SPELL 27
花屋店主ティト視点です。時系列としては
現在
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ココとの出会い
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Jと遭遇前日
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現在です。
分かりにくいかもしれません。ごめんなさい。
ティトは美しく咲き乱れる花を見つめ、その内の一輪を手に取った。
店の中でも特に良く売れるのがブロイリーという種だ。
ブロイリーは花弁の先がヒラヒラとしていて、種類によっては細やかな模様が入っていたりする。
その美しさから“花のレース”とも言われていて、色もピンクや白、黄色などの淡い色が多いので女性に大変人気だった。
しかし寿命が短いことがネックであり、仕入価格も安くないことから、花屋としてはうなだれるばかりである。
ブロイリーの寿命は蕾が開いてから一日と言われている。寿命を延ばそうとどんなに工夫をしても二日と持たない。
色は褪せ、模様が消えて花弁が散る。ドライフラワーとして残そうとしても、生花の美しさには叶わないため、ブロイリーはそのたった一日が勝負だった。
そう、たった一日しかないのだ。
ティトが手に取ったそのブロイリーは、二日前に仕入れたものだった。それは未だに咲き誇っている。
(不思議なものね……)
店内を見回すと、その全てが二日前から時が止まったかのようだった。
いや、確実に時間は流れている。ただ流れる時間がとても遅いように思えたのだ。
どこら辺が、などと聞かれても、ただ何となく空気がそう思わせる、としか答えようがなかった。
この二日間で補充以外の仕入れは一切なかった。
***
ティトが経営する花屋は大通りから一本逸れた場所にある。日当たりは良好だが、何せ人通りが少ない。
花が好きだから花屋になったのに、その花を人の手に渡らせぬまま枯らしてしまうことが多々あった。
そうなる前に友人やら知人やらに譲るのだが、毎日とはいかない。
ごめんね、と謝りながら花弁を散らす花を抱く。やりきれない思いも共に抱いて。
ある日のことだった。開店してから数時間、相変わらず客は常連だけで、世間話を終わらせた時だった。
ほんの一瞬の違和感を抱いたのだ。横目に入った見慣れた景色の中に映った気がした“違うもの”。
店先に出てみるとじっと花を見つめる、まだ年若い娘。
正直、驚いた。いつの間に居たのだろう。常連客と店先で話し別れ、店内に戻って一分も経ってない。
大通りから離れた分、足音は良く聞こえるのに。
その娘は花の前にしゃがみこみ俯いているため、肩ほどの茶色い髪を頬に落とし、表情が読めないでいた。
しかし日の光を浴びた髪は柔らかそうに風に揺れている。
着ている服はデザインが一昔前の物だ。だからだろうか、浮世離れしているように思えて仕方なかった。
鮮やかな桃色の花を見つめる、薄紅色の服を着た娘。花の色に霞み消えてしまいそうだ。しかし視線が逸らせなかった。
少しだけ強い風が吹いて、花の香りと共に娘の睫毛が長いことと肌が白い事に気づいた。
「いらっしゃい」
娘を消さないようにと細心の注意を払って声をかけた。無害だと教えるように笑顔を浮かべて。
小動物相手じゃないのに、と心の中で苦笑した。しかしそれも対外外れていないと思った。
その娘はティトに視線を向けた。その瞳に影が見えた気がして、一瞬、十数年前に山で見た傷付いた小鳥を思い出した。
娘に笑いかけると、一瞬間が空き、娘も答えるように微笑む。
陰りは見間違えだったのだろう。娘が浮かべた笑顔はこちらまで心から笑ってしまうような、優しいものだった。
「こんにちは」
女性にしては少しだけ低い声。たった一言しか聞いていないのに聞き心地が良くて、ティトは(もう少し…)と声が良く聞こえるよう、三歩娘に近づいた。
「何かお探し?」
「いえ…。綺麗な花が見えたもので」
ティトから花に視線を移した娘は、食い入るように花を見つめた。
その様子につい「お花好きなの?」と言葉が出る。
「あまり詳しくないですけど。見るのは大好きです」
「そう。嬉しいわ」
そう言ってもらえるだけで十分だった。娘が見つめるその花は、自分が種から育てたものだった。
ブロイリーの引き立て役として買われるような花だが、小さく可愛らしいその花がティトは大好きだった。
しかしその花の裏に花弁を散らせた枝を見つける。
「でもね、ご存じだと思うけど立地条件が悪くてね。花達も売れなくて。可哀そうなことをしてしまっているの」
枝についていた枯れて色あせた一枚の花弁を手に取った。丹精込めて育てても、心をこめてブーケを作っても、誰かの手に行かなきゃ意味がない。
花が好きだから花屋を開いた。しかしそれ以上に、誰かにこの幸せを分け与えたかったのだ。けれど……。
想いにふけるティトの横で娘が「あの」と小さく声を上げた。
「お花の売り子なんてやってみては、いかがでしょう…」
羞恥からか頬を染める娘を見て、ティトの胸はキュウンとした。ああ、この初々しさ、自分が持っていたのはいつだったか。
売り子を考えたことがなかったわけではない。しかし何とか経営できていたし、人を雇うほどの売り上げもなかったため実行に移せずにいた。
(この娘がやってくれたら……)
淡い色をした空気のような娘。けれど娘に気づいた瞬間、眼が逸らせなくなる不思議な娘。
この娘に花を持たせたかった。娘は特別美しいというわけではないのに、きっと、そこには別世界に違いないだろう。
「良いわね!花を売りながら店を宣伝。うん、良いと思うわ!」
「良かった」
「でも肝心の売り子がね。…貴女手伝ってくれない?」
「あの、でも…」
「無理かしら?」
やると言って、言って、お願い!
娘は不安げに視線を泳がせる。駄目かと諦めかけたその時だった。
「私なんかで、良かったら」
娘ははにかむ。ああ、この娘の髪にピンクのブロイリーを飾ってみたい。
ブロイリーの花畑に佇む娘を想像して、取り合えず売り子の時は髪に花を差し込もうか、とティトは考えた。
娘はココと名乗った。ココの口からこぼれたその名前は、何故だか特別なもののように思えた。
***
売り子は主に午前午後と二回に分けて大通りに向かう。
初日の売り上げはいまいちだった。なかなか上がらない売り上げにココは項垂れていたが、客は徐々にだが増えていたし、常連客はココが来てからというもの、「今日はもうココちゃん通りに行っちゃった?」と尋ねてきたりする。
人によっては店で花を買って帰ったり、場合によっては更に大通りに居るココから花を買ったりしていた。
二日目を超える頃には「通りで買った花が綺麗でね。一輪じゃ物足りなくて」と言ってくれる初見の客も増え、客足は着実に増えていた。
(ずっとここに居てくれたらいいのに)
しかし当初から三日だけだと決まっていた。ビンター便が出る休船中の三日間だけ。
(あと一日……)
明日の夜、予定通りに行けば船は出港する。実質、ココが働くのは明日の午前中までだった。
「寂しくなるわね」
気のせいか否か、ココが来てからというもの枯れにくくなった花を撫で上げ、ティトは一人呟いた。
***
ブロイリーを花瓶に戻し、ふと振り返った先にココが佇んでいて、ティトは驚き悲鳴を飲み込んだ。
微かに肩が揺れている。荒い息をしていることから、通りから店まで走って来たのだろうか。
痴漢か何かにあった?人が多い大通り、それは考えにくかったが、完全には否定できない。
「まぁココ、どうしたの?何かあったの?」
ギュっと腕に居抱かれた花かごには二房の花が入っている。どちらも傷んでいた。
たった数時間で痛むような花ではないとティトは勿論知っている。
ココは「…ごめんなさい」とただ一言謝った。
「お花、こんな……」
「ココ、花は仕方ないわ。ほら、こっちに来て座って」
籠を受け取り机に置き、ココを支えるように店奥へ連れ簡易椅子に座らせる。
ココの睫毛が震えると、涙が一粒膝に墜ちた。
「どうしたの?」
「…いいえ、いいえ。大丈夫です…」
背を丸め声も出さずに泣くココ。陰った瞳からこぼれる涙。不安げなその様は、非常に小さな存在に見えた。
十数年前に山で見た小鳥。羽を傷付け、森の地面に落ちていた小さな小鳥。あの小鳥はどうなった?
――――あの小鳥は…。
助けようと手に乗せ山を降りて行く途中、死んでしまった小鳥。家に近づけば近づくほど、冷たくなっていく。
安息が見えていたのに、あと一歩届かぬまま死んでしまった小鳥を思い出し、ティトは不安に身を竦ませた。
ココの涙があの日見た小鳥の青い目に見えて、それを打ち消すかのように、震えるココの肩を強く抱きしめた。
うずくまる小さな小鳥
飛べないのだと私に言った
静かに泣いた小さな小鳥
見ていた鷲が羽を広げた
***
ココが欲しい。ならば求めてみると良い。
求めた者にだけ、女神の姿が見えるだろう。
***
ティトさん年齢不詳回でした。