第1返済 山積みの問題
トラガスはすぐさまに、先ほどの書類を返してもらおうとするも、素晴らしい谷間の持ち主であるイヤーロブの谷間に書類を隠されてしまった。
「? 取れば?」
というダイスの言葉に怒り心頭してしまった。
「まな板のお前には分からんだろうよ」
「カッチーン!」
言葉で本当に出す人がいるとは。
「さすがのボクでも今のは傷ついたよ。もう怒った。キミを絶対に借金地獄から逃がさない!」
訳の分からない脅しだが、パーティ―申請の書類を取られている以上、こちらに手だしする術がない。
仕方なくトラガスは諦めて、借金地獄の日々を送る決意をするのであった。
「まぁまぁ気を落とすなよ」
元々の仕掛け人であるアンテナが慰めるが、当然効果はない。
トラガスたちは、いつまたモンスターが湧いて出てくるか分からないダンジョンを後にして、自己紹介を兼ねて食堂へと向かっていた。
道中でイヤーロブが書類を提出していたが、ギルド職員にトラガスも同類だと思われ、物凄く嫌な顔をされたのは腑に落ちなかった。
「ボクはダイス! 魔術師なんだ」
特盛のスパゲッティを食べながら自己紹介をするが、誰の金だと思ってるんだ。
いやもう、みんなのお金だけども。
「私はイヤーロブよ。魔法使いだから、傷付いたら癒してあげるわ」
「オレはアンテナ。アーチャーだ」
「トラガスだ。一応戦士をしているけど、得たスキルは全部騎士宿舎で学んだものだから、実践経験はない。他の3人は?」
というトラガスの問いに、どうやら3人とも全く実践経験はないらしい。
「なんでこんなに借金をすることになったんだ?」
トラガスの問いも最もだ。
そもそも新米冒険者なんて、ギルドですら覚えてもらえない。
それなのに、当然のごとく顔も名前も覚えられており、食堂でも、
「もうツケは利かない」
と言われたほどだ。
どうやら町中の有名3人組らしい。
「オレらは元々1人で冒険者やってたんだけどさ」
アンテナがそう語るが、実践経験がない時点で冒険者をやっていたとは言えない。
「みんなそれぞれに生活するために借金してさ、そんな3人がみんなを騙すようにパーティーを組もうと持ち掛けたのさ」
またもや無い胸をダイスが張る。
「私なんて可愛い方よ? 100万イェンだもの。アンテナが300万でダイスは1000万あったわよね」
なぜか誇らしげなイヤーロブだが、そもそも100万もの借金をしている方が珍しい。
「そこからは早かったよなー。みんなが借金をしていることが分かって、全員開き直ってどんどん借金やツケをしまくって、結局全ての借金がギルドに回ったんだよな」
笑いながらアンテナが話すが笑いごとではない。
その総額が1兆円だ。
「いいか。俺がリーダーをやるからにはもう借金はさせない。これから必死にこの借金を返していくからな」
至極真っ当なことを言っただけなのに、なぜか3人からブーイングをされてしまった。
「あのなぁ。俺らの信用は今、地の底なんだぞ?」
というトラガスの言葉に3人とも耳を疑っていた。
「そうなの?」
キョトンとダイスが訊く。
「ただでさえ、新米冒険者というだけで信用がないのに。その上借金漬けだろ? こんな冒険者前代未聞だろうよ」
「だからオレらのところにリクエストが全く来ないのかー」
あっけらかんとアンテナが言うが、聞き捨てならなかった。
「どういうことだ?」
「え? いや。ギルドにお願いしてリクエストの募集をかけてるんだけどさぁ、全然リクエストが来ないんだよなー」
がっくり項垂れてしまう。
そりゃそうだ。こんな信用できない借金だらけの新米冒険者に誰がお金を払ってリクエストをするというのか。
それに、リクエストの募集をかけるということは、それだけでお金がかかる。その上リクエストの報酬の一部を手数料として取られる。
「今すぐその募集を取り下げてこいー!」
食堂にトラガスの声がこだまする。
●
トラガスたちの方針は決まった。
まずは、ダンジョンの最下層と初層で探索しつつモンスターの素材やダンジョン内のアイテムを入手する。
一般的には、これらの素材はアイテム屋や鍛冶屋で売る。
他の方法としては、オークションハウスや市場に出荷することもできるし、冒険者の広場で自分たちで売ることも可能だ。
しかしオークションハウスも冒険者の広場もよほど珍しい物でなければ売れないし、市場は安値でしか売れない。
そして生活費以外は全て借金返済へと回すことにした。
――ダンジョン最下層。
「なぁーんでこんなことになったかなぁ?」
大げさなため息をしながら、アンテナがめんどくさそうにする。
どうやらアンテナは楽して生活をしたいらしい。
「いいか? 珍しいアイテムを入手できたらかなりの大金が手に入るぞ?」
そんなアンテナをやる気にさせようと、トラガスが本当のことを言う。
「でもそんなのこんな下層じゃ手に入らないだろ?」
というアンテナの言葉も最もだ。
しかし、これに反論したのは意外にもイヤーロブだった。
「あら? 古文書とか魔術書なんかは下層でもかなり見つかってるわよ? それに化石や琥珀が見つかったら儲けもんよ?」
事実、最下層から古文書が見つかったこともあり、その古文書は何千万で取引されたとか。
「ボクもモンスターの化石を見つけて300万で売れたとかいう話し聞いたことあるよー」
どうやらダイスもその手の話しを聞いたことがあるらしい。
「ま、ダンジョン内の色んな物に注目しておくのがいいな」
ダンジョン内の道をマッピングしつつ、トラガスが言う。
通常、途中までの地図を買うのが一般的だが何しろお金を使えないパーティーだ。
ダンジョン内の地図も手作りである。
そんなトラガスたちの前に、再びスライムが現れた。
ダンジョンの最下層のメインモンスターはスライムだ。
剥ぎ取れる素材はなく、稀にドロップアイテムを落とすが、それすらもそこまで価値はない。
いわば、サクサクと倒したいモンスターである。
しかし、戦闘経験皆無の冒険者にとっては、いい練習台とも言える。
『戦い方を学ぶにはちょうどいいな。みんなの特性とかも知れるし』
そうトラガスが思ったのも束の間。
なぜか通常であれば後衛であるはずのダイスが、木の杖を大きく振り上げてスライムに向かって行っている。
呆気に取られたトラガスが他の2人を見るが、他の2人も口をポカンと開けている。
案の定、杖攻撃はひらりとかわされてしまい、スライムの反撃が始まった。
スライムは体を三日月状にして、大きな反動をつけてそのままダイスに体当たりをした。
ドシン。という音と共にダイスはダンジョンの壁に背中から叩きつけられた。
「うっ」
という声を漏らしているので、命に別状はないだろう。
「こっちだ! 俺が相手だ!」
木の盾とナイフを打ち鳴らしてトラガスがスライムを挑発する。
スライムの気を引くつもりだ。
その隙に、アンテナがダイスを退避させてくれるだろう。
予定通りスライムがトラガスの方へ進み出る。
今度はトラガスがスライムの攻撃を避ける番だ。
背中はダンジョンの壁で遮られている。
「おらっ!」
アンテナがアーチャーのスキル<砂かけ>を使って、スライムの目をつぶした。
『目なんてなさそうだけど、効果はあるんだな』
そんな呑気なことを考えつつナイフを構える。
しかし、トラガスの考えは当たっていた。
スライムには目がなく、<砂かけ>は実際には効いておらず、ただ驚いて動きを止めただけだった。
トラガスが切りかかるナイフは避けられてしまい、ダイス同様の反撃を受けそうになる。
瞬間、トラガスは木の盾でスライムの体当たりを防いだ。
想像よりも威力が高い。
目の端で、イヤーロブがダイスの体を確認しているのが分かる。
「どこも怪我してないわ」
イヤーロブの言葉に胸をなでおろす。
パーティ―結成早々に、誰かが欠けたら困るからな。
そんなことを考えつつ、トラガスが目の前のスライムに集中した。
「オレの弓矢は使っていいのか?」
スライムを挟むようにして立ちながらアンテナが弓矢を構える。
アーチャーの武器は弓矢である。
そして弓矢の矢は消耗品だ。
今アンテナが装備しているのは木の弓と木矢だ。弓は壊れない限り木矢を打ち続けることができる。
木矢は1本50イェンもかかる。
借金だらけのこのパーティーには痛い出費だ。
「矢を使うのはやめよう。その辺の石で攻撃できないか?」
ちょうどアンテナの近くに小石が散らばってるのを見て、トラガスが言う。
「こんなんで意味あるのかよ」
ブツブツ文句を言いながらもアンテナが近くの小石を拾った。
瞬間小さな悲鳴が上がった。
声はアンテナのものだが、女の子っぽい悲鳴が珍しかった。
「どうした?」
トラガスが切羽詰まって聞く。
同時にスライムが再び体当たり攻撃を仕掛ける。
ギリギリ盾で防ぐも、その衝撃でトラガスは背後の壁に軽く叩きつけられる。
そこまでのダメージはないものの、ゴツゴツした岩肌にぶつけられて、皮膚が裂ける。
痛みに顔をしかめつつも、声がしたアンテナの方を見ると、別のモンスターがそこにはいた。
●
――穴掘りミミズ。
ダンジョン最下層で遭遇するモンスターの中では、一番珍しいモンスターである。
普段は石の下に隠れて滅多にその姿を現すことはない。
また、姿を現したとしても危険度は一番下のE。
それなりの冒険者ならば倒すのも楽であり、そこそこ希少性の高い素材を入手できるため、遭遇したらラッキーという縁起のいいモンスターという認識がある。
しかしスライム同様に新米冒険者が侮っていいモンスターではない。
加えていうならば、アンテナは極度の虫嫌いである。
いつもは男勝りな性格のアンテナも、虫の前では腰を抜かしてしまっている。
「む……虫は無理ぃー!」
泣きそうな声を聞いて、トラガスも初めてアンテナが虫を苦手だということを知った。
「ターゲット交代だ!」
短くトラガスが言い、トラガスが穴掘りミミズの方へ向かおうとしたが、その前にはスライムが立ちはだかる。
トラガスの後ろは壁。目の前のスライムをどうにかするしかない。
「くっ。イヤーロブ、ダイスの容態は?」
トラガスの直線上に、地面にへたり込んで戦う気力を無くしたアンテナがいる。
その右手はダンジョンの出入口があり、アンテナと出入口の間にイヤーロブとダイスがいる。
要は、簡単に逃げられる状態ではある。
その場合は、今回の遠征が無意味なものとなってしまうが。
ダンジョンに入ることを、ダンジョンに潜る。とか遠征という言い方をするのが冒険者の間では通常だ。
大きな意味の違いはないが、自分のレベルアップや修行のためにダンジョンに入る場合は、潜るという表現を使い、未開の領域や未知の階層を目指す場合、ボスモンスター討伐や素材を集める場合や資金稼ぎの場合には遠征と表現する。
今回は借金返済のためにダンジョンに入ったため、遠征に分類される。
「問題なさそうよ」
トラガスの質問にイヤーロブが答えて、立ち上がるのを目の端で確認する。
トラガスはとにかく、目の前のスライムを倒すことに専念することにした。
穴掘りミミズならば、イヤーロブだけでもきっと大丈夫だと思ったからだ。
しかし――
「虫は嫌よ?」
その言葉に項垂れてしまう。
女は基本虫が嫌いという話しを聞いたことがあるが、冒険者は別だろう。トラガスはそう思っていた。
しかし現実は、嫌いなものは嫌いというものであった。
「穴掘りミミズは無視してみんなでスライムを倒すぞ!」
アンテナが、穴掘りミミズを再び石の下に頑張って隠してスライムと向き合った。
「もう節約なんかしてらんない!」
八つ当たりというやつだ。
「ちょっと待て!」
アンテナが矢を構えたのを見てトラガスが制止するが、
「はぁ!」
何本もの矢を放ち始めた。
「おいー!」
トラガスの声がダンジョン内にこだまする。
●
「アンテナが使用した矢の本数が20本。1本50イェンだからこれだけで1000イェン……無駄に突っ込んだダイスの服の代金50イェン……今の食事代に今夜の宿代……」
トラガスが大きくため息をつく。
「そんなくよくよすんなよ」
大きく借金返済計画を狂わせた張本人のアンテナが、にしし。と笑う。
結局、アンテナの弓矢でスライムは倒せたものの、スライムから唯一手に入れられるドロップアイテムは出なかったため、無駄な戦闘となってしまったのだ。
スライムを倒してすぐに、トラガスは先ほどの穴掘りミミズを探したが時すでに遅し。もうどこかへ行ってしまっていた。
「いいか」
キノコをフォークに刺しながらトラガスが、他の3人に言う。
「戦闘では前衛と後衛があるのは知ってるな?」
反応がない。
「あのな。ダイスとイヤーロブは魔法を使う職業だろ?」
「まぁね!」
なぜかダイスがない胸を張った。
「当然よ?」
負けじとイヤーロブも堂々とし始めた。
トラガスには、なぜこの2人がこんなにも自信満々なのか意味が分からなかった。
「魔法を使う職業の人は、誰かに守ってもらいながら魔法を使うのが一般的なのを知ってる?」
「「……」」
なぜ無反応?
そんな不安な気持ちを押し込んで、トラガスは辛抱強く説明を続ける。
「あのね? 魔法を使う人は魔法の詠唱中に無防備になるし、そもそも防具の防御力が弱いの。だから、誰かの影から魔法を使うのが一般的なんだ。たまぁーに、スキを突いて杖で攻撃したりすることはあるけれど、それは稀な状況ね?」
なぜかダイスとイヤーロブは、目を丸くしていた。
「オレはオレは?」
嬉々としてアンテナが自分のことを指さす。
「アーチャーは、身軽な軽装だから防御力で言えば高い方ではない。ただ、前衛に守れることが多いか? と問われると意外とそうでもない。前衛も後衛もこなせる万能な職業だね。器用な人でないとこなせない。その上、隊列を組んで歩く場合には最後尾を歩くことが多く、モンスターの背後からの攻撃を警戒する職業だね。基本、器用に立ち回って敵を翻弄したりここぞという時にとどめを刺すことが多いかな」
「うぇー。めんどくせーなー」
アンテナが天を仰ぐ。
「とにかく!」
トラガスがテーブルをドン。と叩いて3人を集中させた。
「これからは、戦闘でもちゃんと職業に合った戦い方をしてくれよな? このままじゃ大赤字だ。アイテムも道具も無駄使いはしないで明日は黒字を目指すぞ」
「トラガスってこーゆー細かいところあるよなー」
まだ知り合って間もないのに、知ったような口を聞きながらアンテナが他の2人に言う。
「ホントよね。こういうのって束縛って言うのよ?」
イヤーロブもそれに乗っかって、呆れたような表情を見せる。
「全くみんなボクがいないとダメなんだから」
やれやれと首を振りながら、真っ先に飛び出して連携をぐちゃぐちゃにしたダイスがなぜか偉そうにしていた。
そんな3人を見て、トラガスはダメかもしれない。と未来を不安視した。