10月23日
この街一番の名物──と街が勝手に言い張っているだけ──である一千段階段。その手前にある一の鳥居の前で立ち止まり、会釈を一回。
ここに来ると、ロクはいつも同じことを思う。
──ここの空気はうまいなぁ。
と、あくびをしながら。何度も。
風に靡かれ、草木がかさかさと音を立てる様は、まるで小さな子供に童歌でも歌っているかのようだ。
草木が親だとするならば、子はそれを食べて成長する虫や草食動物ということになるだろうか。いや、それどころか野菜を食べる人間も該当するのではなかろうか。ロクにその経験はないが、人によっては雑草を好んで食べる人もいると聞く。
そして、そういった草木を育てる海もまた草木にとっての母。我々にとっての先祖と言える。
そう考えると、中々感慨深いものがある。
我々の血肉はこのような食物連鎖の果てにあるのだと自覚し、毎日の食事にも感謝の心をもてるようになる。
──なんてことは微塵も考えていないロクの好物は焼肉である。行きつけはキング。
「──!」
思いの外長かった階段を登りきり二の鳥居の前で会釈すると、左前方から何だか元気のよさそうな声が聞こえてくる。
「わかってるんだよこっちは──!」
境内では上下で紅白に分かれた巫女服を着た少女が一人、竹箒を片手に片足を出しては引き、出しては引きを繰り返している。
参道を外れじゃりじゃりとその背後へ近づく。
「何してるの」
「ほわっつ!?」
足の運動で気づかなかったのか、巫女少女が驚愕に身体を跳ねらせた数瞬後──
──ジジジジジッッ!!
「ほわああぁぁらああぁぁ!!!?」
今度は本当に飛んでみせた。
もし『夏の不愉快な音ランキング』が存在するならきっと2位になれるだろうと確信できるほど嫌な音を立てながら飛んでいく蝉のように、巫女少女は断末魔と共に空中へ上昇していく。
その様子をぼーっと見ながらロクは──人って飛べるんだ──なんてことを思った。
「……ぜぇ……ぜぇ……」
渾身の叫び声は着地と共に終了を告げ、荒げた息を整える。
どうやら巫女少女は季節外れのセミファイナルと戦っていたらしく、ロクはその邪魔をしてしまったようだ。
「な、なんて──」
「?」
「なんてことしてくれたんだよ!!」
巫女少女、本日二度目の魂の叫びだった。
「死ぬかと思った!」
「死ななくてよかったね」
「呑気ッ!」
人はセミファイナルで死ぬ──ロクはまた一つ賢くなった。
「もぉ!」
自身の現状がいかに逼迫しているか伝えようと、竹箒を握っていることを忘れた両手をぶんぶんと全力で振る。そのせいで揺れるものが二つ。
ちなみに巫女少女のスリーサイズは上から81/60/83である。
「本当に死にかけたんだからね!?人はショックで死ねるんだからね!!」
「……」
「? 何とか言ってよ」
「いや別に」
ハッと我に帰り、言いながら凝視していた箇所から視線を外す。
「別にってなにさ」
「何でもないよ」
「ふーん」
そう簡単に疑いは晴れないようだ。これも、この世全ての女性が生まれ持ってくるという異能──女のカン──というやつなのだろうか。
「で、何してたんだよ」
話題逸らし──という名の奥義を行使し、ロクは難を逃れんとする。
「そうそう!また出たんだよ!」
「また?」
「また!」
また、である。またなのだ。また巫女少女──センの目の前にいるはずのないセミファイナルが現れた。これでもう何度目か。センも覚えていない。
「もう慣れるか諦めなよ」
「無理だよぉ……」
ロクの非情な言葉に先の勢いはどこへやら。首を下げて項垂れた。
セミファイナル(別名:蝉爆弾)──それは8月から9月の上旬にかけて街中の至る所に仕掛けられる非人道対人兵器である。死骸だと思い近づいたが最後。それは地面を伝って送られた人間の振動を感知するや否や不快音を鳴き散らしながら少年漫画の如き最期の力を振り絞り飛び回る。
これにより死人が出たこともあるとかないとか。
「もう10月だっていうのに、何で私の前にばっかり……!」
「そりゃあ名前が似てるから。引き寄せちゃうんじゃないかな」
「一文字しか合ってない!」
「元々二文字しかないじゃないか」
「そうだけど……!」
反論したい、けど言い返せない。そんなやりきれなさがセンの中を支配する。
しかしこのままでは苛つきが治る気配もしないので、話題を変えることにする。
「………アンタこそ、珍しいじゃん。少しは日頃の行いを反省する気になった?」
「いや全然」
「そこは嘘でも言いなよ」
「反省しに来た」
「遅いって……」
今まで数多の人間に呆れ顔をされてきたロクにとっては既に見慣れた表情だった。
兎にも角にも説明しなければ始まらない。
「実はかくかくがしかじかで」
「は?」
「ごめん」
どうやらこの世界ではお約束が通用しないらしい。しっかりと説明することにした。
「告白してほしいんだ」
「え?」
「誰でもいいから」
「……は、え、ちょっとま──」
読者の君には二度目になる光景だろう。ここで登場人物によって違う反応を魅せるのも筆者の技量かもしれないが、センの場合はおそらくココアと代わり映えのない反応になってしまう。よって割愛。
「──ということ」
「………………」
ロクからやたら丁寧にされた説明をたっぷり時間をかけて咀嚼する。その間、ああでもない、こうでもないと、腕が無意識故に不規則に振られる。
どうやら胃だけでは消化しきれず、なんとかして理解しようと努力しているようだ。
センが口を開いたのは、手振りが収まって暫くしてからだった。
「……つまり、なんだ。告白されたいんだ」
「そう」
言葉にするにはあまりにも簡単で、理解するにはあまりにも難しい文字の羅列のようにセンには思えた。
「もしかしてここに来たのって……」
「うん」
竹箒を握りしめ、微妙に頬を赤くしながらもじもじと話す。
──これはしていい質問なのか。そんな不安がセンの中に生まれる。
──センは恋愛に憧れている。女の子なら誰もが通る道かもしれないが、センの場合は他の女子よりもそれが強い。
センは幼い頃からあらゆるものを抑制されてきた。同世代の友達と遊ぶこともゲームや漫画を買うことも許されず、時代遅れの服を着せられ毎日無意味に境内に立たされていた。だが、そんなセンの前に一冊の漫画が現れた。いらなくなったために誰かが捨てたのか、それは少女漫画だった。
今まで我慢し触れたことのなかったものにセンは強烈に惹かれた。乾いた砂に水が染み渡るように、自分の中の枯れ始めていた欲求が満たされるのを感じた。
だからこそ、センの恋愛に対する憧れは人一倍強いのである。
だからこそ、これは訊かなくてはならない。ここで曖昧にしては、今後まともにロクの顔を見れなくなる自信がある。
更に強い力で竹箒を握り直し、意を決する。
「……それって、私?」
──訊いちゃった訊いちゃった!!と心の中で盛り上がる。これには神様もにっこりの大はしゃぎである。きっと今の彼女なら本当に空を飛べるのではと思わせるほどだ。
「と、神様」
「え?」
センの心情など微塵も察さずに、真実のみを発言する。
今作の主人公はもしかしたら鈍感系なのかもしれない。
「か、神様?」
「そう。センが駄目なら神様に頼もうかなって」
言いながらロクは両掌を合わせて見せる。
「…………」
撃墜された。飛び立とうとしていたセンのテンションはものの見事に撃ち落とされた。
これには神様もがっかりの落ち込みである。
「どうかな」
「……どうって?」
「告白」
ピキッと、センのこめかみでそんな音がしたような気がした。
同時にミシミシと手元でも音が鳴り始めるが、そのことには気づかなかった。
「……すると思う?」
「だよね」
そう言い残し、スタスタと参道に戻ると手水舎を通り過ぎて御社殿へ向かう。
拝殿で参拝を行うロクの背中を見ながら、センはふと思う。
──まさか私のような人がもう既に……そしてこれからも増えるの?と。
全くもってその通り。見事な予想である。巫女というのはやはり第六感か、それとも何か特別な力でも持っているのだろうか。
「ねぇ」
参拝が終わり、二の鳥居へ向かっていたロクに横から声をかける。
「なに?」
「はい」
言ってロクにそれを手渡した。
それは掌ほどの大きさの枯れ葉だった。
「じゃあね」
「うん」
枯れ葉をポケットに詰め込んで階段を降りる。
数段降りたところで振り返ると、既にロクは階段を降り終えていた。階段は見上げるほどの一万段階段になっていた。
──これで記録更新も待ったなしかな。
そんなことを考えながらロクは鳥居を潜った。
ちなみに一位は『耳元で飛び回る蚊』です。
次回はロリの予定(未定)