第四章
「まだ痛む?父さん。」
「あーいや、大したことない。すまんなノア。」
ノアの家では、負傷したトバが休んでいた。乗船中、船同士の衝突事故があり、崩れてきた荷物の下敷きに、仲間をかばってなってしまった。人間なら死んでいただろう大事故、魔物なので軽症です、などと言えない。それで、休めと言われて家にいる。
それでも怪我は少ししてる。ノアが心配してくれて、面倒見てくれるのが、こそばいようで嬉しい。
昼ごはんの後、痛み止めを飲ましてくれた。そんなに効かないが、これも娘のために飲む。
数時間後、ひとりの女性が訪ねて来た。
玄関の戸を開けたのはノア。まだ若い、垢抜けた感じの女性が立っていた。
「こんにちは。私はチサっていいます。この本の持ち主を探して来たんだけど、あなたじゃないですか?」
彼女の手にあるのは、ノアの一番のお気に入り、だけどもう諦めていた本。手を伸ばしかけて、止めた。…………何か変だ。
ノアがもう少し幼ければ、すぐ受け取っただろう。しかし、もう12才。たかが本一冊届けに、わざわざ来るのはおかしいと思った。しかも、自分たち親子は用心して隠れ住んでるのに、何故、ここがわかった?
「ノア。そんなところでは失礼だ。うちに入ってもらいなさい。」
トバが言う。それでノアは、チサを家に入れた。お構いなくと言われたが、お茶も出した。トバは、失礼なことが嫌だからだ。
「美味しい!ありがとー。」
チサの屈託ない笑顔に、ノアはちょっと惹きつけられた。考えてみれば、父以外の大人、特に女性と触れ合うのは久しぶりだ。実は、母の記憶もほとんどない。でも心の奥底には、母的存在への憧れがある。そんなノアの心を知ってか知らずか、チサは話し始めた。
「警戒されることを承知で言いますと、私は確かに、お二人を追って来ました。でも、それには訳があります。…………ノアちゃん、私は、あなたと同じような人を知っています。」
「えっ?」
「綺麗な黒い、髪と瞳。あなた同じ異世界…………!?」
チサは、最後まで話せなかった。ビリビリと、痺れるような悪い気配を感じた。次の瞬間。
ドン!
バリバリ!
振動と、爆音。家が、何者かに襲撃された。
「伏せろーっ!!」
トバは叫びながら、ノアをかばうため動いた。ノアに覆い被さり、瓦礫やもろもろの危険から我が身で守った。チサも素早く動き、難を逃れた。
「はーっははっ!見つけたぞ、トバァ!」
現れたのは、たくさんの魔物。ガガドの手のものだ。
「トバ、観念しろ!その人間の娘と一緒に死ぬか、ガガド様に従うか、どちらか選べ!」
船の事故が、仕組まれたものだったのだ。奴らはそれで、トバの人間なら有り得ない頑丈さを確認し、仲間を集めて襲撃して来た。
トバは後悔した。何気なく訪問者を受け入れ、無関係の女性を巻き込んでしまった。軽症だが、全力が出せない状況。トバに覆われているノアは、ガタガタ震えている。
(ここまでか…………!?)
トバが覚悟をした時。
シュンッ!バババババッ!
チサの手から伸びた、光のようなムチが、魔物の多くをなぎ払った。
「あったま来た。あんたら、ホント最悪。でもまあ、わかったけど。」
チサは、図りかねてた。ノアは、自分たちが守るべき人間、では、魔物である彼は何なのか。魔物イコール、悪とは限らない。現にノアが、彼を慕っていると感じた。
そして、トバが我が身を顧みずノアを守ったのを見て、確信した。2人とも、守るべきだと。
「私を怒らせたこと、後悔させてやるわよ。魔法学校の曲者と呼ばれた訳を、思い知りなさい。」
パチン!
チサが指を鳴らすと、使い魔のプーが現れた。チサの魔力でほんの瞬間であるが、その姿が異様に巨大に恐ろしげに見え、魔物たちがひるんだ。
その機を逃さず、チサはトバとノアの手を取った。
空間移動魔法、2人も連れるのは初めて、でも、やるしかない!
できるだけ、遠くへ!
トバは、何が何だか分からぬうちに、島内であるがかなり移動したと知った。
(この人は、魔法使いか!?)
と思ったら、チサがフラッと倒れてしまった。慌てて助け起こすが、真っ青な顔。それなのに、トバとノアに逃げろと言う。
「私は、大丈夫ですから。ノアちゃんを守ってください。」
ノアは、まだ話しの途中、おまけに助けてくれたお姉さんを離したくない。グッと手を握りしめた。もちろんトバも、自分たちさえ良ければいいなんて思わない。結局、気を失ったチサを抱き上げ、船着き場に向かった。
網元の船の中から、小舟を拝借してしまった。返す当てはないが、今月の給料はもらってないので、足しにしてもらうしかない。このまま島に留まれば、多くの人を巻き込みかねない、それよりはましだと思った。
チサは意識がないが、心臓の鼓動はしっかりしてる。魔力の消耗し過ぎと考えて、とりあえず連れて逃げ、回復したら好きに動いてくれるだろうと考えた。何よりノアが、彼女の手をずっと握りしめて離さない。
「行くぞ。」
小舟は静かに、島を離れた。
「はっ!?何ですって?」
「だから、チサが行方不明なんです。」
急にコダに呼び出されたロウは、軽く苛立った。
(全く、この忙しい時に………。)
いや、調査は行き詰まっており、忙しいなんて言い訳は言えない状況、ただ苛立ってるだけだった。
行き詰まりの原因は、ロウは気づいてないが、ノアのランドセルだった。しまい込んでて、最近はとんと触れてなかった。故に、匂いも希薄。チサの入手した本のほうが、よっぽど良かったのだ。
それでコダの所に出向くと、チサが行方不明などと言われ、訳が分からない。
「3日間の休暇を取って、何処かに出かけたらしいの。でも、休暇が明けても出勤して来ないし、家にもいない、連絡もないの。」
「3日?何だってそんな休暇を?」
「だって、ロウが急に寄越すから、体制整ってなかったし、丁度いいかなって。」
「こっちに欲しいって、言ってたじゃないですか………。」
何はともあれ、問題は休暇じゃない。無断欠勤などする子じゃない。何か、事情があるのだ。もしかして、とんでもないことに巻き込まれてるかもしれない。
ロウが調べることにして、コダの所を後にした。
直ぐに、王城の一角にある諜報部に帰ろうと急いだ。すると、同じく仕事のため王城に来ていたキリルに出会った。
「ロウさん、忙しそうですね。」
「おう、キリルか。どうだ、カミさんは元気か?大人しく子育てしてるか?」
キリルは43才だが、相変わらず若々しい。ロウは彼が子どもの頃から知っており、親しい関係だ。
「大人しくと言うか、双子なんで、賑やかにやってますよ。唐突に南国旅行に出かけたチサからハガキが届いて、私も行きたいって………、わあ!」
ロウの悪人面は、こんな時便利。ひと睨みで相手を黙らせる。
「チサが、何だって?」
「ヌコルル島っていう所に旅してるって、現地からアミアにハガキが届いたんですよ、それがどう………って、ロウさん!?」
「ありがとな、キリル。すまんが、ちょいと急ぐんで。」
諜報部に戻るや。
「カイルいるか?ちょっと出かけるので、ついて来い。」