悩み
『今日も良い天気。』
天気が良いとテンションが上がる。結構単純なのかもしれない。
今日は久しぶりに彼氏と会う。このように休みが合うことがなかなかない。休みが合う時はなるべく会うようにしている。今日は彼氏がエスコートしてくれるらしい。どこに連れて行ってくれるのか楽しみである。化粧はいつもと同じ薄め、服装は少しお洒落をする。さすがに久しぶりに会うのだから少しは可愛く見られたい。待ち合わせはいつもの喫茶店。喫茶店で少し時間をつぶしたい。マスターとも話がしたいし。そんなことを思いつつ家を出る。
「いらっしゃいませ。」
「こんにちは、マスター。」
「やぁ、水島さん。いらっしゃい、いつもありがとうね。」
「いえいえ、私ここ好きだから。」
「あれ、今日はお洒落ですね。デートですか?」
「はい、久しぶりに休みが合ったもので。」
「ここを待ち合わせにしてくれてありがとう。彼氏さんに会うのは久しぶりだ、楽しみですね。」
「いやいや、そんな楽しみにしてもらわなくても。」
「人の幸せはうれしいものですよ。この歳になると人が幸せそうにしているのがうれしくてね。だからこの店で幸せのおすそ分けをもらっています。」
「ほんと、この店みんな幸せそうだよね。」
「ありがとうございます、それがうちの店のモットウなので。」
「だから好きなのかもしれない、この店。今日もマスターと少しおしゃべりしたくて、早く家出てきたくらいだもの。」
「そう言っていただけると光栄です。」
「みなと、お待たせ。」
急に声をかけられてびっくりした。
「えっ、いつの間に来てたの。」
「ひみつ。いつもマスターと仲良しで、マスターにやきもち焼くよ。」
マスターと彼氏がそっと目配せをしていた。
「マスターも人が悪いなぁ、知っていたのなら教えてくださいよ。」
「いえいえ、私は何も知りません。」
そう言って奥に入ってしまった。
「久しぶりに会ったね。ごめんね、いつも会えなくて。」
「仕方がないよ、お互い仕事忙しいんだから。ところで今日はどこに連れて行ってくれるの?」
「今来たところなんだから少し話そうよ。」
彼はコーヒーを頼んで隣に座る。
「今日もかわいいね、少しお洒落して来たの?」
「そりゃ一応ね。これでも気を使っているからね。」
「それはそれはありがとうございます。」
お互いに顔を見合わせて笑うのはやはり楽しい。いつも電話越しだと表情までわからない。ビデオ通話も良いが実際に隣にいると嬉しくなってくる。
いつものように他愛もない話をして少し時間を楽しむ。しかし何か少し違和感を感じつつ。
喫茶店を出ると今日は見たい映画があるみたいで一緒に観ることになった。かなりのアクション映画らしい。ポップコーンと飲み物を買い映画を楽しむ。その後、街中をぶらぶらと歩き。
「夕飯どうする、うちで食べる?作るよ。」
「たまにはみなとの手料理食べたいけど、今日は良い店見つけたからそこで食べよ。」
「おっ、結構奮発するねぇ。大丈夫なの。」
「これくらいは平気だよ、だてに忙しく働いてないからね。」
「この格好で大丈夫な場所だよね。さすがに高級店だと恥ずかしいから。」
「大丈夫、そんな高級店はさすがに行けません。それに結構ガッツリいきたい気分なんでね。焼肉よ。」
「おっ、良いねぇ。私もガッツリいこうかな。」
焼肉はさすがに一人で食べに行くことは少ないので、今日はいっぱい食べてやろう。気を遣う相手でもないし。そんなことを思いながらデートを楽しむ。彼といるのは楽しい、彼のことは好きである。しかし何かが違う、それが何かはわからない。
お互い次の日は仕事のため今日はわかれることにした。家の近くまで送ってくれる彼。こうしていつも気遣ってくれる。頼りないことは確かなのだが他は完璧である。でも私の中には何かしこりがある。何かが足りないのである。実際そこまで完璧を求めているわけではないし、欲張りでもない。
『何考えているんだろう?』
私が彼との結婚に踏み切れていないのはそこである。まだプロポーズをされたわけではないが、されたところで返事に困るだろう。彼も本当は何か感じているのかもしれない。長く付き合っている仲である、私のことは大体わかっているだろう。だからプロポーズも迷っているのかもしれない。
『まさかねぇ、考えすぎよねぇ。』
寝る前に彼氏と電話で話し、今日のお礼を言う。
いつもの目覚ましで目を覚ます。
『今日も良い天気。』
カーテンを開けいきなりテンションが上がる。やはり天気が良いのは気持ちが良い。朝から気分が晴れる。
いつものように朝ご飯の準備をし、食べながら仕事のものをカバンに入れる。少しゆっくりしたくて急いで支度をする。空いた時間で紅茶を入れてゆっくり音楽を聴く。結構古めのJ―POPを最近は聴いている。古いながらに味がある曲が多い。今の時代でも十分響く歌詞が多く良い物を探しては聴いている。紅茶を飲み終わる頃、ちょうど良い時間になり出社することにした。いつもと同じ道のりで。
「おはよう。」
「おはようございます。藍さん。」
「良い顔してるねぇ。後でゆっくり聞かせてもらうよ。」
「えっ、ほどほどにお願いします。」
『また休憩時間のおかずにされてしまう。』
いつものことだが彼女は恋愛話が好きなのである。でも楽しそうに聞いてくれるのはうれしくもある。最後は嫌味で終わるのだけれども。
休み明け、少しペースがつかめない仕事。デスクについてゆっくりと始める。いつもと同じようにほどほどの加減で。
「みなと、ご飯食べよ。」
急に後ろから話しかけられる。時間が経つのを忘れていたみたいである。
「はい、行きますか。おかずにされに。」
「わかってるじゃない。たっぷりのろけ話聞かせてもらうわよ。」
いつもの休憩場所でお互い弁当を広げて昨日のデートの話を言わされる。根掘り葉掘り聞いてくる彼女に翻弄されながら会話は続いていた。
「ほんと、そんなに仲良かったら結婚しちゃえば良いのに。」
「ん~、なんかねぇ。まだそのタイミングではない気がして。お互い意識はしているんだけどね。」
「何が引っ掛かっているのかはわからんけど、今日はお腹いっぱいの話ありがとうございました。」
「いえいえ、お粗末様でした。」
「私もそんな彼氏欲しいなぁ。どこかに転がっていないもんかねぇ、良い男。」
「私もなんで藍さんに彼氏出来ないか不思議ですよ。世の中の男は見る目ないのですよ。」
「本当に欲にまみれた男だらけでまいっちゃう。」
と、ここからは彼女の愚痴の話。私が聞き役になってしまった。
おしゃべりをしていたらあっという間に休憩時間が終わってしまった。
「今度ゆっくり仕事終わりに話そうよ。」
「はい、今度いろいろ話しましょ。私も最近まっすぐ帰ってばかりだからたまには良いかな。」
「そうよ、みなとは付き合い悪いんだから。絶対だからね。」
「はい。」
私はなぜか夜に出歩くことを好まない。昔からである。これと言って理由はないのだが、そういうところに真面目さが出ているのかもしれない。
家に帰りいつもの様に時間を使う。この生活も慣れてきた。この空間に彼氏が来るのは何か違和感がある。一緒にいるのは好きなのだが自分の空間がやっぱり欲しい。
『やっぱり家庭のイメージがわかないのかなぁ。』
幼いころからずっと一人にされていた過去がある。温かい家庭のイメージが湧かないのである。自分がどのような家庭を作りたいのか、またきちんと子供を育てられるのか。私には味わったことがない世界を他の人に味合わせることができるのか。ものすごく不安なのである。自分の子供に私と同じ目に合わせるのではないかがとても不安になることがある。
周りの人は「私は大丈夫」と言ってくれるのだが、自分の親を見てきた自分に自信が持てない。未来は何があるかわからないから。
彼からの電話で我に返る。
「もしもし、お疲れぇ。昨日は楽しかった、ありがとう。」
「いや、大したことないよ。それに久しぶりにみなとに会えてうれしかったし。こちらこそありがとう。」
この様にお礼を言い合える関係になったのもあの人のおかげ。私の中にはいつもあの人がいる。
「またデート誘ってね。今度は水族館が良いなぁ。」
「水族館かぁ、車で行かなきゃね。ついでにドライブもしようか。」
などと次のデートの話で盛り上がり少し長電話になってしまった。
「あっ、もうこんな時間。そろそろ寝る準備しなきゃね。疲れているのにごめんね。」
「いいよ、こっちも楽しかったし。また明日ね、おやすみ。」
「うん、おやすみ。」
まるで付き合いたてのカップルのように毎日話すことが絶えない。本当に彼は私に優しいし、良い人である。私なんかにはもったいないとさえ思ってしまうこともある。そんな彼でさえ私は受け入れられない部分がどこかにある。私の家庭であり、過去を知った時、彼がどう思うか。付き合いは長いが家庭の話になると話をいつもそらすので、彼が気を利かせてもうその話をしなくなった。いつかは話さなくてはいけないとは思うのだが勇気が出ない。あまりにも悲惨な過去。小学生の頃から何でも一人でやり始め、友達もいなくずっと一人で抱えていた。あの人のおかげ。だからどんな人なのか知りたい。ただの幻にしてはあまりにもリアルすぎる夢。でもその姿や名前すらわからない。私の支えでいてくれた人。知らず知らずのうちに私はその人に恋をしていた。だけどその存在はあくまでも夢の中だけ。その寂しさを紛らわせてくれたのが今の彼である。初めのうちはぎこちない感じであったが、あの人のアドバイスもあり今の関係が続いている。だから今の私があるのはあの人のおかげ。何かを返したいが何もできないでいる。仕方がない、夢の中だけなのだからその存在は。
布団の中に入りいつもの呪文。
『あの人に会えますように。』
『みなとさん、今日はどうですか?』
『今日も会えた。最近よく会えるのが嬉しい。』
『いやいや、私なんかより彼氏さんに言ってください、そういう言葉は。』
『だって彼氏とは毎日話してるから。あなたはいつ来てくれるかわからないからすごく嬉しいの。』
『そうなんですね、私にはその日にち感覚がわからないので何とも言えませんがありがとうございます。』
『昨日彼とデートだったんです。彼も私も忙しくてなかなか会えていないから楽しかった。』
『彼氏さんとうまくいっているみたいなのも嬉しいです。いつも感謝の気持ちは忘れないでくださいね。』
『はい、言われた通り彼には感謝しています。それに彼の方も私のことを大事にしてくれているみたい。』
『それは何よりです。感謝の気持ちを忘れた時は無理やりでもありがとうを言ってくださいね。そうすれば気持ちは少し和らぐと思いますので。』
『いつもそう言ってくれますね。まるで聖人みたい。あなたは神様なのですか。』
『いえ、私はどうしようもないクズの者です。だからあなたには私のような道を歩んでほしくない。ただその一心でここまで来ました。』
『そうなんですか?私には到底そのようには見えません。あなたはすごい方にしか見えない。』
『そう言ってもらえて嬉しい限りです。ただ私は本当にダメでどうしようもない者です。だからそんなに信用しないでください。みなとさんに認められる度に私はどんどん自己嫌悪に襲われる。本当の自分がわからなくなる。ただのダメな者なのに。』
『なんでそんなこと言うのですか?いつも私を勇気づけてくれたのはあなたです。もっと自信を持ってください。』
『ありがとう。でもそろそろけじめをつけなきゃね。』
『えっ、けじめってどういうことですか?』
『あっいや、まぁ今日はこの辺で。』
ジリリリリリリ
いつもの目覚まし時計の音で目が覚める。
毎日同じように起き、同じように仕事に行き、そして時間が過ぎていく。何も内容で何かはきっとあることを信じて。本当に彼氏がいなければ私なんてつまらない人生なのだろう。
今日は休み、これと言って約束もなく一人で過ごす。
『また喫茶店に行こうかなぁ』
天気も良くテンションのあがる休日。外に出ないわけにはいかない。家事をさっさと済ませ出掛ける準備をする。
「こんにちは。」
「やぁ、いらっしゃい水島さん。今日はお一人ですか。」
「はい、天気が良いから来ちゃいました。」
「いつもありがとうございます。」
いつものカウンター席に座り紅茶を頼む。今日はついでにケーキも頼んだ。ここでのんびり時間を過ごすのはとても好きである。時間の流れが周りと違う感じがして不思議な感覚に包まれる。
「最近は忙しいのですかお仕事。」
「ぼちぼちです。このご時世、残業がない分いろいろ詰め込まれている感じだけど。」
「水島さんはしっかり者だから頼りにされていそうですね。」
「いえいえ、まだまだわかんないことだらけで上司や先輩たちに聞きながらですけど。」
「私も昔は忙しく働いていましたねぇ。私の時代は何でもありでしたから、残業もひどいものでしたよ。今の時代はまだ良いのかなぁ。でもみんななんか窮屈そうにしてますけどね。」
「そうですよねぇ。私の職場は雰囲気が良い職場だから良いですけど、パワハラ、セクハラだので大変な人も多いみたいですね。」
「昔はそんなの当たり前でしたからねぇ。これからどんな形になっていくのでしょうね。」
「優しい世界になってくれれば良いですね。」
優しい世界。たぶん絶対に来ないのであろう。人間は欲深く、嫉妬深いもの。人と比べて優越感に浸ったり劣等感を持ったり、そのせいで人間関係がギスギスしてくる。人間の欲というものは本当に厄介なものだと思う。聖書にある知恵の実というものの中に欲も含まれていたのだろうか。みんなが笑顔で過ごせる世界はたぶん来ないのであろう、この欲というものが無くならない限り。
喫茶店にいるといろいろなことを考えるし、マスターから様々な経験からくる知識を得る。とても充実した時間である。私の世代の人からしたら少し変わっているのかもしれない、だから周りからしっかり者に見えるのかもしれない。人生の先輩たちの経験から得る知識はすごくためになる、人によってはウザいと思う人もいるかもしれないが私はそれを整理し自分のものにしようとする。そうすることが知識の上書きだと思っている。過去の偉人たちの書籍なども読んだことがある。それを読んでいると今も昔も人の考えていることはずっと一緒であり、何も変わってはいない。ここ何百年と同じことを考えているのである。しかしその経験が今に反映されていない。だから私は少しでもその知識を生かしたいと思っている。このように考え始めてきっかけもあの人のおかげである。あの人は自分の経験からのものを私に伝え、そして私を導いてくれた。なぜ私の夢に現れ始めたのかはわからない。しかし小さい頃からずっと私を見ていてくれたし、いろいろもらった。感謝の気持ちは常に持っている。実在する人ならば会ってお礼を言いたいくらいである。でも実際に会うと私は揺らぐであろう。彼とあの人を比べて。正直今のままで良いのかわからない。そこまで考えたところでこの前のあの人の言葉がよみがえる。
『けじめをつけなきゃ。』
あの人も同じことは考えていたのかもしれない。このまま私の夢の中に存在し続けるのかどうか。ならやっぱりあの人は実在する人間なのだろうか。
「なーに難しい顔してるんですか。」
「あっ、いえちょっと。」
「せっかくの休みですよ、楽しいこと考えましょ。」
「そうですね。マスター、今度先輩と遊びに行くんですけどね。」
いつものように他愛もない世間話で午後の時間をつぶしていく。