7 男爵令嬢リリエラ
俺がリリエラ嬢の顔を知ったのは、殿下の送迎時だった。
卒業した俺は、本来なら校内を自由に移動出来ないんだが、帰途予定の時刻になっても姿を現さない殿下のせいで、学院の許可を得てあちこちさ迷うことになる。
最近では、放課後はリリエラ嬢と逢瀬を楽しんでいて時間を忘れていることがほとんどだ。
リリエラ嬢の存在は、殿下が学年を上がり、しばらくしてから耳にするようになった。
他でもない。フレデリク殿下との会話に出るようになったからだ。
学年が上がるとともに、成績によるクラス替えがあり、殿下は下から二番目のクラスになった。
アルマディア嬢?当然の如く、入学から首席をキープして、一番成績の良いクラスに在籍している。
そして件の男爵令嬢は、新しいクラスメイトとして良く話すようになったと言う。
それだけなら問題はなかった。
問題は、明らかに殿下がその女性に対して懸想していることだった。
いつの間にか骨抜きにされ、どうも周囲の目も気にせずに接しているらしい。
確かにリリエラ嬢は可愛らしい容姿ではあると思う。
ピンクブロンドの髪に、大きな青い瞳。華奢な身体は庇護欲をそそるが、媚びる視線があからさまで、俺は初対面から余り好感を抱かなかった。
リリエラ嬢は貴族令嬢にしては珍しく、喜怒哀楽をはっきりと表すタイプで、あまり物事を深く考えない性格のようだった。
普通であれば、婚約者のいる男―――しかも王太子を相手に、人の目のある場所で恋人同士のふれあいは避けるだろう。
しかしこの二人は、教室だったり中庭のベンチだったりでいちゃついていることが多い。当然耳目がある場所だ。
一応王太子なので、学院内でも殿下には護衛騎士が付いているが、リリエラ嬢との時間を邪魔するなと言われて追い払われているらしい。
さすがに姿が完全に見えない位置まで下がることはないが、殿下の叱責を恐れて余り強く進言出来ないようだ。
ボンクラでも王太子だから仕方がない。
俺の場合は、昔からボンクラのやらかしを片付けてきた実績があり、重用されていることもあって、ある程度の進言は聞き入れてもらえることもある。まあ聞き入れられない場合も多々あるが…。
今回は中庭のベンチがデート場所だったようだ。
肩を抱き、顔を寄せ合ってお喋りに興じている。
「リリエラ寒いだろう?もっとこっちに身を寄せて」
「ふふっ、リックあったか~い」
寒いならさっさと帰れよ。
たぶん今、俺と護衛騎士の心のツッコミが一つになったはずだ。
思わず半眼で二人を見てしまった。
どうせ、こちらには気づいてないだろうから問題はないが。
俺はため息を飲み込んで表情を繕うと、イチャつく二人に帰途を促した。
リリエラ嬢は「まだ帰りたくない。リックといたいの」とごねて、殿下も殿下で「可愛いやつだな。フィリップ、もう少し下がっていろ」と甘やかす始末。
結局その後、俺たちは一時間ほど待たされることになった。
こういったやり取りは、最早日常の一部となっていた。
取り巻き連中も、二人の時間を邪魔されたくない殿下によって近付くことを許されず、王室と誼を結びたい者たちにも不満が出てきていた。
殿下に直接その不満をぶつける者はいないが、殿下のその振る舞いはどう考えても悪手だった。
そもそも、どう言い繕ったところで二人の関係は不貞でしかない。
アルマディア嬢に対して不誠実この上ない。
しかも隠そうとすらしないのだから性質が悪い。
つまり不義を働いているということの自覚がないと言うことだ。
自分の評判を落としていることに、殿下は果たして気がついているのだろうか?
それとも周りの評価がどうなろうと、王太子の地位は磐石だと高を括っているんだろうか。
その地位すらも、自分自身の功績ではないのに。
いまだに理解していないのかと、俺は徒労感に襲われた。
一体、フレデリク殿下が王になる意味がどこにあるというんだろう。
最早、殿下が王位継承者であるのは、国王の嫡子、その一点のみ。それ以外の資格や資質が欠落していると、諦めにも似た気持ちは日に日に大きくなっていた。
色ボケ殿下は、学業どころか公務にすら身が入らないほど恋に浮かれている様子で、リリエラ嬢にのめり込んでいった。
正直、なぜ彼女にそれほど傾倒するのか謎だ。
「リリエラは素直で可愛い」
(アルマディア嬢の方が可愛いし美人だろ)
「本当の私を見てくれるんだ。王位など関係なく、私を好きだと言ってくれたんだ」
(フレデリク殿下個人……?尊大でお子ちゃまな男に惚れる女性がいるのか?年上の女性なら、まだあり得るかもしれないけど)
「この間は手作りのクッキーをプレゼントしてくれたんだ。お返しに何を贈ろうかな」
(いや王族が毒味をしてない食べ物を食うなよ)
ほとんど独白のような感じだったので、心の中でツッコミを入れつつ「はあ」とか「そうなんですか」とか適当な相槌を打っておいた。
殿下は同性から見ても整った顔立ちだと思うが、うっとりと頬を染めてる様は正直気色悪い。
周囲の助言や苦言は、二人の耳に入らない状態だ。
すっかりリリエラ嬢に気を許したフレデリク殿下は、王宮にまで彼女を連れてくるようになっていた。
アルマディア嬢の忠告ですら、嫉妬に駆られたヒステリーだと殿下は聞く耳を持たず、リリエラ嬢は「いくら殿下の婚約者だからってあんまりですぅ!リリエラの身分が低いからって馬鹿にして!酷いわ!」とわめきたてる始末。
いや酷いか?酷いのはお花畑な頭の中身だろ?
アルマディア嬢がいつ男爵令嬢の身分を馬鹿にした?
彼女は単に「王侯貴族たるもの、礼節を蔑ろにしてはなりません。男女の適切な距離を取るように」と忠告をしただけだ。
そもそも婚約者でもない異性を、自分の私室に連れ込むフレデリク殿下に対して言った言葉なのに、どうやったらそんな意訳が出来るんだ?
それに殿下は嫉妬に駆られてとか言ってたが、そもそもアルマディア嬢が殿下に恋情を向けていたことはないと思うんだが。
どんだけ自意識過剰なんだ。
フレデリク殿下とリリエラ嬢の仲は、当然ながら、学院だけでなく社交界でも噂されるようになり、陛下も見過ごすことが出来なくなったんだろう。
しばらくして陛下に呼び出され、叱責を受けた殿下は周囲に当たり散らして、懲りずにリリエラ嬢の屋敷に赴き愚痴を言い募っていた。
「理不尽だ!なぜアルマディアを尊重しないとならない!?勝手に決められた婚約者でしかないのに!私が愛しているのはリリエラだけだ!」
「嬉しいリック!私もリックが大好き!リックはいつも頑張ってるのに、陛下ったら酷いわ!結婚は愛し合う者同士でするべきものなのに……リックが可哀想…」
「ああリリエラ…!私のことをわかってくれるのは君だけだ!」
なんだこの茶番。悲劇の主人公気取りか。
俺は壁際で空気に徹しながら、冷めた眼で二人のやり取りを眺める。
見れば護衛騎士も同じような表情だ。
ごく一部の生徒の間では、身分違いの恋が物語のように見えるらしく、二人の仲を応援している者もいるが、そいつらは無関係だから好き勝手にそんな真似が出来るんだろう。
俺にとって唯一良かった点は、殿下が女性と付き合うようになって、俺との仲が潔白だったと証明されたことくらいだ。
あの不愉快な噂も落ち着くだろう。
ただリリエラ嬢との交際も、飽きっぽい殿下のことだから、その内冷めるかもしれないと期待したが、こういう時に限って長続きするらしい。
周りが苦言を弄するも殿下は聞き入れず、むしろそれが余計に恋を燃え上がらせる結果になったのかもしれない。
噂は下火になっても、薄い本は不滅なことをフィリップは知らない…(笑)
むしろ三角関係という、萌えの燃料が投下されました。