*23時60分
23時60分。
この字面を見ておかしいと思わない人はいないだろう。
23時は59分までしかなく、次の1分で0時になり日付が変わる。
それがこの世の理であり、平等に与えられた時間。
もはや生命と言ってもいい。
しかし時空にはゆがみが生じることがあるという。
それが23時60分だ。
これの時空に迷い込んだものは二度と明日を迎えることはできない。
23時61分、23時62分と、ただ時間が過ぎる。
その次は23時63分。
そしてその次は23時64分だ。
次はなんと23時65分で、それが過ぎると23時66分になる。
さらに23時67分を迎え、23時68分を越え、23時69分になる。
ここでついに、そう、その時が来る。
23時70分だ。
10分が経過したことになる。
しかし悲しんでもいられない。時は待ってはくれない。
刻一刻と時間は経過し、ついに23時71分となる。
どうすることもできず、23時72分を見届け、23時73分に抗えず、23時74分を見送る。
これは何かの間違いだ。
きっと疲れていたから時計を見間違えてしまったんだ。
そう思っても無駄だ。
15分が経過し、23時75分となっている。
失望している間にも時は刻まれ、23時76分が23時77分になり、すぐに23時78分へ時間は進む。
23時79分を確認したあたりでこう思うだろう。
きっと何かの間違いだと。
頬を叩いて目を覚まして、時計を確認するといい。
なんと、ついに23時80分になっている。
20分の経過を目の当たりにして、絶望を感じているかもしれない。
しかしだからといって終わるわけではない。
時は進むのである。
23時81分が23時82分になり23時83分を過ぎると23時84分へ順当に進む。
その後は予想通り23時85分を示し、23時86分に移り、23時87分から23時88分になる。
ここら辺からドキドキしてくるに違いない。
なんせ23時89分だ。
もしかしたら次は0時になるのではないかと。
次で日をまたぐのではないかと。
次の一分が経過した。
ついに23時90分になる。
どうしてだ。
どうして自分には明日が来ないのだ。
もう30分も経過したぞ。
今度は悲しみから怒りに感情が変化する。
しかし時は常に一定だ。
23時91分から23時92分へ等間隔で進んでいき、同じペースで23時93分になる。
仕事のストレスが溜まっていたせいかもしれない。
人間関係で嫌気がしたからかもしれない。
そうやって外部に要因を探して、今起きていることが間違っていると思い込もうとしても無駄だ。
なんと23時94分になっている。
今日の夕飯に当たったかもしれない。
悪い病気にかかったのかもしれない。
そうやって自分の内面に要因を探して、勘違いだと思い込もうとしても、それも無駄だ。
23時95分になっている。
もう何をしても無駄なのかもしれないと諦めたその時、23時96分になっているだろう。
いや、待てよ。
3桁はあり得ないんじゃないか?
分が3桁というのはおかしい。
そう希望を持ったころ、23時97分になっている。
3桁にならずにここでやっと0時になるかもしれない。
あるいは23時00分に戻ることも考えられる。
そう思ったころ、23時98分になっている。
23時00分に戻ったとしても、そこからまた60分をループするなんてことはないだろう。
そんなB級ホラーじゃないんだから。
なんて自分に言い聞かせていると、時刻は23時99分を示している。
次の1分が待ち遠しい。
さっきまでは過ぎていく1分が怖かったのにもかかわらず、次の1分には希望が持てる。
苦しんで39分経過した。
もう開放してくれ。
もう23時から出してくれ。
時計を確認する。
なんと
ついに
まさかの
23時100分だ。
そして23時101分になり、23時102分になり、23時103分になり……23時∞分。