SPELL 14
「あの子は一体、何を隠しているんだろうね」
ミランがダイニングテーブルのイスに座りながらぽつりと呟いた。
両手で包むカップは白い湯気を立てている。ふぅっと息を吹きかけコーヒーを飲み込んだ。ココが淹れてくれたコーヒーである。
「美味しい。ココが淹れてくれたコーヒー以外、もう飲めないよ」
「じゃあ飲まなくて良い。もう淹れてやらん」
ジャブは不貞腐れたようにして棚から陶器のコップを取り出し、乱暴にコーヒーを注いだ。
香りからして自分が淹れるコーヒーと違う事に気づく。
砂糖二つとミルク少量。これが一番おいしい飲み方だと教わったのはいつだったか。
甘ったるいはずなのに、少しも損なわれない味と香り。
無言で飲み続けるジャブを見て、ミランは笑い声を上げた。
笑い、無言になる。その無言がいやに気になった。
「何だよ」
「…あの子を本当の子供のように思って接してたんだけどね…。駄目だった」
駄目って何が、などと質問する前に、ミランは口を開く。
目は潤み、今にでも涙がこぼれそうだった。
「あの子、時々遠くを見つめて泣きそうな顔をするんだよ。でも決して泣かないんだ。それを見て居るのが辛くてね」
パタパタと机に涙がこぼれ落ちる。ミランの言葉に、ジャブは思いをはせた。
ああ、自分もその光景を見たことがある。
食器を洗いながら、ふと手を止めシンクの上にある目の前の窓を見つめるのだ。
どこか遠い場所を見つめるその視線。そして眉根を寄せたかと思うと、苦しそうに顔を歪ませる。
悔しそうな、悲しそうな、寂しそうな…、なんとも言えない表情で。
それを偶然見てしまったあの時、その場を動けなった。
どうしたんだ、と笑って話しかけてやれば良かったのかもしれない。
いつものように肩を叩いて笑い吹き飛ばしてやれば良かったのかもしれない。
ココが理由を紛らわすのならそれで良い。理由を話してくれたら親身になって聞けば良い。
だがそれが出来ないのが、家族と他人の壁と言うものなのだ。
悩みを聞けない歯がゆさ、悩みを話してもらえない悲しさから涙を流すミランにタオルを渡す。
「ありがとう」と涙声で言いながら受け取った。
「ココ遅いな」
「迷ってるかも知れない。案外おっちょこちょいだから、あの子」
「はは、確かに。ちょっくら市まで行ってくる」
顔を洗いに席を立つミランを見送り、数日前に鍋をひっくり返して慌てていたココを頭の中で思い出しながらジャブは家を出た。
数分歩くと市へ着く。市と言っていいものなのか分からないが、ここが村で一番賑わう場所だった。
店自体は少ないものの、広間を囲むようにして品を並べる屋台が並んでいる。
ココは夕飯の買い出しのために市へ来て居るはずなのだ。
だがしかし見渡す限り姿は見えない。
ジャブは首をかしげた。すれ違いだったのだろうか。もう少ししたら帰ろうと思い、身近にあった屋台を覗き込んだその時だった。
「城下じゃお尋ね人の噂でもちきりだ」
背後で楽しそうに笑い声が上がる。ちらりと横目で見ると、そこに居たのは今日城下から戻ったばかりの町民だった。
確かココの作るケーキが大好きな一人だ。おっさんキラーだな、あいつ、と思い微笑する。
そしてその横に居るのは仲の良い飲み仲間の一人だったはず。
珍しい、お尋ね人の噂か…。
屋台を覗くふりをして耳を澄ました。
「賞金も高く、それでいて生きてることが条件。絵は見たところ優男だったぜ」
「一体何をしたんだか」
「そういやココに似てなくもなかったぞ」
微かに動悸が早くなる。
「ココにゃ何も出来ねえだろ」
「違ぇねえ!」
「がっはっは!」
ケーキを作るのが趣味だしな!と笑いながらその二人は去って行く。
ココを知ったような口調で話す二人が気に入らないが、その二人が話していた内容がどうも気になる。
アライブオンリーと言うやつか。久しぶりに聞いたな。
屋台で買った果物を頬張りながらジャブは考える。
ふと見上げた先に、探していた人物がいた。
ああ居た居たと思いながら、近寄ろうと早足で駆け寄るがそれは数歩で踏みとどまった。
何故だかココは困惑した表情で、先ほど通り過ぎて行った二人を見ていたのだ。
揺れる瞳。寄せられた眉。俯かれた顔。
何をそんなに動揺しているのかジャブには分からない。
ココは屋台の裏を通る様にして足早に去って行った。
新しい手配書。それは作成されるのに最低二日はかかる。
それが配られるのに更に数日。
五日前に城下から逃げ出したココ。一致する日数。
そしてココに似た人物が描かれる配られた手配書。
アライブオンリー。高値な賞金。動揺するココ。
「お前は誰なんだ…」
誰もが魅入る女神の舞の中、一人だけ足早に歩くココを見かけた。
花弁が舞い散る満天の星空の下、涙を流すココは幻想的で儚く見えた。
不審に思って後を着けた…、そんなの建前だ。本当は今にでも消えてしまいそうなココが心配だったのだ。
だがしかし、疑心がぶわりと湧いて出た。
誰なんだ、お前は一体何者なんだ。
ジャブは急いで家へ戻った。日はもう直ぐで落ちそうだった。
家に戻ると、いつもはキッチンに立っているはずのココの姿が見えない。
ジャブの帰宅に気づいたミランは鍋をかき回しながら「おかえり」と声をかけた。
「ココは?」
「すれ違いかい?具合が悪いらしくてね、無理やり寝かしたよ」
具合が悪い?本当に?
ジャブは早る気持ちを抑え、至って冷静に見えるよう心掛けながら階段を上がった。
背後で「夕飯出来たけど、食べれるか聞いて」と声がした。
返事はしなかった。
微かに開いていたドアから中を覗き込む。ベッドには誰も寝て居ない。
不思議に思ってドアを微かに押し開けると、風で揺れるカーテンの下、座りうずくまるココがいた。
ジャブは慌てて駆け寄る。
「おい、どうしたんだよ」
思った以上に情けない声が出てしまったようだ。ココがくすりと笑う。
「いや…。大丈夫」
「大丈夫じゃねえだろ。顔色悪いぜ」
只でさえ白い顔が、青白くなっている。ベッドへ寝かせようと思い、腕を掴んで引き上げた。
思いがけないほどの腕の細さに一瞬動きが止まる。
少しでも力を入れると折れてしまいそうだ。ココは「い、たいっ」と小さく悲鳴を上げた。
謝ることも忘れ、思ったことを口から吐き出した。
「お前…、細い腕してんのな。筋肉も全然ねぇじゃねえか」
食器を洗う時の、筋が浮かぶ細い手首。袖をまくって露わになる頼りない腕。穏やかに優しく笑う表情。小さな頭を支える細い首…。
バチリと目が合ったココが、どう見ても、もう…。
腕を放し夕飯が出来ていることを伝えると、足早に部屋を出た。
後ろ手で閉めたドアの前で小さく悪態をつく。
「…くそ…、どう見ても」
男として見れなくなった自分を殴りたくなった。
誰なんだ、ココ。
お前の本当を教えてくれ――――。
見上げた空には細く笑う三日月が浮かんでいた。
12話のジャブ視点です。