表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/34

SPELL 15

そこは大通りに面しているというのに、客が滅多に立ち入らない店だった。

その事を店番の彼に言うと、「そんな事はない」と憤慨するに違いない。

そして決まって「君が変な時間帯に来るんだろう?」と言うのだ。あながち間違っていない。

店に充満するコーヒーの香り。美味しい手作りのお菓子。静かな店内。

そして何より店番の彼がする飾り気のない会話と、彼の時折見せる笑顔が好きだった。

それが俺がここに通い続ける理由だ。


民はまるでそこが存在しないかのように店の前を通り過ぎて行く。

いや、時折店内をガラス越しで見る者も居るのでそれは言いすぎだ。

しかし店内に三人以上の客がいる所をジェクサーは見たことがなかった。


店の前を通る。

丁度目線辺りにレースの薄いカーテンが飾られているため、一瞬で店内の様子を窺えることは出来ない。

少し背伸びをして店内を覗く。ああ、やはり今日も客がいない。

ドアの前には“OPEN”と書かれたプレート。

皆にはこれが見えないのだろうか?

余りの客の少なさに、時折店の存亡の危機を心配した。

木で出来たドアを押す。カランカランと乾いた鐘の音が響く。

一瞬にしてコーヒーの良い匂いが身を包んだ。

この匂いをかぐととても安心した気持ちになれる。不思議だ。

麻薬みたいだな、と不躾なことを考え頭をかいた。

扉が閉まると喧噪は一気に消え、世界はここだけになる。

この世界は静かだった。

コーヒーの香り、今日は焼き菓子を作っているのか香ばしい香りが微かにする。そして。


「また来たの?」


部下に、そう言って出迎える店があると言ったら「それはツンデレ喫茶ですか?」と言われた。

違うと思うが、何故だか胸を張って否定できなかった。

シンプルなワイシャツと黒の長ズボン、黒の長いエプロンといつもと同じ服装をして彼は出迎えた。

この世界のたった一人の住人である彼は、振り返り、笑うのだ。


いつものようにコーヒーを注文し、シンの目の前のカウンター席に座った。

ここがジェクサーの定位置だ。シンと最も近く話せる場所。

シンはコーヒーを入れるため、ジェクサーに背中を向け豆を挽いている。

ごり、ごり、ごり。

特に会話はなかった。


――――細い首だな…。


無造作に、悪い言い方をすればボサボサな髪の毛を一つに縛った髪の下にある、細い首。

ライトに照らされて艶やかに光る髪の毛は触ればさらさらに違いない。

何がしたくてそんなにも無造作にするのか。シンの考えることが時々分からない。

髪の毛から首へと視線を戻す。

自分の片手だけで、その細い腕を一周できるんじゃないだろうか。

シンが動くたび、うなじが見え隠れした。ぞわりと何かが体の中を走った。

薄い肩だ。よく今まで無事に生きて居られたと思う。

実はシンの後ろ姿を見て居る時が微かな楽しみなのだ。それは誰にも言えないけれど。

すると視線に気付いたのか、シンは振り返り眉根を寄せた。


「何?お腹空いたの?」

「いや…、まぁ」

「どっち」


お腹空いた、と言うとシンは苦笑しキッチンへ消える。

こぽこぽとコーヒーが落ちる音がした。もう直ぐで美味しいコーヒーが飲めそうだ。

頬杖を付いて店先を見た。足早に歩く人の影が見える。耳を澄ませば笑い声も届いた。


「今日イチゴタルトを作ったんだ」


気づいたらカウンターにシンが立っていた。

内心いつの間にと思ったが、至って冷静に「うまそうだ」と視線を合わせ答えた。

たっぷりと乗ったイチゴがルビーのように輝いている。

そう言えば今までケーキの代金を貰ってことがなかった。

会計の時、いつもシンはコーヒーの料金しか言わなかったから…。

店が閉店したらきっと自分のせいだな、とジェクサーは思った。


「お得意様には特別二個分を差し上げよう」

「い、いや別に…」

「え?今日はそんな気分じゃない?残念だ」

「二個貰おう」


店の事を考え一度は断るが、本能には逆らえない。

本当はワンホール食べられる。余ったら土産に買って帰ればいい。

貰うと言ったらシンは嬉しそうに笑い、慣れた手つきで取り分けた。


シンの纏う空気は不思議だった。

ふんわりと柔らかく穏やかで優しい。

けれどどこか儚げで今にでも消えてしまいそうなほどの危うさもそこにはあった。

不思議な存在だと思う。男だと言うのが非常に残念だ。


差し出された皿にはイチゴタルトが二つ乗っていた。

パブロフの犬よろしく、皿を差し出された瞬間涎が湧き出た。

それを飲み下す。見ていたシンはおかしそうに笑い声を上げた。


「さぁ、召し上がれ」

「ああ。頂こう」


大好きなケーキと美味しいコーヒー。ケーキを食べる自分を見つめるシンの優しい表情。

この店が、この世界が、この世界のたった一人の住人が、大好きで仕方がなかった。

いつか、どんな手段でも良い。この世界のもう一人の住人になれたら…。

そんな事は己が持つ剣が許さないけれど、思う事は自由だった。


「どこへ行く」


巨大な満月。舞う花弁。満天の星空の下、己の望む世界に住む住人がそこに居た。

どうやら彼の行く先々は静寂の世界が多いらしい。

コーヒーの淹れる音の代わりに鈴の音。コーヒーの香りの代わりに花の香り。

神秘的な世界も、シンには恐ろしいほどとても良く似合っていた。


シンはバッグを抱えるようにしてこちらに振り向いた。

泣きそうな、今までに見たことのない表情だった。

またもや言いようのない感情が、ぞわりと体の中を駆け巡る。

無言のまま首を振るシンに「どこへ行くのかと、聞いている!」と怒声を投げつけた。

きつい言い方をしてしまったと一瞬後悔の念に押されるが、理由を話してくれないシンが悪いのだ。

口を聞いてもらえないなら捕まえるしかない。

その口からどこへ行くつもりだったのか聞くまで…、離さない。

黒い感情がぐるぐると渦巻く。気づいていたが無視をした。

シンに近寄ろうと歩き出したら、シンが『…っ、来ないで』と聞き慣れない言葉を悲痛な面持ちで口にした。

その瞬間だった。

まるで誰かに掴まれているように、足が石になってしまったのかと思う程、足が頑なに地面から離れなくなったのだ。

理解できない状況に頭を抱えそうになる。

視線を上げた先に居るシンはジェクサーから視線を外し、ただただ足元の一点を見つめついには背中を向けた。


――――こっちを見ろ、シン。こっちを見るんだ!


「黙って立ち去る気はなかったんだ。でも、なかなか言い出せなくて」


シンは何馬鹿なことを言っているのか。

立ち去る、黙って。どこから…、あの世界から?俺を一人置いて…。


「落ち着いたら手紙を送るよ」


手紙なんていらない。望んでさえいない。

俺が欲しいのは、欲しいのは…!


「シン」

「さよなら」


シンは振り返り、笑った。

なぜ笑う?なぜ泣いているのに笑うんだ!

シンは走り去る。花の香りと涙を落して―――――。


「ジェクサー様、朝でございます」


暗闇から刺すような光が瞼の奥まで入り込み、「うう…」とくぐもった声を出した。

ちらりと自室へ入ってきたメイドを見ると寝起きの一杯を準備していた。

幸せな夢と嫌な夢を一気に見た気がする。内容はすでに…、覚えていない。

上体を起こし、寝癖でボサボサになった髪を手ぐしで梳かす。

それを見ていたメイドの一人が頬を染め俯いた。


「淹れたてのコーヒーです。どうぞ」


笑って差し出されたコーヒー。

薄い香り、安心できない香り。


「…要らん」


付き返し洗面所へと消える。

一瞬メイドの表情が悲しそうに歪んだが、シンのコーヒー以外飲みたくないのだから仕方がない。

冷水で顔を洗う。

手配書を配ってからまだ数日。未だシンらしき人物の情報は入っていない。

焦りは禁物だと分かっているけれど。


「――――シン」


いつかお前のその口から、俺の名前を呼んでくれ。

次会ったときは、呼んでくれるまで絶対に逃がさない。








日常風景→六話→現在あたりのジェクサー視点です。

離さないから逃がさないの違いを、少しでも感じ取っていただけたら幸いです。

(黒い意味で)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ