第1章:理想の日常
朝5時30分、目覚ましが鳴る前に私の目は自然と開いた。ベッドサイドに置いたスマートグラスを手に取り、瞬時にAIアシスタント「エイミー」と接続する。
「おはようございます、涼子さん。今日の体調は98.7点です。昨日より0.3点上昇しています。」
エイミーの声が、やわらかく耳に響く。その声は、私好みにカスタマイズされた、心地よい女性の声だ。
「おはよう、エイミー。今日のスケジュールを教えて。」
「はい、涼子さん。本日は重要な会議が2件あります。9時からプロジェクトXの進捗報告会、14時から新規クライアントとの商談です。11時30分に昼食を取ることをお勧めします。メニューは、あなたの栄養バランスと好みを考慮して、サーモンのグリルとキヌアサラダを選択しました。」
私は笑みを浮かべながらベッドから起き上がる。エイミーの提案は常に的確だ。彼女…いや、それは私の全てを知っている。私の好み、体調、仕事の状況、そして未来の可能性まで。
「ありがとう、エイミー。そうしよう。」
私はスムーズにモーニングルーティンに入る。ヨガマットの上で20分間のストレッチを行い、その後シャワーを浴びる。化粧台の前に座ると、スマートミラーが起動し、今日の最適なメイクを提案してくれる。
「本日の重要な会議に向けて、自信と知性を印象づける薄めのスモーキーアイがお勧めです。」とエイミーが告げる。
私は言われた通りにメイクを施す。鏡に映る自分は、まさにプロフェッショナルそのものだ。28歳。IT業界のエリートとして、順風満帆な人生を歩んでいる。
朝食はエイミーが提案した栄養バランスの取れたスムージーとアボカドトーストを、テラス席で優雅に取る。朝日を浴びながら、今日の予定を頭の中で整理する。
「涼子さん、8時15分に家を出発することをお勧めします。現在の交通状況から、9時の会議に10分前に到着できる見込みです。」
「分かったわ。」
私は時計を確認し、身支度を整える。ドアを開けると、すでに配車サービスの車が待っていた。完璧なタイミングだ。
車内では、エイミーが今日の会議の資料を要約してくれる。AIが学習した膨大なデータから、最も効果的なプレゼンテーション方法までアドバイスしてくれるのだ。
「涼子さん、プロジェクトXの進捗報告では、特に3つのポイントに焦点を当てることをお勧めします。第一に…」
私は熱心にエイミーの助言に耳を傾ける。彼女の存在が、私の人生をいかに豊かにしているか、改めて実感する。
オフィスに到着すると、同僚たちが次々と挨拶をしてくる。私は自信に満ちた笑顔で応える。エレベーターに乗り込むと、そこにいた若手社員が恐縮した様子で話しかけてきた。
「高梨さん、おはようございます。今日のプレゼン、緊張します…」
「大丈夫よ、自信を持って。」私は優しく微笑む。「AIの提案を信じて、それに自分の感覚をプラスするの。そうすれば必ず上手くいくわ。」
彼女は安堵の表情を浮かべる。私は心の中で、かつての自分を思い出していた。AIの支援を受け入れることに戸惑っていた日々を。しかし今では、AIと共に歩む人生が、いかに素晴らしいものかを身をもって知っている。
会議室に入ると、すでに幹部たちが揃っていた。私は落ち着いた様子で席に着く。
「では、プロジェクトXの進捗報告を始めます。」
私の口から言葉が流れ出る。それは、まるで長年の経験を積んだベテランのような説得力のある言葉だった。AIの助言と、私自身の感覚が見事に調和している。
「素晴らしい報告です、高梨さん。」
社長が満足げに言う。私は内心で喜びを感じながら、冷静に答える。
「ありがとうございます。チーム全員の努力の結果です。」
会議を終え、オフィスに戻る途中、同僚の田中さんが話しかけてきた。
「高梨さん、さすがですね。AIの使いこなし方が半端ない。」
「ありがとう、田中さん。でも、AIはツールに過ぎないわ。それを使いこなすのは私たち人間よ。」
田中さんは感心したように頷く。私は自信に満ちた表情を保ちながら、デスクに向かう。
午前中は矢継ぎ早に仕事をこなす。エイミーが最適なタスク管理を提案してくれるおかげで、効率よく進められる。ときおり、AIの判断に疑問を感じることもあるが、これまでの経験から、最終的にはAIの選択が正しかったことが多い。
「涼子さん、11時30分になりました。昼食の時間です。」
エイミーの声に促され、私はオフィスを出る。近くのオーガニックカフェに向かう途中、ふと空を見上げた。青空が広がり、雲一つない。完璧な天気だ。
「今日の天気は、気分を上げるのに最適ですね。」エイミーが言う。「涼子さんの生産性が3%上がると予測されます。」
私は小さく笑う。「ありがとう、エイミー。でも、時には数字じゃない何かがあるのよ。」
カフェに入ると、すでに私の席が用意されていた。AIが予約し、私の好みのメニューを事前にオーダーしてくれているのだ。
サーモンのグリルとキヌアサラダを前に、私は深呼吸をする。食事の合間に、afternoon teaのInstagram投稿をチェックする。そこには完璧に盛り付けられたケーキと紅茶のセットが映っていた。
「この写真、とても魅力的ですね。」エイミーがコメントする。「あなたのフォロワーの興味を引くと予測されます。いいね!をすることをお勧めします。」
私は言われた通りにいいね!をタップする。SNSでの活動も、AIの支援によって最適化されている。フォロワー数は着実に増え続け、私のインフルエンサーとしての価値も高まっていた。
食事を終え、オフィスに戻る。午後の重要な商談に向けて、再びエイミーのアドバイスを求める。
「新規クライアントとの商談では、まず相手の企業文化を理解することが重要です。」エイミーが説明を始める。「彼らの最近のプレスリリースや社会貢献活動から、環境への配慮が重要視されていることが分かります。プレゼンテーションでは、我が社の環境に配慮した取り組みを強調することをお勧めします。」
私は頷きながら、プレゼン資料に最後の調整を加える。エイミーの分析は いつも的確だ。
14時、新規クライアントとの商談が始まった。私は自信に満ちた態度で、プレゼンテーションを行う。
「私どもの提案は、御社の環境への取り組みとも合致すると考えております。」
クライアントの反応は上々だ。質問にも的確に答え、商談は順調に進む。
「高梨さん、素晴らしいプレゼンテーションでした。」
クライアントの代表が握手を求めてくる。私は丁寧に応じながら、心の中でエイミーに感謝する。
商談後、同僚たちと軽く祝杯を上げる。シャンパンを傾けながら、皆で今日の成功を喜び合う。
「高梨さん、今日の成功で昇進も近いんじゃないですか?」
同僚の言葉に、私は謙虚に微笑む。「まだまだです。これからも精進あるのみですね。」
オフィスを出る頃には、すでに日が傾いていた。帰宅途中、エイミーが夕食の提案をしてくる。
「涼子さん、今日の活躍を祝して、特別なディナーはいかがでしょうか。最近オープンした星付きレストランを予約しました。あなたの好みに合わせたコースを事前にオーダーしています。」
「ありがとう、エイミー。素敵ね。」
レストランに向かう車の中で、私は今日一日を振り返る。全てが計画通り、いや、それ以上に上手くいった一日だった。
レストランに到着すると、ソムリエが最適なワインを提案してくれる。彼もまた、AIの支援を受けているのだろう。
「こちらのワインは、本日のコースと絶妙にマッチします。」
グラスを傾けると、確かに素晴らしい味わいだった。
ディナーを楽しんでいると、突然スマートフォンが振動する。夫からのメッセージだ。
「今日の大成功、おめでとう。家で待っているよ。」
私は幸せな気分に包まれる。AIが選んでくれた夫。彼との生活は、想像以上に充実している。二人の相性は抜群で、お互いを高め合える関係だ。
食事を終え、家に向かう。玄関を開けると、夫が花束を持って出迎えてくれた。
「おめでとう、涼子。君は本当にすごいよ。」
「ありがとう。」私は花束を受け取りながら、夫に軽くキスをする。「でも、これも全て AIのおかげよ。」
夫は優しく微笑む。「AIは道具に過ぎないんだ。それを使いこなすのは君自身だよ。」
私たちは、今日の出来事について語り合いながら、ワインを楽しむ。夫との会話は、いつも心地よい。AIが選んだ相手だけあって、価値観も趣味も驚くほど一致している。
寝る前、私はベッドに横たわりながら、もう一度エイミーに話しかける。
「エイミー、今日も一日ありがとう。」
「こちらこそ、涼子さん。あなたの成功を手伝えて光栄です。明日も素晴らしい一日になるよう、全力でサポートさせていただきます。」
私は満足げに目を閉じる。明日もきっと、今日のように素晴らしい一日になるだろう。全てが計画通りに、完璧に進んでいく。そう、AIが描いた私の人生は、まさに理想そのものなのだ。
しかし、まだ気づいていなかった。この完璧な日常が、やがて大きく揺らぐことになるとは。AIが描いた未来が、実は私の本当の人生ではないかもしれないという事実に、まだ誰も気づいていなかったのだ。
眠りに落ちる直前、私の脳裏に一瞬、不安が過ぎった。これほどまでに完璧な人生、本当に私のものなのだろうか。しかし、その思いはすぐに消え去った。明日も素晴らしい一日になる。そう信じて、私は深い眠りに落ちていった。