聖女降臨前夜会議
暗く重苦しい雰囲気のなか、ひとりの老人が口を開いた。
「それでは、聖女降臨の儀についての最終確認をしていきたいと思う。皆のもの、よいな」
円卓についている面々は静かにうなずく。みな役職が違うのか、その装いはバラバラである。
神殿長フラナガン。
聖騎士長ブライヤー。
司祭長パードム。
総務主査ケインズ。
修道女主査クラベル。
そして聖女降臨に合わせて特別に組織された聖女補佐班のまとめ役、フローチ。
王国がはじまって明日でちょうど八百年となる。それに合わせて国のあちこちで盛大な祭りが催されているのだが、王都内にあるリュセル神殿では少しちがう緊張感がただよっていた。
というのも、百年に一度行われる聖女降臨の儀を明日に控えているのだ。
「もう明日になるのですね……」
修道女主査クラベルが緊張をはらんだ声をもらす。百年に一度という神聖な儀式だ。当たり前だが、今生きている人間に聖女召喚の儀を体験した者はいない。なにしろ前回が百年前。建国当初から合わせても過去には八回しか行われていない希少な儀式なのだ。古めかしい書物といくつかの絵画や石碑しか手がかりがなく、その中で準備を進めるのは大変な重圧であった。
準備するものはこれでよいのか、式の手順は間違っていないか。過去の文献をいくら読み漁っても安心ができない。国をかけての神聖な催しを前に、関係者一同は胃が痛くなる思いだった。
「儀式は明日、正午の鐘と同時に行う。準備にぬかりがあってはいかんぞ」
みながそろって小さくうなずく。
そこでぽつりと声が落とされた。
「……聖女さまは、本当に降臨されるのでしょうか」
だれかの不安げな声に神殿長フラナガンが「さよう」とひと声返す。資料からすると降臨されるのは間違いないようなのだ。過去八回記録全てに、異なる世界より少女が現れていた。
こちらが召喚するのではない。向こうからやってくるのだ。ただ場所と日時がはっきりしており、神殿側の演出的なもので儀式を行なっている。
「聖女さまは必ずこちらへ参られる。あらゆる可能性を視野に入れて、我々は万全の状態でお迎えせねばならん」
誰もが内心不安なのだ。もし自分たちの代でなにか異常事態が発生したら。もし聖女が現れなかったら。百年に一度の聖女降臨は王国で多くの人が知るものであり、特に数年前からは今か今かと待ち望まれていた。
「すみません、私の胸に巣食う不安をここで打ち明けさせてください」
凛とした声で発言したのは聖騎士長ブライヤーだった。まだ三十代という若さで騎士長を任されており、その見た目と活躍ぶりに神殿内はおろか町の人たちにも人気がある御仁だ。その彼の不安とは。
「私たちは聖女さまが降臨されることを前提に準備をしております。そして、聖女さまがうら若いひとりの少女であると仮定していますよね」
円卓を囲む数名が肯定の意で小さくうなずいた。
「しかし私は最近よく考えるのです。例えば降臨された聖女さまがみるからに男であったらどうすればいいか……と」
「なんと……!」
がたりとテーブルから立ち上がったのは司祭長パードムだ。まるで悪魔を見るかのように怯えその体を小さく震わせている。
「それだけではありません。ふたりその場に現れた場合、我々はどうしたらよいのでしょう。明らかに異質な人物が現れた場合、動揺をせずに対応することが可能でしょうか」
発言したブライヤー以外が全員黙りこくり、それぞれに視線をさまよわせた。そんなことがあるのだろうか。今までの記録によるとひとりの少女がこの地上へと舞い降りている。そこに例外なんて——
「過去がそうであるからといってこれからも同じとは限りません。過去とちがう、そう決めつけて聖女を見失い不遇をしいれば、我々だけでなく国全体へ神罰がくだるやもしれません」
誰も、なにも言えなかった。
しばらくして、まとめ役のフローチが重くるしい空気をやぶった。
「聖女を安全にお迎えするのが我々の役目であります。ブライヤー殿が心配する事態が絶対に起きないとは言えないでしょう。そうなるとこの場で我々がとるべき行動は、いくつもの状況を想定しどう対応していくかの方針を決めることだと思います」
まず聖女が男性だった場合については修道女主査クラベルが以下の通りに語ってくれた。
「聖女さまが男性だったとして、そのことにはいくつかのパターンがあると考えます。ひとつ、見た目は男性のようでもれっきとした女性である。ふたつ、体は男性であるが心は女性である。みっつ、心身ともに男性である。……どのケースだったとしても丁重に接するべきだとわたくしは思います。この地に降臨されたことが奇跡の証。男性だからとむげにするものではありませんわ。それに昨今は男だ女だと性別にこだわるのを良しとしない風潮があります。柔軟に対応する姿勢が重要かと」
異論はでなかった。
同じように聖女の年齢がどれほどであってもきちんと対応していこうとの指針ができた。幼子である場合は養育者、老齢である場合は介助者を用意する所存である。
しかし聖女が複数人だった場合については議論が少々白熱した。
「おひとりではなかった場合、例えば見た目が大きくことなるふたりの少女だったとして……」
まとめ役フローチの言葉に司祭長パードムがすぐさま返す。
「もちろん聖女であるのは清廉で美しい少女で──」
「その決め方は乱暴ではないですか」
聖騎士長ブライヤーが反論するもパードムは持論をくずさない。いわく、人は見た目である程度わかるというもので、正直で明るい人の笑顔は輝いており、卑屈で鬱屈とした人はそれが立ち振る舞いにでている。これまでの経験からどちらが聖女であるかを見定める自信があるとのことだった。
「待ちなさい」と神殿長フラナガンが言葉をはさむ。
「どちらがニセものというわけでもなく聖女さまが同時に複数現れるという可能性は充分に考えられよう。見極めが必要じゃ。しかし我々は聖女さまがお一人であるという前提で準備をしておる。いくつか受け入れ先を確保をしておかなければ」
それからしばらくは現れた聖女が複数名である場合にどう対応するかを話し合った。それから見た目に関する状況想定、もしコミュニケーションがとれない場合の段階的措置、神殿が許容できないほどの問題人物であった時の対応など、話題につきることはなかった。特に、降臨の位置がズレ、神殿側の管轄外に聖女が降り立った場合は多くの解決策を出す必要があった。
またこれは以前からの慣習であるが、聖女は降臨ののちしばらくは神殿でともに暮らすことになる。その後、本人が望めば還俗し、裕福な家庭に養子へはいることもできる。過去には王族に嫁いだ聖女もおり、基本的には神殿側も聖女の意向を最大限くむつもりである。
翌日、儀式のさなかに現れたのは異国の服をまとった可憐な少女と謎の怪物。つまり現代日本の可愛らしい少女と、赤い風船をもった某キャラクターのきぐるみだった。
『対象二名、プランBー4実行』
聖女補佐チームが内々で決めたハンドサインが儀式の場に飛びかう。
神殿側はどちらも手厚く保護し、話を聞き、説明をした。特にきぐるみの中から出てきた少女は親兄弟を亡くした天涯孤独の身の上で、それにもかかわらず笑顔を忘れず前を向ける子であった。
「事前に話し合っておいてよかった」というのはのちの総務主査ケインズの談である。というのも少女と思っていた人物はじつは男子であり、彼は心に幾ばくかのキズを負っていたのだ。
神殿側はふたりの聖女を大事に扱った。
聖女たちも少しずつ信頼をよせ、彼らと共に日々を過ごしていった。のちに、ふたりともこの世界で大事な人や居場所を見つけたと嬉しそうに語っている。
この年はいつにも増して作物が実り、穏やかな天候が続き、人々には多くの笑顔が見られたそうだ。