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SPELL 30

定時をとうに過ぎた19時半。残っていた仕事を終えてパソコンを閉じると、私は席を立った。

窓の外を見ると、冬の空気で凍てついたビル群が寒そうに立ち並んでいる。

煌びやかなネオンがチカチカと光っていた。

まばらになった同僚たちにお疲れ様でした、と一声かけてオフィスを出たその時、少し離れた場所で「神崎かんざき!」と私の名前を呼ぶ声がした。

マフラーを巻いていた手を止め振り返ると、小走りで主任の丹羽さんが笑顔でやって来た。


「お疲れ様。今帰り?」

「お疲れ様です。はい、少し長引いちゃいました」

「そっか。俺も。あー疲れた!」


くすくすと笑うと、丹羽さんは「途中まで一緒に帰ろうよ」と私に言った。

頷く私を見ると、優しく笑う。目尻に皺が寄る様な、無邪気な笑顔。

少しだけ恥ずかしくなって視線を逸らしたら、丁度エレベーターが着き二人乗り込む。

丹羽さんは腕に抱えていたマフラーをいそいそと巻き、私たちはビルを後にした。

肩をすぼめるようにして歩く丹羽さんは、「寒いね…」と小さく呟いた。


「寒い。あー、神崎の淹れたあったかーいコーヒー飲みたい」

「会社のコーヒーなんて、インスタントですよ」

「違うよ、前にほら。タンブラーで持ってきてたじゃない」


「二、三日前かな」と言うその言葉に、私は「あっ」と声を上げた。


「まさかあれ飲んだの、主任ですか?」

「え?」

「ゆっくりゆっくり飲もうと楽しみにして持って来たのに、いつの間にか半分減ってて!」

「あ、それ俺だわ」

「もう!」

「いや、まじ美味かった。本当は全部飲みたかったくらい」

「もーっ」


前の日の日曜日にゴリゴリと豆を挽いていたのだ。憂鬱な月曜日を乗り切るため、美味しいコーヒーで気を紛らわせようと思って。

三日前のその日、タンブラーを持ち上げると少し軽い気がした。蓋を覗いて見ると半分以上減っていたのだ。

今日は出勤中一口しか飲んでいない。一体誰が…、まさか係長!?そんな事を考えてたら、隣のデスクの同僚が「さっき村井さんが来てたよ」と言った。

村井千佳子は私の同僚で仲のいい友人である。違う部署にいるが、一年前までは同じ課だった。なんだ、千佳子が飲んだのね、とホッとしていたのに。


「今日はもうないの?」

「無いです。すでに飲み終わっちゃいましたよ」

「えー!寒いよー、寒いよー」

「い、インスタントのやつなら…」


あまりに丹羽さんが大げさに言うものだから、会社を出る前に作って置いたインスタントコーヒー入りのタンブラーを渡した。

パコッと蓋を開けると白く細い湯気が微かに伸びて、丹羽さんはこくりと一口飲み込んだ。


「薄い味」

「我がまま…」

「明日入れてきてよ、神埼のコーヒー」


薄いと言ったくせにタンブラーから手を離さず、二口そして三口と口に運ぶ。その度に「薄い」と「温か~」を繰り返していた。


「気が向いたら」

「是非向けて下さい」

「ふふっ」


丹羽さんは私より五つ年上で、私が入社したばかりの時に教育係として就いてくれた。

甘いマスクと誰とでも分け隔てなく接するその様に、何らかのイベントがあるたび女性社員に囲まれていたりする。

そんな丹羽さんだが、新人と教育係という関係が終わり、私が仕事に慣れた今でも私に話しかけてくれるのだ。

時折冗談めかした言葉は、人見知りの私でもつい絆されてしまう空気がそこにあった。


「神崎が入社して…、もう四年?早いなぁ」

「そうですね」


駅までの道のり、二人ゆっくりと歩みを進める。通常ならば10分ほどの道のりも、今では長く感じられた。


「来年で五年。五年って色々と区切りが良いよね」

「え?んー、まぁそうですね」

「色々とね」


まるで何かを企むように丹羽さんは笑い、私にタンブラーを返した。

軽い。どうやら全部飲んでしまったようだ。

私は「全部飲んだ…」と少し恨めしそうに呟いて、バッグにしまう。


「ごっそさん」


私の頭を大きな手のひらがぐしゃぐしゃと撫でる。嫌がる私に、丹羽さんは笑って誤魔化した。

手のひらはふと頭の上に置かれたまま動きを止め、ゆっくりとしずかに動き始める。

それはまるで親が子供にするような、優しく、どこか甘いものがあった。


「主任…?」

「ぼさぼさに、なったから」


誰に対する言い訳なのか。丹羽さんは髪を手ですくように撫で続ける。

結んでいない私の髪は丹羽さんの太く節くれだった指を素直に受け入れた。

時折耳に触れる指が熱く、胸を焦がす。

白い息が空に上がる。ふわり。白い小さな雪が丹羽さんの黒い髪に触れ――――。


一瞬にして銀髪に変わる。


「…!」


ジェクサーはニタリと笑う。私の髪を撫でる。優しく。指に絡めるように。

彼の瞳は眩しいネオンと、点滅する赤い航空障害灯にまざり、私に眩暈を覚えさせる。一歩にじり寄るジェクサー。私は動けないまま。

見つめ合う数秒、ジェクサーは空いていた腕でグッと私の体を引き寄せた。彼の指が私の髪を掴み、顔を少し乱暴に上に向けさせられる。

近い、その距離。お互いの白い吐息が混じり合う。背と腰に回される彼の太い腕。コート越しでも分かる熱い体。

ジェクサーは私の髪に顔を埋め、香りを嗅ぐように深く息を吸った。吐き出された息が耳を掠める。


「あ…っ」

「はぁ、…シン」


ドッドッドッ。耳が、心臓が、痣が、熱く、痛い――――。


「……!!はぁ、はぁ…」


勢いよくベッドから体を置き上がらせた。どちらが夢で現実なのか分からず辺りを見回す。

開いた窓は木製で、夕方に差し掛かった茜色の空が浮かんでいる。賑わう喧騒が遠くに聞こえ、ここはジャブと泊っている宿だと思いだした。

俯くように体を前にして、頭を抱える。なんという夢を見たのだろうか。いやらしいその夢に、体はまだ熱いまま。

汗を拭いベッドから下りると、小さな机にジャブが書いたメモが置いてあった。


『おそようさん。起きたらいつもの酒場な!ジャブ』


眠る私に気を使い、陽気な彼は一人で飲んでいるようだ。きっと今頃いい具合に出来上がっているかも知れない。

無性に今、ジャブの笑顔が見たかった。

髪を梳かし宿を出る。おぼつか無い足取りで通りを通っていると、肩が誰かとぶつかった。


「…!」

「ん?なんだぁ?」


相手は振り返り周りを見るけれど、まるで何も無かったように首を傾げ歩き去る。

気付かなかった。目が合ったのに、今、誰も居ないように……。


「私は…、確かにここにいるのに」


百パーセントの確証が欲しい。ここに居て良いんだっていう確証が。

それがあるのはなんの変哲もない、平凡な、あの世界。








平凡なあの日常が、こんなにも幸せなものだったなんて気付かなかった。

彼と出会ってしまった今、日常が私を傷付ける。


***


三十話にして初めてココロの苗字発覚です。

本名は 神崎心 かんざきこころ

丹羽さんは現代の心の会社の先輩。意地悪だったりするけど、基本世話焼き。

五年経ったらココロに何をしようと思っていたのでしょう?


ココロの苗字ですが、しっくり来ないかもしれません。けれどあまり出てこないので気にしなくてOKです。

拍手ボタン設置しました!

拍手のお礼にお話を書こうと思います。

番外編でこんな話読みたいなーとかあったらご一報ください。

頭に浮かぶ限り文章にしてみます。


いつもコメント等ありがとうございます。

これからもよろしくお願いします。

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