38. 師匠からの手紙
「今、お茶を入れるわね」
アネッサとヒューゴをリビングのテーブルに座らせると、メリルはキッチンに立った。
二人の向かいに座ったアルヴィンは、先ほど受け取った手紙を両手に持って、無言のまま凝視している。
沈黙が流れる中、メリルは人差し指をくるりと回してポットに水を入れ、火をつけてお湯を沸かした。それを見たヒューゴは「すごい」と呟いて、アネッサと顔を見合わせた。
――師匠さんのお手紙、何が書いてあるのかしら。
――ヒューゴ様が私がここにいると思ったのは、その手紙に関係がある?
漂う緊張感と、頭を埋め尽くす疑問。
メリルはため息を吐くと、茶葉をポットに入れてお湯を注いだ。
良い香りが心を落ち着かせてくれる。
「どうぞ」
カチャカチャと、四人分のカップをテーブルに運ぶとメリルも席についた。
アルヴィンはカップが置かれるなり手に取り、ごくりと一口紅茶を飲み込むと、静かに言った。
「話とやらの前に、まず――手紙を読ませてほしい」
「――構いません」
メリルは、机の下でアルヴィンが自分の手をぎゅっと握るのを感じた。
ちらりと視線を移すと、アルヴィンは大きく息を吐いて、経年のためか少し茶色くなった封筒を開いた。
『アルヴィンへ
この手紙を読んでいるということは、私はあなたに大切なことを伝えられずに、時間切れを迎えてしまったのだと思います。直接伝えることができなかったのは、私が臆病だからです。……ごめんなさい。
まず、最初に伝えたいことは、国王陛下の――ケイレブからの願いを聞き入れて、『壁』を実現することを決めたのは、私自身の贖罪のためです。このことをずっとあなたに伝えることができなかったけれど、私は昔――、とてもひどいことをしました。
魔女になる前の私は、ただ人の未来のことが少しわかる力があるだけの孤児で、それを糧に占いをし、日々暮らしていました。占いは当たると評判になり、たくさんのお客がつくようになりました。
けれどある時――、噂を聞きつけた高貴な方の未来を占うことになったのですが、私にはその方の『死』が見えてしまいました。――嘘をつくことができなかった私は、その事実を正直に告げました。激高したその方は立ち去りましたが、その後、亡くなりました。その方の一族は、私が死を告げたせいで、その方が死んだのだと、私を捕まえ、魔女として火あぶりにしました。
炎に包まれながら、「こんなふうに自分が死ぬ未来は見えなかったのにな」と思った、その時でした。私を燃やそうとしていた火が一瞬にして消えて、気がつけば、私の身体は処刑を見物していた群衆の中へ移されていました。私の師が――『彼』と呼びましょうか、彼が私を助けてくれたのです。
不思議な力を持つ人々は『魔女』『魔術師』として処刑される世の中でした。
彼は、私のように処刑されそうになった者や、社会から疎外された魔術師たちを集めて、魔術師だけの国を作ろうとしていました。
私は彼を慕って、そして愛しましたが、……そのうち、彼の考えをとても危険だと思うようになりました。彼は、魔術師だけの国を作って、そうでない人々を支配しようと考えていました。今まで自分たちが受けてきた仕打ちの報いを受けるべき、と。
彼らが人を集め、とうとう行動を始め――私は、アジュール王国と協力し、魔法文字を使った空間魔法の研究を行い、かつての仲間である魔術師たちの魔法を無効化する空間を作りました。
私は孤児でしたが、占い師として生きる中で、たくさんの人に支えられ、楽しいこともたくさんありました。彼は、そんなふうに私が過ごした街も壊してしまいました。魔法を無効化する空間を作ったのは、彼らを説得するためでした。けれど、その説得は聞き入れられず、激しい抵抗の末、血で血を洗う争いとなり、双方に多くの犠牲が出ました。
魔術師たちは皆、殺されました。けれど――、死体を確認しても、彼の身体だけはありませんでした。私は全てから逃げようと、妖精の世界と人の世の間にある迷いの森へ逃げ込み、誰からも見つからないように空間魔法を使って隠れ住みました。
私があなたを家に連れて帰った理由は――私の気まぐれです。彼もあなたのように黒い癖のある髪と、綺麗な青い瞳をしていました――あなたが成長すれば、きっと彼に似るだろうと思ったからです。
私はあなたの前に何人か――妖精の世界へ引き込まれて行く子どもを見かけましたが、声をかけることはしませんでした。
彼も幼い頃は妖精が見えたと言っていました。魔術師の中でも、妖精の愛し子は特に強い魔力を持ちます。彼らは、他の人に見えない存在と会話をすることから、特に疎外されることが多く、妖精の誘いを何度も退け、それでも人の世界で大人になるほど強い意志を持つ愛し子は、彼のように――人の社会を憎み、やがて人々の脅威となるほど強い魔術師になるでしょう。
――そうなるよりは、きっと、妖精の国で彼らとともに、大人にならずそのまま永遠の時を過ごし、やがてあの花畑の一部となる方が幸せだろうと思ったからです。
――けれど、私はあなたを見て、思ったのです。――もし、この子が人からの愛情を受けて大人になったらどんなふうな魔術師になるだろうか、と。
だから、私はあなたを家に連れて帰り、育てました。
けれど――あなたと過ごした時間は、私の人生で一番心穏やかで、幸せな時間でした。
いくら料理を出しても、あっという間に食べてしまって、男の子というのはこんなに食べるものかと驚いたり、気がつけば私よりずっと背が高くなっていたことに驚いたり。成長してみれば、あなたはあなた。彼とは全く違う、不器用なところもありますが、優しい素敵な男性に育ちましたね。
あなたを森の奥にずっと留めておくことは良くないと思い、魔法を解き、私はまた外の世界に関わることにしました。そして――、人の世を脅かす『魔王』の話を聞いた時――、私はそれが彼だと、確信しました。仲間を皆失い、自身も大きな傷を受けたであろう彼は、長い年月の間に、そういう存在に変わったのだろうと。
私自身がそうであるように、魔法を使って人より長く生きていても、限界があります。私は、周囲を脅かす彼の侵攻が、最後の足掻きなのだとわかりました。彼はすべての力を使い切り、人の世を荒らすだけ荒らして果てるのだろうと。
だから、私はケイレブの願いを聞き入れ、私にできるせめてものこととして、アジュール王国を守る『壁』を作ることにしました。私自身、もう、かつてのように彼を抑え込めるだけの力はないけれど、せめて、彼が果てたのちに、傷ついた人々を受け入れ、導ける国を残すくらいのことは、したいと思いました。
あなたは、全ての功績をケイレブのものとすることに納得ができないかもしれません。
ですが、それは私が提案したことです。彼はまだ若い国王で、先王が戦死して間もなく即位したばかり。立場も決して安定してはいません。国をまとめるためにも、求心力が必要です。ケイレブはきっと良い国王になるでしょうから、安心して人々のことも、あなたのことも、彼になら託せると思い、私は彼に、この手紙と後のことを託しました。
あなたはもしかすると、私が死んだあとにまた――あの森へこもってしまうかもしれませんね。だけど、私には、あなたが、あなたによく似合いの可愛らしい女の子と一緒に笑っている未来が見えました。
この手紙をケイレブに預けたのには、あなたに人の世界とのつながりを持ち続けてほしかった、という理由もあります。
それがいつのことになるかはわからないけれど、私は、あなたがそのとき隣にいるであろう娘と共に、人の世界で生きることを望みます。
あなたも、もしかしたらその娘も、外の世界に良い思い出がないかもしれませんが――、人の世界も悪いことだけではなく、良いこともあると気付いてほしいわ。
どうか自分の中だけに閉じこもらないで。彼や私が生きることのできなかった平和な世界を、愛する人と生きてください。
私の愛弟子へ。あなたの幸せを、ずっと願っています。
イブリン』




