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11/14

11:旦那様の出自

 それから二週間ほどが経ち、夏の暑い盛りがきた。

 朝からヤヌスがヴィクトールと話をしにきたということで、せっかくだしお茶でも出してやるかと応接室の戸を叩く。


「失礼いたします。お茶をお持ちしました」


「ん。ヤヌス殿、ちょっと休憩にしましょっか」


「そうだな……ん? はぁぁぁ!?」


 貿易の交渉だろうか? 書類を積み上げ話し合っていたヴィクトールが休憩を申し出る。

 そこで二人分の茶を差し出し一礼し顔をあげると、私が目に入ったらしいかつての副官は、顎が外れるほど大口を開けて叫んだ。

 ……驚かせるために来たのは事実だから、本当に笑いを堪えるのに必死だった。


「私の顔に何か?」


「い、いや、小僧!! ジュリアに何をさせている!? お茶くみだと!?」


「私はヴィクトール様の専属メイドですが」


「さ、様付け……それに専属!? おい小僧、お前この方が誰か分かっているのか!?」


 無表情を作ろうと努力しているのだが、頭まで真っ赤になったヤヌスの反応に頬がひくつく。

 ただ彼はいつも真剣なので、そろそろヴィクトールとの話に悪影響が出てくるだろう。

 両手で口を塞ぎヒクヒクと肩を震わせ、器用に声を出さず爆笑するヴィクトールに目配せをして、そっとお茶菓子を置いた。


「ほらヤヌス。私の焼いたクッキーです」


「……ぐぬぬ……すっかりメイドに……」


 悪戯に来たのは事実だが、何よりヤヌスにもう一度会っておきたかった。

 仲直りとまでは行かないけれど、お互いに前を向くことはできる。

 そんな気持ちを込めて、私は彼と目を合わせた。


「今では洗濯も、掃除も、料理も……私はこちらで、楽しくやっていますよ」


「……」


「ライオラのお墓にも、伝えてもらえると。逢って話せたら良かったのですけれど……」


 すっかり老人になった彼はうるうると涙をためて、目頭を拭う。

 そして何度も頷くと、泣きそうな声を必死に誤魔化して、ヴィクトールの方を向いた。


「小僧。ジュリアに免じて、例の件は呑んでやる」


「頼みます。ちょっとこっちでは調査しづらいので」


「……俺の方でもだ。人使いの荒さは父に似たな」


「それは光栄です。父のことは尊敬しているので」


 ヴィクトールは嬉しそうに笑っているけれど、結局、何の話だったのだろう?

 良くわからないけれど、二人が話の続きを始めるというので、私は仕事に戻ることにした。

 とりあえず寝室の掃除を済ませて……応接室の扉に耳を当てると、二人の話はまだ終わっていなかったので、昼休憩に食堂に行く。


「あら、ジュリア。旦那様の打ち合せ長引きそうだし、先に休憩来たの?」


「はい。レイラさん、今日のお昼は何でしょうか?」


「なんと珍しく牛肉のシチュー! だから、ジュリアは先にお芋十個食べといてね」


「……分かりました」


 仕事中はきちんと敬語を使い、メイド長のレイラには敬意を払う。

 それでいて昼の献立を楽しみにする余裕も出てきたことに、我ながら段々馴れてきたものだと感心した。

 ただ、私は油断するとものすごい勢いで食べてしまうので……高価な食材が出てくる日は先に腹を膨らますように釘を差されているのだった。

 そんなこんなでふかした芋を食べていると、メイド仲間のおばさん達に声を掛けられた。


「ジュリア、すっかり馴れたわねぇ」


「うんうん。最初は無口で不器用な美人さんだと思ったけど、最近よく笑うわね~」


「そうですか?」


 もぐもぐと膨らんだ頬をつつかれ、少し恥ずかしい。

 笑う、ということを特に意識はしていなかったが、こういうのは他人のほうが詳しいものだ。

 どう見えているのだろうと気になって聞き返すと、おばさんたちは勢いよくまくしたてた。


「そうよ~。旦那様といる時、あなた楽しそうにしてるじゃない。旦那様ご自身もだけどね」


「旦那様も良かったわよねぇ。私たちは良いご主人だって知ってるけど、貴族様方からはみんな旦那様の悪口ばっかりだから、ちょっと前までいつも難しい顔してたのよね~」


 しばらく働いてみて分かったが、アレクサンドロフ領はギネビア屈指の大都会だし、ここを見事に治めるヴィクトールが貴族からの嫉妬の対象になるのは全く不思議ではない。

 面倒な貴族社会で生きてきた彼の笑顔が増えたのなら、本当に良かったと自然と頬が緩み……出された牛バラ肉とビーツのシチューがどんどん進む。

 皆で呑気に食べていると、おばさんは小さくため息をついた。

 

「いくら養子だからって、そこまで邪険にすることないのにねぇ」


「……ヴィクトール様が、養子なんですか?」


 血が繋がっていない養子が、これほどの大貴族の家を継ぐ?

 大勢親類もいるのだし、普通はありえないだろうと、シチューを掬う手が止まった。

 呆然と聞き返した私に、おばさんたちは悲しい顔で世間話を続けた。


「あー、そうなのよ。本当は先代の旦那様に息子さんがいたんだけど、十年前の事故でねぇ……」


「先代様も、奥様も亡くなるまでずっと旦那様を信じてたのに、旦那様が後継者に選ばれてから、分家さんとか他の貴族方が『兄殺しの簒奪者(さんだつしゃ)』……なんて言いがかり付けてきたのよ」


 先代やその奥方は、ヴィクトールのことを非常に高く評価していたのだろう。

 実際その評価は正当だと思うし、統治能力からして亡くなった自分の息子の次に信頼したのも頷ける。

 しかし……順番を大きく飛ばして養子を跡取りに据えたのは、異国の貴族である私からしてもやりすぎな気はする。

 そんなに先代は分家の事が信用できなかったのだろうか?


「貴族といえばさ、ジュリアって育ち良さそうよね? ちょっと不器用だけど、姿勢は綺麗だし歩き方も颯爽としてるし、気品があるっていうの? 旦那様の専属にぴったりよねほんと」


「わかるわかる~。ねぇねぇ、実はどこかの貴族様の隠し子とか? どうなの?」


「い、いや、そんなことは……」


 そんな事を考え込んでいると急に、別の角度から話が飛んできた。

 まさか気づかれたのかもしれない。誰かがこの前の裏路地での出来事を見ていたのかもしれない。

 背中に冷や汗が滲んできて、どうやって答えたら良いものかと困っていると、肩を叩かれた。


「昼休憩はとっくに終わりだと思うが、確かに気になるな。ジュリア、どうなんだい?」


「旦那様!! すみません、すぐ仕事に戻りますー!!」


 ヴィクトールの声におばさんたちはすっ飛んでいき、振り向いた私は彼の目を見る。

 全部知っているくせにいたずらっぽく微笑む彼に、なんというかホッとした。


「……ヴィクトール様、ご説明しましょうか?」


「あはは、冗談だよ。こっちの交渉は終わったし、今度は君との交渉だ」


「はい?」


 助け舟を出してくれたのだろうが、全くヴィクトールと来たらいつもタイミングが良い。

 ……本当にずるい。なんて彼を見るとポリポリと頬を掻き、意味深なこと言って私の手を取った。






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