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SPELL 25

「ああ?どうなってんだぁ?」


ジャブが人垣を睨みつけながらそう言った。

ざわざわと騒がしいその人垣から、幾多もの困惑気な言葉が聞こえた。

中には罵声も混じり、私はジャブを壁にするように背後に回る。

皆が見る先はビンターへの道であり、クロト最後の検問所だった。

この先を少し行ったところに大河が流れ、ビンターへ向かう船が停泊しているのだ。

ジャブが背伸びをして先を見る。

「あー…」と何かを考える様な間抜けな声を発し、かかとを地面に下ろした。


「何か通行止めみたいになってんな」

「どうしてだろう?」

「さぁ…」


引き返す人々が言う。

「あと三日も足止め食らうなんて…」

私とジャブは顔を見合わせた。


「三日も!」ジャブは舌打ちをしそうな口調で吐き捨てた。


「そんな…。せっかく此処まで来たのに。これからどうしようか」

「んー。まぁビンターまであと少しだし、取り合えず酒場行こうぜ!」


眉根を寄せ睨んだ私に、ジャブは慌てて取り繕う。


「情報収集は酒場だってのは、鉄板だろ!」

「本当に~?」

「マジだって――――」


その瞬間に鳴る、ジャブのお腹の音。


「はは、は…。情報収集も兼ねての飯だな」


どこか気恥かしそうなジャブに私は堪え切れなくなって吹き出す。

ジャブは頭を掻き、乱暴な口調で「おら、行くぞ!」と言って、私の手を引っ張った。

その手は存外とても優しいものだった。


案の定ビールに似たシェナを頼んだジャブは、それを片手に私にたわいない事を話した。

これから三日間は野宿するか宿に泊るか。三日間日雇いの仕事でも探そうか…など。

ジャブが言う事は全てが重要なことで、三杯目のシェナを飲み干す人の思考とは思えなかった。

隣のテーブルを立ったおじさん達をちらりと横目で見たジャブは、「どうやら」と静かに話し出した。


「通常一日に一回の運行が、整備の関係で二日伸びて三日後になったらしい」


本当は明日出発予定だったのに、思わぬ誤算だ。

整備のために二日も必要なのか。

それなりに大きな船と聞くから、この科学が未発達な世界では仕方ない事なのかも知れない。

「しょうがないね」と私はため息をつくと、目の前に置いてあったするめを食べた。

なかなかに渋いチョイスだが、現代と変わらぬ味に微かに鼻の奥がツンと痛くなった。


その日は野宿をすることになり、夜が明けた延泊一日目、私たちは日雇いの仕事を探すことにした。

ジャブは意気揚々と右手を上げ、「昼にここで。期待して待ってろよ!」と笑って言って姿を消した。

私も手を振り返し、ジャブの姿が見えなくなってから踵を返し歩き出す。

ああ、どうしようか。日雇いの仕事など、限られる…。

しかしお金は減る一歩なのだ。迷っていても仕方がない。

そう思い一軒一軒のお店に私は訪ねて歩いた。


「すみません、日雇いの仕事を探しているのですが…」

「ああ、悪いね。今は募集してないんだよ」


ほとんどのお店がそう言い断りを入れる。

飲食店のウエイターや、事務などの明らかに覚えることが多そうなことは避けていたが、そうも言っていられなくなって来た。

ジャブが言った昼まであと一時間。

頑張らねば…、そう思い顔を上げた時に飛び込んだもの。

色とりどりの花が咲く、小さな花屋。

少しだけ裏路地にあるから気がつかなかったようだ。

私は花に吸い寄せられるようにふらりと立ち寄った。


「いらっしゃい」


年若い女性が店の奥から顔を出す。

淡い緑色のエプロンを身につけていて、その表情はとても優しいものだった。

私もつられて笑顔を向けた。


「こんにちは」

「何かお探し?」

「いえ…。綺麗な花が見えたもので」


店先には現代で見たことのない花ばかりが置かれている。

レースのような花弁を持つ花や、毒々しいくも艶やかな色を持つ花、雄しべを鞭のようにしなやかに伸ばす花も変わっている。

まじまじと見つめる私に、その女性は「お花好きなの?」と問いかけた。


「あまり詳しくないですけど。見るのは大好きです」

「そう。嬉しいわ」


まるで自分が褒められたかのように、女性は笑った。


「でもね、ご存じだと思うけど立地条件が悪くてね」


女性はため息をつく。確かにと思い、私は曖昧に笑った。

大通りから外れた路地にあるこの花屋は、日当たりは悪くないが人通りが少ない。

今も見た限りでは通り過ぎた人が数人しかいなかった。


「花達も売れなくて。可哀そうなことをしてしまっているの」


女性はしゃがみ、花を撫でるように手を這わせた。

私は数回小さく深呼吸をし、「あの」と女性に声をかけた。


「お花の売り子なんてやってみては、いかがでしょう…」


咄嗟に浮かんだ日雇いの仕事。見た限り、大通りにそれらしい人影は見えなかった。

あわよくば、と考えが過ったが、私のような存在が売り子?

言ってから馬鹿馬鹿しく思え、最後は声が小さくなってしまったが、それを聞いた女性は立ち上がり目を輝かせた。


「良いわね!花を売りながら店を宣伝。うん、良いと思うわ!」

「良かった」

「でも肝心の売り子がね。…貴女手伝ってくれない?」

「あの、でも…」


「無理かしら?」と女性は私に問う。

私の存在は酷く曖昧なんです。この世界で異物である私は、存在が薄いんです。

少しずつ人に見られるようになったけど、それは本当に些細なもので、売り子なんて、とても…。

けど今のまま逃げていては、何も変わらないのではないだろうか。

ふとそう思い、私は女性の顔を見つめた。

彼女は私を見つけてくれたではないか…。


「私なんかで、良かったら」


女性はすぐに表情を崩し、にっこりと笑った。


「お願いするわ。私の名前はティト。よろしくね」


私は頭を下げて「ココです。よろしくお願いします」と言った。


仕事は今日の昼すぎから始まることになり、私はジャブと約束した店に向かう。

胸がどきどきしていた。緊張と期待で、足もとがフワフワする。

しかしジャブの後ろ姿を見たらそれは止み、期待だけが胸に残った。


「ジャブ!」


振り向いたジャブは駆け寄る私に気づき、満面の笑みを浮かべながら手を振った。

――――全てが上手くいっていた。

売り子の仕事も上々で、少しずつだが花屋に足を運んでくれる人が増えてきていると、ティトさんは言った。

ジャブの日雇い警護も滞りなく行われ、怪我をする事無く毎晩無事に帰って来る。

「疲れたー!」と言いながらベッドに飛び込む光景は、どこか胸が安堵させた。


その日も花を売っていた。一本売りの可愛らしい花だ。

薄桃色のレースのような花弁が幾重に重ねられた、非常に女性に好まれそうな花。

以前にも買ってくれた人が「ここの花は長持ちするから」と何本も買ってくれたりする。

笑ってお礼を言い、立ち去るその人を見送った。

心配していた売り上げも、そこまで酷いものではなかった。

当初は全く売れなかったが、声を大きくして売り込んだ一日目の後半は人が視線をこちらに向ける。

「可愛い花。一本くださいな」そう言われた時、泣きたくなるくらい嬉しかった。


私が花を売る場所は大通り。人通りが多く、売り上げが見込めるからだ。

船の出航が明日に控えているため、以前にも増して活気づいているように思えた。

とうとう明日の夜は出航だ。仕事は明日の午前中まで。

やりがいを感じ始めた今、花売りを辞めることは名残惜しいが、ビンターの事を考えるだけで胸が震えた。


――――だから油断してしまった。

滞りなく進んだ旅路に、ジャブと居る安心感に、あともう少しで辿りつくビンターを目前にして、私は油断をしてしまったのだ。


横目で捉えたそれは一瞬にして私の心を支配した。

どうして。どうして。どうして。思考がそれ一色に染まる。

誰もが私の横を通り過ぎる賑やかな街中で、その燃える様な瞳から放たれる視線が、私の心臓を貫いたのだ。

内から焦げるように体が熱くなり、火傷を負ったように胸が苦しくなった。

保たれているはずの距離は些細なものにしか思えず、逃げられるはずなのに心の奥底で、何故か去ることを魂が拒否していた。

風に揺れる白銀の髪は朧気な蜃気楼の様で、どこか意識を遠くさせる。

あの深紅の瞳が、細く弓なりになる。


「――――」


彼が何かを言った。

手に持った籠が、どさりと音を立て地面に落ち、美しい花弁が空を舞った。







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