1.モニカの判断
ニコロが慌てて事務室に入ってきたとき、私はちょうど来月初演になるオペラのポスターを描きあげたところだった。
「姉ちゃん、大変だ!」
「事務所では社長と呼んでって言ってるでしょ、ニコロ。」
色刷りのための色の指定を考えながら顔をあげると、もともとは血色の良い朗らかな顔をしたニコロが蒼白になっていた。
「・・・大公家から依頼が来たんだ。あのマルカントニオ王子だって。」
「ついにね、来ると思っていたわ。」
おお仕事になる。今あるオペラ宣伝の仕事は初演までが勝負だから、そろそろ片付きそうだった。後は評判次第になるから、私達広告業者のできることは少ない。
「えっ、姉ちゃん、当然断るんだよな?」
ニコロの困惑した灰色の目が私を覗き込む。
「王子の評判はすでに地に落ちているわ。私が失敗したところで失うものはないし、大公家に恩を売っておけば検閲で面倒になったときに甘く見てもらえるかもしれないもの。」
前衛的な舞台なんかは内容もそうだけど宣伝も検閲対象になるから、私としてもお偉いさんとコネを作っておきたかった。
「でもあの庶民を見下した王子を庶民にうるんだよ?肉屋に魚を卸すようなもんじゃないか?」
「肉屋に魚屋になれといっているわけじゃないわ。魚の燻製でも端に陳列しておいてね、くらいの仕事よ。」
今更王子の評判をポジティブにするのは不可能。でも『そこまで悪くないかも』と思わせることができれば、私の業界内での地位も上がると思う。
悪名高い王子様が私のPR戦略に素直にうなずいてくれるとも思わないから、失敗に終わったら『残念ながら王子様がアドバイスを聞き入れてくれなかったので』と言い訳できると思う。
「時間の無駄じゃない?評判の悪化をうちのせいにされて顰蹙をかったら逆効果だよ?」
「私達に頼んでくるということは、切羽詰まっているんでしょう?こういうときは多少のことは大目に見てもらえるのよ。」
王子の評判は悪化しようがない、と私は見ていた。それは政府でもきっと共通の意見のはず。きっと面倒なマインド・ゲームは省ける。
「ニコロ、これにバルッフィさんのチェックを入れてもらってから、印刷所に回して。私はポスターの配布許可を取りに、市役所にいかないといけないわ。」
大公家御用達になったら、こういう行政手続きに口を聞いてもらえるようになったら嬉しい。
「それと、『喜んでお受けします。』と大公家のほうにお伝えして。あと紳士録を用意して頂戴。王子の市場調査をするわ。」
私は厄介だけど骨の有りそうなプロジェクトに備えて、今ある細々とした受注を整理しようと思い立った。