邪教の影11
わずかに怒気を漏らして早人は剣を抜き、言葉と視線を男に向ける。
「これはちょっと」
まだ一度も拳を交わしていないが、男は自分に向けられた戦意でキアターたちとの戦いがお遊戯だったと思えた。本気を出さなければ一方的な戦いで終わると確信した男はトレンチコートと帽子を外す。
そして体に力を込めるとわずかに膨らみ、黄色人種と同じ肌色が灰色へと変わる。髪は鋼のように硬質化し、目がワインレッドに染まり、飛び出す。口が裂けて、伸びた舌がだらりと下がる。背中からは服を破って一本の触手が生え、左右の腕も触手化した。人間からは大きく外れた姿となる。
「主よりいただいた力を見せることになろうとは。見たからにはここで必ず倒れていただきますよ。邪教徒が一員、ドタニス。参ります」
「冒険者蔵守早人、いくぞ」
早人も闘人の衣を発動させて、剣を両手で持ってドタニスの突進に合わせて突っ込んでいく。
両者の剣と触手がぶつかり、その場で止まる。生み出された衝撃が緩く風となってその場にいた者の髪や周囲の木の葉などを揺らした。
両者はその場から動かず攻撃を続ける。そのたびに派手な音が周囲に響き、風が生じた。すぐに常人では捉えられない速度での攻撃になり、衝突音も連続したものが響く。
攻撃を続ける両者の表情は対照的だった。早人は涼しい顔で、ドタニスは苦々しい顔だ。三本の触手と一本の剣、攻撃回数でいえば触手が優位に立つ。それでも早人は触手のすべてをさばいていく。三方向から変幻自在に迫る触手を、高速で振う剣でもって弾き、ドタニスの胴を蹴る。肉ではなく大木を蹴ったような鈍い音が周囲に響く。
蹴られ下がったドタニスは早人の強さを見誤ったことを実感する。強くは感じていたが、それでも熟練の冒険者と同程度かそれを少し超えるくらいだと考えていたのだ。劣勢であると自覚しながらも退くことなくドタニスは前へと踏み出す。
触手の頑丈さを確認できた早人は同時に三本の触手を斬って見せた。
「なんの!」
その一声で新たな触手が切断面から生えた。再び三本の触手での攻撃が始まり、戦いは続く。
手段を選ばなくなったドタニスによって、ジーフェたちに触手が伸びるが触れることなく斬り飛ばされる。ならばと触手で抉った土を顔めがけて投げつけられるということもあったが、早人は目を閉じて対処し、それが隙にもならず剣を振る。
やがてドタニスは呼吸を乱し、大きく下がって力を溜め始めた。三本の触手がドタニスの胸の前に集まり、触手の延長線上で交差する部分に黒いエネルギー塊が生じた。
「私ではあなたに勝てませんね。かといって逃げることもできそうにない。だからこうさせていただきます」
ドタニスがなにをやろうとしているかは早人にはわからないが、ろくでもないことだろうとはわかる。ゆえに行動を待つつもりはない。
「戦技・迅一閃」
早人は剣を振って急接近し、黒いエネルギーごとドタニスを斬る。
その速さにドタニスが驚き、その表情のまま胴体真っ二つにされて暴走したエネルギーの小規模な爆発に巻き込まれた。二つにわかれた胴が地面に落ちる。
「悪あがきもさせてもらえませんか。完敗ですよ。主よ、祝福を賜ります」
最後に祈りを捧げたドタニスは満足そうな笑みを浮かべて死んだ。
本当に死んだのか早人は剣先で突いて確認し、戦闘終了だと剣を鞘に納める。
ジーフェとキアターは自分たちが苦戦し本気も出させられなかった相手を圧倒した早人の強さを再認識する。そして暴虐や残虐といった性格でないことに安堵する。この力をもって暴走されてはどう考えても楽しい想像はできないのだ。
「二人とも大丈夫?」
二人に近づき早人は声をかける。心配そうな視線をどこかくすぐったそうに受けるジーフェとキアター。
「体中痛い」
「私もよ。ヒールポーションも頼めばよかったわ」
「あとは霧について調べるだけだろうし、もう少しがんばったら休めると思う。屋敷の部屋を使わせてもらうのもいいかもね」
「そうさせてもらおうかしら。使ってた人はそこで死んでるし、勝手に使っても文句はでないでしょ」
「あそこってあいつが使ってたの?」
「そう言っていたわ」
詳しいことはあとで聞こうと早人は少し離れたところに座らせていたファオーンを連れてくる。
「媒介をちょうだい」
「魔力は足りる?」
大丈夫だと頷いたキアターの手に媒介を置く。
すぐにキアターは魔法を使い、霧を解析する。
「精神に作用する魔力を帯びているわ。村人がおかしくなったのはこの霧のせいで間違いない。ただ微量だからすぐにおかしくなることもない。長い時間をかけて少しずつ影響を与えたのでしょうね。邪教に遭遇したのはこれで二度目だけど、以前も直接的な手段じゃなくて策を練ったものだった。そちらが好きなのかしら」
「邪教なんぞがこんな小さな村に関わっていたのか。霧以外にもなにかされてないといいが」
ロソックは倒れて動かないドタニスを睨み言う。
「本人から聞き出せたらよかったんだけど、そんな余裕はなかったし、そもそも邪教関係とか思いもしなかったし」
邪教は一般人だけではなく貴族などからも嫌われている団体だ。歴史は古いのだが、詳細はわかっていない。崇めている教主と呼ばれる存在のこと、どれくらいの規模なのか、なにを目的としているのか不明なのだ。
世界のあちこちでなにかを壊し、今回のような小さな村で動くこともあれば、時に国の崩壊にも関わったことがある。
壊すこと壊れることを祝福と呼び、ドタニスの最後の言葉は自らの死を教主からの送り物として喜んだということだ。
壊す壊れるということから過去に大きく暴れた存在を崇めていると考えている学者もいて、該当しそうな人間や魔物を調べているがこれだという存在はみつかっていない。
「そういやこの子も霧の影響を受けてないとおかしくないか?」
ロソックがケラスンを抱き寄せつつ聞く。
キアターはケラスンを解析し、無事な理由を知る。
「ケラスンは生まれつき魔力に対して抵抗力を持っているみたい。特別高い抵抗力というわけでもないけど、この霧も強いものじゃないから長時間触れていても効果はでなかった」
「ケラスンだけが怖がらなかったのはそういうことだったんだな」
どこかおかしいわけじゃなくてよかったなとロソックはケラスンの頭を撫でて、ケラスンも理由がわかり嬉しそうに頷いた。
ケラスンの特殊な事情からジーフェの胸騒ぎのことを思い出し、キアターはちらりとジーフェを見る。ぱっと見たかぎりではケラスンのように抵抗力が強いといったものは見えない。自身の魔法がなんでも見通せるものではないと理解しているキアターはわからないものは後回しにする。
「この霧が濃くなっているところに行くわ。ついてきて」




