SPELL 22
街道をジャブと二人でひた歩く。
それは旅行のようにのんびりと穏やかで、そして悲しくなるくらい優しいものだった。
初めてワンピースをジャブの前で着た。何だかこそばゆくて仕方がない。
さらしの巻かれない胸も、現代の下着を付けていると言ってもなんだかもぞもぞとしてしまう。
ニヤニヤと見てくるジャブをジロリと一瞥するがそれでも気が収まらず、歩き出していたにもかかわらずジャブに振りかえりお腹を殴る。
「おー痛ぇ」と笑いながら言うのが、更に癪に障った。
しかし女だと黙らなくてはいけないという肩の荷が下りたためか、少しだけ嬉しかったのは真実だ。
スタスタと、しかし心なしかゆっくりと歩く私の横に並んだジャブは、私の手から荷物を取り上げる。
え、と驚いた私と目があったジャブは、おおらかに笑う。
「女に荷物は持たせらんねーな」
「あ、ありがとう」
こういう扱いも、何だか照れくさい。
けれど「ほら、行くぞ」とジャブが颯爽と歩きながら言うものだから、私も笑って頷けるのだ。
「うん!」
ああ、野に咲く花が美しい。
***
ジェクサーは庭に咲く薔薇を眺めていた。血のように赤く、甘い香りを発する赤い薔薇。
触れる者を拒む棘を身に抱くくせに、何故他者を惹きつける色と芳香を発するのか。
ジェクサーはふと思いをはせるが、答えは見つからなかった。
無表情のまま花弁を一枚むしり取る。それはひらりと地面に落ちた。
「おいおいジェイク!人が丹精込めて整えている垣根に何するっ」
タルミラはジェクサーの後ろから現れると、足元を見つめた。
そして「あーあ」とため息を吐いた。
「たかが一枚だろう」
「そういう問題じゃない。大切にしなきゃという心がけが大切なんだ」
「…」
花弁が一枚欠けた薔薇をタルミラは大事そうに撫でる。それを横目で見たジェクサーは無言で視線を逸らした。
大切にしなきゃという、心がけ。
――――したさ。大切にしていたさ。けれどこのざまだ。
何を、なんてものは愚問だ。
暖かな風がジェクサーの白銀の髪を撫で上げた。
「ごめんなさい、遅れちゃって!」
「走らなくて良いよミハル。こけてしまう」
「は、はい」
旅装束に着替えた美春が慌てた口調で走り寄る。タルミラは振り返り手を振った。
そしてゆっくりと三人は歩き出す。城門には黒と茶色の二頭の馬がいた。
「わぁ、ドキドキします」
「ミハルはクロトから出るの、初めてだっけ?」
「はい。城下町しか行ったこと無いです」
美春は大きな馬を見上げ言った。二頭の馬にはそれぞれ荷物がサイドに掛かっている。
ジェクサーは黒い馬の背にヒョイッと軽々と跨ぎ、美春から尊敬が溢れた視線を一身に受けた。
「ミハルはこっち」
タルミラは馬の背から美春の手を取ると、力強く引き上げた。
「わっ」と小さく悲鳴が上がる。
「うう、未だに慣れません」
「その内慣れるよ。当分お尻が痛くなるかもしれないけど、酷いようならのんびり歩いて視察しよう。良いよね、ジェイク?」
「――――ああ」
小さく呟き返事を返したジェクサーの顔を見、美春は「が、頑張る!」と意気込んだ。
「まぁまぁ。時間は沢山あるんだし」タルミラは笑う。
ゆっくりと馬は歩き出した。
旅の目的は名目上ながらも視察である。クロト国の領地に当てはまる全ての町村を見て回り、民の声を聞き王に伝える。
不満、願い、全ての意見を聞いて回るのだ。
ジェクサーは過去に二度ほど視察をしているが、思いのほか面倒なことを知っていた。
楽しそうに笑い馬に揺られる美春を見て、小さくため息を付く。
ああ、でも…。と思う。
胸の奥の微かな期待。あり得ないだろうか、いや、絶対あり得る。くつくつと笑い声が口から洩れた。
幾多もの町村があるとしても、所詮街道は一本道。手配書が出回った今、容易に人前には出られまい。
必然と野宿が多くなることは間違い無いだろう。
――――ああ、出会うだろう。出会ってしまうだろうな…。
逃した鳥が大きい事は、失ってから気づくものなのだ。
静かに笑うジェクサーを見てしまった美春は、躊躇いがちに視線を逸らした。
半日ほど馬が走ると、一番最初の町へ着く。村と言うよりは町と言った方がしっくりする、小さな集落だ。
そこへ入る前に三人は馬から降り、手綱を引いて歩き出す。
美春は尻を撫でながら後を付いて歩いた。
町民は皆明るい笑顔で生活をしている。見た感じ特に問題はなさそうだ。
畑仕事をしていたのだろうか、頬を泥で汚させながら一人の男が酒を飲む。
横に居た女房らしき女が「真昼間からあんたは、もう!」と男の尻を蹴りあげた。
周りはドッと笑い声に溢れたが、美春は乗馬で痛む尻の痛みが、さらに増した気がした。
「良い町だ。畑も問題なさそうだな。だが少し舗装が乏しいようだ」
タルミラは町を見ながら言葉を漏らす。
その横に並ぶように立っていたジェクサーは、「あ」と小さく言葉を漏らし、足早に歩き出した。
「忘れていた。直ぐ戻る」
「え?おい、ジェイク!?」
「どうしたの?」
美春の問いかけに答えぬまま、足早に歩き去るジェクサーの後ろ姿を見た二人は、お互い顔を見合わせ首を傾げた。
ジェクサーは一軒の小さな家の前に佇んでいた。
煙突から香る微かな生活臭。家の周りに咲く小さな花々が住人が健在であることを告げていた。
ドアベルをゴンゴンと鳴らす。一分もしない内にドアが開く。
「どなた?」
「お久しぶりです、ミランさん」
「あら!ジェクサーじゃない!」
二年ぶりにあった友人の母親は、昔と変わらぬ笑顔でジェクサーを家に迎え入れた。
「本当久しぶりだね。元気だったかい?」
「はい」
「そう、良かった。さぁ座んな」
「ありがとうございます。あの…、ジャブは?」
カップを戸棚から出していたミランは動きを止める。ジェクサーは眉根を寄せた。
そして視界に入る壁。フックが二つ不自然に掛かっていた。あれは…。
「あの子ね。何だか知らないけど、どっか行っちまったよ」
「は?」
「本当急だったよ。荷物とあの…、剣を引っ掴んでさ」
「紅茶で良いかい?」とミランは尋ねたので、ジェクサーは無言のまま頷いた。
「ちょっと行ってくる!って言って。ちょっとって割には、もう五日も戻ってきやしない」
紅茶の注がれたカップを差しだしながら、ミランは笑う。
自嘲的な声音ながらも、顔は何故だか晴々していた。
「でも私嬉しいんだ…」
椅子に座りながらポツリとつぶやいたミランに、ジェクサーはもう一度ゆっくりと頷いた。
今でも覚えている。血に濡れたジャブが叫ぶのだ。
――――オレは何のために、こんな…!
屍の上に立ち竦んだまま、ジャブは泣いた。
幼い風貌の残る少年は、その幼い体に厳つい鎧を身につけ絶命していた。
見渡せば小さな体はそこかしこに転がっている。
年端もいかぬ子供を兵として送り込んだ敵国も、それを切らねばならない自分にも腹が立って仕方がなかった。
戦が終わり、落ち着きを取り戻した騎士宿舎でジャブは言った。
「オレ、もう辞めるわ」
ひょうひょうと、あっけらかんとした声音で笑う。
それを見たジェクサーは眉根を寄せた。
「何だって?」
「もう離兵届は出したんだ」
「おい、それって…」
「次にオレがこれを振るうのは、誰かを守る時だ」
これ、と言いながらジャブは半身と言っていい剣を持ち上げ、鞘を抜く。
そして素早く鞘に戻し、ゆっくりとした動作で席を立った。
「じゃあな、ジェクサー」
手を上げ、満面の笑みでジャブは笑う。
そして太陽の下歩き去って行った。
そのジャブが剣を持ち、旅に出た。
誰かを守るために振るうと決めた、剣を持って…。
「そう、ですね…。あいつはきっと今頃笑ってると思います」
その横に守ると決めた誰かを置いて。
母や町民を守るために、心に刃を向けた。
今は心を守るために、誰かに刃を向ける。
「紅茶で良いかい?」そうミランは尋ねたが、キッチンには豆挽き機とコーヒー豆が置いてある。
使えないわけではない。使う気になれないのだ。
使おうとするたび何かが脳裏を過る。
それはあの小さな紙切れを見てからだった。