ドラゴン・ライダー
雲をかきわけて進む飛空艇のはるか前方に、空を飛ぶモンスターの影が見える。
コウモリの翼をもつ、巨大なトカゲ。
Wi-Fiバーンだ。
頭にギラっと光るアンテナのような角をつけ、常に電波のいい場所を探して、首をかくかく振りながら飛ぶ。
わき見運転、よそ見運転、危険運転も甚だしい、凶悪なモンスターだ。
すごい数のそいつらが、空が灰色に染まるくらい入り乱れて飛んでいる。
「俺もあの数は見たことがないな」
「Wi-Fiバーンは50年周期で大発生する。
『万バズ状態』と呼ぶらしい」
「2人とも、見えるんですか?」
アルケミストは、視力が弱いのか、じっと目をすがめていたが、俺とユノーティアは視力がいいので、すぐに見分けることができた。
Wi-Fiバーンも、1匹、2匹なら大したことはない。
ただの羽の生えたトカゲだ。
ランダムに飛び回るので、見つかってもぶつからずに通り抜けられることもある。
だが、今回は通り抜けられるすき間もないほどの大群をなして、海を渡ってきていた。
これは、エサを求めて大移動する群れが、他の群れとあわさって、さらに大きな群れを形成したもの。
いくつもの群れの集合体。
『万バズ状態』だ。
いわゆる、イナゴの大群みたいな大災害だ。
「船を左に旋回しろ! 正面衝突を回避する!」
飛空艇は、万バズに道を開けるように、徐々に進路を変えていった。
いくつもの噴出口が、がこん、がこん、と角度を変え、ひときわ大きな火を噴く。
ぐーっと、横に引っ張られていく感覚がして、進行方向が変わった。
けれども、あまりに群れが大きすぎる。
向きを変えた方向にも、別の群れがあるような状態だ。
無事に回避できるかどうか、きわどいところだった。
いや、このまま回避できたとしても、ひょっとしたら、こいつらはララのいる港町まで飛んでいくかもしれない。
わからない、Wi-Fiバーンの飛ぶ向きは、そのときの『流行』次第だ。
こいつらは仲間と常にSNS通信を行っていて、そのときの『流行』で飛ぶ向きを決める。
一番発言力があるのは、通常アンテナ角が5本ある5G個体で、そいつが常に群れの中心になるのだが、その5G個体が至るところにいるといった状態だ。
これでは動きの予測が、まるでつけられなかった。
「このままじゃダメだ、俺が群れを安全なところに誘導する」
「ダメだ、相手はドラゴンだぞ? 人間が近づくことを簡単に許すと思うのか。
それにこれ以上近づくと、この船の装備が持たない」
ユノーティアは眉をひそめて、不安げに言った。
飛空艇の風船部は厚手の布で出来ているし、本体も木製で、強度があるとはお世辞にも言えない。
俺が『騎乗』できる至近距離まで接近して、そのあいだ船が無事ですむとは思えなかった。
だが、アルケミストはふっふーん、と余裕の笑みを浮かべ、さっと手をあげた。
「ご安心くださいユノーティア様、こんなこともあろうかと!」
船員がなにやら動きはじめ、甲板の隅で布をかぶっていた、謎の置物を引っ張り出してきた。
布を取り払ってみると、それは腰ぐらいの高さの石でできた、大きな筒。
【大砲】
『錬金術師』専用武器。
装填した弾を発射することが可能です。
「そんなの、たった1台でどうする気だ?」
「1台でじゅうぶんなの! ライダー、お前は僕がこの船にいたことに感謝するんだな!」
ユノーティアは、耳をふさいで大砲から距離を置いていた。
どうやら大砲の脅威を十分に知っているようだ。
けど、たった1台だよ?
そういえば俺は、この世界で大砲をまだ見たことがなかった。
前の世界のものと同じとは限らない。
火薬を作ることができるのが『錬金術師』だけなので、これも大量生産できないアイテムのひとつなのだ。
「ごらんください、万一を想定して、空でモンスターと遭遇したときの対策も万全です!」
アルケミストは、錬金術の素材となる木炭やハスラサンリクオオカミの毛を両手に持つと、『合成』スキルを発動した。
【火薬】
すごい勢いで燃焼する危険な薬品。
ハスラサンリクオオカミの風の魔力を宿しています。
さらにアルケミストは、硫黄と木の棒を合成してマッチ棒を作り、出来上がった火薬を大砲の中にセットしてから点火した。
「離れてくださぁーい!」
着火してから大慌てで逃げていったので、俺たちもみんなそれぞれの耳をふさいで、じっと様子を見守った。
大砲は、どかぁーん、という音を響かせて、周囲の物をびりびり振動させた。
みえない弾丸が飛んでいったように、正面の雲に、ぼかっと大きな穴が空いた。
その衝撃で、前方にいたWi-Fiバーンたちが大勢、ひらひらと落ちていく。
魔法使いが、範囲効果魔法をとばしたときみたいだ。
落ちていくWi-Fiバーンたちのステータスを見ると、状態異常が付与されていた。
【状態異常】スタン
一定時間気を失います。
どうやら、ハスラサンリクオオカミの『遠吠え』と同じ効果があるらしい。
ハスラサンリクオオカミの毛を使ってるからだろう。
これがこの世界の大砲か。
さすがに知らんかった。
船員たちもどよめいていた。
「おお!」
「なんて威力だ!」
「まだまだ行きますよー!」
どっかんどっかんと大砲を撃つたびに、ぼとぼとと落ちてゆくWi-Fiバーン。
ダイナマイトで魚を気絶させる漁みたいだった。
あたりには煙が充満しはじめ、視界は悪いし、オオカミ臭くなるし、あんまり快適とは言えない。
けれど、群れの真ん中に道が開けた。
ようやく向こうの空が切り開ける。
「群れの薄くなった部分を通り抜ける! 戦闘の準備をしろ! ライダー、お前は船の中に逃げていろ!」
みなそれぞれの武器を握りしめ、Wi-Fiバーンとの衝突に備えている。
群れの真ん中は先ほどと比べれば、ずいぶん数が少なくなってみえる。
それでも、ぎゃあぎゃあというWi-Fiバーンの声は凄まじく、耳が圧倒された。
「いくぞ!」
とうとう、群れの中に突入し、Wi-Fiバーンとの戦闘がはじまった。
大砲がどんどん打たれて、飛空艇はぐらぐら左右にゆれた。
ユノーティアも剣を取って戦っているらしい。
すごく強い。
この子、モンスターの好き嫌いが激しいだけで、本気を出すとすご強いみたいだ。
みんな戦っている。
けれど『騎兵』は、直接戦闘に参加する能力を持ち合わせてはいない。
けれどもこの状況で、俺のやるべきことが一つだけあった。
危険を知らせる、早馬だ。
本国ハスラに、この事を伝えなければならない。
船べりから身を乗り出して、眼下を高速で飛び交うWi-Fiバーンの姿を目で追った。
動きがコウモリみたいにランダムなうえ、恐ろしく速い。
どれを見ても、簡単に背中に飛び乗らせてくれそうになかった。
数多くの『騎兵』の夢を砕いてきた最難関モンスター、ドラゴン。
恐怖を一切抱くことなく背中に乗り続けることが、これほどまでに困難な生物は他に類を見ない。
なすすべなく、ドラゴンたちの動きを目で追っていたそのとき、飛空艇の船縁に空からなにか黒い影がぶつかった。
驚いてそちらを見ると、どうやら俺たちの上空を飛んでいたWi-Fiバーンが1匹、気を失って落下していくところみたいだった。
あいつだ。
「……アルケミスト、あとのことは頼んだからな!」
「おい! お前まだそんなこと言って……えっ……ライダー!?」
俺は、甲板から身を乗り出し、海へ落下してゆくそのWi-Fiバーンを追った。
「ライダーっ!」
そこは数千メートルもの上空だ。
もちろん、命綱なんてない。
俺はWi-Fiバーンの後を追って、青空を真っ逆さまに落下していく。
アルケミストが何か言っている声も、すさまじい勢いで遠ざかって、あっという間に何も聞こえなくなった。
他の意識のあるWi-Fiバーンたちは、俺の接近に気づくと、ぐるりと空中で旋回し、次々と身をかわした。
見事な編隊飛行で、俺が通過するところだけ、ぽっかりと穴をあけている。
やはり、あの背に飛び移ろうとしていたら、間違いなくアウトだった。
けれど、俺が目をつけていた奴は、動かない。
大砲の衝撃でスタン状態に陥り、気を失ったWi-Fiバーンだ。
高度は1000メートル、海面にたたきつけられるまで何秒かある。
その間に高速落下しながら、どんどん接近していく。
近くで見ると、Wi-Fiバーンはくてっと首を曲げて、目を半眼にしている。
大きな翼がついているおかげか、落下がじゃっかんゆっくりに感じられた。
俺は、仰向けになったそいつのお腹の上に、右手をかざした。
「ラァァァイド、オーン!」
びかぁっ、と光が放たれ、Wi-Fiバーンの体にはぐるりとハーネスが巻き付き、背中に鞍が装着された。
そう、モンスターが気絶していようが、意識がなかろうが、俺のチートの前には問題ない。
首のない馬が走ったように。
俺の騎乗スキルは、すべての乗り物の性能を倍加させる。
「おきろぉぉぉぉぉ!」
Wi-Fiバーンのステータスを確認する。
状態異常回復力が一気に上昇し、能力【スタン耐性】を獲得した。
気を失った状態からすばやく復帰し、かっと目を開く。
牙をむいて、翼をばさばさはためかせ、海面にたたきつけられる直前、宙に浮かび上がって体勢を立て直した。
「ひぃぃぃやっはぁー!」
海面すれすれを、ほとんど滑空するように飛び回るWi-Fiバーン。
体を海面になんども打ち付けながら、懸命に飛び上がろうとしている。
俺が完全に操作しているのにもかかわらず、ランダム飛行は健在で、思うように飛んでくれない。
こいつはとんでもない荒れ馬だ。
上空では、飛空艇とWi-Fiバーンの交戦が繰り広げられていた。
上空のWi-Fiバーンが一斉に同じ方向に動くと、俺のWi-Fiバーンもつられてまったく同じ方向に動く。
どうやら、まだSNS通信の影響を受けているらしい。
こいつのアンテナ角はたった3本、3Gだ。5Gの発言力には勝てない。
「なんとか進化できないのか……! そうか……!」
俺は、ポケットの中にしまってあった花を取り出した。
花かんむりの一部だ。
それを構成しているのは、ララの摘んだ最高薬草、モンスターをパワーアップさせる劇薬だ。
鞍の上から身をのりだし、前方にジャンプした。
Wi-Fiバーンの首にしがみつくようにして、口に花を突っ込むと、そいつはとつぜん甲高い声で叫んだ。
「キュリリリリリリリリリィィィィ!」
そのWi-Fiバーンは見るまにパワーアップしていった。
角が追加で生えて5本になり、おまけに首がさらにもう1本生え、実質10G。
俺のWi-Fiバーンは、ワンランク上の形態へと進化した。
Wi-Fiバーン・リロードだ。
全身の鱗は燃えるような金色に変色した。
火の粉を飛ばしながら翼をはためかせると、リロードは、飛空艇に向かって真っすぐ飛び上がり、他のWi-Fiバーンとの間に割って入った。
すると周りのWi-Fiバーンが、不思議なことに、次々とリロードのまっすぐな動きにしたがって、その後ろを飛び始める。
「ライダー! 大丈夫かっ!」
ユノーティアが剣を下げ、アルケミストが船べりから身を乗り出していた。
どうやら、彼らの戦闘は急にやんだらしい。
そう、Wi-Fiバーンは、SNS通信によって仲間と対話しあい、飛ぶ方向を決めている。
最高位ランクのリロードは、その通信網の中で、発言力が飛びぬけて高いのだ。
だが、荒れ馬しかいないWi-Fiバーンの群れを思い通りに操ることは、すさまじい困難を極めた。
さすが『騎兵』の最難関。
気まぐれに、リロードの意見に逆らって、明後日の方向に飛んでみるやつもいる。
どんどん遠くに行って声が届かなくなってしまうけれど、大きな群れにならない程度なら、見逃すしかない。
1匹や2匹だったら、普通に戦って倒すことも可能なモンスターだ。
けれど、なかには気まぐれにリロードに噛みついてきたり、背中にいる俺に体当たりをしてくる奴がいる。
俺はガチで命からがら体当たりをかわしつつ、遠くに散らばっていた大きな群れをなるべくかき集めて、飛空艇の周囲から危険を取り除いていった。
「いいぞー! 『騎兵』の小僧!」
「信じられねぇ! あいつ、ドラゴンに乗りやがったのか!」
「『ドラゴン・ライダー』だ! おとぎ話でしか聞いたことがない!」
飛空艇の上から、船員たちの歓声が聞こえる。
帽子を放り投げて、口笛を吹きならし、まるでサーカスに見とれるみたいに、俺を応援していた。
アルケミストや、ユノーティアの心配する声も聞こえる。
「ライダー! 約束しただろ! ぜったいに戻って来いよ!」
「私も許さないぞ! ライダー!」
2人は、俺が本当に危険な曲芸に挑んでいるのを知っていて、心配してくれていた。
心配いらない事を伝えたいが、ここからでは声が届かない。
超高速で空を飛び回っているので、風圧がすさまじく、声も出せない。
さすがに鞍の上に立ってみせる余裕はなかったが。
なんとか手綱から片手を離し、親指を立ててみせた。
恐怖に打ち勝ったとき、『騎兵』はモンスターと一体になる。
その時はじめて『騎兵』の能力は完成する。
「手を離すなぁーっ!」
「落ちる、危ないからやめてくれ、ライダー!」
ユノーティアとアルケミストがなにやら騒いでいたけれど、俺には聞こえなかった。
「さあ、行こうぜ、リロード!」
飛空艇の周囲が安全になったら、次はハスラ王国だ。
俺は南に流れてしまったWi-Fiバーンの群れをかき集めながら、海上をひたすら飛び回っていた。
そのまま海を南下していくと、やがて眼下に港町が見えてきた。
俺たちが出発した港町だ。
俺は港町の手前でリロードを大きく旋回させ、Wi-Fiバーンの群れを陸地から遠ざけた。
その頃には、俺の引き連れているWi-Fiバーンは、100万匹にもなっていて、空の上に長い雲のような尾を引いていた。
俺の眼下の海岸には、リロードと同じ金色にぼんやりと光る花飾りをつけた馬車が並んでいて、人々がドラゴンで薄暗くなった空を見上げて、何事か、と大騒ぎしていた。
兵士たちも、町人も、旅人も、冒険者も、誰ひとりとして、空を見上げていない人はいなかった。
俺は、ララの姿を探した。
ララは、ひとり離れた丘の上にいた。
白い服と、大きな薬草籠がぽつん、と草むらに置いてあったので、ひとめで分かった。
どうやら、ここでも薬草を摘んでいたみたいだ。
両手に薬草をいっぱい持って、棒立ちになって、相変わらずぽかんと空を見ている。
ララの表情は、ここからはよく見えなかった。
いつも通り、ぽかんとしているのか、それとも怖がっているのか。
危ないから、兵士のいるところに戻っていて欲しかった。
けれど遠すぎて、お互いの声も聞こえない。
モンスターを引き連れている俺は、これ以上、近づくこともできない。
ララは、その代わりに、両手に持っていた薬草をぱっと空に放り投げた。
ぱっと紙吹雪のように舞い上がった薬草の中で、ララは、着物の裾をひるがえして、くるん、とその場で右に回転した。
両手を体に巻き付けて、でんでん太鼓みたいに、反対側へ、くるん、と回る。
ペグチェのダンスだろうか。
くるくると回って、機械みたいに足踏みして、なにかを踊っている。
俺もはじめて見たけれど、すごく楽しそうだ。
全身を使って、なにかの喜びを表現しているのが伝わってくる。
俺は、その無邪気に踊る姿を見て、ほっと安心した。
あいかわらず、ララが危険なところにいるのは変わりない。
けれど今の俺が曲芸師なら、ララはこのとき同じサーカスのダンサーだったのだ。
ララは遠くはなれた今でも、俺と同じ危険と喜びを分かち合う、パートナーだ。
いまなら、取り返しがつくはずだ。
無事に生きて帰られたら、ちゃんと俺の事を、すべての事情を話そう。
そしてララがいつか恋をする年頃になったら、本当に好きな人を見つけて、幸せになってもらおう。
俺は大きく手をあげて、ララにお別れの合図を送った。
ララも手をぶんぶんと振った。
俺はララに見守られながら、そのまま海の遠くへと飛んでいった。