根の下にいる。


 目を閉じると、遠くでパソコンのキーを打つ音が聞こえた。普段なら気になって眠れないかもしれないが、不思議と心地よい。誰かが起きている気配を感じるだけで、ここは暗闇にならないのだとわかる。


「(親父、がんばってたんだな……)」


 家の維持をするだけであれだけの金額が必要だった。それに加えて家族四人を養い、俺と妹の学費を支払っていた。

 そういえば学校に今後も通うことにしたけど、その学費だって必要だった。遺産を切り崩すしかないけど、それだっていくらあるのか。


 ──明日からもまた、少しずつ自分の家や今後の生活について調べてみよう。焦らず、一歩ずつ。そう考えながら深呼吸を繰り返すうちに、疲れがまぶたを重くしていった。


 かすかに聞こえるキーボードのリズムが、まるで子守唄のようにも感じられる。そんな安堵に包まれながら、俺はゆっくりと意識を手放した。


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