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善人の死

作者: 名取能貫

 エシッド王国で最も大きな神殿は当然、王都エシッディア旧市街に立つ四霊大神殿をおいて他に無い。天下を霊的に鎮護する事を天命と定める者達の、エシッド王国における枢軸である。

 四霊大神殿の境内は広大である。もはや広場のようにすら見える参道の向こうには、そびえ立つ白亜の豪奢な本堂を中心に、説法・講義のための講堂、神殿の運営のための雑務を行う広い庫裏くり、死者を弔うためのヤドリギの木立の立ち並ぶ霊園、神官達が医療行為や写本などの文化活動を通じた修行生活を送るための修道院などの他、神官のうち聖騎士・騎士修道女などの僧兵達が有事に備えて武術の鍛錬や奉納試合に用いる訓練場も敷地内にある。大神殿の規模・影響力は侯爵家の屋敷すら凌ぐという。

 四霊大神殿の建物の正面の高い所で、妖精界コッティングリアの天地を開闢した四柱の神々を象徴する四つの正方形を四方に並べたしるし〈四ツ石〉の巨大な彫刻が、浴びた朝日で燦然と輝いている。

 大神殿はいつでも参詣した者達が溢れ返る。朝は敬虔な市民達が一日の始まりに、本堂へ神像を拝みに集まる。特に今日は神官達が総出で炊き出しをする日であり、広い境内の前で鍋をとろ火の火鉢にかけて牛乳の良い匂いを漂わせ、参拝者ならば乞食も商人も貴賤を問わず振る舞っているので、神殿中が穏やかな賑わいに包まれる。

 神官のアンフォリニアも、一杯に炊かれたミルヒライスの大鍋をワゴンに乗せた後、すぐにワゴンを押しながら市松模様の大理石の床の上をぱたぱたと早歩きして、炊き出しの応援に加わった。

 アンフォリニアは四霊大神殿に務める神職である。種族スピーシーズ柄よく目立って特徴的な髪や耳の持ち主の多いウンディーネ族の中にあって一際目立つ、ある種の熱帯魚の尾びれのように鮮やかな光沢する濃い青色の髪の血族レースに生まれた彼女は、神殿の内外で有名な神官である。

 外見の話ではない。その内面が、心優しく、共感性の強く、そして正義感の強い性格から参拝者や檀家によってもよく知られ、慕われ、頼られているのだ。司祭の多くが彼女を神官の(かがみ)と認め、一部は陰で、

「あんなに心優しい方はいらっしゃいません。当代一の神官です。まさにあの人は、聖女の一種レースだわ……」

 と並べて呼ぶところである。

 先ほどアンフォリニアからワゴンを受け取った同僚の神官は、隣の者にミルヒライスを鍋ごと炊き出し台へ持って行かせ、代わりに空になった方の鍋と洗い物の食器をワゴンに載せて中へ引っ込んでいった。彼が戻ってくる間、アンフォリニアが代わりに炊き出しの配膳台に立った。アンフォリニアはこの炊き出しの務めが、神殿での職務の中で最も気に入っており、また意義のあるものだと考えていた。誰かのために行動し、世の中の助けにならんとし、使命に身を尽くす事が、昔から性に合っているのだ。

 パエリアのビストロを失業して久しい髭ぼうぼうのトレンヴォーリ老人が今日も来て、料理素人の神官の料理の出来栄えをほめたりからかったりしてから、平伏してミルヒライスを受け取った。彼に一杯の炊き出しをふるまった後、入れ替わりに今度は敬虔さの塊として知られるアウリツィーおばさんが久しぶりに炊き出し台に顔を見せた。アンフォリニアはその後も神殿を訪れた一般客と炊き出しによく来る顔とへ、交互にミルヒライスを振る舞った。

 往来の行き来が増えるに従って、雲雀ひばりか何かの鳴く声もより聞こえてくるようになる。

 この日もこのまま、穏やかに一日が始まり、過ぎ去るだろうとアンフォリニアは思っていた。

 それは、陽が朝と昼の境をそろそろ跨ごうという頃で、神官達が炊き出し台の片づけを始めだしたあたりだった。アンフォリニアが増える一方の一般の参詣者を出迎え、整理に追われていると、

「神官様、神官様!――」

 と叫んで助けを呼ぶ声が聞こえたのだ。大神殿の大きな門をくぐって広い境内へ慌ただしく飛び込んで来たのは、この辺りでは見かけない老爺であった。白髪の薄くなったこの老爺は旅装というほど大層な物ではないがいくらか凝った街着で、背の小さく縮んだ老体を包んでいる。老爺はしわだらけの顔をさらにしわだらけにして、今にも泣きだしそうなひどい形相であった。一目見てただ事ではない。アンフォリニアが、

「落ち着いてください、どうかなさいましたか……」

 と尋ねるが、老爺は一体何事なのか激しく取り乱しているのと、老体に鞭打って走り続けて息を切らしているのとで、言葉にならない。代わりに老爺は青い顔でアンフォリニアの袖を引いた。

「こ、こっちでございます、早く来ていただけませんか……」

「分かりました、何があったんですか?」

「孫が、孫が……ナイフで、刺されたんです……さあ、こっちで……」



 テオバルト・リンダスドーターの孫娘ヒルデガルドは、大神殿のそばの公衆銭湯の奥に寝かされていた。玄関の脇に隠されるように倒れているのを銭湯の客が見つけ、それを聞いた番頭が客と介抱して、奉公人の部屋へ寝かせたらしい。この部屋はまれに、湯にのぼせた客を休ませるのにも使われるという。

 二人は旧市街の西端の町に住む仕立て屋の者で、地元の近隣住民にも知られた敬虔な一家であった。家業の安泰を願ってはるばる王都の中心街まで参拝のために訪れており、その間ある宿酒場インに寝泊まりをしていた。

 老爺テオバルト曰く、ヒルデガルドは大神殿の参詣の旅を大いに楽しみにしていたという。何でも、ヒルデガルドは最近店の常連になった客の男・何某といつの間にか親しくなっており、参詣に言った後、どこかで男と会う予定でいたという。祖父である老爺は孫娘からどこかへ遊びに行く事だけ聞いており、どこへ、どんな者と会うのかなどは何も知らなかった。多感な年頃の孫に、大神殿周りの発展した王都中心街を自由に物見遊山させてやるのも良かろうと思ったために、あえて何も尋ねなかったらしい。

 昨日の昼前。参詣を終えた帰り道、ヒルデガルドは男と会う約束のために宿酒場インへは戻らずに老爺と別れた。彼女へは、

「大丈夫だって、おじいちゃん。夕方までには戻るから……」

 と至って明るく言い、意気揚々と王都の中心街の雑踏の中へと消えて行った。

 それが孫娘の最後の姿であった。最後の言葉であった。

 孫が夕方になっても、陽が落ちて夜が更けても、いつまでたっても帰ってこないのを、老爺は心配こそして宿酒場インの者にも話してはいた。しかしまさか変わり果てた姿で見つかったと言われるとは夢にも思っていなかった。

 被害者ヒルデガルド・リンダスドーターの遺体の第一発見者は、ここの銭湯をよく使うという小太りの茶トラの中年ケットシーの男であった。

 曰く、種族柄に似合わず大の風呂好きな彼が、

 ――今日は、朝っぱらから湯へ浸かっちまおうかな……?

 と考えてふらふらと銭湯へ向かう中途に、ふと道の脇の水路へ目線を吸い寄せる物が何かあったという。この水路は銭湯が沸かして湯舟の湯にするための水を川から引く専用のものだ。水路を覗き込むと、細長い何かが引っかかっていた。不審に思って見やると、それは晒し布で覆われた死体であったそうな。

 老爺に連れてこられた部屋は、暗く静まり返っていた。茶トラのケットシーの銭湯の客も、禿頭の番頭と奉公人(この部屋の本来の持ち主である、との事だ)と一緒に、ベッドの周りで立ち尽くしていた。彼らは戻ってきた老爺へ、気の毒げな顔で一様に振り返った。

「神官様……どうか助けてください……孫を、どうか……」

 アンフォリニアは、老爺テオバルトに最後の手を引かれ、ベッドの上を見せられた。

 ヒルデガルド・リンダスドーターは、アンフォリニアが診察するまでもなく、すでに事切れている。

 それでも遺族の手前、型通りに頬、手、あばら骨に触れて診たり、両手を合わせて回復の祈祷の枕章を唱えたりもしてみたが、やはり目の前の残酷な現実が変わる事は無かった。アンフォリニアはもはや手遅れで手の施しようもない事を彼へ静かに伝えた。哀れな老爺はベッドの縁に縋りついておいおいと泣き崩れた。それを見ていた周りの者達も、悲劇の前に斃れた若い命を悼んだ。

 アンフォリニアは決して狼狽したり取り乱したりはしないが、彼女もまた沈痛な面持ちでこの若く可憐な死者の唐突な旅立ちに悲嘆していた。神官という立場柄、傷病に苦しむ者の手当てはもちろん、誰かの死に目に付き添う事もしばしばではあるのだが、彼女はそれに未だに慣れる事は出来なかった。世界をより良いものへ変える事が出来たはずの誰かが志半ばで倒れるところを見ると、自身の昔の事を思い出してしまい、胸が引き裂かれそうな気持ちになるのだ。それでも彼女は己の次の責務を果たす事を忘れなかった。奉公人に神殿へ走ってもらって連絡させた上で、死者へ弔いの祈りを捧げる事だ。

「――我々の妖精界コッティングリアの四柱よ、この者を犬の丘へ丁重に連れ、光と共に正しく輪廻させたまえ。土は枯葉の宵の寝床にして双葉の暁の寝床であり、火は炭の宵の寝床にして光と暖かみの起床せんがための処である。風は去りし者達の宵の寝床でありつつ再び現世へ来る者達の暁の寝床ともなり、水は沈みゆく者の寝床でありつつ再び浮かび上がり、流れ、輪廻の先の旅へ旅立たんがための処である――」

 アンフォリニアは指の四本をベッドに横たわる死者の前で合わせ、祈祷文を唱えていた。部屋の誰もが彼女の背後で、黙祷として一言も口を利かずにうなだれているのが嫌でも分かった。

「――御身に抱きかかえられし死せる者の、その精の行くべき次の旅路の見出さるるまでの間、この者をどうか安らかに眠らせたまえ――」

 この時目をつぶって弔いの祈祷をしていた彼女はふと、何か奇妙な感覚を覚えた。自らの全身から穏やかに発せられているはずのものが、こちらへ戻って来て手に触れ続けているのである。すなわち、祈祷がわずかに跳ね返されているのだ。

 微弱とはいえただならぬ感覚にアンフォリニアは、葬送の祈祷の規定に反すると承知で思わず薄目を開き、横たえられた死体を見た。ヒルデガルド・リンダスドーターは赤毛の血族レースのシルフの若い女である。一見して、みぞおちの赤黒く染まった凶刃を突き立てられた跡が、血の気が引くほど痛々しい。しかし水死体であるために血痕は川の水で落ちている事と、遺体がまだあまり水で膨れ上がっていなかった事が、まだ彼女の目にとっては救いであった。

 しかし遺体のそれ以外の箇所は、目を凝らして見れば通常の遺体とはかけ離れていた。今や青白くなり果てた肌に何かの塗布が残っている。それは明らかに水を弾いており、かつ妙にてかてかと光沢しているのだ。祈祷文を唱える口の動きを止めないよう注意しつつ、さりげなく俯いて鼻を近づけて匂いを嗅いだ。

 それはべたべたとした香油であった。アンフォリニアはその厭わしい臭気に覚えがあった。

 ――まさか、これは……()()()が塗られているのですか……?

 アンフォリニアは心中穏やかではなかった。その香油の事ならば自分が一番よく知っていたからだ。

 ――もし……もしも、私の記憶が正しければ……。

 背中に滲む嫌な汗と動悸がじわじわと増していくのを感じながら、アンフォリニアは今度はわずかに首を動かして遺体の全身をこっそり検めた。

 彼女の懸念は的中していた。傷口の付けられた場所、服装に合わない妙に幅広で真っ白な腰のリボン、体中につけられた独特な形のみみずばれ、手首と足首にくっきり遺っている麻縄で縛られた跡。そして、髪に隠れてうなじに腫れがあった。腫れは網を掛けたように白んでいて大きく膨らみ、中のものが苦しみもがいて身をよじるかのようにわずかに脈動している。

 それら全ては、寸分の違いも無くアンフォリニアの思い出していたものと合致していた。

 ある種の邪教の、生贄の儀式である。

 それも、かつて自らが身を置いていたカルト教団のやり方で処置され殺された生贄であった。


 アンフォリニアは郊外某所の家庭教師と炭焼き職人の間に生まれた、ありふれた町娘であった。ご当地の小さな礼拝院の老神官曰く幼少期の彼女は、勉学は優秀ながらあまり目立たない子で、話してみれば実は正義感の一際強い一方、よく一人で抱え込む質であったという。

 彼女には病弱な妹がおり、アンフォリニアは昔から妹の世話を両親から命じられて育ち、甲斐甲斐しく妹の面倒を見た。しかし両親は彼女を顧みなかった。それどころか妹に詩業の才能があると分かると、あからさまにアンフォリニアよりも妹をかわいがるようになり、姉妹に差をつけて育てるようになった。

 それが嫌になって、成人である十五になる前に彼女は家を抜け出した。親の金に手を付け、金貨を四枚も盗んで蒸発したのである。

 しかしその大金も、王都へ出てきたその日のうちに巾着切りに遭ったせいで失い、無一文になってしまった。

 アンフォリニアは失意のうちに当ても無く王都をさまよった。金は無い。宿も無い。都会には頼れる知り合いも居ない。その日は一日中何も食べられず、日も落ちた頃には、若きアンフォリニアはあまりの惨めさに、路地裏にへたり込んで泣き出してしまっていた。

 そこに偶然男女が通りかかった。二人は路上に座り込む空腹の彼女を憐れみ、食事をおごるので自分達の勤める食堂(タヴェルナ)へ来ないかと持ち掛けた。

「で、でも、お金が……それに旅の者ですから、奉公先も無くて……」

「お金は結構です。それに寝床もウチにお泊りになればよろしい。我々は何も気にしませんよ。なんなら我々の下で働きませんか?」

 この食堂こそが、異界から忍び寄る邪神を奉ずるカルト教団の、隠匿された拠点の一つだったのである。この男女もその教徒達であった。

「迷惑じゃ、ありませんか……?」

「憐れみは我々、ニプリズナイト教会の掲げる、最も重要な教義ですから……」

 〈ニプリズナイト教会〉なる教団の思想は多くの異世界カルト教団と似たり寄ったりで、異界から邪神を招来する事を使命とする終末論であった。彼らの信じるところによれば、

「我らは藍穹の星々の闇黒へ向け、たゆまぬ働きかけを続けなればならぬ。さすれば、星辰があるべき位置に揃った時、偉大なる蕃神はそれに応えて覚醒し玉座より立ち上がられ、一切を旧来のしがらみとして滅ぼしたまうであろう。そしてその破滅が鎮まった後、矮小なる民のうち正しき者達のみをお救い下さるであろう……」

 との事であり、アンフォリニアもこの説法を聞いた。

 教団の教徒達は一宿一飯(いっしゅくいっぱん)を温かく恵んだ後、いたって朗らかかつ親身にアンフォリニアに寄り添って、彼女のいきさつを尋ねた。生まれて初めて誰かに気遣われた若きアンフォリニアは簡単にほだされ、家出娘の身で他に行き場が無い事もあって、そのまま邪教の教徒となった。

 カルト教団での暮らしの中で彼女が課された修行、任された作業のほとんどは、今になって思い返せば、概ね道徳に(もと)る行為であった。

 アンフォリニアは定例の儀式の準備・設営・進行を担う班に割り当てられた。その中でも重要なのが、彼らの敬拝する外なる神――その御名(みな)は位の低い者に知る権限は無い。ただ畏れ多いというだけでなく、外部へ漏洩して当局に摘発されるのを防ぐためでもあった。アンフォリニアは御名を知る権利を得た直後に教団を離れてしまったので、結局聞かずじまいであった――へ向け、供物を捧げる儀式である。そこでは煮溶かした米や丸パンのみならず、生贄の動物も捧げられた。生きたるものを祭壇の前で殺して、その魂を献上するのである。アンフォリニアは若くしてそのお膳立てという大役を任された。ここの教会の建物は食堂(タヴェルナ)に偽装されていた。地下室で生贄として使い、魂を御神の元へ送った後の()()()()()兎肉は、新鮮な食材として地上階の表稼業で客達に提供されていた。アンフォリニアは邪教の儀式の手はずを覚えながら、司祭の命令に忠実に、三年間はずっと兎を殺し続けた。

 血の匂いと邪神に仕える喜びが身に沁みついた頃、アンフォリニアはもっと大きな()()の生贄を任された。社会的禁忌、人身御供である。最初はスラムで野垂れ死にかけていたところを教徒に拉致されてきた、ブラウニー族のひったくりの少年だった。次は借金が膨らみ過ぎて身売りでしか返済出来なくなったシルフ族の若い娘で、元は自分と同じような家出娘だったらしい。三人目からは、どうせ神に饗するための魂の器でしかない異教徒共の出自など気にしなくなっていた。

 生贄として拉致されて来た者はまず衣類を脱がされ、体表にある種の蜘蛛を這わせられる。しばらくそうした後、供物である事を示す白装束に着替えさせられる。それから処置台に乗せられ、両手足を麻縄で縛られて台上に横たえられた状態で拘束される。生贄のお膳立て担当はまず白装束をはだけて生贄をよく拭いて清めた後、異教徒を罰する祝詞を唱えながら十字の星を先にあしらった短い(むち)を生贄へ打ち続ける。元から皮膚刺激の強い香油が傷口に沁みるので、生贄は絶叫して苦痛に悶えるのだとか。二日ほどそうしてから白装束を再び着せ、聖別の済んだ証として白い幅広の腰帯を締めさせるのだ。

 当日には目隠しをして祭壇まで連れていって献上卓の上へ寝かせる。他の生贄は単に刺殺するのみで済ませる。だが最後の生贄だけは、祭祀専用の歪な曲線を描く刃のダガーを胸に一刺しし、そのまま失血死するのを見届けながら祝詞を唱えるのが、生贄の儀式の山場であった。

 ところが、生贄の者達を処理し続けて四年が経った頃から、アンフォリニアは心身に変調をきたし始めた。同胞を殺し続ける行為が暗い灰褐色の(おり)となって胸の奥底に沈殿し続け、ついに邪神への熱狂でも蓋をし切れない程にまで溜まったのだ。日に日に心中のほの暗いものが浸食を強め、日常生活にも影響が出ていた。食欲を失い、手が震え、何事にも集中できなくなった。何より苦しかったのは不眠であった。心の休まらぬ夜をベッドの中で無為に過ごすたびに、アンフォリニアは救われたいと願った。どうしてこんなにも苦しいのかと、毎夜自問自答をした。そして毎晩たどり着いては見ないふりをし続けていたのが、教団に仕えている事がその原因だという結論であった。

 教会は表向きには食堂(タヴェルナ)という事になっているために、そこに務めるアンフォリニアもまた昼のうちは食堂(タヴェルナ)の奉公人という事になっていた。

 ある日、食堂に身なりの良い神官が来店して来た。

 男は地元の神殿の神官ではなく、なんとあの四霊大神殿の高司祭で、仕事に疲れると知り合いのいない遠いところで甘い物を飲むのが彼の息抜きの習慣だそうだった。

 この高司祭こそが、アンフォリニアを悪の道から抜け出させた恩人にして、その後志半ばで病没するまで彼女の上役であり続ける男である。

 こういう客が来ると店中がひそかに緊張したものだった。妖精界に住む者にとっては、妖精界コッティングリアを開闢した始祖の神々とそれにかしずく大妖精達を敬拝するのが、一般的・普遍的・常識的な霊的価値観である。その礼拝をつかさどる神殿に関わる者となれば、これはもう教団にとって敵対勢力と見なせるものであり、教徒には敵愾心を隠しきれずちらつかせる者すらいたものだ。

 ただし、この時のアンフォリニアだけはそうではなかった。幼少の頃の懐かしい、心穏やかで幸福だった頃の情緒と道徳を思い起こさせる、安寧と条理の象徴のように輝かしく見えたのだ。

 彼女の邪教への忠誠心は、一瞥だけで容易く塵のように崩れ去った。何も気づかずに日常の一杯を楽しむ彼を見ているうちに、アンフォリニアは、

 ――この方について行けば、あるいはこの苦しみと偽りの秩序から抜け出せるのでは……?

 とすでに思い極めていた。高司祭が果物の蜜の芳香に浸り終え、お代を払って穏やかに退店した後、彼女は適当な口実をつけて食堂(タヴェルナ)から抜け出した。そして二度と食堂(タヴェルナ)には戻らなかった。

 アンフォリニアはしばらく高司祭の後を()けて歩いていたが、教団から十分距離をとったと思ったあたりで、彼が運河のゴンドラを待っている間に、

「先ほどの女給だった者でございます。一目見ただけで、素晴らしいお方だとお見受けいたしました。どうかこの私を、あなたの神殿の神官にして下さいませ」

 と頼み込んだ。そうして身をくらませて宗旨替えを果たし、過去を隠して神官として暮らし始めたのは、もう十二年も前の話になる。



 ヒルデガルド・リンダスドーターの葬儀は翌日に取り行われた。アンフォリニアは葬送の祈祷を念入りに施した後、清拭(せいしき)まで終わらせていた。そのため故人の死亡が明確に確認されているとして、通夜として遺族の死を悼むための手短な時間だけが葬儀の直前に設けられた。

 形式的な通夜の後、棺は大神殿内の葬祭場に移された。葬儀はしめやかに行われた。ホワイトオークの大樹が見守る静寂の下、誰もが理不尽な悲劇に遭った若者へ黙祷を捧げていた。途中、その決まりが何者かの叫び声によって破られたので、参列者達は何の怪物が現れて暴れ出したのかと浮足立った。それは故人の唯一の肉親、祖父テオバルト・リンダスドーターがこらえきれずに漏らした慟哭だった。近くにいた大盾の冒険者態が、速やかに彼を立たせて慰めながら葬祭場の外へ連れ出させてやった。

 この大盾の冒険者はベレンガリアというシルフである。冒険者の宿〈赤き戦斧亭〉所属の冒険者でありながら、一見するとそうには見えないものの彼女もまた神官でもあって、依頼が無ければ最低限は神殿勤めに励んでいる。彼女はアンフォリニアとは何もかも正反対だった。神職一筋のアンフォリニアと、神官と冒険者の二足の草鞋を履くベレンガリア。フェミニンな容貌のアンフォリニアとは対照的に、中性的なベレンガリアは長身の体をよく鍛えている。アンフォリニアは慈愛や福祉を、ベレンガリアは信賞必罰の正義を重んじる。清く賢明な世のために高潔たれかしと聖域へ務めるのに対し、尊卑を問わぬ喜びで俗世を満たすべく有事に備える。二人はこうまで異なるにも関わらず、妙に波長が合うのかお互いに親しかった。

 憐れな老爺テオバルトを慰めてから他の神官に預けた後、ベレンガリアが静かに葬祭場に戻ってきた。本葬の祈祷はすでに終わっており、参列者達は席を立ち、遺族を慰めるための宴席へと移っていくところであった。場に合わせた陰鬱な顔を作って、手際良く調理台を設営して油の抜けた肉を焼き始める料理人や辛気臭い調べのためのハーディガーディを運び込む演奏家を掻き分け、ベレンガリアはアンフォリニアを探した。

 アンフォリニアは危なっかしい事に、棺のそばにぼんやりと立っていた。

「そんなところに突っ立ってると危ないぞ」

「――あ、そうですね……」

「お前らしくもない……気持ちは分かるが、離れろ。何があるか分からないからな」

 と大盾のへりで優しく促した。葬儀とは第一義に、死者がアンデッド(ゾンビとも呼ばれる)と化して周囲に危害を与える事を防ぐための処置工程である。そのため万一故人の亡骸がアンデッド化して暴れ出した時のために備え、火葬の前までは武装した警備を配置する。都市部の神殿では神官に戦闘術を訓練している場所もあって、ベレンガリアの場合はそれを冒険者稼業に主に活かしている。遺体が不意に起き上がって周囲の正者を殺傷する事態もままあるため、ベレンガリアはアンフォリニアを棺から離したのである。余談ながら、葬式で肉が饗されるのは、アンデッド化が発生した際に料理へ誘引されて参列者を守れる可能性があるためである。またアンデッドのあげる金切り声を聞き逃しては危ないため、葬儀中は声を上げて泣いてはいけない事になっていた。

 二人は棺のそばを離れ、宴席の端のテーブルを選んでそちらへ向かった。歩きながらベレンガリアは尋ねた。

「聞いたが、殺しだったそうじゃないか」

「はい、胸を刺されて」

「じゃあさすがに衛視が動くはずだ。そのうち犯人を捕まえてくれるだろう」

「そうですね、ヒルデガルドさんの仇を取って下さる事を祈りましょう」

「ああ。ただ、あくまで王都の治安を見張るのが役目の衛視に、どこまで調査が出来るのか……この話はろくでなし同士の喧嘩とはわけが違う。これは単純に見えるが、だいぶきな臭そうだからな。通り一遍の調査だとマズい予感がする。正面から一刺しという事は、知り合いではない奴が油断を誘った感じだろうか? 殺しに慣れた奴の仕業にも見える」

「職業病ですか? 調査を依頼されてないのに事件の事を考えるなんて」

「衛視が内々の事情で動けなかったり、助力を求められたりしたら、我々の出番もあるだろう」

 アンフォリニアは苦笑した。「()()()、ですか。冒険者としてでなく、神官としては?」

「ああ、そうだな。思うに――」

「ちょっと待ってください。そういえばあなた、神官服も着ないで葬儀に出たんですか? さすがにそれは神官としてどうなんでしょう」アンフォリニアは顔をしかめて彼女の革鎧をつついた。

 事あるごとにベレンガリアへお小言を言うのは、彼女の習慣でもあった。この同僚はハンサムな見た目によらず、なかなかの生臭神官であった――というよりも、どこまでも冒険者的なのだ。昼間から酒は飲む。悪所通いも大っぴらで愛人の多い好色家。目的や公共のためならば、規律も秩序も綺麗事も無視して武力の行使を選ぶ事が出来る。それは是非はどうあれ、本業・神官という立場が求める人物像という面では、そぐわないのだ。

「あなたも依頼が無い限りは王都一の〈四霊大神殿〉に籍を置く神官なんですよ。そんなもろに冒険者みたいな恰好で神殿に戻らないよう、司祭様からこの前言われたばかりじゃないですか」

「神官服で聞き込みをして回るわけにもいかない。今日の葬儀にだってぎりぎりで間に合わせたんだ。酒場のマスターから話を聞き出すのに時間を取られ過ぎた……」

「もしかして今は請けてる依頼が?」

「ああ……お前の言葉に合わせるなら、私は依頼が入った時は私は王都一の〈赤き戦斧亭〉に籍を置く冒険者になるんだ。神々の恵みを、依頼人に対して体現する立場になる」

「分かっています。尊敬していますとも」要はアンフォリニアが理想論者ならば、ベレンガリアは現実主義者なのだ。依頼された問題解決によって諸方で妖精(ひと)助け・世直しをしてきたベレンガリアの実績やは、アンフォリニアの献身的な態度と並び立って大神殿内で一目置かれるもので、アンフォリニア自身も彼女から学んだ事は多い。「していますが……とにかくこの場では帽子だけでも、被らないと……」

「ありがとう、アンフォリニア。まあ、本葬も終わった事だし、一旦他に任せて着替えて来るか……?」

 とつぶやきながらベレンガリアは、神官服の帽子だけは持って来ていたらしく、懐から出して被るだけ被った。

「そういえば、その、ベレンガリアさん。テオバルトおじいさんは――」

「……だいぶ参ってるようだった。思い詰めてるようにも見える。休ませる時にウチの店の名前と場所を教えて『何かあれば頼ってくれ』とも言っておいたが、どうだろうか」

「そうですか……」

「会って話した方が良いかもしれないぞ。お互い気が晴れるかもしれない」

「……すみませんが、ちょっと用がありまして」

「本当にお前らしくないぞ? いつもなら何を差し置いても、飛びついて心配しに行くだろうに……?」

「ええ……すみませんが、葬儀以外にも神官の果たすべきものはありますから。リンダスドーターおうには『後日落ち着いた頃に弔問に向かう』とお伝えください。それでは……」

 ベレンガリアが不審がりつつもなお誘うのも聞かず、アンフォリニアは足早に葬祭場を出て行ってしまった。自らが最期を看取るのに関わった故人の葬式を、である。

 


 その日の昼過ぎ。

 王都の往来。大神殿を抜け出した後、アンフォリニアはいかにも洗濯物踏みか何かで日銭を稼ぐ町娘という恰好に変装し、運河を乗り継ぎつつ東へ進み続け、道をいやに急いでいた。

 事件の真相の手がかりがあるとすれば、きっとこの近辺だろう。そうあたりをつけていたからだ。

 アンフォリニアは少女ヒルデガルドを殺害した犯人を、一人で暴いてその証拠をつかんでやるつもりだった。あの哀れな老爺が悲痛に叫びながら腕を引く姿がずっと瞼の裏に残っていた。あの涙で目を向けていられないほどしわくちゃになったあの顔こそ、カルト教団が生み出し、唐突に振り撒き、無辜の市民達へ理不尽に押しつけて一生残る傷として刻み込んで回ったものだ。そう思うと自責と後悔で、自らも元カルト教団教徒であるアンフォリニアの胸は引き裂かれそうになるのだ。かつて拉致され目の前に据えられた生贄達が彼女にされたのとそっくりに。

 アンフォリニアが今日まで神官として精力的に務めを果たしてきたのも、その贖罪のためであったのだ。

 その彼女の目の前で、少女がカルト教団によって命を奪われたというのに、

 ――どうして動かずにいられましょうか? 今この妖精界(コッティングリア)で、おそらくは及ばずながらこの私だけが、その下手人を白日の下に晒すのに必要な知識を持っているというのに……?

 今彼女を突き動かしていたのは、それを切望する憐れな彼の目の記憶と、何よりも使命感、ただそれだけであった。

 元カルト教徒の目からすれば、あの悲劇が邪教の生贄の儀式による殺人事件なのは明らかであった。であればその犯人を見つけようと思ったら、教団の秘匿された拠点へ行けばまず間違いなく糸口を掴める。そしてアンフォリニアはその拠点を、あの厭わしい古巣、ニプリズナイト教会の偽装食堂(タヴェルナ)しか知らなかった。

 アンフォリニアは今、目を皿のようにして〈アストラリー・アヴェニュー〉を歩いていた。

 〈ダルクレム市場街道〉という、商業の発展した地域の目抜き通り同士を繋いで、王都エシッディアの東西を横断する一本の経済的幹線と見立てた街路があるのだが、アストラリー・アヴェニューはこれの東の方にある短い区間である。

 アストラリーの町はその地名の通り、占星術(アストロロジー)のための施設が多く並ぶ。占星術(アストロロジー)用の魔法道具に関する店ばかりでなく、ご利益や由縁(いわく)でよく名の知れた拝穹社(プラネタリウム)が多く建立されている。拝穹社(プラネタリウム)は近年成立した新興の礼拝施設で、神々のおわす天上へ直に手を合わせて拝む事が流行した際、未知なる宇宙の広漠に思いを馳せつつ星々から魔力の得をしたいというお調子者達が天文学者の元に集りだしたのが始まりだという。今でもこうした参拝客と、彼ら相手の商売でここは連日にぎわう。

 だからこそ、あの時アンフォリニアを悪の道へいざなったニプリズナイト教会もここにひそかに拠点を構えていたのだろう。この一帯は、主に宇宙を通って異界から忍び寄る邪神・蕃神を奉じるカルト教団に都合の良い設備が多く揃っている。

 深淵を目指す知識と星座への霊的な憧憬が、建ち並ぶものの外装の至る所に施された六芒星の細やかで複雑な独自の彫刻文化となって現れた、独自の豊かな風情に溢れるアストラリー・アヴェニューを歩いていると、不意に三叉路に面するところがある。

 ここを細い一本へ逸れると、その先にあの小さな食堂(タヴェルナ)〈銀色の鷲亭〉はあった。

 ――変わっていませんね……。

 それは彼女にもどこか嘆息するものがあった。〈銀色の鷲亭〉の木造の平屋の白い漆喰の壁には、不格好な星のレリーフがいくつか成形されている。ありふれた屋号の上、掃除だけは行き届いた冴えない外観、さらに特別優れてはいない立地も手伝って、繁盛具合は今でも中の下ほどであるようだ。その程度が隠れ蓑としてはかえって都合が良いのであろう。外から遠巻きに見る限りでも、中で店の者達がどこか落ち着き無くしているのが見えた。教会で儀式が執り行われた後は、当局に感付かれやしないかといつもああなるものだったのだ。

 アンフォリニアは、今すぐにでも店内へ飛び込んで確たるものを聞き出したい衝動に駆られた。だがそれをするにはあまりにも無謀な身の上であった。さらにいえば、食堂(タヴェルナ)で勤務中の教徒は教会の事を聞かれてもぼろを出さないようしつけられているはずである。アンフォリニアは店の裏手へ回る事にした。食堂(うえ)の教徒が教会(した)の事で内々に話したい時は、勝手口でするのが習慣であったからだ。何かをつかめるとしたら、そのそばで耳をそばだてるのが最も良い。

 アンフォリニアは髪と耳を頭巾の下へ押し込んで隠し、その上から日傘のつばを張った幅広のキノコ帽子を目深に被って、勝手口の近くまでこっそりと移動した。路地裏は記憶よりもさらに狭く、埃っぽく感じられ、軒に日が遮られて夕闇のように暗かった。アンフォリニアが向こうからはちょうど陰になって見えなさそうなところを探すと、ふと〈銀色の鷲亭〉の隣の杖屋だった建物が今はちょうど空き家になっているのを見つけた。身を隠すには天祐の陰へ、胸の内で神々四柱へ詫びつつ窓からこっそりと忍び込み――窓は鍵すら掛かっていなかった。おそらくここは取り壊し直前なのだろう――中で息をひそめている事にした。

 そうして空き家の中で心材のむき出しな壁の裏に隠れ、窓から上半身を乗り出して見張りたい衝動を抑えつつ四、五時間は張り込んだであろうか。

 アンフォリニアは壁の外の静寂が、かちゃりという微細な金属音に破られたのを耳にした。胸が途端に早鐘を打ち始める。窓からほんのわずかに顔をのぞかせた時、ちょうど件の勝手口――その片方から薄くだけ開いた。中から人目を憚るように出てきたのは、黒の怪しげなローブに身を包むノームの老け顔の男。格好も今となっては身の毛もよだつカルト教団の黒装束ながら、顔の方も造作から見て彼女の元同僚の一人であった。たしか名前はヴィドーとかいったか。いくらか出世したようだ。

 勝手口は二つある。片方が教会の中枢である地下室へ続く階段だけがあり、もう片方は地上階の食堂(タヴェルナ)にのみ繋がっている。食堂(タヴェルナ)〈銀色の鷲亭〉の客が地下へ誤って入らないための用心である。ヴィドーは地下の勝手口から出てきて、すぐに地上側の勝手口をノックしだした。

「おい、おい……アルヴィンを出してくんねえか、()の事で用があるんだ……」

 などと中の同胞へ小声で頼んでいる様子であった。老け顔も懐かしければそれが呼びつける名前も懐かしい。アルヴィンは女好きのしそうなシルフの伊達男だったはずだが、やはりこいつも邪教に与する男である。

 ややあって、怪訝な顔をして上半身だけ食堂(タヴェルナ)の勝手口から出て来たのは、エプロン姿の優男。これまた少々年齢を重ねてはいるものの、間違いなくアルヴィンである。

「何だよ、ヴィドー……」

「アルヴィン、この前の()だけどよ。()()()()()()の後で、なんだかえらい事になってるぜ」

 二人はそばに誰かが隠れているとは気づいていないようで、その場でひそひそと話をし始めた。アンフォリニアはこれをしばらく盗み聞きする事にした。符丁は変わっていないようだ。〈兎〉は生贄。〈本店への納品〉は、邪神への生贄の魂の奉納を意味する。

「アレは無事に済んだはずだろ? ()()が終わった後、()はちゃんと運河に捨てたはずだ」

「それがな、その()の葬式が出たって話なんだ」

「そんなわけが無え、今頃は海まで流れて行っちまってるはずだ」

「それがあの後、()は銭湯の水路の方へ逸れて流れていっちまったらしくってな。どうもそれをよりにもよって大神殿の奴が見つけて拾って、そこで弔われた、とか……はっきりとは分かっちゃいねえが」

「畜生、あいつらめ……でもそれってまずいよな、きっと官憲が動く」

「さすがにすぐに拠点までは突き止められるまいが……問題は冒険者を雇って調べ出した場合だ。もしかしたら神様の素晴らしさを理解出来ねえで俺達を裏切った奴の中には、冒険者になって生活してる奴もいるかもしれねえ。そうなったら元身内の調べる事だ、知ってる事全部使ってすぐに俺達の喉元まで迫ってくるぜ」

「確かに、もしもそういう奴が雇われてたら、一直線にここを調べに来るかも分からねえな。でも、そんな奴いるか?」

「いるだろうよ。ほら、例えば少し前の、あのウンディーネの奴なんかはそうかもしれねえ。家出娘で根無し草だって話だったからな」

「なるほど、あいつか……司祭にまで上り詰めるかもしれなかったのにな。真面目だったのに、急にいなくなったよなあ。結局見つからなかったしな……」

「そこでだ。司祭様がな――じゃねえ、()()がな、この前絞めた()が生前持ってた物を、全部本部とか他ん所に送れってよ。故買屋に売り飛ばすまでの間、しばらくそっちに隠しておくんだと。それと、()で使ってるバレたらヤバイ物も、一旦全部出して外に移しとくって話だ。で、ほとぼりが冷めるまではウチはずっと合法供物を処理して各拠点へ送るだけにするらしい。確かあの女って、お前が誑し込んで引き込んだ()だったよな?」

「俺の()の事は、俺が最後まで面倒見ろってか……」

「運ぶ物はもういくらかまとめ始めてるから、お前が今日から運び始めろってさ」

「今日からか、ヴィドー? 本当かよ、分かった……」

「頼むぜ、アルヴィン。店の方は代わりに俺が入るから……」

 言うだけ言った老け顔のヴィドーが、ローブ姿のまま勝手口の中へと消えた。入れ替わりに優男のアルヴィンが出て、地下へと潜っていった。

 顔を引っ込めたアンフォリニアは、たった今耳にした重大な情報を脳裏で反芻していた。哀れな娘ヒルデガルド・リンダスドーターは、確かに教団の手によって殺害されていたのだ! しかもあのアルヴィンは、ヒルデガルドが生前に会ったという男性客らしいのだ。

 しかし、その事を知ったところでどうしたら良いのだろう? 仮にこのまま神殿へ帰って司祭様か衛視へ通報したところで、それを裏付ける証拠は〈銀色の鷲亭〉の地下からは無くなっている事だろう。まさに今アルヴィンがそれを抱えて、彼らの他のねぐらへ隠匿しに行くところなのだ。

 アンフォリニアは〈銀色の鷲亭〉以外の拠点を知らない。もしもアルヴィンがこれからどこへ向かうか、その行先が分かりさえすれば。もしもニプリズナイト教会の本部のありかが判明し、そこからヒルデガルドの遺品が見つかれば。故買屋に買い取られて教会の手を離れるより先に、役人が協会本部へ乗り込めば――アンフォリニアの脳裏に、ヒルデガルドの仇を討って妖精界の神々に贖罪するための一筋の光明が見えた気がした。

 勝手口が再び開き、屑屋(ガベッジバック)か何かに変装したアルヴィンが出てきた。頭巾をかぶった彼は、負い樽を背負ってえっちらおっちらとアストラリー・アヴェニューへ歩いて行くようだった。アンフォリニアも、彼の姿が見失わない程度に小さくなったのを確かめてから空き家を出て、彼の後を()ける事にした。



 王都郊外の平穏なある細い通りの一角に建つ、古いレンガ造りの集合住宅の前に馬車を停め、入っていったのは一人の凡庸な男である。

「おっ()さん、ただいま……」

 彼は材木商の男で、普段は隣国・グロースランドの〈竜の都〉ことフェイドにある某材木問屋で奉公人をしている。

「ようやくお暇をもらえたから、様子を見に来たよ」

「あれまあ……元気にしてたかい……」

 彼のやつれた母親も、材木問屋に入った息子がすっかり精悍な顔つきになって帰って来たのを見ると、思わず血色を取り戻して病床から起き上がった。

 ここはこの男の母親の住む家であり、当然彼の実家でもある。彼の母親は彼が隣国へ旅立ってすぐの頃に、ようやくの息子の巣立ちで張り詰めていたものが切れたのか、唐突にがたがたと調子を崩し、あっという間に寝たきりになってしまった。その知らせを受けて長女――材木商の男から見れば姉に当たる――は、製紙ギルドの財務勘定係の仕事をさっさと止め、夫を引き連れて実家へとんぼ返りを打った。今は彼女ら姉夫婦が母親の介護をしながら暮らしている。

「歩けるようになったんだね。手紙でも聞いたけれど、だいぶ良くなってるみたいで良かった……母さん、姉貴はどうしたね?」

「今、二人で牛乳を買いに行ってくれてるよ。結婚してからというもの、昔はあんなに聞かん坊だったあの子がすっかりまめまめしくなってねえ、それにあの子は良い夫を見つけてもらってきてくれたんだよ、あの人は血の繋がらないあたしの事をうんとよく世話してくれて、『妻の母親は自分の母親もおんなじですよ』なんて言ってくれてねえ。あたしゃもう嬉しくて。あの二人のおかげで、あたしの病気もだいぶ良くなったよ」

「そうかい……ああ、俺も安心したよ。おっ母さんが元気そうで何よりだ……」

「お前の仕送りにだってだいぶ助けられたよ。ありがとう。お前がお金を送って来てくれなかったら、今頃皆死んでるんだから」

「そんな、縁起の悪い事を言わないでくれよ……」

「本当の事さ。店では上手くやれてるかい?」

「ああ。仕入れとか色々大変だけれど、なんとかやってるよ。そうだ、今日までだってね、旅の護衛に竜戦士の冒険者さんを連れてグロースランドからコルコリの方まで仕入れの旅をしたのさ。その帰りに実家に顔を出してこいって、店の主人(おかみ)さんからお許しをもらってね。だから途中、実は往路(いき)でも家のそばを通ってて、よっぽど途中で顔を見せてやりたいと思ってたんだけれどね、護衛に冒険者さんだって雇っている手前、店のお使いもまだなのに冒険者さんを俺の事で待たせて付き合わせるのも良くないと思って……でもコルコリじゃ仕入れが出来なくて、結局産地の森まで直に行って仕入れなくっちゃならなくってさ、結局ひと月少々も掛かって、帰りに顔を見せるのがこんなに遅れちまったよ」

「そうかい、大変だったねえ……」

「ああもう全く、忘れたくとも忘れられねえ目玉の飛び出るような大変な旅になっちまった……」

「お前は偉い子だよ」

「ありがとう……そうだ、おっ母さん。お土産があるんだよ。手ぶらで帰って来るのも情が無いと思ってね。グロースランドを発つ時に俺の店の主人(おかみ)さんが持たせてくれた高い酒もあるし、それから温かい服も持って帰って来たんだ。おっ母さんが着ても良いし、姉貴が気に入ったならそっちのおべべにしてもいいだろうよ」

「どこにあるんだい?」

「馬車に積んであるよ。外に停めてあるんだ。きっと気に入ると――」

 そこまで彼が言いかけた時であった。

「うわああっ……」

 家の外から、男の凄まじい絶叫が耳をつんざいて来た。

 材木商は、病み上がりで足腰のまだ立ちきらない母親を落ち着かせてから、彼が慌てて家を飛び出した。

 集合住宅の前では、往来の邪魔にならない所に停めてあった馬車のそばに見覚えの無いシルフの口ひげ男がいて、何事なのかすっかり顔色を長い耳の先まで青くしたままその場に呆然と立ち尽くしている。

 その隣に立っている女は男とおそろいの青い上着と黒い帽子を羽織っているのだが、こちらの相変わらず勝気そうな高い鼻筋の横顔は、彼の生涯の中で飽きるほど見知っている。

「あっ……」

「あ……」

 姉は背後へ駆け寄って来た材木商の男に気づいて振り向いた。

 その顔色は明らかに異様であり、彼女も血の気の失せた顔を引き攣らせている。

「姉貴! ただいま――」これには材木商の男もさすがに怪訝に思い、声を潜めた。「どうしたんだよ?」

 姉は牛乳の瓶を口ひげシルフの夫へ押し付けてから、馬車の方を指差し、一転顔を気色ばませてわめくように、

「あんた、コレ何よ?」

 と尋ねた声は、力無い上にわずかに震えている。

「店の馬車だよ。積んであるのは仕入れた木材と、グロースランドの土産物だよ」

「こ、これが土産物だって言うの?」

 なおも姉とその夫は、今にも倒れそうなほどの愕然の態で、馬車の荷台の方を向いて目を見開いているのである。

「何だよ、酒も服も気に入らないなら母さんに――」

 彼は眉をひそめて首をひねりながら、馬車の反対側へ回って、荷台を確かめた。

 するとなんと荷台から、

「なっ、何だこりゃあ……」

 靴を履いた誰かの足がはみ出しているのである。

 胸板に深々と刺し傷を開けられ、すでに黒ずんだ凄まじい血痕に上半身を支配された死体が、いつの間にか荷台の上へ何者かによって押し乗せられていたのである。

「ひいっ……し、死体だあっ……」

 こうしてようやく材木商も驚愕し、情けなく叫んでその場で尻もちをついた。そのまま腰が抜けて立てなくなってしまったため、衛視へは姉の夫が慌てて走って通報しに行った。

 この時、死体を見つけて気の動転している三人は気が付かなかったが、これにもまた全身へ香油を塗られていたのだ。



 衛視達の調査で判明した所によれば、荷台の上で見つかったのは、石臼職人をしていたロス・マカーニェというノームの男であった。

 博奕で身持ちを崩したロスが数日行方をくらませた後、変わり果てた刺殺体となって材木商の荷台の上に遺棄されているのが発見されたという事件は、石工ギルド内や借金取り達の間だけでなく、四霊大神殿でも噂になっている。

「聞きました? 今度はノームの石工の男性が、荷台の上で、という話」

「もちろんです。なんてかわいそうな方なのでしょう。清らかで真っすぐな暮らしというものがどれだけ大切か、という事ですね……」

「それにしたって、あの石臼職人さんはむごい亡くなり方をしました。あれはあんまりですよ。私、犯人が許せません」

「そうですよ! それに材木商さんの方も気の毒です。自分の荷台にいつの間にか死体が、なんて……私だったら恐ろしくて気を失ってしまいます」

「本当に残忍な事件ですよね。一体世の中どうなってしまっているのでしょう? 少し前にあんな事があったばかりなのに。ほら、アンフォリニアさんが腕を引かれて……」

「あの事件ですね? ええ、全く……」

 神官は社会の癒し手たれば、市井を不安にさせる行為は無視できないのだ。神官の中には日々の鍛錬と奉納試合を欠かさぬ者もいて、大神殿は時に聖騎士団と呼ばれるほどの強い武力を有し、いざとなれば社会的害悪と直接的に相手取る覚悟も出来ている。

 とは言え、困った事が起きた時はたいてい冒険者というトラブルシューターがどこぞから頼まれて、身軽に遊撃するのが世の相場。それを差し置いて自発的に動く動機を見出しているのは、一人で過去を抱え込むアンフォリニアを除いては、神殿には誰もいなかった。それに彼らは衛視のようになにか公的な権限がある訳でもない。もしも実際に何か行動を起こした結果どこぞと衝突でもしたら、政治的な面倒に巻き込まれるかもしれない。神官という身分が美学上生臭い事を嫌うため、こうした事も手伝って、神殿は外から助力を乞われない限り非常に腰が重いのだ。

 それに何といっても、神官達も一人一人は一小市民でしかない。彼らもまた好き好みに走易(そうえき)したがり、不得意や面倒を嫌う、ありふれたところを持つ。

 この噂話もまた、神官の業務をさぼりながらしているのだ。

 四霊大神殿の広い敷地のうち、内部で〈離れ〉と通称されている建物は、神官のうち住み込みで務めをする者達の居住・生活棟である。()()の本堂を小さく質素したような建物で、節制された暮らしを建材で表したような木造建築である。

 一階・ランドリーは、水を使うために離れの奥まったところにある。そのため監視の目が行き届きにくい。洗濯は毎日行うため頻繁に同僚と顔を合わせる機会になるし、長時間の作業は怠けたい欲求を掻き立てる。必然、洗濯の時間になると必ず井戸端会議がすぐに始まり、そのうち洗濯物を踏む足も止まり出す。そばに漂白に使う酒精もあるとなれば、たちまち酒盛りになるのだった。

 より不埒な不良神官になると私語・飲酒にとどまらない。ここは洗濯物を干す都合から裏庭へ通じる勝手口があって、そこから簡単に外へ出られるように出来ている。おあつらえ向きに着替える場所もある。そのため、勝手に平俗な服装に着替えて神殿を抜け出して酒を飲みに行く奴がいた。平気な顔をして劇を見に行った奴もいる。ひどい奴ともなると堂々と娼館から贔屓を連れ帰ってくる。

 四霊大神殿の神官は遵奉意識が高いので、普段はこうはならない。だが何か行事があって規律が引き締められる日は、よくかえってこうなった。ヒルデガルド・リンダスドーターの火葬もロス・マカーニェの弔いの用意も、平時なら些事とは言わずともおお事ではないはずが、今日の連続殺害事件という状況だけに緊迫していて、いつもより気を遣った。その反動で息抜きをしたがる奴が増えたのだ。

 ランドリー中央では、大きな桶に溜めた水の中で洗濯物を踏んで洗うはずの神官達は、無駄話が過ぎて半ば酒宴と化している。脇ではボードゲームに興じている二人の同僚を大人数で囲んで、どちらが勝つか賭けに興じている始末である。部屋の隅には白昼堂々抱き合っている姿まで見えた。

 見目麗しい同性の同僚二人を両脇に抱えて贅沢に撫でているのは、あのベレンガリアである。彼女は長い足を開いて座り、立てた両膝の上へ同僚のそれぞれの小ぶりながらよく張った腰を乗せて、自分の上半身へもたれかからせている。彼女自身は二人の首の下あたりへ代わる代わる顔をうずめるのに耽溺していた。

 しかしベレンガリアの愛人の片方が急に、体をこわばらせて手を止めた。もう片方も気まずそうに固まっている。ベレンガリアが彼女達の胸元から顔を出したのと同時に、

 ――バタン!

 扉が乱暴に閉められる音と共に、ずかずか足音を立ててランドリーへ入って来たのは、堅物・アンフォリニアではないか……。

 ランドリー中の神官達が一斉に、居住まいを正して取り繕いながら、大慌てで酒やらサイコロやらをその場で隠蔽しだした。何か言われたらお終いだ。上に告げ口されて、怠けてるのがバレる。彼女は神殿長様からの覚えも良い。まさかあの清廉と品位に口うるさいアンフォリニアが、この時間にランドリーに来るとは思わなかった。最悪、このままこの場の全員が神官を辞めさせられるんだ……。

 しかしそのアンフォリニアは周囲の神官達には目もくれなかった。それどころか口から酒の匂いをさせている同僚さえ無視して、部屋の脇の籠へと向かって行く。そして着ている神官服を落ち着きなく脱ぎ捨てたかと思うと、手に持っていた包みから明らかに俗な服を出してそれに着替えだしたのだ。

 一同が左右の眉を違わせて困惑のままいぶかしんで物珍しそうに見るのも気にせず、アンフォリニアは丈の長く色の暗いマントを羽織って、妙に急いた様子で勝手口から出て行った。

 その奇妙な一幕と異様な様子に、さすがの怠け神官達も面食らい、

「珍しいですね、あのアンフォリニアさんが……」

「サボりで勝手にどこかへ行くなんて。いや、あたし達はちょいちょい抜け出しますけれど、あの人が?」

「何だったんでしょう? ちゃんとしたお仕事ならこっち側から出て行ったりはしないでしょうし」

「ええ。それにちょっと様子が変でしたよ、あの人……」

 自分の非行を棚に上げて思わずひそひそと話し始めた。そしてそのまま噂話と共に、元のだらだらとした怠け癖の世界へと戻っていった。

 しかし彼女達の内、ただ一人ベレンガリアだけは深刻な何らかの事情の匂いをかぎ取り、ただ眉をひそめながら彼女の出て行ったあとの勝手口を黙って横目で見ていた。

 その勝手口からアンフォリニアと入れ違う様に入って来たのは、眼帯を巻いた別の女神官であった。

「珍しいものを見たわねえ~……」

 と、関心を示す風にも茶化す風にも聞こえる言い方でつぶやきながら、着ていた黒マントの外套を片付けつつ、ドライアド族らしい少年っぽい顔に相変わらずにやにやと笑いを浮かべている。

 このエカテリーナという神官を象徴しているのは、神官の首の上に金縁でつややか黒い眼帯が巻き付いている異様さである。よく歯をむき出して笑う口もとのおかげで、笑うと時折海賊の若造男のようにも見える。しかし首から下では贅の肉で一回り膨れた体の上下が神官服に突き出し、締まりの無く肥えた女の輪郭を押し付けているのが嫌でも見える。こういう下卑た顔と脂ぎった体になるような商法と金回りの女という訳で、

「えっへっへ、まあこっちは知った事じゃないけど。この前馬車の上でくたばってたとかいうロス・マカーニェって男、よほど実家に嫌われてたみたいね、ベレンガリア」

「き、機嫌良さそうだな、エカテリーナ……その手の袋の中身、全部前金なのか?」

「馬鹿が身内にいると、墓に入れるのも気を遣うから大変よねえ……めちゃくちゃ高い葬儀プランを買わせたうえでデッカい追加注文もさせて、たんまり金払わせてやったわ。葬式の相場金額を知らない奴ってのは全員、神様方のお恵みよ」

 その界隈では有名な悪徳葬儀屋なのである。

 ベレンガリアの情婦の同僚神官二人は、彼女が他の女との話に気を取られているのも構わず、彼女の体の上で息も絶え絶えに腕を絡め全身をこすりつけてもがくのに没頭している。

「エカテリーナ、頼むから法に触れるような真似だけはするなよ……?」

「心配される理由は無いわ、阿漕もほどほどにしてるわよ。司祭様に目を付けられるわ。ああ、良い商談だった……リンダスドーターの爺いに売り付け損ねた分はすっかり取り返したわ。お金、お金、ぐふふ……」

「マジで頼むぞ……」

 不安げな目で呆れるベレンガリアをよそに、エカテリーナはその場で小躍りしながら、眼帯の片目を細めて革袋に頬ずりをしていた。革袋はあからさまにずっしりと大きく膨らみ、時折金貨銀貨が音を立てる時すら重々しい。ベレンガリアはそれを指差して尋ねた。

「ちなみに、どうやってそんな山ほど払わせたんだ?」

「延ばさせたのよ」あんたには特別に教えてあげる、という顔でエカテリーナはほくそ笑んだ。「お通夜にもたっぷり時間をかけさせて、さらに本葬の日取りも可能な限り遅い日に決めさせたのよ。『不名誉な身内が死に方まで不名誉だったとなれば、ここはあえて葬式をうんと先送りして、世間が忘れるのを待ってから葬式を出した方が体面が()つ』って説き伏せて、ね……少なくとも五、六日は死体安置所(モルグ)に置きっぱなし。特別プランって言って相場の十五倍で契約させてやったわ。しかも今回はあたし何にも動かなくていいの! 最高の客よアイツは! まだ清拭だってさせてないくらいなんだから! 送金が楽しみ……」

 ベレンガリアは唇を奪い合う二人のされるがままにしながら聞いていたが、彼女の聞き捨てならぬ発言に反応して口を離した。「清拭もしてないだって? それはさすがにそれは司祭様方が黙っちゃいないだろう」

「それが、ごねたら案外すんなり通っちゃったのよねえ……上手くいって良かった」

「事の次第によっちゃあ問題だぞ。死体安置所(モルグ)に同じご遺体がずっと置いてある状態を上が認めたとは信じられない。葬儀の時に故人のご遺体が腐敗してたら、お前責任を取れるのか?」

「ウチの死体安置所(モルグ)なら大丈夫よ。でもそんなに言うなら、そう。今からあなたに見せておこうかしら、アイツの死体。その方が、衛視様か誰かが事件を調べる時に都合が良いでしょうね」

 口をへの字に曲げて言うエカテリーナは片手で地下を指差しながら、もう片方の手で立つように手招きをして見せた。

 ベレンガリアは首筋にぶら下げた二人の頬へ軽く口づけをして帰らせた。二人が血の上ってぼんやりした頭のまま立ち上がり、冷めやらぬ興奮を分かち合いながらランドリーを出て行くのを見送った後、彼女はエカテリーナの後をついて歩いた。

 神殿本堂・一階の奥まったところの、ある目立たない扉をエカテリーナは開けた。扉の向こうは唯一階段ではなくらせん状の緩やかなスロープで地下へと繋がっている。

 この陰気なスロープを降りていく。

「あたしら拝み屋は祈祷によって神々に奇蹟を乞い、それによって万事を成す。つまり、ほとんどの場合直接対象に触れないで何事も済ませてしまう。あたしらの一番の大敵は、その祈祷が上手く働かない事よ」

「ごく稀にあるそうだな。癒しの魔法を唱えたのに傷が塞がらないとか、祈祷で病が癒えたのにすぐ症状が再発するとか。魔術師ギルドによればあたし達の『奇蹟』――神威魔法(オラクル)に限らず、全ての魔術体系で起こりうるそうだ」

「ふうん、あいつら『おらくる』って呼ぶのね……そういう時、あたしらはすぐに『自分が神官として未熟だからだ』って普段の修練と繋げて考える。怪我や病気の事を探ろうとする奴は中々いないのよ。あたしら神官ってのは自分の事しか考えないのね。目の前に苦しんでる者の事なんかよく見もしないで」

 降りた先には、暗く冷ややかな石造りの地下室がいくつも並んでいる。この場所こそが、

「――ようこそ、神々の御言葉のもとに捨て置かれた者達の行き着く果て、死体安置所(モルグ)へ」

 である。エカテリーナは不謹慎な皮肉にぴったり合った嫌味ったらしい笑顔を浮かべた。

 ロス・マカーニェの死体は一番奥まったところに、ヒルデガルド・リンダスドーターのものと入れ替わりで収められていた。エカテリーナはその棺を中々乱暴な扱いで引っ張り出して来つつも、わざわざ慣れた手つきで手早く死に化粧台の上へ横たえた。ベレンガリアは噂の亡きロス・マカーニェと初めて対面した。彼女が危惧していたよりも遺体の保存状態はかなり良かった。肌は全身が小綺麗だった。清拭もしていないという話のはずだが、小耳に挟んでいた彼の生前の暮らしぶりからは少し考えられない。

 エカテリーナは胸元のいまだ生々しい黒ずんだ刺し傷を指して、

「見てのとおり、刃物で刺されて死んだと見ていいわ。血がからっけつになったせいで体が動かなくなったって訳ね。運び込まれた時点で、死後二日日経ったかどうかって感じ。生前縛られたみたいで腕と足に痕が残ってたわ。死ぬ直前まで胴体を帯みたいなもので圧迫されてた様子もある。ほら、ここ」

「確かにここだけ色が違う」

「あとこの中年男(おやじ)、魔法の心得がちょっぴりだけあったらしくてね。死ぬ直前に回復魔法を使おうとして失敗した形跡が口の中にあるわ」

「そんな事分かるのか?」

「分かるわねえ、えっへへ……」 

 エカテリーナは遺体の口へ差し入れた木の平棒で舌を押し当てて頬の肉の裏をのぞき見つつ、眼帯の奥の目までを細めてほくそ笑んだ。それからベレンガリアの方を向いて、

「ところで――あなた、知ってる? ファスティトカロンやアスピドケロンといった巨大魚や海の幻獣はその巨体ゆえに、海面から出た背中の上に海鳥が住み着く事があるわ。時々間抜けな船乗りが島と間違えて上陸するって笑い話の由来ね。ある種のエビに至っては、この手の巨大魚の鱗の間に挟まって身を隠し、そこでその魚の皮膚片や付着した藻を食んで一生を過ごすと言うのよ」

「それが、何か?」

「自分よりもはるかに大きな生物の体に住み着き、寄生して生きる動物もいるという事よ」

 そう言いながらエカテリーナが指差したロスの遺体の脇の下に、奇妙に白んだ腫れがあるのが見えた。

「これは?」

化け蜘蛛(タランチュラ)の卵塊よ」彼女は答えた。「自分より大きな生き物の体内に卵を産み付ける種もいるの。幼虫は宿主の体内で血を吸って育ち、大人になる時に肌を破って出てくるのよ。普通はこんなところに産み付けられる事は無いわ。たいてい足とか――何者かが意図的に腹を押し付けて産み付けさせたのよ」

 曰く、化け蜘蛛(タランチュラ)に噛まれた犠牲者が踊り狂って死ぬのは、産み付けられた卵・幼虫の体内での孵化・成長のせいであり、体内で虫が足や頭に回るとそれを引き起こす事があるのだという。

「おそらくこういう寄生生物達は、あたし達拝み屋の祈祷が効力を発しなくなる原因のうちの一つよ。腹の中に虫が寄生していると、癒しの祈祷で体を治した先から、寄生虫が虫がその体の中で血をすすって減らしてしまう。これじゃあ効き目が無いというものよ。水を注ぎ足した桶に鼠が穴を開けてるような話だもの。

 死霊術師(ネクロマンサー)達の間では、彫り師の入れ墨消しや鼻入れ師の鼻梁再建技術から着想を得て、害の根本を刃物で物理的に取り除く技術を確立する試みが模索されているそうよ。命を癒すための魔法を使わない、いわば独立した医術。こういう技術を地下では〈中彫り〉とか〈解剖術〉とか呼ばれてて、密かに研究されているのよ。腹の中の虫を追い出す魔法は無い。でも腹を下す毒物で追い出したり、死体なら腹を掻っ捌いて取り出したりする事は出来るわ。あたし達なら」

「その話はこの前少し明かしてもらった。お前もその研究者だったのか……」

「あたし、寄生虫に魅せられた女だもの。けれどこういう地下(アングラ)な研究はどうしても費用に困るのよ。死んだ奴が金なんか持ってるべきじゃないわ……」

「とにかく、この蜘蛛の卵が、ロスが魔法を使って失敗した痕の原因だって言うんだな」

「間違いないわ」

「おそらく犯人が被害者に抵抗されないように手を打ったんだろう。とするとコイツは殺される前に長時間拘束された可能性が高いな……」

「誘拐犯のくせに凝った事する奴ね……ま、そっちはこれのせいだと見て良いわ」

「他に妙な事があるのか?」

「死体には無くってね。後で説明するわ」

 エカテリーナはロスの遺体の肌を指でなぞって、油のようなものが塗られているのをベレンガリアに見せた。

「香油みたいな匂いだけど触ると少しピリピリするし、こんなべたべたな香油も見た事無いわね。この前の娘っ子みたいに運河にくぐらせても取れなさそうな感じ~、なんて。見るからに清拭が大変そう。後回しにして正解ね。どうやって他の奴に押し付けようかしら……こういう油は見た事はある?」

「いいや、無い。無いが、やりそうな連中なら知ってる」

「どんな奴ら?」

「ろくでなしだ。邪教の異世界カルトの連中だよ。暗闇からよその世界の神様を呼び寄せて、そいつが妖精界を侵略して本来あるべき神様が打倒されるのを待ち望んでる、そういう気の触れた手合いだ」

「そう……これは葬式を延ばさせたかいがあったわ。こういう事で調査しなきゃいけない手間があるだろうからって上を説得して、正解だった」

「それで遺族に高い葬式で契約を取って、余計に金を払わせて……」

「大目に見てちょうだい。あたし達、生臭神官同士でしょ? ぐふ……ねえ、こいつは祈祷を弾きそうに見える?」

「弾く? まあ、見る限りマジックアイテムの類だろうし、可能性はあるだろうな。身内に相談してみるが……なんでそんな事を?」

「いやあねえ、あたし、こいつの死体の前にヒルデガルド・リンダスドーターの死体も預かってたんだけど……その時にアンフォリニアの奴がぽろっと漏らしたのよ。『葬送の祈祷をした時にちょっとだけ術式が弾かれた感覚がした』とか」

「……それ、何も知らない奴が肌感覚で分かるのか? あたし達プロでも知識の無いものを知覚するのは難しいものだぞ」

「でもそう言ってたのよ。で、あのかわいそうな娘っ子の後でこのオッサンの死体よ。あの子の死体も預かったけど、匂いを嗅ぐ限りね、多分このオッサン……あの子とおんなじ油が刷毛で刷かれてると思うのよ」

 エカテリーナが指の腹で香油の粘着を手遊(てすさ)びしながら語ったのを、ベレンガリアは上の空になりそうなのをこらえながら聞いていた。

「……アンフォリニアがなあ……」



 その頃。

 盛り上がった肩の筋肉を軋ませ、赤らめ、怒張させて、互いの怪力に唸り声をあげながらこらえているのは、二人の大男である。組み付いた大男達は真っ昼間から腰巻一丁の姿で、脇へどけたテーブル席で出来たリングの中で汗をぼたぼたと板張りの上へ垂らし、再び雄牛が喧嘩するように双肩をぶつけ合って突き合わせた。この二人の力比べを、負けず劣らず隆々とした体躯の者達が取り囲んで立ち、あるいはテーブルの天板の上に座って観戦して、はやし立てている。そうら押せ、押せ! どちらが強い! 彼らにとって、今まさに競い合っているように強さこそが己の価値なのだ。酒が少し入るとまれにこうなる。

 それをカウンター席の向こうで皿を拭きながら苦々しげに見ていた女店主が、

「いい加減にしなよ! いつまで馬鹿な遊びしてるんだい! 他の客がいなけりゃ何しても良いって事があるかい!」

 ついにしびれを切らして怒鳴った。その声も体も、女店主は現役を退いてしばらく経つにもかかわらず、今なお店では最も大きい。一喝された所属冒険者達はとたんに風船がしぼんだようにしゅんとしてしまい、すごすごと服を着てテーブルを元の場所へ抱えて運び始めた。

 〈赤き戦斧亭〉は冒険者を斡旋するフリーカンパニーの中でも特に大きく、信頼を置かれている大店(おおだな)の一つである。王都エシッディアの旧市街と新市街の間あたりに海岸線沿い近くの大通りに面して建っており、今では珍しい宿酒場(イン)の形態をとる。いわゆる古式な、〈冒険者の宿〉と呼ばれる類の店舗である。この大店を取りまとめ、力自慢の荒くれ者を従えて質の良い冒険者に躾けているのが大女、店主のアーグステ・ズブレッツィであり、彼女もまたかつては重戦士の冒険者であった。

 ベレンガリアも所属ではあるが、今はここにはいない。エカテリーナと共に神殿の地下にいる。

 広い店内のテーブル席を元ある所へ直し、一階が本来あるべき飲食店の内装に戻った後、〈赤き戦斧亭〉所属の冒険者達は、裸でレスリングに興じてはしゃいだのを叱られて罰が悪いようで、エールを飲み直しながら真面目ぶって各々の次の仕事の話をし始めた。次に請ける依頼。先の仕事で消耗した物。鎧や装備、その他商売道具を新調すべきか。剣の修行や魔法の勉学の悲喜こもごも。そして、近頃の冒険めしの種になりそうな近頃の時事――彼ら冒険者もまた、職業柄の独自の情報網から仕入れたヒルデガルド・リンダスドーター殺害事件の一報・続報に目を奪われていた。銭湯の水路で見つかった遺体の話を聞いて、魔族の間諜を疑う者も、水路の危険生物を想起する者もいた。過去に異世界カルトの邪教徒と対峙した経験のある何人かは、遺体の異様な状況から類推してアンフォリニアと同じ()()にたどり着いていた。

 たった今材木商の荷台の上で見つかった二人目の事件については、この時はまだ世間にまでは知られてはいない。

 ところで、妖精界(コッティングリア)には魔法はあっても機械は無い。異界とは妖精界の妖精にとって、恐ろしい理外の者共の這い出して来る混沌のるつぼでしかない――一般にはそういう事になっている。なので当然カメラも存在せず、また新聞にも被害者やその遺族の顔写真は載っていないのである。

 だから彼らは、ゆっくりと店の扉を開けて入って来た白髪の薄くなった老人が、たった今自分達の噂している事件の老爺テオバルト・リンダスドーターその妖精(ひと)だとは気づかなかった。

「お頼申します、依頼に参りましてな……」

 テオバルト老人が思いつめた表情でそばの女給に尋ねると、彼女は快活に受け答えをして、少し待つように言ってすぐに引っ込んでいった。

 代わりに出て来たのが、

「はいはいはい……何でしょう」

 店主アーグステ本人であった。

「いや、お待たせしてすいませんね。今ウチの奉公人はみんなちょっと折悪く出払ってまして、あたしが直接お話を伺わせていただきますよ。エシッド地域語でお話ししますか? それとも別の言葉の方が良ければ――」

「いやいや、お気遣いどうもありがたいですが、取引はきっちり公正契約語(ネヴァヴラハ)でいたしますよ」

 店主は個室で周りの耳目を気にせず依頼の話が出来ると勧めたが、テオバルトはこれも辞退して、カウンター席でそのまま話をする事にした。テオバルトは仕立屋という仕事柄、席へ案内する店主の常識離れした後ろ姿を、彼女の着ている服で目測して取った。なんという巨体だろう! 上背といい体の幅や分厚さといい、まるで牡牛を縦に二頭立てて並べたかのような……この方も昔はずいぶん鍛えて暴れておったのだろう。もしもこの大きな体を包む服を仕立てるとするならば、まず生地を調達するのに難儀するな。事実、エプロンも大きな生地を二枚上下に繋ぎ合わせ、やっと形を成している。色々と工夫もしている――彼は店主の着ている大作の各所に、手掛けた者の苦心の跡をありありとみて取って、心の中で彼らへ労いの言葉を送った。

「それでは、本日はどんなご用向きでいらしましたので? ええと――」

「――あっ、これは申し遅れまして……わしはリンダスドーターと申します。テオバルト・リンダスドーター。旧市街のアプフェラーの街道沿いで仕立屋をしとります」

「はいはい、リンダスドーターさんですね……テオバルト・リンダスドーターさん、と……」

 店主は依頼票にペンを走らせた。

「今日参りましたのは、他でもありません、こちらの冒険者さんに言われましたので」

「ウチの奴に言われた?」

「ええ、こちらに所属だというベレンガリア・ブリュッケミュンステルという冒険者さんに『何かあったら、〈赤き戦斧亭〉に相談すると良い』と勧められましてな……衛視様もきっと、目を皿にして調べていらっしゃるのは承知じゃございますが……わしとしても何もしないではいられませんでして……どうか、孫の仇を探して、代わりに討ってほしいんでございます」

 テオバルトは店主へ声を絞り出し、深々と頭を下げた。

 窓の外では黒く厚い雲が、重苦しく空の上に垂れ下がっている。


 

 絢爛に見えるのは、天井や壁が拭き清められているからに過ぎない。殺風景な部屋は、昼間だというのに窓を閉めていて暗い。辛うじて漏れ入って来る光を反射しているのは、部屋の薄灰色の土壁の一面だけに施された、けばけばしい意匠の稚拙なレリーフであった。ねじれ双角錐を中央に据え、その周囲を関節のある触手とそこからびっしりと生えた毛が不定形に囲んでいる。このレリーフに見下ろされるように、不定形になるまで沸騰した玉座のような奇妙な模様の敷物の敷かれた広間を、壁際にびっしりと並べられた真鍮製の不規則に歪んだ抽象的な人型の彫刻が取り囲んでいる。

 この場所こそがニプリズナイト教会の本拠地、その建物の一つである。外から見ればただのいくつかの別荘であった。

 王都を西の城門から街道へ出て、西南西へ行ったところにある郊外にアーハリェという町がある。ご当地の森閑な湖畔やその周囲の街並みはカントリー的興趣に溢れてはいるものの、街道から少し外れたところにあって、経済的には繁華とは言いがたい。そこで領主、アーハリェ伯爵であるグイード・ブアンナ三世には、この地を交易中継地や避暑地として発展させたいという思惑があった。こうした背景から、領主と教団はどちらかともなく接近し合った。両者は双方利用し合っていた。観光地には、普段村へいない者やよそ者が定期的に来て森へ馬車を牽いて向かって行く、という行為が怪しまれない土壌がある。邪教徒達が森の奥でしか出来ない重要な儀式を行うのに不都合が少ないのだ。一方伯爵は彼らの教徒ではない。現世利益を追求し、彼らから異界の物品を仕入れて闇市場で売買する事で不当な儲けを得ていた。これが教団の後ろ盾と経済力の源であって、それで彼らは勢力を王都まで伸ばせたのである。

 ローソクの火が暗い部屋で落ち着きなく揺らめき、その不安定な灯りが教会の聖堂中を不穏に照らしている。その床の上には大なり小なりの小物、鞄、女物の服が一面に並べられていて、そのほとんどに乾いてもはや赤黒いか蝦茶色にくすんだ血痕が付いている。それを奇妙なほど黒い装束の者達十人余りが忙しなく、並べ直したり箱に詰めてどこかへ持って行ったりしている。

 その黒ずくめ達を見やった後、教祖のイリヤ第一教主は、曲がった口を重々しく開き、下まぶたのたるみきった三白眼でじろりと見た。支部から来たぐず教徒め。お前達のいい加減な仕事のせいで、大事なものを全てを壊すつもりか。未だにそう言いたげな目で彼がにらんでいるのは、〈銀色の鷲亭〉支部から来た老け顔の教徒ヴィドー司祭である。

「お前達のところの物、本当にこれで全てであろうな?」

 イリヤ第一教主は、伯爵から受け取っていた密書の苦情を忌々しげに握りつぶしながら尋ねた。外套姿のまま受け応えるヴィドーは、床の上に最後の隠滅すべき証拠品を並べ終わった後も、自分達の奉ずる真理の頂点を前にして、流汗が絶えないでいる。

「はい、細かいものを含めて、これで全部でして……」

「お前達の不手際だ。生贄にした奴の死体の処理で手抜きをしおって。よりにもよって王都の四霊大神殿に死体を拾われるとは! 霊的盲者共の総本山のような場所ではないか」

「は、申し訳ございません……」

「なんと愚かな事をした。伯爵の奴め、慌ててこんなものを送りつけて来たぞ」

「一体何でございましょう?」

「『何を勘違いしているのか知らないが、我が領はお前達との関わりは無い』とな。彼奴(きゃつ)め、我々が官憲の犬どもに捕まると思っておって、己へ塁が及ばぬよう無関係を装うつもりなのだ」

「それは何と不届きな――」

「黙れ! 元をただせばお前達の日々の務めが不真面目だからだ! 我らの崇めるアザトト神に対してまるで敬虔と言えぬわ!」

 イリヤ第一教主は激高し、白髭を振り乱して杖を振りかぶりヴィドーの頭を打った。

「うっ……」

「そもそも、あんな町娘など生贄にしたら、周りが動くのは火を見るよりも明らかであったろう。あの小娘を誑し込んだのはアルヴィンという教徒であったな」

「はい、さようでございます」

「あ奴も一旦消えねばならん」

「き、『消える』ですって……」

「馬鹿な勘違いをするな。しばし身をくらませねばなるまいという事だ。ほとぼりを冷まさねば、毎晩の祈りにも身が入るまい。それとも……ふむ、たしかに殉教してもらう事も視野に入れねばならんか。まあいい――おい! 誰かいないか」

 脇へ呼びつけると、女の教徒が一人しずしずと出てきた。イリヤは彼女へ、教徒を一人匿えそうな場所があるか調べ、無ければすぐに伝えるよう言いつけた。女教徒が下がった後、再びヴィドーへ、

「ヴィドー、我らの同胞アルヴィンに、もう一度ここへ来るよう伝えろ。あ奴が来るまでの間、あ奴の処遇を考えておく」

「そ、その……アルヴィンなんですが……」

「断るというのか? わしは別に構わないがなあ、今わしから指示された奴が混乱してかわいそうだとは思わないか?」

「そうではなく……アルヴィンは今、行方が分からなくなっていまして」

「何だと?」イリヤは片眉を上げた。「まさか捕まったのではあるまいな?」

「今大慌てで探してるところでして、それで最後の分だけはあいつじゃなくて俺が持ってきたんでして……なので呼びたくても呼べないんでして……」

「お前のところは教徒の最低限の管理も出来んのか!」

 イリヤはまたもヴィドーの頭を殴りつけた。

「要領の悪い馬鹿者共め!」吐き捨てながら、「〈銀色の鷲亭〉に帰ったらな、お前のところの支部長には『今後人事異動と組織再編をする』と伝えろ。お前も憐れだ、あんな無能の下にいるのだから。わしもアイツを重用するのではなかった……さっさと出ていけ! 不愉快だ! 二度とわしの前に顔を見せるな!」

 そうまくし立て、近くにあったタンカードを彼の顔面へ投げつけた。第一教主の機嫌を損ねたヴィドーは濡れた顔も拭かずに、逃げるように玄関へ退いていった。

 ところが、玄関扉に手を掛けて引いたその手が、次の瞬間に何者かに強かに捻り上げられ、玄関の外へ引っ張り出された。

 代わりに戸板を蹴り倒して押し入ったのは、緑色の軍服の上から甲冑を胸当てだけ装備した、

「国家憲兵団の御用である! 全員神妙にせよ!」

「げえっ、憲兵!?」

 イリヤ以下、教会の教徒共が全員ぎょっとして立ちすくんだ。その内に憲兵達の緑色の軍服が中へ殺到し、鎖槍を扱いて腰だめに構えて逃げ道を封じている。

 彼らの足元ではヴィドーが憲兵の一人に腕を極められていて、地に膝を突かされたままの格好で身動きが取れず苦悶の有様である。

「異界の神を奉じ天地の転覆を企てる〈ニプリズナイト教会〉を名乗る者共! 己らの悪事、全てすでに白日の下に晒されているぞ! これなるは大神殿の聖騎士団、これなるは正規の冒険者の一隊! 拠点四件に抜け道一本、全て押さえさせてある! 全員観念してお縄につけい!」

 憲兵のマントを羽織った一人が、建物中に響くような大音声(だいおんじょう)で大喝した。

 彼の背後で、女教徒が口を押さえて青ざめている。床下の隠し扉がひとりでに開き、そこから白い神官服の僧兵達が四ツ石紋の型で抜いて塗装した大楯を携え、短剣を抜いた冒険者態と一緒にぞろぞろと出てきたからだ。

 外ではいつしか教徒の慌てた声が剣劇の音と共に聞こえていて、それがみるみる少なくなっていく。彼らの悪の巣窟たる別荘〈甘美なる子供の夢想(スイート・ベイビー)〉は憲兵、騎士団、無数の本物の武人達がすでに取り囲んでいて、偽りの世直しに酔う馬鹿者共は鼠一匹も漏らさぬという構えが構築されている。

「おのれ!」イリヤがわめき、懐から短刀を引き抜いた。「斬り抜けろ! でなければ一人でも多く殺せ!」

 周囲に命じたのに応じて、教徒達も椅子やら隠し持っていた短剣やらを振り回した。振り回したものの多勢に無勢の上、すでに槍衾(やりぶすま)の中、袋の鼠になった後である。一人また一人とやられて行く中で、イリヤ第一教主も破れかぶれにダガーを突き出して鎖槍を構える憲兵の一人へ踊りかかった。

 鎖槍(くさりやり)というのは槍の柄の前端、穂の根本あたりから鎖付きの鉄球や分銅鎖を伸ばしたもので、簡便ながら刺突と打撃の双方を可能とする。しばしば穂先はスパイク状で、鎖を相手の体や腕や武器に絡ませて動きを封じられる強みから現代では捕具として使われる事も増えた。

 憲兵はイリヤ第一教主の突進を、穂先で峯打ちにして事も無げにダガーをはたき落とし、鎖槍から垂らした鎖を振り飛ばした。鎖はたちまち足に巻き付き、イリヤの体を引き倒した。

 この日、ニプリズナイト教会本部にいた教徒共――のうち、捕り物で命を落とした者を除けば――実に四十人余り。これら全員が捕縛というかたちで一掃された。

 教祖イリヤ第一教主、本名カール・エゴン・アーデルハイトを麻縄で縛ったのは、この憲兵団を引き連れて来た冒険者だった。ベレンガリア・ブリュッケミュンステルである。

「ジジイ、ヴィドーって小物がこいつで、イリヤ第一教主とやらはお前の事だな? 殺しの証拠(ネタ)は挙がってるんだ。観念するんだな」

「わ、我々はただここに泊まっているだけの者でございます。何の事だか――」

「馬鹿がよ。祭壇を後ろの壁に背負ってそんな間抜け話が通ると思うか? 二人を殺して捨てた下手人の女はとっくのとうに捕まえてある。その女がみんな泥を吐いたんだぞ」

「女?」

「ああ、アンフォリニアという奴だ」


 この捕り物の数日前、ベレンガリアは赤き戦斧亭経由で手紙を受け取っていた。差出人は本名、アンフォリニア・スアス=アルトヒニーとなっていた。

 手紙は待ち合わせの頼みで、決められた時分に王都・新市街の某所まで来るように書かれていた。猥雑な新興商業地帯のさらに外れであって、とても平素の柔和で知られた彼女から連想されるようなところではない。ただし、近頃の彼女の何か追い詰められた様子にはひどく似つかわしい、裏に荒れたところを隠しているような場所である。

 現地を訪れてみても、手紙で指定された建物はただの小さな鍵屋である。ろくに磨かれず上から下までレンガが灰色にくすみ切った平屋を外からしばらく眺めていたが、

「……来ないな。アンフォリニア……」

 ベレンガリアは革鎧の胴当ての内側に手紙をしまい込み、薄い木の扉を叩いた。

「入ってみるか……」

 昼だというのに扉には〈閉店〉とある。

「あー、ごめん下さい……赤き戦斧亭ってところから参った冒険者の者で、お休みだとは承知ですが――」

 と言いながら、ふと扉に手をかけると掛け札とは裏腹に鍵が掛かっていない。

 中は薄暗く、カウンターに埃は積もっていないものの、床は靴の泥で汚れたままで、一方潤滑油で汚れた様子はどこにも無く、あまり繁盛している店だとは言いがたい。

 それどころでは無い。鼻をついたのは店の奥から漂ってくる、血の匂いである。

 ベレンガリアにたちまち緊張が走り、顔付きを変えて片手剣の鞘をあらかじめ左手で握っておきながら、飛び越えた鍵屋のカウンターの向こうへ踊り込んだ。

 すると床の上を、おびただしい血糊が濡れ濡れと、未だ鮮やかな赤みを残して塗りつぶしているのである。

「何だ、これは……」

 板張りの上には、男が五体を大の字に投げ出して果てている。背の高い優男風の胸には中央あたりに牛刀が突き刺さったままになっており、腹にも胸にもめった刺しにされていて直視しがたく、無数の刺し傷の鉄臭い鮮血の兇臭が充満して、近寄るとまともに息も出来ない。

 そして、その隣で頭から血を流し、神官服にも返り血を垂らして、息も絶え絶えに力無くへたり込んでいるのは、

「何があったんだ、アンフォリニア……」

 であった。

 アンフォリニアは辛うじて顔を上げてベレンガリアを認めると、

「ごめんなさい……ごめんなさい、ベレンガリアさん……」

「しゃべるな、体力を消耗するぞ……今、治癒をするから――」

 ベレンガリアが懐から四ツ石の聖印を取り出し、彼女の頭の傷口の上にかざそうとした。

 しかしアンフォリニアは、その手を弱々しく払いのけたのである。

「このまま、死なせてください……」

「馬鹿を言うな、一体何があった……」

「こ、この男が、やったんです。リンダスドーターさんの子も、ロス・マカーニェさんも……あたしが今、仇を討ちました……」

「何……」

 この時のベレンガリアの驚愕や困惑ぶりはいかばかりであったろうか。彼女は斃れた男の死体を指差したまま、暗い声で呟くように語り始めた――

 と、この時アンフォリニアが話した内容が、ニプリズナイト教会摘発に繋がったのであった。憲兵に通報したのもベレンガリアとその冒険者一党(パーティー)であり、彼女の縁があったために赤き戦斧亭の新米所属や四霊大神殿の抱える同僚僧兵達が拠点制圧と追捕に協力する運びとなった。神殿からすれば無事に少女ヒルデガルドの霊魂を癒す責務を果たした形になっただろう。 

 以上の経緯は、遺族テオバルト・リンダスドーターへ余すところなく報告された。

 教団摘発の大捕り物の後、翌日。ヒルデガルドの葬儀にも関わっているベレンガリアによる、彼から請けた依頼の完遂の報告という形であった。

 テオバルト翁は復讐が果たされた事に涙ぐんで喜んでいた。だがアンフォリニアの不穏な話に入ると、

「し、しかし……すると、あの神官様はどうなったんです?」

「色々、託してくれました。アンフォリニアの奴があたしに話したところによれば、死体の男はアルヴィンといって、若いながらも腕利きの鍵屋だったらしかったんですよ。表向きは……」

 アルヴィン・エセルズは生前、鍵・錠前師ギルドの親方の下で文句ひとつ言わず修業を積み、独り立ちした後も客には愛想良くしており、近所にもいくらか溶け込んでいたそうな。ただし時折、敬虔な人々や神殿に対する嫌悪感をのぞかせる事があって、世間一般が抱く妖精界を開闢した神々への素朴な敬意を嘲笑するところは眉をひそめられていた。また頻繁に女遊びをしているように見えた上、同じ娘の下でずっと付き合っていた事が無い事で、女癖が悪いのではと周囲は噂していた。これは彼のカルト教徒としての性根と、新たな教徒を誘い込む様子がちらちらと見えていたためであった。

 アンフォリニアの独自調査によって、教団の拠点のありかの他、規模、組織図、息のかかっていると思われる人物・団体の名前にいたるまでが詳細に判明していた。ただ、尾行と聞き込みだけでは分からない事もあった。彼らが利用していた施設の全容である。教団は拠点以外にも外部の施設を利用しており、その大半は騙されて無自覚に利用されているだけであったが、そうでない所もあった。ヒルデガルド・リンダスドーター殺害の証拠品を隠滅する際、アルヴィン(とヴィドー)は全てを直接本部へ持ち込んだわけではない。少しずつ小分けにしながら一旦()()()()()()へ運んだ後、そこで短期間だけ一時的に保管されてから、行くべきところへ送られていた。その搬出先を全て尾行して掴み切るのは彼女単独では難しかった。そこでアンフォリニアは思い切った手に出た。証拠品が運び出された後を見計らい、教団に中継地となったその()()()()()()に無謀にも忍び込み、何か証拠になりそうな物を盗み出そうと考えたのだ。

 まさかその建物が、かつての顔見知りのアルヴィンの店だとは思わなかったのである。

 護衛としてベレンガリアに手紙で協力を頼んでいたアンフォリニアは、油断があったのか偵察がてらという軽い気持ちで、閉店に気づかず入って来た客を装って入店した。

 しかし彼はアンフォリニアに一目で気づいて動揺した。アンフォリニアもまたアルヴィンと不意に目が合って瞠目した。

 アルヴィンは足抜けを図った教徒の捜索と処罰も命じられていたらしい。彼は唐突な再会に慌てて腰を浮かせた、その直後にはカウンターを乗り越えて彼女に掴みかかっていた。二人はもみ合いになった。

 アルヴィンにとってアンフォリニアは、ただの捕まえるべき裏切り者でしかない。しかしアンフォリニアにとってアルヴィンは邪悪の走狗、ヒルデガルドの仇敵である。彼女が隙を見て牛刀を拾って振りかざした時、

「アルヴィンの奴の最期の表情は、まさに鳩が豆鉄砲を食らったような驚愕ぶりでした。ご自身が今まで何をなさっていたのか、周りから見て自分たちがどのように思われているか、まるでご承知でなかったのでしょう……」

 であったそうな。

 そこまで話し終えた頃には、すでにアンフォリニアの命の灯はほとんど消えかかっていた。

「ベレンガリアさん……あたしは、元カルトでした……だから、あたしがやらなくちゃ、神様方への本当の意味での贖罪には、ならなかったんです……」

「馬鹿……」

「これを、持って行って下さい……六枚とも遺書です……長くなっても書いておいて良かった……これには、あたしがあのかわいそうなヒルデガルド・リンダスドーターちゃん、それにロス・マカーニェさんの事が書いてあります……あたしが、殺した事になっていて……あたしが犯人になれば……あたしが死んで、遺書に、あたしが殺したって書いてあれば、教団を全部摘発できる……実行犯の自白があれば、指示した者まで……あたしだって元カルトです。若い頃の実体験、あたしが生贄の儀式で殺した時の事をそのまま書けば、それがそのまま、そこのアルヴィンが二人にやった殺し、そのまんまになってるはずですよ……それともこれは、あなたの言うところの、現実的な手とは言えませんか……?

 これを読んだ後、あたしの部屋も調べて下さい……あたしが調べて分かった事……あたしがカルトで見聞きした事、全部書き留めてありますから……」

 そこまで辛うじて言った直後、アンフォリニアは眠るように事切れた。

 今、テオバルトとベレンガリアは四霊大神殿の本堂の中央に二人きりで立っている。テオバルトは喪服の黒い布の服。ベレンガリアは神官服姿である。ベレンガリアは彼にアンフォリニアの最期と託した物の事を全て話し終えた後、神官帽を被った。

 ロス・マカーニェの葬儀も無事に終わり、生贄事件も収束して、昼過ぎの本堂には平穏が戻っている。

 本堂はホールのようになっている。奥には妖精界を開闢した偉大なる始祖の四神、土の精霊・豊穣の地母神ビーカーベル、炎の精霊・盃の戦神ロシュヒナッハ、風の精霊・壺の天使ツィンツェネテル、水の精霊・(とい)の龍王リンドヴルムの巨大な大理石の神像が安置されている。その手前には、神樹の苗木の植わった鉢植え、ローソクの灯った荘厳な燭台、四ツ石の紋章を丁寧に染め抜いた流し旗、清い冷水を湛える釜が備えられている。

 二人はこの祭壇の前へ、ゆっくりと進み出ていた。

 その途中で、彼女の遺書を手に持って歩くベレンガリアは不意に、呟くように詩歌をひねった。

「〈犬よりも鳩が喧嘩で死ぬるかな穏やかゆえに加減が効かじ〉て、か……」

「それは……?」

「いえ、すみません。アンフォリニアの奴、神官になるよりも前から、十何年もずっと思い詰めていたのかと思うと……アイツがもともとカルトだなんて初めて知った。高司祭様もアイツのために寿命まで隠し通し、ついに墓場まで持って行ったんでしょう……アイツ、責任感はめっぽう強い奴でしたから……」

「そうでしたか……」

「最近どこかおかしいとは気づいていたのに、どうして気を遣ってやれなかったのか……」

「そういえば、アンフォリニアさんのお葬式は……?」

「……あるかどうかも。なにせ世間的には、アイツはカルトに身を置いていた狂人であり、あまつさえ大神殿に忍び込んでいた恐ろしい暗躍者、という事になってしまいました。本人が最期に遺書でそう()()しましたからね……ですがね、ご老人――」

「分かっておりますとも」テオバルト老人はベレンガリアの言葉を制した。「わしと冒険者さんだけは知っております、アンフォリニアさんの事は。あの時孫に一生懸命祈祷をしてくれた神官さんが、善人でないわけがありません」

「今のあたしは冒険者ではありません。神々四柱に仕える大神殿の神官であり、アンフォリニアの生前の友人です。ご老人、祈っていただけませんか……」

 二人は神像の前で一礼をして立ち、両手を伸ばして親指を畳み、後の四本の指の先を合わせた。ベレンガリアの方は、両肩の上下の四方へ手を遣ってから再び合掌する、本職の神官のし方で祈った。葬送の祈祷である。

「御身に抱きかかえられし死せる者の、その精の行くべき次の旅路の見出さるるまでの間、この者をどうか安らかに眠らせたまえ……」

 その横で、テオバルト老人はただ素朴に手を合わせている。

「ヒルデガルド……お前にひどい事をした奴はね、みんな、神官さん達がやっつけてくれたよ……ベレンガリアさんもそうだし、それにアンフォリニアさんっていう、とっても優しい方がね……」

 彼は涙を噛み殺し、震える声で、向こうの世界へ旅立った孫娘へ語って聞かせていた。上には四神による天下の鎮護を示す正方形の四ツ石を模った大窓と、神話の時代を描いたステンドガラスがあり、そこから射す光が本堂全体を温かく照らしている。

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