無人島5
見晴らしのいいところで使いたいと言って、コッズは山を登る。小さな山なので一時間もかからず山頂に着く。
そこから見える景色は三百六十度海だった。遠くに陸地の影すら見えない。地球にいた頃ならば、早人は絶景と言ってこの景色を楽しむことができただろう。しかしのちのちここからの脱出が待ち受けている今、景色を楽しむ気分ではなかった。
「一応言っておくが、向こうが北だ」
(ん、わかった)
さわやかな秋風に吹かれつつ、抜いた剣で示された方角を早人はしっかりと覚えておく。
「遠くにでかい雨雲が見えるから、きょう出発すると嵐か豪雨に遭うかもしれん。明日以降がいいだろうな。それじゃあやるか。死んだ後に得られたチャンス。生かして咲かせよう有終の美ってか」
コッズは消えることに対して恐怖はない。ただただ未練を晴らせることが嬉しく、技の完成が喜ばしかった。
深呼吸して構えをとる。ゆっくりと魔力を放出し、完成した技のイメージを魔力に乗せる。
準備は十分と判断し、息を止め、柄を握る手に力を込め、剣を振り抜いた。
ザンッと響いたのはなにを斬った音か。
コッズの聞き間違いではなく、早人の耳にも届いた斬撃の音。
たしかな手応えにコッズは確信を持った、今ここに念願の技が完成したと。
そして早人は見た、はるか先にある雲が上下真っ二つにわかれて消えていったのを。
天才が生涯をかけて生み出そうとしたものは、たった一人の観客に見守れて世界に誕生した。
(雲を裂く一撃。いやあれば余波なんだから空を断ってもおかしくはないのか)
「それいいな。名前はシンプルに『空断ち』(そらだち)だ。これでなんの未練もない」
(コッズ?)
コッズの声が小さくなっていき、徐々に早人は自身の体に引き寄せられる。
「時間切れというか、満足したからこれで終わりなんだろう。できるかどうかわからんが、俺の力をお前にやろう。なにか体に入ってきても拒否せず受け取ってくれや」
(お別れか……うん、いいものを見せてもらった。技だけじゃなく人が懸命になれる姿はすごくいいものだった)
以前は偉人伝というものを読んでも、ただ文を読みおざなりな感想をもつだけだった。だがすごい人というものを間近で見た今ならば、偉人が送った人生に敬意を持てる。
「おう。お前も頑張れよ。あと人生を楽しめ。こんなおかしなことになったんだから、その分自由に楽しむ権利がある」
(そうさせてもらう。約束する)
「うむ、じゃあな」
早人は完全に自身の体に戻り、コッズは別れの言葉を残して消えていった。
体の周りになにかが漂い近寄ってこようとしているのを感じる早人。これがコッズの力なのだろうと考えた早人は、それらを吸い込むように呼吸して、あますことなく体にそして魂に受け入れた。
「たぶんこれでいいんだろうな。じゃあ下りるか」
反応がなく独り言になったことに早人は少しばかり寂しさを感じる。
手に持っていた剣を鞘に納めようとして、刃が目に入る。
「ひびが入ってんな」
空断ちを使う前までは小さな傷くらいしか入っていなかった刃全体にひびが入っていた。
これではもう使い物にならないだろう。なにかを斬ろうとしても、斬る前に砕け散る。
「持ち主がいなくなったから、お前も役割を終えたのか?」
尋ねてみるが当然返事はない。
早人はそっと剣を鞘に納める。あとで抜けないよう紐で縛るつもりだ。
山を下りた早人は、洞窟に戻る。
「さてと食べ物はコッズが確保してくれているから、俺がやることは荷物をまとめて、丸太を持って海に出ることか」
さっさとやろうと、洞窟に入る。
持っていくものは、荷物を入れる袋とグリフォンの羽とお金とナイフ、ほかに毛布と食べ物くらいだ。
コッズの話では三日も移動すればイランテ大陸につくらしいので、多くの食料は必要ない。
水は魔法でどうにかしろということだった。
「水出すくらいなら誰でもできるっていってたな」
やってみるかと聞いた手順で魔法を使う。
体に宿る魔力は簡単に感じ取ることができた。何度もコッズが魔力を使っていたので、この体は感覚を覚えているのだ。
その魔力を体から追い出し、蛇口をひねって水が出るイメージを乗せる。
「水出ろ」
早人が言葉にすると蛇口から出るように水が一直線に地面へと落ちていった。
数秒ほどすると流れ出ていた水は止る。
「おー、できた。なるほどなー」
納得したように頷いて、これで水は大丈夫だと問題を一つ解決する。
「次は丸太だな。あれでいいか」
早人は以前空断ちの余波で傷ついた木を蹴る。
地球にいた頃は出せなかった威力の蹴りは、木を折るのに十分だった。
めきめきと音を立てて折れた木を持つ。予想以上の軽さに驚きつつ、海まで引きずって移動する。
大きな物音を立てての移動は当然目立つが、魔物たちは早人の姿を見ると近寄らずに逃げていく。
最初に目覚めた浜辺にまで来て、林を振り返る。
「半年もたっていないとはいえ、これまでになく濃い時間だった」
木を浜辺に置いて、洞窟に戻る。
このまま無人島を脱出してしまおうかという考えはあったが、コッズの助言が踏みとどまらせた。
翌日、早人は雲の様子を見るため山を登る。はるか南に小さく雲があるだけで、快晴といっていい天気だった。
絶好の出発日和で、急ぎ洞窟に戻って荷物を持って浜辺へと向かう。
ここに戻ってくることはないだろうと思いつつ、木をジャイアントスイングで海上に放り投げた。
ぷかぷかと浮かぶ丸太に飛び乗って、ふと思う。
「すごいことしてるよな」
コッズが自身の体を使って似たようなことをやっていたので、できると疑わずにやったことだが、考えてみると信じられないくらい身体能力が上がっている。
この世界を生きていく上でありがたいことで、コッズに感謝しつつケルピーを待つ。
水の動きにバランスを崩すことなく待つこと五分、なんらかの強い意思が海中を移動しているのに気づく。
「これがマンガとかにでてくる気配を感じるということ」
早人は感心しつつこのままだと丸太に当たるかと考える。
ぶつかる瞬間を見計らい、ジャンプする。
海中から丸太を押しのけ顔を出したのは、上半身が馬で下半身が魚というゲームでモンスターとして出てきたケルピーと似た魔物だった。これは葦毛を持ち、下半身は深い緑の鱗でおおわれている。
ちょうど着地がケルピーの上だったので、そのまままたがり鬣を掴む。
いななき暴れるケルピーを押さえ込み、海に潜ろうとすれば鬣をひっぱり顔を上げさせる。
しばし主導権争いが続き、やがてケルピーは諦めたように顔を向けさせられた方角へと泳ぎ出す。
最初の一時間は遠くなっていく島を見たり、珍しい海上旅行を楽しんだりしたが、すぐに暇になる早人。
「ずっとまたがったままってのも辛いし、どうすっぺ」
なにをするのか考えるのもそれなりの暇潰しになる。
海風を感じながらぼんやりとしていると、西になにか動くものを見つけた。
なんだろうかと思いながら見続けていると、じょじょにこっちに近づいてきているのがわかる。
「なんだありゃ!?」
アヒルだった。ただし早人の知っているアヒルの数倍の大きさで、しかも空を飛んでおらず、自身の後方に盛大に水しぶきを上げている。足だけでモーターボードに近い速度を出していた。
「ガアアアアアアッ」
早人たちとの距離があっという間に縮まり、こちらを気にする様子もなく東へと去っていった。
てっきり戦闘になると思っていた早人は、きょとんとして見送った。
なんだったんだろうかと首を傾げる。
あれはこの星の管理者が停滞し始めた世界に刺激を与えるために行ったことの一つだ。生物や魔物に特殊進化の要素を突っ込み、生態系に変化をもたらそうとした。ある程度の変化は起こったが、大きな進展までは起こさなかった。
ちなみにあれは突っ走りアヒルという名の魔物で、木造船の胴をぶち抜けるほどの突進力を持っていた。
この世界にはああいった変わり種もいるんだろうかと考え、異世界の珍妙さを感じる早人。