決意
『今日もありがとうございます。また来てくださいね。』
『はい、大丈夫です。また来ますよ。では今日はこの辺で。』
ジリリリリリリッ
いつもの目覚まし時計の音で目を覚ます。最近頻繁にあの人の夢を見るようになった。そのせいか夢の中での会話が忘れられなく現実の世界との違和感を覚えるようになっていた。なぜかあの人の夢は起きても忘れない。昔からそうである。
『さっ、今日も仕事!』
ベッドから勢い良く起き朝の準備をする。一人生活が長いせいかもう手慣れたものである。お弁当と朝ごはんを手早く作り、食事をすませて化粧。家を出るまでのいつものルーティン。家を出ていつもの道のりで会社に向かう。
「おはよう、みなと。」
「あっ、おはよう藍さん。」
「今日夜、空いてる?」
「えっ、空いてますけどもしかして。」
「よしよし、飲もうではないか。」
「やっぱり~」
「いいじゃない、本当に久しぶりなんだから。」
「はい、わかりました。って私も飲みたい気分なので。」
「おっ、みなとがそう言うってことわぁ。まぁ、今夜ゆっくり聞こうではないか。」
いつもより暇な仕事をこなし昼休み、藍さんとのいつものおしゃべりタイム。
「どうしたのよ、みなとが飲みたいなんて。」
「いや、ちょっと聞いてもらいたいことがあって。」
「えっ、もしかして結婚とか?」
「いやいや、それはまだないです。ちょっと個人的なこと。」
「個人的な事とな、また抽象的な。何か悩み事でもあるのか。あんな良い彼氏がいるのに。」
「そりゃぁ、いろいろありますよ私だって。でも絶対信じられないことだから誰にも言えなかっただけで。でも藍さんならって。」
「おっ、ありがとう私を頼ってくれて。なんでも聞くよ、可愛い後輩のためだもの。」
「ありがとうございます。私もよくわからなくなってきちゃって。」
「なに、そんなに重いこと?大丈夫なの、みなと。今までそんな素振り見せたことないからわからなかった。」
「はい、だから聞いて欲しくて。」
「わかった、じっくり聞くよ。頼りないかもしれないけど、しっかり聞かせてね。」
いつになく重い雰囲気のランチタイムではあったが、少し気が楽になった。
午後からの仕事は全然やる気が起きなく、上司から少し心配されるくらいであった。それほど今日藍さんに話すことが良いのかどうか悩んでいた。でももう一人では何が正しいのかわからなくなってきていたのである。
『どうしたら良いんだろう。』
「みなと、終わった?」
後ろから急に話しかけられ我に返った。
「何、上の空だったの?ほんと、大丈夫?」
「あっ、はい。」
「さっ、早く帰る支度しな。」
さっさと帰り支度をすると藍さんと一緒に会社をあとにした。
藍さんの行きつけの居酒屋に行くことになり、お店の雰囲気などを聞きながら歩いて行った。
「お疲れ~」
「KP~」
お互いはじめはビールで乾杯をする。つまみの食べ物を何点か頼み飲み始める。仕事関係の他愛もない話をしてから
「っで、みなとの話って何?」
「いや、話っていうかどこから話せばよいのか。」
あの人との関係を相談しようとしていたのだが全ては夢の中でのこと。夢に出てくる人物が私にどのように影響与えていたのかを他人に話していくとなるとさすがに抵抗はある。
「あの~私の夢の話なんです。」
「夢?」
「はい、幼いころから見ている夢。その中に必ず現れる人物がいて。その人に私ずっと勇気づけられていて。」
「えっ、夢の人?それっていつも同じ人なの?」
「はい、いつも同じ人。その人が私のことを心配してくれていろいろアドバイスしてくれるんです。そして今までずっと私の話を聞いてくれていたんです。」
「えっ、えっ、まって。今までって、小さい頃からずっと?」
「はい、ずっと。」
「何それ。背後霊みたいなものじゃないの?」
「よくわかんなくて、でも私その人のことがずっと忘れられなくて。今までいろいろ話してきたからその人に私も影響されていて、いつも行く喫茶店に通い始めたのもその人のせいなんです。」
「夢に出てくる人に影響って相当な感じね。でも親とかには話さないの?ってみなとの両親のこと聞いたことないなぁ」。
「私ひとり親で、それもネグレクト。だから夢の人は私のかけがいのない存在になっていったの。今、このように普通に生活できているのもあの人のおかげで、何から何までお世話になっていて。初めはそれこそ親のような感じだったのだけど。」
「そうなんだ、みなとって何不自由なく育ってきたものだと思っていた。今、とても幸せそうだから。」
「その幸せをくれたのもすべてあの人がいたおかげだから。」
「そこまでみなとに影響与えるってその夢の人ってきっと神さまかなんかじゃない?」
「私もあの人に聞いたことあるけどあの人は『私はだめな人間だ。』って言うの。だからその人はたぶん人間なのだと思う。」
「えっ、ちょっと待って。って言うことは知らない人間がみなとの夢に現れてみなとにアドバイスしているってこと?えっえっ、ちょっと理解不能。」
「ねっ、不思議な話でしょ。私も信じられないけど夢に現れてあの人の話を聞いているとたぶん実在する人なんじゃって思ってきて。」
「ん~不思議な話ねぇ。でも小さい頃からって結構な年月経っているのでしょ。」
「うん、15年くらい。」
「ってことはその人もそれだけ年齢重ねているのだから相当な歳になってくるよね。」
「でもあの人はずっと変わらないの。ずっといつもと同じような感じでいて、何なら以前より若々しく感じることもあって。」
「なんなんだろうね、その人。でもその人ってみなとに何か害を与えているわけじゃないんだよね。」
「うん、むしろ私にはメリットしかない。今までずっと見ていてくれたからこその今の自分だから。」
「じゃっ、今のままで良いんじゃない?何か問題あるの?」
「うん。」
ここまで話して少しためらう。あの人に対する想いを藍さんに反して良いものか。相手は夢の中の人。その人に対して抱く想い。
「んっ、どうした?大丈夫?」
「うん、ちょっと。これは話した方が良いのかどうか。でも相談したいことがこのことだから。でもなんかよくわからなくて。」
「えっ、まだ何かあるの?」
「この後の話は私もどうしてよいかわからなくて。大悟のこと。」
「なんでここで彼氏の話?」
「大悟とあの人を比べてしまうの。」
「でもその人って夢の中の人だよね。なんで?」
「私、あの人の影響が大きくて。好きな物や興味ある事とか。それで大悟と少し距離が出来てしまうの。」
「でも彼氏はそういうところも好きなんでしょ、みなとのこと。」
「たぶん。でも私は大悟の好きな物とかにあまり興味が湧かなくて。」
「ということは、その人の興味のあることは好きになって彼氏の興味あることは好きにならないと。」
「そう。」
「それって、その人のことが好きってことなの?」
「それがわからないの。だってあの人は夢の中の人で今、目の前にいる訳じゃない。それに実際に存在するかもわからない人。そんな人好きになってもどうしてよいかわからないじゃない。」
「でもそれだけみなとに影響与えているってことはやっぱり好きなんだよね。」
「うん、たぶん。」
「なんかその感じネット恋愛に似ているのかも。でもネットの場合はきちんと実在しているからねぇ。夢の中ってことになるとほんと訳わからなくなるかも。」
「そうなの、だから話聞いて欲しくて。」
「でもいるかいないかわからない人を好きになるってどうしようもないじゃない。今の彼氏を大事にすることがベストだと思うけどなぁ。」
「うん、それはわかっている。大悟のことは大好きだし信頼している。でもあの人とどうしても比べてしまうの。あの人はずっと私を見ていてくれていたから私にとってはすごく大事な存在で。このことを大悟に内緒でいる事がすごく後ろめたくて。」
「でもしょうがないんじゃない。だって夢の中だもん。実際の人じゃないんだから浮気ではないし。ん~でもその人のこと好きなんだものねぇ。考えれば考えるほど訳わからなくなる。何なのその夢の中の人。でもその人がいなければ今のみなとはないわけで。ここまでくるとありがたいのだか迷惑なのかわからなくなる。」
「だよねぇ、ほんと私も頭の中がぐるぐるでわからなくなったから藍さんに聞いてもらおうかなぁって。」
「ごめん、私もわからんわ。でも一緒に問題を共有することはできるから。」
「うん、この話をして少し私も心の中がすっきりしたから。ありがとうございます。」
「ねぇ、いっそこのこと彼氏に言ってみては?その方がすっきりするかも。」
「えっ、でも大悟の他に好きな人がいるって言ったらなんて返ってくるか。やっぱり怖いよ。」
「でも実在する人じゃないんだから何とかなるんじゃない?きっとその方がみなとのためにもなると思う。そんなもやもやして彼氏と会うの変だし。彼氏だって十分わかってくれるし何か答えだしてくれるかもよ。」
「うん。ちょっとそれは考える。さすがに心の準備が出来ない。だって大悟を裏切るかもしれないんだから。私が大悟のこと好きな気持ちは変わらないけど大悟がどう思うかって考えると。」
「そうかぁ、まぁ私に話してくれただけでも良しとするか。」
「はい。」
「よし、飲もう。さすがに奢りとは言えないけど気分転換しよ。」
そう言って藍さんはいつもの様に今どきの男の愚痴を言い始め飲み始めた。
店を出たのはかなり遅くなった。帰って暗い部屋の電気をつけて水を一杯飲む。そこまでひどくは酔ってはいないが結構飲んだ。化粧を落としお風呂に湯をためベッドに横になる。大悟には今日先輩と飲みに行くことは伝えているためいつもの電話は私からかけることにしていた。
『ちょっと遅くなったなぁ。まだ起きているかなぁ。心配してるかも。』
スマホを手に取り電話をかけようとして少し躊躇した。
藍さんとあんな話をした後だ。何を話したらよいかわからない。
『どうにでもなれ。』
と電話をかける。するとすぐにつながり
「もしもし、みなと?」
「うん、遅くなっちゃってごめんね。大丈夫?」
「大丈夫だよ、今日は楽しかったかい。みなとが夜に遊びに行くのって久しぶりだから少し安心した。」
「何?安心って。そんなに夜遊びして欲しいの私に。」
「いやっそういうわけじゃなくて、たまには息抜きも必要かなって。」
「ありがとう、いつも心配してくれて。」
そんな話をして少し心が苦しくなった。
「じゃっ、今日は遅いからこの辺でね。」
「うん、電話いつもの様にかけてくれてありがとう。声聞けて良かった。おやすみ。」
「おやすみ。」
いつもより短い会話。夜遅いから仕方がないのかもしれないが大悟はどう思ったのだろう。何とも言えない感じで物思いにふける。
『あの人は何者なのだろう。』
幼いころから私を助けてくれてあの人には何かメリットはあるのだろうか。ただ夢の中に現れるだけの存在。顔も姿もお互いわからないただ夢の中にいるだけの存在。
『あの人にお礼がしたい。今の自分があるのはすべてあの人のおかげなのに、私あの人に何もできていない。』
そんなことを思っていてもあの人がどこの誰かもわからない。それがこのもやもやの正体なのかもしれない。私からは会いに行けない。それがたとえ夢の中でも。
会えないが故の想い。
それが私を悩ませている物なのかもしれない。
『今度夢に現れた時にはきっと聞こう。あの人が何者なのか。そして会いたいと。』
色々考えていたらお風呂の沸き終わる音がしてきた。
『まぁ、考えてもしょうがない。』
お風呂に入る準備をして切り替える。
一通りやることが終わりベッドに横になる。
『あの人に会えますように。』
いつものおまじない。そして今日は特別。
『みなとさん、今日はいかがでしたか。』
『良かった、今日も来てくれた。』
『んっ、どうかしましたか?』
『いえっ、今日あなたのことを先輩に話したの。』
『えっ、私のことを?』
『はい。とても不思議だって言ってました。』
『まぁそうでしょうね。私にもよくわかっていないのですから。変な風に見られませんでしたか?』
『大丈夫です。初めは変に思っていたみたいでしたけど理解してくれました。そして私があなたに対して想っていることも伝えました。』
『私に対する想いって何ですか?』
『あなたは私をずっと見てきてくれました。そしていろいろ教えてくれた。今までずっと。それが私にとってどれだけ助かったことか。私はあなたに感謝してもしきれないくらいのものをもらった。でも私はあなたに何も返せていない。あなたが何者なのか。顔も姿もわからないあなたに私は何を返せばよいのか。こんなにもあなたのことを想っているのに。』
『ありがとう。そこまで想っていてくれているなんて。私なんてどうしようもない者です。そんな思われる価値のない者なんです。でも私もみなとさんを今まで見てきてとても救われています。それだけで良いです。何も返さなくて良いです。私はみなとさんを見てこれた、それだけで満足です。感謝したいのは私の方ですよ。』
『あなたはどうしようもない人ではないです。私にとってはかけがいのない人。いなくてならない人なんです。だから会いたい。せめて一度でもいいあなたの姿をこの目に。』
『私もみなとさんに会いたいです。でもどうすることも出来ない。それが現実です。これだけはきちんと受け止めてください。』
『私、多分もう限界なの。あんたのことを考えると彼氏のことも薄らいでいく。あなたを好きなんです。』
『ありがとう、そう言ってくれて。しかしあなたの彼氏さんは立派な方です。それだけは心の中にとどめておいてください。彼はしっかり者でみなとさんのことを第一に考えている人です。彼を信じてください。これからのあなたを見てくれる人は彼なんです。私は夢の中にしか現れる事しかできない。何も手を差し伸べることはできない。あなたをこれから救うのは彼なんです。』
『わかりました。あなたのことを彼に話します。その反応で彼の考えがはっきりするなら。その代わり彼が私に嫌悪感を抱いた時はあなたの正体を教えてください。』
『大丈夫です彼なら。彼を信じてください。』
ジリリリリリリッ
目覚ましの音が鳴り響く。今日は目覚ましの音がやけに不快に感じた。天気もあまりよくない。今日は憂鬱な一日になりそうだ。
朝の支度をしながらスケジュール帳を確認する。今度大悟と休みが同じ日を探す。そしてその日にまた会う予定をすることをラインで連絡した。
『もう迷いはない。きちんと話し合う。』
そう決めて少し顔がこわばっていたのか鏡の中の自分の顔が怖かった。
彼と会う日までの間、夢の中にはあの人は現れなかった。まるですべてわかっているかのように。そしてその日が来るまで私の中のもやもやは大きくなるだけだった。