ある少女
ジリリリリリリッ
目覚まし時計の音で目を覚ます。今時珍しいベル式の目覚まし時計。この音が好きで探して見つけたお気に入りの時計。
『さぁ、今日も仕事だ。』
いつものように朝の準備、布団から出るのは勇気がいるが出てしまえばあとは動くだけ。軽い朝食と薄い化粧そしてお弁当、それもいつもと同じ。ちゃちゃっと済ませ、空いた時間にカフェオレを飲む。本当はコーヒーを飲んでみたいのだけどいまいち苦手で飲めない。この仕事を始めてもう2年、だいぶ慣れてきたところで、上司や先輩にも認められている。彼氏とももう5年、お互い仕事が忙しくなかなか会えてはいない。でも、毎日電話でその日の出来事を話し時間を共有している。年齢的にもそろそろ結婚も視野に入れたいがなかなかお互い踏み切れないでいる。そんなことを考えているともう出勤の時間になっていた。いつもの道のり、いつもの電車。少しずつ違ういつもと同じ毎日、その繰り返しをしている。時々自分が何で生きているのかわからなくなる時がある。世界にはその日を生きるのがやっとっていう人もいるのになんとも情けない。
「おはよう、みなと。」
「あっ、おはようございます、藍さん。」
会社のデスクに向かう途中で1年先輩の藍さんが声をかけてくれた。
「みなと、今日も頑張ろうね。」
「はい、ほどほどにですよね。」
お互いいつものあいさつをしてデスクに着き仕事を始めた。仕事は慣れてきたとはいえまだまだわからないことだらけ、先輩に時々聞きながら進めていく。所々休憩をはさみながら、藍さんの言うとおりほどほどに頑張る。仕事は自分の力の6割で、というのが藍さんからの教え。自分を守る方法らしい。
「みなと、お昼よ。一緒にお弁当食べよ。」
「はい、もうこんな時間なんですね。気づかなかった。」
「もう、一生懸命仕事やりすぎよ。」
「仕方ないです、真面目なんだもん私。」
休憩所で弁当を広げ食べ始める。
「相変わらずきれいに詰めてくるねぇ弁当、ほんと几帳面なのね。私なんか適当よ。」
「本当に嫌な性格ですよ、この几帳面さ。もっと気楽に出来たらなぁって思うんですけどねぇ。」
「でもそれだけしっかりしていれば結婚しても大丈夫だと思うんだけどなぁ。私なんてすぐに浮気されて別れてばっかりなのに、真面目な彼女に生活力のある彼氏、十分だと思うけどねぇ。」
「またその話ですかぁ。結婚はまだ考えていません。あの人はまだ頼りなさすぎます。もう少ししっかりしてもらわないと。」
「みなとがしっかりしているんだからその分カバーすれば良いじゃない。」
「ん~なんか違うんですよねぇ。」
「欲張りねぇ、本当は誰か他に気になる人いるんじゃない?今の彼氏より理想の人。」
「いないですよ、そんなの。ただあこがれている存在はいますけどね。」
「えっ、誰?社内の人なの?誰、誰。」
「いや、実際にいる人じゃないし。」
「なんだぁ、二次元かぁ。そりゃ敵わんなぁ。」
「まぁそういうことにしておきます。」
いつものように私の恋愛話をおかずに昼食を食べる。時々藍さんの愚痴も聞かされることもあるが、大体はどうでも良い色恋話である。まぁこの年頃になるといろいろ考えることが多いのだろう。話好きの彼女である、途切れることなく会話が続き休憩時間が終わる。
「もう休憩おわりよぉ、早くない。また仕事かぁ。仕方がない、やるか。」
そう言って二人ともデスクに向かう。午後からも仕事をみっちりとやる。最近は残業をしていないので定時で帰れる。仕事が終わるころには程よい疲れがある。
「お疲れさまでした。」
「お疲れぇ。今日もまっすぐ帰るの。」
「はい、かえって家のことしなくちゃ。」
「ほんとしっかりしてるわぁ。良い嫁さんになるね。彼氏さんが羨ましい。」
「本当に感謝して欲しいですよ。あの人がだらしないから私がしっかりしなくちゃ。年上なのに男の人って、ねぇ。」
「彼氏いるだけ良いよ。私も彼氏欲しいなぁ。」
「藍さんもそのうち出来ますよ。美人なんだから。」
「そう言ってくれるのみなとだけよ。これからもよろしくねぇ。」
「では帰ります、藍さんも寄り道ほどほどにしてくださいね。」
「彼氏見つけるまで続ける。」
お互い笑顔を見せながら別れた。
帰路の電車内で音楽を聴きながら揺られていく。周りの人たちも帰路につく途中なのか疲れた顔をしている。時々このように電車内で人の顔を見て、みんなが何を考えているのか想像する時がある。人それぞれ考えていることは違う。思っていることや考え方も違う。そのような人たちが、同じ空間にいることがとても不思議に思うことがある。心というものがあるならそれは脳なのだろうか。私は心というものは違う場所にあると信じている。そう信じることで今があるから。
電車を降り帰りがけに食材を買い部屋に戻った。お風呂の準備をして少しくつろぐ。今日も頑張った、明日は休みである。彼氏は仕事のため会えないからまた一人で過ごす。
『明日は何しようかなぁ。』
部屋の掃除やシーツなどの大きい物の洗濯もよいか、一人で出掛けようか。化粧を落としながらぼんやりと考える。
『おなか空いてきたなぁ。』
そう思っても作ってくれる人がいる訳もなく、仕方なく料理を始める。
夕ご飯を食べ、お風呂にゆっくり入ってからが自分の時間。音楽を聴きながら動画などを見る。彼氏からは別に連絡がないからいつもの時間に電話をかけよう。ベッドでゴロゴロしながら時間をつぶす。するとスマホが鳴り出す。彼氏からの電話である。いつの間にか時間になっていたみたいである。
「もしもし大悟、お疲れ様。」
「お疲れぇ、みなと。」
「明日も仕事だよねぇ。」
「うん、仕事。みなとは休みだよねぇ。何するのぉ。」
「まだ決めてない。のんびりしないと思うけど。」
「そうだよね。みなとは動いてないと気が済まないもんね。でもたまにはゆっくりするんだよ。身体は疲れているんだから。」
「ありがとう。これでもゆっくりしているつもりなんだけどねぇ。」
他愛もない会話が続く。このように一日一回お互いの声を聞く。二人の決め事にしている。会えない分、せめて心は一緒にいたいから。私たちはこのおかげで今まで続けられているのかもしれない。付き合ってくれているのも彼のやさしさと受け止めて。
「今度いつ頃会えるかなぁ。」
「今仕事の方が忙しいから、しばらく休みが合わないかもね。ごめんね。きちんと埋め合わせはするから。」
「いいよ、無理しなくて。きちんと食べてる?今度部屋に行くからその時作り置きなんかしておくよ。後部屋の掃除と。」
「ありがとう、いつもいつも。こんなことなら早く一緒になればよいのだけど、まだ待っててね。ほんとごめん。」
「ほんと一緒になる気あるのか。都合の良い女にしないでよ。」
「大丈夫、きちんと考えているから。もう少しだけ、ねっ。」
「はいはい。じゃっ、今日はこの辺で。疲れているでしょ。ゆっくり休んでね、おやすみ。」
「ありがとう、みなともゆっくり休んで、明日楽しんでね。おやすみ。」
そう言って電話を切る。本当に優柔不断で頼りないところをぬかせばよい彼氏なのだが、いかんせん比べてしまう。
『お互いまだ若いのかなぁ。』
布団に入り大好きな夢の中に。夢の中は私にとっては大事な場所、ずっと昔から。
私の親はいわゆるネグレクトというものであった。親が離婚して母親と暮らしていたのだが、いつも彼氏の家に入りびたりの日々。そのおかげで家のことはすべて自分でしていかなくては生きていけなかった。今の自分があるのはそのせいなのかもしれない。でもずっと寂しかった。そのさみしさを埋めてくれていたのが夢。本当の寝ている時に見る夢である。夢の中だけは幸せだった。
今では親とは絶縁状態ではあるが、昔に比べればとても良い環境である。兄弟もいない状態でいつも一人で家にいた。友達も少なく早く家から出たかった。大学も奨学金を頼りに卒業し、返済は大変だが今の彼が出来たのも大学に行ったからで、その時に友達も出来た。本当に今が充実している。
嫌なことを思い出してしまったが、また夢の中に入れば忘れるから大丈夫。いろいろ考えているといつの間にか寝入っていた。
次の朝、カーテンを開けるとよい日差しである。
『よし、今日は出掛けよう。』
そう思い、家のことをさっさとやっつけてしまうことに決めた。
午前中にすべてを終わらせ化粧をする。この前から気になっている映画があるので上映時間を調べる、後いつもの喫茶店も行きたい。出掛けるとなったら行きたい場所がたくさん出てくる。彼と出掛ける以外は大体一人で出掛ける。一人行動はもう慣れてきた。着替えて外に出る。すごく良い天気である。
『きもちいい。』
少し伸びをして歩き出す。
まずは映画を観る。気になっていたアニメ映画。最近アニメにはまりよく見ている。
映画館に着きチケットと飲み物を買う。比較的空いていたので、良い席が取れて気分が良い。ゆっくりした空間でじっくりと映画を観る。
一人で映画を観ながら泣くのも慣れてきた。観終わった頃には目が腫れているのではと思うくらい涙を流していた。
映画の余韻に浸りながらいつもの喫茶店に足を運ぶ。小さなこじんまりとした喫茶店。店員とは普通に会話するくらいの中になっていた。
「いらっしゃいませ。」
「こんにちは。」
「あっ、水島さん。こんにちは、今日はお一人?」
「はい。今、映画観てきたところです。」
「おや、良いですねぇ。休みを満喫ってやつですか。」
「ええ、天気良かったから出掛けたくなっちゃって。」
「本当に良い天気ですからねぇ、外に出ることは良いと思いますよ。」
「ありがとうございます。」
カウンターに座りいつもの紅茶を頼む。今日は特別にクッキーも頼んでしまった。
こうして休みの日を満喫できるようになってきたのも、今が充実しているからなのだろう。過去の辛い時期を乗り越えてきたから、神様からの贈り物なのかもしれない。
「今日は空いてますね、良かったゆっくりできそう。」
「でも店的にはあがったりですよ。水島さんとおしゃべりできるのはうれしいですけどね。」
「あら、マスター嬉しいこと言いますねぇ。若い娘とおしゃべりしてたら奥さんがやきもちやきますよ。」
「大丈夫ですよ、水島さんなら。妻も水島さんのこと好きですから。それに彼氏さんのことも。」
彼氏ともこの喫茶店にはよく来ている。マスターの奥さんとも一緒に会話していた。
「彼氏さん忙しいのかい?最近一人が多いけど。」
「ええ、相変わらずですよ。すれ違いカップルです。」
「若いうちは一生懸命働くことですよ。私みたいに年取ってからだと身体が言うこと聞きませんからね。」
「まだマスター若いですよ、こうやってお店で働いているのですから。」
「水島さんみたいに常連さんとおしゃべりすることが楽しみなだけですよ。本当に趣味みたいなものです。稼ぎは食べていけるだけで良いから。」
「良いなぁ、マスターみたいな生活羨ましぃ。」
「私も若い頃はバリバリ働いてこの店開きましたからねぇ。今はただのんびりと質素に生活してますよ。」
「そっかぁ、大悟も今のうちはバリバリ働いてもらわないとね。将来のためにね。」
「そうそう。これからいっぱいお金かかる世の中ですから、しっかり計画立てて生活していかないとね。私はほぼ無計画人生でしたけどね。今は十分満足してますよ。」
「私達もどうなるのかなぁ。大悟が計画性あるとは思えないし、私がしっかりしないとね。」
「そんなに構えなくてもよいですよ。お互い支えあえる関係であれば長続きしますよ。片方が頑張りすぎると壊れてしまいますからね。」
「そうですよね。大悟にもう少ししっかりしてもらいたいなぁ、私が頼れるように。」
「大丈夫ですよ、人間は成長する生き物です。きちんと変わってくれますよ。」
「そうなれば良いけど。」
この様に一人で来た時は彼氏の愚痴を聞いてもらう。やはり大人の意見は頼りになる。いろいろ経験を積んでいる分重みが違う。
気付けばもう日は傾いて来ていた。
「じゃっ、今日はこの辺で。いつもありがとうございます。」
「いえ、こちらこそ楽しい時間ありがとうございます。またいらしてください。」
喫茶店を後にして帰路につくことにした。夜に出歩くのはそんなに好きではない。遅くなる前には家に着くようにしている。一応女性の独り歩きを気にしている。
家に着くといつの模様にお風呂の準備をして化粧を落とす。彼は今日も仕事だからいつもの時間に電話をすることにする。
夕飯を作りながら音楽を聴く。静かな空間はあまり好きではない。何か音があることで安心を得ているのかもしれない。音楽に合わせながら鼻歌を歌い料理が進む。料理をするのは好きである。小さい頃からしていることでもあるが、うれしい気持ちになる。
料理が出来ゆっくり食べ始める。いつものことではあるが一人で食べるご飯はやっぱり寂しい。今日見た映画などのことを振り返りながらのんびりとしている。
お風呂から上がりしばらくすると電話が鳴った。彼からである。いつものように今日あったことを話し合いお互いの気遣いをする。このように当たり前の生活がとてもうれしい。ただただ充実している。これもすべては夢のおかげ、夢の中のあの人のおかげ。今日はあの人に会えるだろうか。不定期に夢に現れる人、私の支えであり大事な存在、ずっと見守ってくれた存在。だから寝るのがとても楽しみである。
布団に入りゆっくり目をつむる。
『あの人に会えますように。』
いつもの呪文、今の私がある大事な呪文。
いつの間にか寝入っていた。
『みなとさん、今日はどうですか?元気でいれましたか?』
『はい、会えてうれしいです。今日はあなたが言っていたアニメの映画観てきましたよ。それにあなたと同じように喫茶店も通って来たし。』
『よかった、だいぶ元気になってきましたなね。私もうれしいです。それに私が紹介した映画も観てくれるなんて。面白かったでしょう。』
『ええ、最後は涙が止まりませんでした。良い映画紹介してくれてありがとうございます。』
『素直に感想言っていただきありがとうございます。また良い映画や音楽があれば紹介しますね。そして私にもいろいろ興味あることなど教えてくださいね。私も参考になりますから。』
『そんな私なんか大したこと知りませんよ。でも情報はどんどん入れて教えますね。』
『彼とはどうですか?不安はありませんか?大事にしないといけませんよ、自分を大事にしてくれる人は、本当に大事に。後悔だけはしないようにしてくださいね。』
『はい、大丈夫です。いつもあなたが応援してくれるだけで私は勇気が持てます。ありがとうございます。』
『いやいや私の方もみなとさんと話すのが楽しいのでありがとう。このように話しだしてずいぶん時間がたっているのかな。私には一瞬のように感じる。本当に幸せそうだ。』
『もう15年です。私にとっては大事な存在なんですよ、あなたは。』
『そんなに経っているのかぁ。私なんかを頼りにしてはいけませんよ。あなたを大事にしてくれるのは私ではないのですから。
では今日はこの辺で、また会えるのはいつになるか。でも会いに来ますよ。』
『はい、また夢の中で。』
いつもの目覚まし時計の音で目が覚める。いつもと同じで少しずつ違う毎日が始まる。