第2話 ドイツの進撃
西暦1937年 8月31日 空母『洋龍』 艦長室
空母『洋龍』の艦長室にて、夕季は新聞を読んでいたが、その内容に驚愕していた。
「まさか、こんな事になるとは・・・」
その新聞には8月27日にポーランド全土が陥落したと報じられていた。
26日。
それがポーランドがドイツに攻め込まれてから陥落するまでの時間だった。
もっとも、これだけならば転移メンバーも想定の範囲内だっただろう。
だが、問題はドイツが単独で、ポーランド全土を落としてしまった事であった。
これは流石に夕季どころか、転移メンバー全員が想定していなかった事だろう。
「秘密協定、この世界では存在しなかったのか?」
史実では独ソ不可侵条約を結んだ際の秘密協定によって、ポーランドはドイツとソ連に分割される形で消滅したが、この世界ではドイツが単独で落としてしまっていた。
それも驚きだったが、夕季が真に驚愕したのはドイツ軍の戦闘能力の高さだった。
「・・・もしかして、俺達と同じように転移者が居るのか?」
夕季はそう疑っていた。
となると、厄介な話になる。
ただでさえ技術基盤の高いドイツに、未来人が着いたら正に鬼に金棒になってしまう。
そうなると、日本にとっても些か、いや、かなり面倒な事になる。
まあ、もっとも仮にそうだったとしても転移メンバーの方針に変わりは無いだろうが、不味い事であるのに変わりはない。
「これは再び会合を開く必要がありそうだな」
夕季はそう呟きながら新聞を見続けた。
しかし、彼は知らない。
2ヶ月後にドイツが新たな行動を起こす事を。
そして、それは転移メンバーにとってある意味で予想通り、ある意味で想定外の事態であるという事を。
◇西暦1937年 12月2日 大日本帝国 帝都
「「「「「・・・」」」」」
会合のメンバーは誰も喋る事は出来ない。
あまりにも想定外の行動をドイツが起こしてしまったからだ。
1937年10月9日、ドイツ軍は新たな行動を起こした。
なんとデンマークとフランスに同時侵攻したのだ。
まずデンマークだが、此方は軍事が貧弱な上に国土がドイツのすぐ北にある事もあり、史実通り呆気なく陥落した。
次いでフランスだったが、此方も史実通りマジノ線に拘りすぎて、アルデンヌの森を通ったドイツ軍によってフランス軍は総崩れになっていた。
更にイギリス大陸派遣軍も史実通り巻き添えを食うようにダンケルクに追い詰められ、孤立した。
イギリスは史実通りダイナモ作戦を発動しようとしたが、その前にドイツ軍が追撃に動き、イギリス大陸派遣軍はその殆どがドイツ軍の捕虜となってしまっていた。
そして、フランスのパリは11月21日には陥落し、フランスは史実通り敗れた。
現在はド・ゴール以下の閣僚がイギリスに亡命したのみである。
「何故、ドイツは史実と違って追撃に動いたんだ?」
春川が呟くと夕季が説明する。
「どうやら、陸軍と空軍に軍事費のリソースを集中させているらしい。お蔭で海軍は遅れているが、陸軍と空軍にはある程度の余裕が出来た結果、こうなったんだろう。・・・それか、俺達と同じように転生者が絡んでいるか」
その言葉に転移メンバー達は喉をゴクリと鳴らしていた。
転生者が絡んでいる可能性。
それは転移メンバーも考えてはいたが、遠いドイツの事ゆえに何処か他人事のように思っていた。
だが、こうまで史実と違って来てしまうと、段々と危機感が湧いてくる。
しかし、それよりも問題が1つあった。
イギリス大陸派遣軍が壊滅してしまった為、もし史実の通りフランスに上陸作戦が行われる場合、少なくともイギリスはその為の兵力を捻出出来ない可能性が出てきたのだ。
まあ、今の段階では本土防衛も出来るかどうか怪しくなってしまったのだが。
そして、もう1つ転移メンバーにとって気になる事があった。
「イタリアが参戦していないな」
そう、史実と違い、イタリアが参戦していなかったのだ。
史実通り、エチオピア侵略などで孤立気味であったイタリアだったが、この段階にもなっても参戦しない事に転移メンバー達は首を傾げていた。
だが、これはあまりにも単純な理由だった。
イタリアは今現在もスペイン内戦に介入している。
加えて、ドイツの行動が早すぎた為に、戦争の準備があまりにも整っていない。
その為、イタリアは参戦の機会を逸してしまったのだ。
しかし、イタリアが参戦していないのは日本にとって行幸であった。
これでまだ日本には参戦義務が生じていないからだ。
つまり、日本の好きなタイミングで第二次世界大戦に望めるという事である。
現在の日本はあまりにも戦争の準備が整っていない。
それどころか、第三次五ヵ年計画の大詰めを迎えている段階の為、国民は参戦には否定的だった。
その為、戦争の準備がなかなか進んでいなかったのだ。
辛うじて、翔鶴型、隼鷹型、大和型などの大型艦の建造は着工段階にあったが、戦時量産艦の建造はあまり進んでいなかった。
だが、このままイギリスを見殺しにするのは外交上宜しくない事は確かだった。
「まあ、どうやってもイタリアはそのうち参戦するだろう。それより、バトル・オブ・プリデンだ」
有村が痛いところを突いてきた。
このまま参戦するにしろ、しないにしろ、バトル・オブ・プリデンにはもう間に合わない。
しかもイギリスのレーダー技術は史実よりも遅れている。
もしかしたら、冗談抜きでイギリスは落ちるかもしれない。
「イギリスが落ちる事は軍事上、外交上双方の面で宜しくありません。なんとか軍を1ヶ月以内に向こうに送れませんか?」
青木が夕季に尋ねるが、夕季は首を横に振っていた。
「無茶を言うな。海軍の方では漸く派遣兵力の選定が終わったばかりだ。陸軍でも動員を始めているが、到底1ヶ月で送る事は不可能だ」
夕季の言った事は実際に正しかった。
軍というのは『送れ』と言われてすぐに送れる程、簡単なものでは無い。
その送る装備、人材の準備もあるし、その輸送手段の準備も必要だ。
ゲームのように拠点からポンッと部隊が出てくるわけではないのだ。
「となると、イギリスの奮闘を期待するしか無いか」
春川はそう呟いた。
◇西暦1938年 1月20日 イギリス
イギリス本土はドイツによって大規模な空襲を受けていた。
そう、有名なバトル・オブ・プリデンの始まりである。
イギリス本土は空襲を受ける羽目にはなっていたが、イギリス側もただ殺られっぱなしだった訳ではない。
RAFを編成し、ドイツ空軍を迎え撃っていた。
だが、如何せん、有効なレーダーが存在しないイギリスは史実に比べて初動が遅れてしまい、イギリス本土の傷は次々と増えていった。
そんな中、大英帝国の宰相ウィストン・チャーチルはなんとかドイツに対抗すべく、閣僚達を集めて対策を練っていた。
「諸君、このままでは大英帝国はドイツによって滅んでしまうだろう。そうなる前になんとか対策を捻り出して欲しいのだが」
チャーチルは若干疲れた様子でそう言っていた。
まあ、無理もない。
ここ連日、イギリスはドイツの猛攻を受けていて、イギリスはろくな対策を打てていないのだから。
それでもRAFは奮戦し、来襲するドイツ軍機を落とし続けていたが、連日の出撃によって機体の稼働率、パイロットの数、機体そのものの数がジリジリと減ってきていた。
だが、それは実はドイツ側も同じ状況であり、ゲーリングは日々目減りしていく機体に頭を抱えていたのだが、この場にいる人間にそんな事は知るよしも無かった。
「日本に協力を要請するのはどうでしょう?」
閣僚の1人が長年の同盟国である日本への協力の要請を進言する。
だが、チャーチルは首を横に振った。
「それはもうやったよ。だが、日本も突然始まった戦争に準備が整っていないらしい。あと数ヵ月は待って欲しいと言われたよ」
「そんな・・・」
「で、では、アメリカは?あの国であれば国力も広大ですし、距離的にも日本より近い」
だが、チャーチルはこれにも首を横に振った。
「確かに武器貸与は出来るだろう。もしかしたら、義勇軍の参加も出来るかもしれない。だが、それだけだ。“あの公約”が在る限りはな」
チャーチルの言う“あの公約”とは、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの公約で、『私の任期中は戦争はしない』というものである。
史実でもあった公約だったが、この世界では日本がなまじイギリスの味方である為に、今回の戦争に参戦する口実が見つかっていない為、史実よりアメリカにとってヨーロッパの戦争に参戦しづらい環境であった。
そして、イギリスにとってそれは悪夢でもあった。
日本は参戦できる状況に無い。
アメリカは参戦できる環境に無い。
フランスは既にドイツによって占領されている。
イタリアはドイツ寄り。
スペインは内戦中。
ソ連は論外。
イギリスは正に孤立無援の状況だった。
「・・・仕方がない。ノルウェー侵攻作戦を実行する」
チャーチルは前々から立てられていたノルウェー侵攻作戦実行をこの場で発表した。
何故ノルウェーを狙うかと言うと、この国の港の1つのナルヴィクはドイツがスウェーデンから冬季に鉄鉱石を輸入する事が出来る唯一の港であるからだ。
つまり、ここを先に占領すれば、ドイツは少なくとも冬季にはスウェーデンから鉄鉱石を輸入する事が出来ないという事である。
加えて、ノルウェーを占領すれば地政学上、ドイツ本土に圧力を加える事が出来る。
史実ではそれを恐れてドイツ軍はデンマーク攻略後にノルウェーに侵攻したが、この世界ではデンマークは占領したものの、海軍力の不足の為か、未だノルウェー侵攻は準備段階であった。
よって、イギリスとしては先手必勝の手段としてノルウェーを確保しておきたかったのだ。
もっとも、それだけではない。
イギリスは第二次世界大戦が始まってから、一方的に負け続けていて、イギリス国民の中にも徐々に厭戦気分が蔓延してきていた。
加えて、ダンケルクで大量の捕虜を出してしまったというのも悪かった。
これが厭戦気分に追い討ちをかけていたのである。
なので、それを払拭する為、何らかの政治的パフォーマンスが必要だった。
閣僚達は若干驚いたが、反対はしなかった。
もはや、形振り構っていられる状況には無いからだ。
正に藁にもすがる思いである。
かくして、イギリスのノルウェー侵攻は決定された。
だが、このイギリスの行動は思わぬ波紋を引き起こす事になる。
◇西暦1938年 3月4日 大日本帝国 帝都
イギリスのノルウェー侵攻の動きは日本でも知られ始めていたが、転移メンバー達はその結果に驚愕していた。
「まさかノルウェー侵攻作戦が半ば成功するとは・・・」
夕季は驚いていた。
イギリスは乾いた雑巾を振り絞る思いで兵力をかき集め、2月2日にはノルウェーに侵攻を開始していた。
これにはノルウェーの政府、軍部は驚いた。
ドイツ軍のデンマーク侵攻に際して念のために動員を始めて軍拡を行っていたものの、それはあくまでドイツに対しての備えであり、イギリスに対しての備えでは無かったからだ。
よって、予期していなかった方向から攻められたノルウェーは瞬く間に領土を取られていき、2月14日にはナルヴィクを占領し、ノルウェーの領土の3分の1をイギリス(一部自由フランス軍)によって占領される事となった。
これで驚いたのはノルウェーだけではなく、ドイツもである。
まさかイギリスの方からノルウェーに侵攻してくるとは思っていなかったからだ。
だが、それ以上にナルヴィクを占領され、重要な戦略物資である鉄鉱石をスウェーデンから冬季に輸入できない事と本土に圧力が加えられるという2重の恐怖にドイツは焦り、ノルウェーに急ぎ侵攻した。
しかし、結果は散々たるものだった。
史実よりも海軍力で劣るドイツ軍はイギリスが余裕がない為か、イギリス海軍が本気で乗り出した通商破壊の前に大損害を被った。
辛うじて空挺部隊が上陸したものの、それだけで戦況を覆せる筈がなく、また南岸に少数残ったノルウェー軍の反抗もあり、これらの空挺部隊は早々にノルウェー内でのゲリラ戦へ移行する事となった。
「連合軍、ノルウェー軍、ドイツ軍、3つ巴の戦いか。史実とはだいぶ違ってきたな」
有村の呟きに同意する他のメンバー達。
同時になんともカオスなノルウェーでの戦況に溜め息を着いていた。
だが、ニュースはそれだけではない。
「イタリアが遂に参戦しましたね」
どうにも待ちきれなかったらしく、イタリアは遂にドイツ側に立って参戦。
3月1日に連合軍に宣戦布告していた。
そして、それは日本にとっても他人事ではない。
イタリアとドイツの連合軍(具体的にはイギリス)への宣戦布告。
それは日英同盟の条項に従い、日本が枢軸軍に宣戦布告し、第二次世界大戦に本格的に参戦するという事でもあるからだ。
既に昨日、枢軸国に対して宣戦布告を行い、その数時間後には予め用意されていた第一次遣欧艦隊が出撃していた。
かくして、日本は第二次世界大戦に参戦する事となったのである。