第33話 ヨーロッパ戦争終結後
西暦1985年時点の日本の領土、勢力、国力、人口。
人口1億1200万人(史実では1億2100万人)。
経済レベル・・・GDP680兆円。
技術レベル・・・史実2000年代。
領土・・・日本列島、千島列島、樺太、台湾、パラオ、トラック諸島、マリアナ諸島、マーシャル諸島、ウェーク、ミッドウェー、アリューシャン列島、ギルバート諸島、ナウル、ハワイ、ソロモン諸島。
勢力・・・保護国、フィリピン、インドネシア、ベトナム、ビルマ、カンボジア、ラオス、大韓帝国 スリランカ、ニューギニア。
友好国?、ロシア、中華共和国、アメリカ。
西暦1978年 5月26日 アメリカ合衆国 ワシントンD・C
「やっと終わったか・・・」
ホワイトハウスの執務室でアメリカ現大統領、ジミー・カーターは安堵していた。
件の核攻撃から3年。
その後も何度か核攻撃がヨーロッパで行われたりしたが、ようやくヨーロッパ戦争は終息へと向かっていた。
「それにしても、僅か3年でこれだけ・・・」
彼の読んでいる書類にはアメリカ軍の戦死者の数が記載されていたのだが、その数はなんと30万人にも達していた。
そして、これは戦死者だけであり、死傷者として数えると70万人を越える。
もっとも、これでも世界大戦の頃に比べると大分マシだったのだが、現代軍の維持というのは非常に金が掛かる事を考えると、実質的被害は大戦で負った被害とほぼ同じであった。
ちなみに日本軍の戦死者2万8000人、ロシア軍に至っては50万人を越えていて、更に他の国の軍を合わせると、ヨーロッパ派遣軍の戦死者だけで100万人は優に越えていた。
「まあ、我が軍も酷いが、ヨーロッパの方はもっと酷いな」
カーターの言う通りだった。
と言うより、逆に言えば、アメリカなどは“この程度”で済んだとも言えた。
なんせ、ヨーロッパの被害はそれ以上に酷かったのだから。
「これ、桁を間違えてないか?」
思わずカーターがそんな事を言ってしまったのも無理は無かった。
その書類に書かれていたヨーロッパの人間の推定死亡者数は“億”の単位に達していたのだから。
こうなった理由は簡単だった。
各国は3年前の初めての核攻撃以来、継続して核攻撃を仕掛けてくる姿勢にキレて、長距離弾道弾を自分達の国に発射させない為に、共同でヨーロッパ諸国の“滅菌”を行ったのだ。
“滅菌”と言っても、流石に核を撃ちまくると、回り回って自分達に返ってくる事が予測されたので、サーモバリックなどの比較的クリーンな大量破壊兵器を使用した。
まあ、やられる方にとってはどっちもどっちではあったのだが、放射能に苦しめられる心配が無いだけマシだった。
「ヨーロッパの復興・・・どうしようか?」
カーターは頭を抱えていた。
まあ、ここまで立派に破壊されていれば、復興を考えるのも馬鹿らしい程なので、当たり前ではあったのだが。
更に復興をするにしても、現地でゲリラ的な活動を行っている者が未だに居る上に、(主に旧ヨーロッパ連合諸国の核で)放射能に汚染されている地帯も存在する以上、民間人を入れる訳にはいかない。
そして、とどめとして、ヨーロッパの殆どの国の政府がもはや国としての体を成していない為、政府への話を通す事も出来ない。
考えれば考える程、復興は難しい。
だが、復興を行わなければ、いずれ何らかの形で害を成してくる可能性がある。
いっそ復興を放置してヨーロッパを完全に隔離する手もあるが、ロシアが反対するだろう。
故に、放置という選択肢はない・・・と思われた。
「・・・待てよ。日本を誘い込めば、もしかしたら・・・」
日本は軍を遠征軍として送っていた為に、派遣される兵力が少なく、結果として被害も比較的少なかった(もっとも、それでも転移メンバーからしてみれば、大損害であったが)。
故に、列強の中では一番余力を残していた。
もしアメリカがヨーロッパ放置を提案し、日本がそれに乗ればロシアも反対はしにくいと考えたのだ。
もっとも、日本がそれに乗るかどうかは微妙なところではあったのだが。
「早速、日本に打診してみよう」
カーターはそう決意するのだった。
◇西暦1978年 6月9日 大日本帝国 帝都
一方、日本ではアメリカの打診を受けて、転移メンバーによる会合が開かれていた。
「これは一考の余地があるな」
春川は開口一番、そう言った。
「ですね。他の国よりマシとは言え、我々も酷い損害を負いましたから」
青木が賛同した。
ちなみに被害を負ったのは海軍の喪失艦だけで以下の通りである。
・喪失艦
空母・・・神龍。
巡洋艦・・・青葉、加古。
駆逐艦・・・睦月型5隻、陽炎型4隻。
他・・・揚陸艦2隻、輸送艦5隻。
死傷者・・・約1万3000人(内、戦死者約1万人)
他の国の軍隊よりもマシとは言え、なかなかの損害だった。
もっとも、日本が技術的優位を持っていなかったら、損害は今よりも増えていただろうが。
「しかし、それではロシアが文句を言ってきますよ?」
岡辺が懸念を示した。
ロシアが文句を言ってくる理由は簡単だ。
ロシアはヨーロッパと陸続きであり、国境封鎖だけではアメリカが言うような隔離は不可能に近かった。
よって、ロシアが文句を言うのは、ある意味で当然だったのだ。
「緩衝国家を造るのに協力すると言えば良いだろう。上手くやれば、復興の切っ掛けが造れるかもしれないしな」
転移メンバーもカーターと同じく現在まで収集されている情報から、ヨーロッパの復興を半ば諦めていた。
よって、アメリカの提案は日本にとっても願ったり叶ったりなのだ。
しかし、それでは前述したようにロシアが文句を言ってくる可能性が存在する為、せめてロシアとヨーロッパの間の緩衝国家を造るぐらいの手伝いはした方が良いと考えていた。
また、夕季はこの緩衝国家を切っ掛けに、ヨーロッパの復興もある程度進むのではないかという事も期待していた。
ヨーロッパが安定しない事は、日本にとってもあまり好ましくないのだ。
「では、アメリカの提案を条件付きで呑むという形で良いですか?」
「「「「異議無し」」」」
かくして、日本の方針は決定した。
◇西暦1982年 10月1日 ロシア モスクワ
ヨーロッパ戦争から4年が経ち、ロシアも本来の首都であるモスクワにその政府機能を移していた。
そして、この日もロシアの首相、マキノフスキーは執務をしていたのだが、入ってくる報告にはうんざりしていた。
「また難民問題か・・・」
それは史実でも起こった難民問題であった。
日本の提案を呑み、緩衝国家を創設した後、ロシアは上手くヨーロッパと自国を切り離す事が出来た。
だが、そこからが問題だった。
ヨーロッパの殆どの国の政府が崩壊していた為、事実上無政府状態となり、苦しい思いをしてきた旧ヨーロッパ諸国の国民達が緩衝国家の存在を聞いて、少しでも楽な生活を求める為に緩衝国家に難民として雪崩れ込んだのだ。
幸か不幸か、ヨーロッパの人口が減っていた為、難民は思ったよりも少なかったが、それでも数千万人は居ると見込まれており、緩衝国家政府も対応にてんやわんやの状態だった。
また、中にはロシアに入ってくる難民もおり、社会問題を引き起こし始めていた。
「やはり、一番の問題は言葉の壁かね?」
「ですな。様々な言葉を喋る人間が大勢入ってきますから、翻訳なども追い付かない状態です」
マキノフスキーの言葉に秘書官は答えた。
こういう事態が発生する時、やはり問題となってくるのは言葉の壁だった。
なんせ、ヨーロッパはドイツ語、フランス語、英語、スペイン語、イタリア語など、様々な言語が入り乱れている。
これらのバラバラの言葉を喋る人間が一斉に押し寄せてくればどうなるか?
結果は史実が証明している。
いや、言葉の数が多い分、史実より酷いかもしれない。
更にヨーロッパから難民と共にゲリラも時々侵入してくる為、ロシアとしては予断ならない状況だった。
「それに比べて、中東は比較的安定しているな」
そんな混純としたヨーロッパとは対称的に、中東は比較的安定していた。
もっとも、全部が全部安定している訳ではない。
中東は日米が共同で管理する領域となっていたが、日本の管轄領域は安定していたが、アメリカの管轄領域では揉め事が絶えなかった。
これは多神教国家の日本と、多民族国家とは言え一神教に近いアメリカとの違いでもあった。
この世界での日本人は、未だに堅苦しいところが残るとは言え、海外との交易が進むにつれて、史実日本国に近い考え方となっていた。
故に、多神教のくせに無神論者が多いという他国から見れば歪な宗教感となっていた為、比較的イスラム教を受け入れるのにあまり抵抗が無かったので、現地の人間と打ち解ける事が出来た。
しかし、アメリカは違った。
こちらもまた、多民族国家の割りに一神教に近いという日本とは違った意味で歪な宗教感となっていた上に、その一神教というのが、キリスト教というかつてイスラム教と対峙していた宗教であったので、宗教問題を巡って争いが絶えなかったのだ。
もっとも、それだけではない。
イスラエルという問題もあった。
この世界ではイスラエルという国はヨーロッパ戦争の後、すなわち1970年代末に建国がされていたのだが、やはり史実通りと言うべきか、現地の人間との争いが起こってしまった。
日本はイスラエルにあまり興味が無かったので放っておいたのだが、アメリカの方は経済的な問題からそうはいかず、イスラエルを支援していた。
そして、これにより、パレスチナはおろか、アラブの人間まで敵に回し、先の宗教問題も合わさった結果、中東では米軍が泥沼に嵌まる形で足を突っ込んでいる状態だった。
しかし、これでもヨーロッパより安定しているという現実が、マキノフスキーの頭を痛めさせていた。
「ふぅ。すまないが、頭痛薬を持ってきてくれないか?」
「分かりました」
マキノフスキーの言葉に秘書官はそう答えつつ、部屋を出ていった。
◇西暦1987年 3月20日 大日本帝国 帝都
日本の首都、東京では珍しく夕季を抜いた4人の転移メンバーが居酒屋で食事を取っていた。
「いや、まずは青木さんと有村さん。ご親戚の結婚、おめでとうございます」
岡辺はこの集まりの音頭を取る形でそう言った。
先日、この世界に転移してきた有村の親戚の女性と、2年前に転移してきた青木の親戚の男性が結婚する事になり、4人はそのお祝いをしていたのだ。
「しかし、夕季さんは何故来なかったんですかね?」
青木が疑問に思う。
春川を除く転移メンバーは夕季も誘ったのだが、丁寧に断られてしまったのだ。
しかし、春川は何故夕季が断ったのかを知っていた。
「俺やお前らの家族は転移してきて、後はあいつだけだろ?」
「?ええ、そうですね。でも、あと8年もすれば夕季さんの家族や親類も転移してくるのでは?」
岡辺は春川が何故そんな質問を突然したのか分からず、首を傾げた。
「・・・あいつには家族も親類も居ないんだ」
春川は暗い顔付きをしながらそう言った。
◇同日 大日本帝国 帝都 有栖川宅
春川は他の転移メンバーに夕季の事情を話していた頃、夕季は自宅のソファーに座りながら、転生する前、すなわち100年程前の事を思い出した。
幼少期、夕季は産まれて1年もしない頃にガンによって母を亡くし、父親に健やかに育てられた。
だが、小学生の頃、その父親も“とある事件”で亡くなり、孤児となった夕季は孤児院に入る事になった。
親戚も一応居たが、縁を切られる形で引き取りを断ったのである。
なので、親戚がこの世界にやって来る事など、彼からしてみれば望ましくも無かった。
逆に縁を切られたという事で、こちらに来ないで欲しいとすら思っていた。
そして、孤児院に入ったら入ったらで、父親と生活していた頃を忘れられず、他の子供と時々揉め事に至る事もあった。
友達も居なかった。
まあ、これは夕季が関わる事を拒んだからというのもあったが。
高校に入ると、アルバイトをしながら一人暮らしを始め、そうしてお金を貯めて大学に入ったところで、春川という友人に出会った。
そして、それから暫くしてこの世界に転移してきた。
(なんで、今思い出すかなぁ)
夕季は内心で苦笑していた。
思えば、あまり良い思い出が無かったからだ。
今回青木の誘いを断ったのも、それが起因している。
あまり元の世界を思い出す祝い事に顔を出したくなかったのだ。
(しかし、青木には悪いことしちまったな。後で謝らないとな)
夕季はそう考えていたが、ふと、あることを思い出した。
(そう言えば、元の世界と言えば、あの子はどうしてるかなぁ)
夕季は春川と出会う前、すなわち高校時代に出会ったあるクラスメイトの少女を思い出した。
彼女は基本的に無口だったが、美人で運動神経は抜群、成績優秀で、いつもクラスの人気者だった。
特に運動神経は夕季もそれなりに自信はあったのだが、あれの前には霞んでしまう程だった。
そして、彼女の存在は何故か100年以上経った今も、夕季の記憶の中に残っていた。
(まあ、もう会うことも無いだろうし、気にしてもしょうがないか)
夕季はそう思った。
だが、彼は知らない。
後にその少女との再会が意外な形で成されるという事を。
西暦1985年8月15日時点での大日本帝国海軍在籍艦。
空母・・・鳳龍型(鳳龍)蒼龍型(蒼龍、飛龍)、瑞龍型(瑞龍、翔龍)、鳳翔型(鳳翔)、神鳳型(神鳳、海鳳)。
戦艦・・・大和型2隻(大和、武蔵)、加賀型1隻(加賀)、長門型1隻(長門)、金剛型3隻(金剛、比叡、榛名)、扶桑型1隻(山城)。
巡洋艦・・・愛宕型(愛宕、高雄)、鳥海型(鳥海、摩耶)、足柄型(足柄、妙高)、羽黒型(羽黒、那智)、衣笠型(衣笠、古鷹)。
駆逐艦・・・電型10隻(残りは建造中)、白雪型12隻、秋月型12隻、朝海型16隻、睦月型12隻、白露型8隻、朝潮型10隻。
潜水艦・・・伊600型5隻、ア0型5隻、伊0型19隻、伊100型潜水艦12隻。
備考
潜水艦は1978年より転移メンバーによって、以降の建造艦の内、ア号潜水艦が通常の原潜、イ号潜水艦が戦略原潜と定められた。